2025/10/29 プロスペ・メリメ「カルメン」(岩波文庫)-1 フランスに圧倒されている王政スペイン。国内の少数民族は抑圧され差別されている。 1840年の続き

ドン・ホセはナヴァラ州生まれでバスク語を母語にするバスク人。バスクとバスク人は下記参照。もともとは自治区のような扱いだったのだが、フランス革命の影響でフランスとスペインの両方から白眼視される場所になったのだった。しかもフランス革命は地場産業の没落となる。
2022/03/24 渡部哲郎「バスクとバスク人」(平凡社新書) 2004年

したがって、おそらく農家の次男坊以下で余計者であり、学業もダメだったので軍隊に入った。それくらいしかうだつが上がる道がない。誤算だったのは、北スペインのナヴァラ出身の田舎者が純朴なまま、南スペインのセヴィリアという都会の衛兵になってしまったこと。そこには大きな煙草工場があり、暑い中で作業するので女工は薄着や裸であった。それを厳格な道徳をもつ民族出身で、恋愛しらずの青年が毎日みる。学業はダメでも、軍曹になれるという栄達の道が開いているのであれば、彼はまじめで堅実で禁欲であらねばならない。それに耐えているところにカルメンシタというロマの女が現れる。女工である彼女は工場内で人傷沙汰を起こしており、監獄に入れられるのを拒みたい。そこで連行することになったホセを誘惑し篭絡しまんまと逃げおおせるのである(ここまで小説は数ページだが、オペラでは全体の3分の1にあたる第1幕全部をあてた)。
ここでは彼ら二人を助けるものがいなかったことに注目。南スペインのアンダルーサではナヴァラ生まれはさげすまれ、ロマ出身の女も地元の女に毛嫌いされるのである。そうすると、異郷の生まれで地元育ちではないホセは、脱獄の道具を差し入れるまでのカルメンシタに同情から次第に恋愛に移っていくのである。カルメンを探すうちに、中尉の誰何にあったときに彼を突き飛ばしてしまう。事故であっても反逆したために、ホセはカルメンのあとを追わざるを得ない。そのまえにカルメンが示した自由と金は軍隊生活からすると、とてつもない煌めきをもっていたのだ。
ホセは密輸団に入り仕事をすることになるのだが、カルメンはホセのもとにとどまらない。人づてに聞くとカルメンには密輸団の団長であるガルシアを夫としていた。ガルシアは稀代の悪党。虫図の走るような男に尽くすカルメンにホセは怒る。ガルシアと会った時に激情して刺殺してしまう。ホセはカルメンにアメリカに行ってやり直そうと持ち掛けるが、カルメンは鼻で笑う。そして・・・。オペラでは事が起きた所で幕になるが、小説では逃げおおせ、賞金首になっている自分を憐れんでほしいかのように、同郷の考古学者(まあ民俗学が好きな博物学者)に身の上話をするに至る。
カルメンは誘惑・性・媚び・蕩尽の人であると表現される。軍や田舎者が持っている堅実・勤勉・禁欲の徳を持たないのだ。反貞節・反勤労で法を守らない悪にいる罪を持っている人。そうすると、カルメンの死は悪と罪を罰せられたと見える。でも、彼女は夫ガルシアには貞節であった。同じロマの人々には親切で援助を惜しまなかった。彼女はロマという共同体の徳と善を共有して、彼らのために勤勉であろうとした(夫ガルシアの職業が「密輸団」とされるのはマジョリティから見た偏見なのではないか。彼らは国に属さず国境概念を持たないので、自由に交易しているだけなのかもしれない。国民国家の枠を取っ払っているから「悪」とみなされているだけかも)。ホセは異郷の出身なので、カルメンの道徳を理解できない。ホセがアメリカに行こうと言い出したのは、スペイン全土を覆う道徳や善に完全に反してしまったから(殺人まで犯している)、ヨーロッパの法が届かないアメリカという異世界に逃げようとしたのだ(そこはドスト氏の「罪と罰」のスヴィドリガイロフと同じ欲望)。でもカルメンは共同体の法を犯していない。共同体の人々には愛着もある。ホセはこの世で孤独なのだが、カルメンは違う。だからホセの申し出を笑い、拒否する。
男の目からはホセが正しく、彼を誘惑したカルメンを悪にみたいが、カルメンの側から見ると事態は全く逆。ロマの法と道徳を共有しない(たぶんカルメンと会うまでロマと会ったことがない)田舎者がいれあがって、犯罪を犯し、あまつさえ夫を殺したにもかかわらず、自分と一緒に逃げてくれといいだした。そりゃ拒否するわな。何のぼせているのと馬鹿にするわな。にも関わらず刺殺されるというのは、ストーカーに付きまとわれたあげくの果ての蛮行による被害にほかならない。
「カルメン」は彼女に振られたホセの悲劇と思いそうだが(再読するまでそう思っていた)、実際はホモソーシャルな欲望の持主のホセが貞節で道徳的な女を三角関係の妄想のすえに、衝動的な殺人をおかしたのだった。悲劇なのはカルメン。ホセはストーカーで衝動犯。小説では知的でありそうだが、行動は粗暴。
プロスペ・メリメは1803年生まれ1870年没。「カルメン」は1845年初出。この時代のフランス文学はあまり知らないが、フローベール、スタンダール、バルザックらの名前を並べた時に、彼らは都市に集う人々を描いていた。ちょうど資本主義の成長にあわせて都市に出て労働者になる田舎者が急増。雑踏する都市を放浪する群衆が生まれていた。でもメリメは都市に背を向け、フランス国外に物語の題材を求める。本書がそう。代表作「エトルリヤの壺」「コロンバ」「マテオ・ファルコーネ」などもそう。
メリメが亡くなったころからフランスでは異国もの、異郷もの、エキゾティズムが流行った。そのさいにメリメの小説はインスパイアになったのだろう。フランスのクラシック音楽界では、普仏戦争以後オペラに代わって器楽を作曲することが多くなったが、その際の題材としてスペインが多く使われた。
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ついでに、ビゼーの歌劇「カルメン」1875年の台本も読んだ。作者没後に他人の手でつくられたもの。舞台音楽劇という制約があるので、原作の背景はほとんど消されている。ホセの出自は語られず、世間に結びつけるのは「母」と地元に残してきた婚約者(ミカエラ)。なので家庭の桎梏からホセが逃れるという話になっている。ホセの嫉妬はカルメンの夫に向かうのではなく、地位と金がある花形闘牛士に変えられる。カルメンの夫を殺すという重要な事件はカット。カルメンもロマの掟に忠実な女性ではなく、浮気で犯罪に快楽を感じる反社会的存在にされる。なので終幕の殺人には、ホセの嫉妬のほかに犯罪者への懲罰という意味が加えられる。こうして通俗的に改作されたので、ほとんど興味を持てなかった。オペラ歌手は自分の役を覚えるより、周囲のキャラのことを知るべきという指導がなされるそう。こんな通俗的で安っぽい道徳でマチズモなテキストを知的な人たちが読むのは苦痛にならないかな。
2022/12/29にNHKFMで放送された「名曲案内人 加藤昌則のチル・アウト クラシック」の「意外にもコード」回でビゼー作曲の「カルメン」前奏曲が話題になっていた。有名なフレーズは4回繰り返されるのだが、4回目で意外なところに転調する、和声のルールからは出てこない発想、今のコードでなら説明はつく、そんな発想を1875年にした若いビゼーはすごい、という内容だった。(ゼクエンツという反復進行の技術が昔からありました。ビゼーの新規性は和声学で許されている調の移動ルールを無視して拡張したところでした。)
この歌劇が大ヒットしたあと、ドイツのニーチェは「ワーグナーの場合」1888年でビゼーの「カルメン」を絶賛した。ワーグナーの北方的で憂鬱な音楽に対して、ビゼーの音楽は南方的で健康だというのだ。ニーチェはそれ以上説明していないが、ワーグナーの音楽が和声学を解体するような発想をしているので、あんがいビゼーのコード的な発想に魅かれたのかもしれない。
2025/07/11 フリードリヒ・ニーチェ「ワーグネルの場合」「ニーチェ對ワーグネル」(角川文庫)-1 1888年
有名なカルメンのアリア「恋は野の鳥」は、練習中に変更されたナンバー。もとは「私はロマの子」という曲だったが、プロデューサーが気に入らず改作を命じたのだった。そこでビゼーはキューバのハバネラのリズムを使ったイラディエルの「エル・アレグリート」を使った。男女のデュエットソングで、もとのハバネラのリズムで聞くとなんとものんびりしたラテンミュージックです。キューバから楽譜が届いていて、パリではよく聞かれていた。それを、ビゼーは民謡と思い込んで「恋は野の鳥」に改作した。大ヒットした。のちにビゼーはイラディエルに剽窃で訴えられたとのこと。(民謡と思い込んで自作に引用したら著作権者がいて訴えられたというのはリヒャルト・シュトラウスも体験した。交響的幻想曲「イタリアから」で引用した「フリクニ・フニクラ」がそれ。)
El Arreglito (Sebastián Yradier)
ビゼー「歌劇「カルメン」第1幕からカルメン登場の元のアリア「恋はロマの子」」は(ソプラノ)アンジェラ・ゲオルギュー、(合唱)レ・ゼレマン合唱団、(管弦楽)トゥールーズ・キャピトル劇場管弦楽団、(指揮)ミシェル・プラッソンの録音がある(EMICLASSICSTOCE-55556/58)。ネットにはなかった。
自分が目にする演出ではカルメンを尻軽で誘惑する女にしないものが出つつある。2017年のエクサンプロバンスの音楽祭(パブロ・ヘラス・カサド指揮パリ管弦楽団)では、「カルメン」のキャラになるという心理セラピーに参加した男がホセ役を演じているうちに乗り移ってしまったし、古いカルロス・サウラの映画ではバレエ「カルメン」の準備をしている演出家がカルメン役のダンサーを指導/交際しているうちにホセが乗り移ってしまったし。カルメンをファム・ファタールとするのではなく、ホセの転落による犠牲者として描いていた。フランチェスコ・ラージのオペラ映画(マゼール指揮)は野外ロケもあって原作の風景に最も近い。でも今見るにはちょっと苦痛。
オペラの上演や録音を聞いていると、ドン・ホセの悲恋とカルメンの悲劇に共感をもっていられるのはせいぜい1960年まで。それ以降は、歌手も指揮者も全身全霊をこめるのは無理みたい。歌手や指揮者が共感した「大演奏」は旧いものしかない。フリッツ・ライナー指揮RCAビクター管弦楽団1951年、 メルク=パシャーエク指揮ボリショイ歌劇場1959年(デル・モナコがイタリア語で歌いほかはロシア語という雪解け時代の珍事の貴重な記録)がまあ聞ける。
最高の演奏はMolajoli(読み方がわかりません)指揮ミラノ・スカラ座管1933年です。ことによいのは子供らの合唱。たいていは児童合唱団の選抜メンバーなので優等生が歌っているようにしか聞こえないが、この古い録音だと路上の悪ガキが歌っているように聞こえます。
Bizet, Carmen (La Scala, 1933: Buades/Pertile/Franci/Tellini/Molajoli)イタリア語歌唱
解釈を変えて成功したのは、ドイツ語歌詞で録音したケーゲル指揮ライプツィヒ放送響1961年。セヴィリアのうだるような町をライプチヒの寒い町に変え、煙草工場が近代的な違法労働工場になり、まるでベルク「ヴォツェック」のような猟奇殺人劇にしています。見事に大成功。稀代の名演。
カルメンのアリアを楽しむには、コンチータ・スペルビアの戦前録音。ファム・ファタールとしてのカルメン、妖艶な誘惑するカルメンが最もよく表現されています。
ハバネラ(1927)
にぎやかな楽の調べ(ジプシーの歌): この録音では歌といっしょにカスタネットの妙技に注目。これがスペインのカスタネットです。無名の使い手の素晴らしいこと!