odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

小林多喜二「工場細胞・不在地主・防雪林」(青空文庫) ボルシェビズムを日本の労働問題や農村問題に当てはめるだけでは小説にならない。

 小林多喜二プロレタリア文学の新しさは、文学の場として工場を発見したこと。知的エリートたちが見向きもしなかった場所がとても人間くさい場所で、社会の問題が結晶しているかのような場所だったのだ。新しいのは、機械と騒音。工員も監督も工場との契約で集められた人で、地縁や血縁はない。隣の人は何をしているのか、何をしてきたのか知らない他人。ワークとプライベートが完全に分けられていて、一緒に暮らすことがない。孤立化アトム化していて、孤独と疲弊で団結できない。工場労働者は〈現代人〉。そういう存在を小説に固定した最初になった。

工場細胞1930 ・・・ 1929年の不況はすぐに地方にまで波及。製缶工場も人員整理と主力銀行による業界再編の噂が聞こえてきた。最近の自動化は熟練工の解雇になり、非熟練工が低賃金で働かされていた。そこで共産党の「工場細胞」たちはひそかにオルグを進め、仲間を集めていく。そして解雇が発表される前に従業員大会を開き、専務や工場長に要求書を手渡した。柔道を練習する右翼工員の襲撃も従業員たちによって止めることができた……。感想は前回と同じ。工場内で運動をどう実行するかのマニュアルのようだ。

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「工場細胞」で小さな成功を達成した続きが、「党生活者」1932。官憲の弾圧はもっと厳しくなり、孤立化する。

不在地主1929 ・・・ 北海道の開拓村。内地にいても貧困から抜け出せないので、開拓民募集に応じてみれば与えられたのは荒蕪地。数年頑張るとすでに借金漬け。しかも不在地主は寒村の状況に関係なく小作料をあげ、高利の貸し付けをし、高額の商品しか買えないようにする。小作争議対策のために陸軍はこれ見よがしの演習を行い、稲を踏みつける。あまりのことで農民は決起するが、不在の地主には談判もできない。そこに手を差し伸べたのは小樽の労働組合。演説会、集会、団交を進め、らちがあかないとみるや同盟罷業をチラつかせる……。団交が成功したのはさらにメディアが農民の窮状を報道するようになってから。前書きに「荒木又右エ門」か「鳴門秘帳」のように読んでくれとある。小説のモデルにしたのは大衆小説。多喜二は盛り上げ方が下手、クライマックスの書き込みも不足。

防雪林1928 ・・・ 生前は未発表。一部は「不在地主」に使われた。「不在地主」にあった小作料増額に対する農民闘争はなくて、地主による小作への横暴・搾取、女性に対する性暴力などが書かれ、主人公が農民運動に目覚めるまでが主題になる。エピソードが脈絡なく連なり、読むに堪えない。なにより主人公が回心するまでの心理描写が貧弱。そのために彼の行動に感情移入できない。

 

 多喜二の小説の方法はとても窮屈だ。小樽の商業高校の優等生(伊藤整「若い詩人の肖像」に登場)が情報を集めて頭で書いた。キャラもストーリーも大衆小説からの借り物で、社会問題を図式的(資本家階級による搾取で、それの意を受けた官憲が協力し、地主や工場長が手先であって・・・)にしか取り上げられない。ボルシェビズムをそのまま書き写しただけの貧弱な思想が語られる。男性優位が根底にあるので、女性に対して差別的になる。「蟹工船」だけが、密室に閉じ込められた人たちの焦燥と怒りを描いてどうにか読めるものになった。それ以外の工場闘争、農民闘争を舞台にした小説は読むに堪えない。
 労働者蜂起が成功するとファンタジックになるし、失敗すると気分は盛り上がらない。労働者の労働と生活の悲惨を告発すると、最初のインパクトは薄れて関心を失っていく。恋愛や友情を取り上げようとすると、革命家の規律が最優先されるので、これも盛り上がらない。党以外の権威や権力を認めるのもできない。ストーリーが同工異曲になりがち。すでにある大衆小説の枠組みを借りる。すると差別意識が顔を覗かせる。小説の中で多様性をもつことができない。他人の抑圧には無頓着。
 多喜二の小説を読むと、同じようなテーマを扱った石牟礼道子苦海浄土」がいかに優れているかを再確認する。

 

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