女性の文学をほとんど知らないという体たらくなので、青空文庫にある岡本かの子の小説や随筆を読む。俺が知っている文学史(昭和に書かれたもの)にはほとんど登場しない(か俺が無視していた)ので、あたりがつかない。とりあえず中公文庫の「老妓抄」に載っているものを選んでみた。
老妓抄1938 ・・・ 老いた芸者はもう気ままになろうと(しかし若い芸者は寄ってくる)、電気の工事をする柚木という若い男に金をやって離れにすまわせた。すぐに柚木はやる気を失い、ずるずると暮らす。養女のみち子が柚木に気になるが、別に何かがおこるわけではない……。女たちの心理描写を楽しんだが、さていったいどういう小説か。同時期の永井荷風「墨東奇譚」の男が無責任のわがまま勝手なのにたいし、この芸者は介入しないでつかず離れず。でも男は彼女の母性でダメになってしまう。家父長制で母権性が発動すると男はダメになるのか。
「「何も急いだり、焦ったりすることはいらないから、仕事なり恋なり、無駄をせず、一揆で心残りないものを射止めて欲しい」と云った。/柚木は「そんな純粋なことは今どき出来もしなけりゃ、在るものでもない」と磊落(らいらく)に笑った。」
が当時のインテリ男の鬱屈を現わしている。男が書くと苦悩にまみれるが、女が見ると能天気になる。
家霊1939 ・・・ どじょう、なまず、ふぐ、くじら(当時は安い食材)をだす安飯屋に、毎晩どじょう汁を頼む老人がいる。ツケがたまっているからまず支払えというと、老人は彫金の技がいかに大事かを熱弁する。店が折れて後で届けるというと、老人は最近女将の仕事を始めた娘に、昔から前の女将(娘の母)によい出来の彫金を献納してきたとかき口説く。老人の秘めた恋心、前の女将のキップ(亭主が常に放蕩)、娘の諦念などがまじりあった名品。大学生で読むと身に染みるのではないか。
河明り1939 ・・・ 家にいてもつまらないので、作家で生きていくことを決心した女性が築地あたりの川が見える倉庫の一室を借りて仕事部屋にしようとする。そこには貿易商を切り盛りする若い娘がいた。てきぱきと男を指図する器量ばかりと思えば、ときにもろい一面も見せる。気鬱になったというので、女性は若い娘を誘ってシンガポールに旅行に出かける。そこで娘がいうには、生まれた時から約束させられた許嫁がいたが、女学生のときに若い土俗地理学者の紳士と仲良くなった。卒業頃に紳士から求婚されたが、今は航海にでている許嫁が愛おしい。破談にしてもらって、男に気に入られるように気丈にふるまってきた。シンガポールを旅行先にしたのは許嫁が航海途中に立ち寄るため。そこで二人は婚約する。ある夜、許嫁の男が女性に一人語りするには、彼の生みの母と育ての母が一緒に暮らしていて、どちらも自分の息子にしようと、角付き合っていて、ほとほと女の臭いが嫌になったのだ。でも航海の途次にふいに娘を思い出し、いとしいと思った……。男が書くと三角関係のぐちゃぐちゃを面白おかしくし、女性に自己犠牲を引き受けさせそうになる。しかし作家の女性の視点があるので、娘は気丈さと繊細さの理由を説明し、ティーンエイジの憧れを包み隠さずあかす。すると、男性原理に抑圧されている女性たちの心理のこまやかさと洞察の深さが現れてくる。ときに何も起きない小説なのだが、読んでいる最中は彼らの関係にどっぷりとひたれる。よい文章でした。あと、1939年には日本人は植民地の宗主国気取りで東南アジアにでていった。人の好さそうな日本人が現地にいるが、彼らの差別や残虐さは隠しようもない。それに婚約したふたりはシンガポールに家をかまえるつもりらしい。その6年後には無一文で追い出されることになることは思いもよらないだろう。作者もキャラも自分らの在り方やコミュニケーションに気を取られているが、背景で起きていることにはあんがいのんき。非常時になるとピリピリ。そういうのが日本人なのだなあ。
東海道五十三次1938 ・・・ アマチュアの有職故実家が風俗史専攻の学生を雇った。筋がいいとみえて、家の骨董その他を学生に譲り、娘と結婚させた。婚約中の男女が初旅をするに、選んだのは東海道の一隅を歩くこと。主人は自分の関心のままに歩き、〈私〉はあとをつけときに命じられて古物や風景を写生する。しばらくは何度か東海道を歩いたが、主人が忙しくなり、子どもができ、東海道歩きは忘れてしまったが、爾来四半世紀ほど、旅の渦中にあった二人は東海道を歩いてみないかということになる……。途中であった人の消息も面白いが、それよりは戦前夫婦の機敏に触れる。〈私〉は初恋を経験していないので(そういう感情になる前に結婚させられる)、ともに白髪頭になっても二人旅にでることに感傷をもつ。東海道を歩いて先まで行くという旅は戦前まではあったのだね。彼らを迎える茶屋や飯屋、宿もあった。それらは新幹線ができて失われた。いっしょに、こういう夫婦の旅もなくなったのだろうなあ。
越年1939 ・・・ OGの加奈江は退勤時に堂島という男性社員にいきなり殴られた。上司に文句を言いにいくと退社したという。そこで友人といっしょに銀座で張り込みを開始する……。男のいいわけがあとでわかるが、暴力に対してはきちんと対処することが大事。なので女性たちの行動を称賛。1939年、銀座ではOGがビフテキを食べ、サラリーマンはバーで酒を飲んでいた。軍需産業のほうが会社の未来があると思われていた。
食魔(初出不明) ・・・ 30歳くらいのディレッタント鼈四郎(べつしろう)。小器用でなんでもできるので便利や扱いされているが、誰にも尊敬されていないのを知る。でも何事かを究めようという気もなく(そういう評ができる大人にたしなめられるのが嫌い)、適当なその日暮らしをしている。唯一人を驚かせることができるのが料理。その縁で、小富豪の家に入り込み、結婚して子供もいるがいつも不満……。というような日本文学の伝統である知的エリートの苦悶と家父長制の責任から逃れようとするのらくらが描かれる。これを男性作家が書くと、自己弁護と自己嫌悪と自己卑下がないまじってはなもちならないほどぬめぬめする。ところが女の筆になると、こののらくらと他人嫌悪も期せずしてユーモア人に変貌してしまう。料理を作ることは男性性の砦に閉じこもれないからかなあ。
現代若き女性気質集(初出不明) ・・・ 1930年代の若い女性の言葉を集めた。21世紀でも言っていそうな内容だし、時局柄というのもあるし。「彼女は、腹の底から笑った味を知らない」というのがポイントか。そこかしこで男による抑圧を見出せる。
異性に対する感覚を洗練せよ ・・・ 「現代の女性はイージーでセンチで安価な妥協をしてしまうのが多い」。都会の最も進んだじょせいですらそうなのだ。
女性の不平とよろこび ・・・ 女性には欲望があるし自由でありたいことがあるが、男子側に否定される。内面の不平をこらえて男子をうらやみ続ける。かの子は化粧の自由を言うが、実に言いたいことはさらっとかかれたこちら。
紫式部の美的情緒と浄土教1935 ・・・ 紫式部の美的情緒には浄土教の影響がある。それはのちの法然親鸞の浄土教ではなくて、当時の「美的情緒的のゆとりのある浄土思想」だ。かの子は仏教研究家だった。
一冊分くらいの文章を読んできたが、捉え切ったという感じがしない。もう少し読んでみないとわからない。とりあえずいえるのは、ここにはミソジニーを正当化する文章はないので、安心して読めるということ。そしてミソジニーを摘出する指摘からときに読者である俺を恥じ入らせることがあること。ときに男をやりこめることもあるが、それは語り手が高級家庭にいて、金に困らない暮らしをしているためだろう。後半の随筆でも庶民は出てこない。なので明治生まれの俺の祖母や戦前生まれの母の感覚とずれた所を感じる。
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