odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

小林多喜二「蟹工船・党生活者」(新潮文庫) 北海の船に閉じ込められた工員たちが重労働と低賃金で怒りを溜めていく。

 2010年代に「蟹工船」が若い人たちによく読まれて、自分事として工員たちに共感した。あいにく俺は共感(エンパシー)を感じにくいたちなもので、とても冷静に分析的に読みます。自分に重ね合わせて読んでいる人たち、ごめんなさい。

蟹工船1929 ・・・ 特定の主人公はいない。群衆全員がヒーローになる小説。読者もこの小説にでてくるストライキや団交に参加して、いっしょにヒーローになるよう勧められている。そういう点では初出の時期には日本で公開されていないエイゼンシュタイン監督の「戦艦ポチョムキン」1925とそっくり。群衆がヒーローであるばかりでなく、ストーリーがよく似ている。函館の蟹工船はシーズンを前に、周旋屋がだまして工夫、百姓、学生、出稼ぎ、喰い詰めものを集めていた。甘事を言ったが乗船するときには借金漬けになっている。乗ればカムチャカ海のタラバガニ漁は過酷。そのうえ帝国の意思を受けてソ連領海での違法操業もするような悪辣な会社なので、労働は過酷を極める。劣悪な食事、長時間労働、不潔な環境、病人の放置、リンチの横行。船長や監督は酒池肉林の傲慢。駆逐艦とはなあなあの関係を結び、船員が疲労しきっているときに、船内で宴会を繰り返す。あまりの過酷さに自然とサボタージが始まり、さらに組織化されてストライキとなる。彼等の闘争は成功するか……。「戦艦ポチョムキン」の名をあげたように、この小説は都市労働者の団結と蜂起を教える役割をもっている。当時主流のレーニン主義だと、先に目覚めた革命家が群衆を教育し、扇動して、党に結集するようなプログラムを示すのだが、ここではあくまで自然発生によるコミューン結成となる。そのせいか作家のほかの小説のような教条らしさがないので、感情移入しやすい。それにストーリーは任侠小説の趣き。流れ着いた悪徳の町で虐げられ辱められたものが我慢に我慢を重ねたうえでの命を懸けた決起! みなが高倉健さんや小泉博さんになったかのような爽快な気分に浸れる。
 山田和夫「戦艦ポチョムキン」(国民文庫)
(なお、当時の蟹工船がここまで劣悪かつ命を粗末にしたかというとそれは疑問。リンチ死や病死が頻発した船が帰航したあと、船員たちの不満はすぐに陸にひろまり、次の操業ができないほどのダメージになるから。搾取は激しいとしても、人命を取ることまではしない。むしろ、船員も大日本帝国の一員であるかと思わせるような懐柔もあった。ただし植民地から連行された徴用工は別。彼等は小説のような虐待と虐殺を受けた。ただし配属されたのは蟹工船ではなく、脱出や逃亡ができない鉱山や僻地の土木作業場だった。)
杉原達「中国人強制連行」(岩波新書)
党生活者1932 ・・・ 1929年の大不況以降、労働争議が頻発した。労働組合への弾圧と共産党員の検挙が相次いだ。すでに非合法化されていた党員はそれでも所属を秘匿して運動に励む。しかし幹部と中堅がいっせいに逮捕され、組織的な活動ができなくなり、一部からは転向するものがでる。そういう時代の党員生活を描く。このあとはさらに弾圧が激しくなり、非合法活動を行って壊滅する。俺としてはこのような時期にどういう方針で臨めばよいか見当もつかない。小説のやり方ではうまくいかないだろう、でもどうやって対抗すればよいのか、迷うばかり。
その工場は満州事変以降、好景気を続けていた。本工200人のほか臨時工を600人も雇って増産している。しかし労働は長時間かつ過酷で、低賃金。おとなしい工員も怒りを覚えるようになっていた。工場は臨時工の分断工作と全員馘首を行う。それに対して「私」ほか3人の「細胞」はレーニン主義に則って自発的決起を促そうとひそかに活動していた。すこしずつシンパは増えるが、一方で公安の監視は厳しくなり、逮捕者が続出している。そこで馘首の発表日のまえに工場の欺瞞を暴露するビラを配布しよう。逮捕覚悟、拷問覚悟の一大決起だ……。
工場の「細胞」の献身に驚きと感動を覚える一方、書き手の「私」のダメっぷりには憤りしかかんじない。ことに、公安に顔を知られ(数度の逮捕歴あり)、住居を点々としないといけない状況で、ついにあるシンパの女の部屋に逃げ込む。そこで党の地区責任者として指令をだしビラの原稿を書くことになる。生活費のいっさいは女にださせる(あるいはカンパに頼り)。女が勤務先を解雇されると、「女給になれ(売春しろ)」と言い放つ。「私」は女が党生活に不向きなものとして軽蔑する。その一方で、工場「細胞」の一人である女にはいい顔をして見せる。優れた活動家だと賞讃もする。このミソジニーにはへきえき。実際にこの時代の共産党ではひとりの党員が地下に潜ると、一人の女性がこのように生活全般の面倒を見せられたものだ。まさに運動内部にある差別が露呈している。
戦前の共産主義運動はレーニン主義とおりになる。そのため、党員には「革命家」であることが求められる。「全生活はただ仕事にのみうずめられている」というわけ。具体的には、家族をすてる(「私」は母を捨てる、しかし金を出させる)、定職につかない(臨時工まで)。このルール・規律を遵守する。それがミソジニーを強化するのだし、前衛と大衆の間を広げることになる。
(ストーリーはスパイ小説。工場の監督その他の監視をかいくぐり、公安を出し抜いたりすることが克明に描かれる。主人公は「敵」の策略を出し抜くように、知恵を絞り、瞬時に活動する。大衆小説ととても近いところで書かれている。同時に、「党生活者」である「私」の生活を克明に記録する「私小説」でもある。具体的な生活はぼかしていても、内面は「真実」を語っているかような装いをもっている。大衆向けのプロパガンダ小説であっても、時代の趨勢には影響されている。)


 文体がハードボイルド。形容詞や修辞を使わず、固有名を叩きつけ、感情を書かずに行動だけを書く。敗戦後に邦訳されたハードボイルドはこの小説の文体を模倣したかのよう。

 

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