odd_hatchの読書ノート

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岡崎勝世「科学vs.キリスト教 世界史の転換」(講談社現代新書) 科学はキリスト教に反抗したのではなく、忖度しようとしたのだが、聖書は合理と論理に耐えられなかった。

 岡崎勝世「聖書vs世界史」(講談社現代新書)がとても面白かった。ヨーロッパの歴史記述は聖書の記述に基づいて書かれた普遍史から、科学の知見に依拠した世界史に代わっていった。その過程を実際に書かれた本を読んで記述する。これは西洋哲学史にも科学史にも出てこない話題。たいていのひとはどちらかを専攻してしまうので、関係があるとはなかなか気づかない。また普遍史が書けなくなる理由の一つが大航海時代にヨーロッパ以外の地域と人を知ったこと。普遍の観念が通用しない場所があることを知ったのだ。そのしだいはリンクの感想エントリーで。
岡崎勝世「聖書vs世界史」(講談社現代新書) 


 本書「科学vs.キリスト教 世界史の転換」では、実際に普遍史がどのように書き換えられていったのかを実際の歴史書を参照しながら説明する。1970年ころまでは無意味な本とされていた図書館で埃をかぶっていた本を読むという苦行(歓喜)を積んだ。役に立つのかどうかを無視して学問にはげむことはこのような成果を生むのである。
 さて普遍史を書き直す試み。それはキリスト教の外の知識に由来する。ひとつは、力学天文学の知識を受けた哲学から。デカルトが「哲学の原理」1644を書いて、古代から中世のコスモスという宇宙像を壊した。閉ざされた意味ある時空間のコスモスから、開かれた無限の宇宙、粒子論的機械論的説明、アリストテレスの目的因の排除、奇跡のような神の介入を拒否する説明。影響されたジョン・ロックなどイギリスの人たちが新しい宇宙像・地球生成論を書く。17世紀の科学革命の時代にはニュートン普遍史を書こうとするが、聖書の記述を科学的に説明しようとする。創世記冒頭やノアの箱舟などを科学的に解釈しようとする。18世紀の啓蒙主義では、もっと徹底され学問は聖書と教会から手を切る。思考の枠組みを「神-人間-自然」から「人間-自然」に。このころになると聖書的時間(創世記冒頭から時間を数える)から自然史の時間に代わる。すなわち人間誕生が6000年前から数万年数億年前に一気に伸ばされる。
ダーウィンの進化論の前に、さまざまな地球生成論があったり、地質学研究があったりしたのだが、聖書記述を科学的に裏付けたいという意図もあったようだ。ノアの箱舟の説明のために洪水を起こす説明で地球平面説があったり、彗星が衝突したりというのもあった。ニュートン、カント、リンネなどの科学史にでてくる大学者も普遍史と科学的な聖書解釈に熱中した。彼らの遅れた面としてほとんど顧みられることはないが、不年始から世界史への転換という知的変動をみるときにはとても重要なようだ。なおここに登場する珍奇な説は21世紀ではトンデモ扱い。でもビリーバーの新解釈というより、廃棄された説明を性懲りもなく持ち出していると見たほうが良い。それはオカルトでも偽古代史でもそう。新しいのではなく古い説の焼き直し。)
 啓蒙時代に普遍史は世界史になる。そこでが人間を自然界の一員に格下げした。博物学で霊長類や哺乳類の知識が増えたことが反映している。でも、そこで人間の中に亜種がいるという人種論が生まれた。ライプニッツ、ビュフォン、リンネなど。そこで人種の中の優劣がつけられ、のちに人種主義レイシズムを生む遠因にあった。平野千果子「人種主義の歴史」岩波新書にもちゃんと説明があった。見落としてました。
 すでに普遍史は世界史にとって替えられた19世紀。ここで注目するのは進化論。ダーウィンの「種の起源」を契機に、地球の年齢や人間の誕生などの研究が進む。キリスト教からのバックラッシュもあった。でもキリスト教は世界史に対して普遍史を出せないので、論戦は科学の側が有利。振り返ると、デカルトニュートンはコスモスよりも広大な空間を提示し、ダーウィンの進化論は聖書学よりも長大な時間を具体的に計算して提示した。こうして普遍史を支える宇宙像(コスモス)、神の似姿としての人間、天地創造以来の閉ざされた時間が科学とそれに影響された学問によって転換したのだった。
 こういう整理があると、聖書、歴史、科学の関係がとてもよくわかる。哲学史、文化史、科学史などのトピックで覚えていたことがひとつの線でつなげられた感。タイトル「科学vs.キリスト教」をみると、この対立はたいてい教会による科学への反動という事例で語られてきた。でも上記の科学革命や啓蒙主義の時代をみると、科学のほうが聖書の権威を確固とすることをしてきたのだとわかる。あいにく科学の知見が増えるほどに、聖書の記述は支持できないということになっていった(あわせて同時期の聖書学によって聖書は神が書いたのではなく、異なる神を持つ複数の民族が書いた文書の集積であることもわかった。これも普遍史の試みが挫折した理由)。科学はキリスト教に反抗したのではなく、忖度しようとしたのだが、聖書は合理と論理に耐えられなかったのだ。


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