毀誉褒貶の人エルンスト・ヘッケルの著作でもっとも売れた「宇宙の謎」を読む。これまでに、岡上梁・高橋正熊訳加藤弘之閲1906年と栗原古城訳1919年、内山賢次訳1929年の三種類が翻訳された。最初のは国会図書館デジタルコレクションでPDFが読める。今回はネットに公開されていたテキスト起こし版の栗原古城訳を読む。公開していたサイトからは失われてしまった。(のちにKINDLEで販売されました)。

ヘッケルは謎多き人。通常の生物学史にも哲学史にもまず出てこない。博物学関連でときに言及されるくらいだった。21世紀には『ヘッケルと進化の夢』佐藤恵子著と『反復幻想』倉谷滋著のふたつの大著がでた。この二冊は未読。なおナチス以前のドイツ学生運動に関与していたので、これを扱う文献に登場することがある(別のエントリーで説明)。
上の二冊では、ヘッケルを形態学と美学の研究者として扱っている(らしい)。たしかにこの国では海産生物の形態を精密に描き、美しくレイアウトした「生物の驚異的な形」の著者として知られている。この博物図鑑はアールヌーボーやシュールレアリスムに影響を及ぼしたという。あるいは、反復説などの進化論の紹介者として知られている。そのように科学者や美学者としてみることができるのだが、この感想では別の面からヘッケルを考えたいと思う。
上掲の倉谷滋が書いた文章を引用。
「この2つの書(1868年の『自然創造史:Natürliche Schöpfungs-Geschichte』、1874年の『人類創成史:Anthropogenie oder Entwickelungsgechichte des Menschen』)はつまり、『一般形態学』の内容を一般読者向けにわかりやすく解説したもので、とりわけ『自然創造史』は彼が重きを置いていたラマルク的進化史観のスタイルに則り、ダーウィン的理論化を彼なりに施した上で、いわば聖書に代わることさえ意図して発表されたと覚しい
進化発生学者 倉谷滋が『ヘッケルと進化の夢』(佐藤恵子著)を読みつつ、毀誉褒貶の人ヘッケルに思いをはせる2022.12.7
https://note.com/kousakusha/n/n2ec9552f3012」
ここで俺は「聖書」に反応する。なるほど「宇宙の夢」は反キリスト教(とくにプロテスタント)の主張が多々登場する。そのためにヘッケルの本は、信仰に懐疑するドイツや西洋の若者に大いに読まれた(同時期にニーチェも流行していた)。その面からの追及もできるが、彼の著作は「聖書に代わることを意図して」いたというところが重要。そこで参考になるのは、次のふたつ。
岡崎勝世「聖書vs世界史」(講談社現代新書) 普遍史は聖書の記述に基づいて書かれた世界史。聖書より古いエジプトや中国の歴史にとまどう。 1996年
岡崎勝世「科学vs.キリスト教 世界史の転換」(講談社現代新書) 科学はキリスト教に反抗したのではなく、忖度しようとしたのだが、聖書は合理と論理に耐えられなかった。 2013年
これらによると、西洋では中世から聖書の記述にそった世界史の記述(普遍史という)を試みてきた。それは聖書のどこの記述に重きを置くか、聖書より古い歴史を持つ地域(ペルシャ、エジプト、中国など)の歴史をどう扱うかで挫折した。それでも啓蒙時代までは、聖書にでてくる出来事を科学の知識と言葉で記述しようと試みていた。ニュートンやゲーテ、リンネなどが地球と太陽がどのように作られたのか、ノアの箱舟の洪水はどこから運ばれた水なのかなどを検討した。17~18世紀のことなので科学と想像の区別はがないような議論だった。だが、そこで主張されたことを検証するために、科学研究が進んだ。地質学、博物学、考古学などに顕著。この普遍史の試みは18世紀の啓蒙時代でほぼ終了。それ以後の歴史記述からは聖書は一掃される。
本書「宇宙の謎」を読んで俺が思ったのは、ヘッケルは本書およびそれ以前の著作などで、聖書が登場しない普遍史を書いたのではないか、ということ。ヘッケルはキリスト教の神は「ガス状脊椎動物」だなどと揶揄するようなことをいっているが、造物主の存在は否定していない。むしろ、物質と精神(seele)が一体化した単細胞生物モネラを通じて、人間が神になりうることを考えていた。その考えを普遍史の形式を使って啓蒙する。すでに廃れた形式を使うところがアナクロであるが、彼が敬愛するゲーテやカントの系譜を継ぐことに意義を感じていた。
すでに聖書の記述に基づいた普遍史は不可能である。ヘッケルは聖書に準拠しないかわりに、普遍史から以下の考えを引き継ぐ。
1.普遍史では思考の枠組みを「神-人間-自然」としていたが、ニュートンら以降は「人間-自然」とし、18世紀には人間を自然の一員と格下げした。しかしヘッケルは「造物主-人間-自然」の枠組みを復活させる。人間はその他の自然とは異なる意義と意味をもっていると説明する。
2.普遍史では「神-人間-自然」の階梯を「存在の大いなる鎖」で現わしていた。神、人間、類人猿、哺乳類(馬と犬でどっちが優位かで論争があったとか)、脊椎動物、無脊椎動物、単細胞生物、無生物という流れがある。古い時代はこの鎖にある種は固定されて変化しないと思われていたが、ゲーテ、ラマルク、ダーウィン以降は進化の概念が入って種は変化するものと認識される。ヘッケルも進化論を採用して種の変化を肯定するが、高等・下等の区別は残す。優劣の違いは「存在の大いなる鎖」そのまま。
「存在の大いなる鎖」では完全なるものとしての神から少しずつ形質が脱落して下等なものに落ちていくと考えるが、ヘッケルはラマルクの進化論と系統分類学を採用して、無生物から自然発生した生物が次第に複雑になり高等になっていくと考える。
(ヘッケルの方法は、形態学と発生学。このふたつの学問知識を統合するのが、個体発生は系統発生を反復するという反復説と進化論。進化の痕跡が個体発生に記憶されているという考え。あいにく発生学の知見は反復説通りにならないことがヘッケル存命中から明らかになったので、生物学からは批判されている。一方、古生物学では反復説を支持するものがいるとのこと。)
田隅本生「ヘッケルは何を書いたのか - -反復説の原像」1980
https://www.jstage.jst.go.jp/article/mammalianscience/20/1/20_1_1_49/_pdf
(進化生物学の知見をものすごく大雑把に説明しよう。動物には身体の構造を決める遺伝子がある。昔誕生した生物が持っていた遺伝子群があり、その後の進化した生物は古い遺伝子群にさらに遺伝子群を追加している。これは現在の生物でも確認できる。この遺伝子は発生の途中で、古い遺伝子群から先に発現し、発生が進むとあとの遺伝子群が発現するようになっている。という具合に発生は反復説のような過程を経るみたい。ただそこにヘッケルのような自然哲学や生気論のような議論を持ち込む必要はない。プラグマティックに説明できます。)
3.ヘッケルはキリスト教の神とデカルトの心身二元論を批判する。かわりに一元論を提案する。生物を観察すると物質と精神(seele)からなることがわかるが、それは単細胞生物モネラで統合されているため。心身一如のモネラにおいて造物主とも統合するのである。このような宇宙的な進化論によって人間はさらに造物主に近づくことができると暗示している。
(ヘッケルが大事にしている単細胞生物モネラのイメージは、その後のトンデモ医療に登場する「ソマチッド」に反映していると思う。ソマチッドは不死であるとか、微小生命体であるとかは、ヘッケルに由来するヨタなのだろう。もとのヘッケルは忘れられてわかりやすいイメージだけが残った。)
という方法によって、「宇宙の謎」は「聖書によらない普遍史」を構想した。
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2025/12/10 エルンスト・ヘッケル「宇宙の謎(栗原古城訳)」(ネット復刻版)-2 精神の進化と霊魂不滅を主張するヘッケルの科学は通常科学と通訳不可能。 1902年
2025/12/09 エルンスト・ヘッケル「宇宙の謎(栗原古城訳)」(ネット復刻版)-3 ヘッケルは人種差別主義者で優生思想家。彼の一元論同盟はナチスを生む温床になった。 1902年に続く