19歳でこれとコリン・ウィルソン「賢者の石」を立て続けに読んで、ひどく高揚した気分になったことを覚えている。「大人」が知らない世界の秘密をあばいてしまい、「俺」だけが世界変革の担い手であると思い込んでいる感じ。そう思えば、1950年代のSFには特殊な優れたものが世界の秘密を暴き停滞した社会を変革するというのがよく書かれた。アシモフ「永遠の終わり」「ファウンデーション」シリーズ、ヴァン・ヴォークト「宇宙船ビーグル号」など。これはWW2によってガチガチの監視社会であるファシズムを打倒したことが背景にあるだろう。西洋の自由主義国家が停滞した閉鎖国家を倒して、抑圧された人々を解放し、破壊された社会を新たに建設する。そういうプロパガンダの役割をSFがになっていた。本書もそのひとつ。

10億年(どこを起点にしたかは措いておく)後の地球。ここには一つの都市しかなく、生きている人間にはメンテナンスできない科学によって、すべて工業的に管理されている。そこにアルヴィンなる異端者(アノマリー)が生まれる。彼は恐れを知らず、外に出たい。この欲求はかなえられず、抑圧されてきた。しかし20歳になったとき、アルヴィンは他人の視線や思惑を無視して冒険を始める。都市の外にでること。それは都市の秘密を暴露することだった。以後、アルヴィンは都市に隠された古い交通路を発見し、10億年ぶりに他の都市にでていき、同じ期間の知恵を保存してきた群体生物を見つけ、過去に人類が星間飛行をしていた証拠を見つけ……。後半のアルヴィンの冒険は、後の「2001年宇宙の旅」でボーマン船長が体験したことの先取りです。ここには作者のシニカルで悲観的な見方があり、人類に知的爆発のきっかけを残した〈主(ロードなのだろうな:参考「幼年期の終わり」〉はすでに滅びるか去っていて、人類は再会できない。人類は宇宙的に孤独である。
たった数日間(ないし数週間)で、社会から放逐されそうなアノマリーが世界の指導者になってしまう。途中では、無二の親友となるバディを見つけ、抑圧していた大人の教師も意見を変えて自分の支持者になる。そういう個人的な成功の物語も進行している(アノマリーの出現が都市管理プログラムに内包されていて、10億年にうまれたアノマリーは全部で14人という設定は、ウォシャンスキーの映画「マトリックス」が継承した)。この二つがないまぜあって、独我論で息苦しい人にはとてもよい物語になった。さしたる努力はしていないのに、結果が直ぐにでるというのも読者を心地よくさせる。
でもこういう一人の英雄が世界を変えるという物語は、全体主義運動・ファシズム運動、あるいはカルト宗教が提供する物語と同一です。うっかり取り込まれると、これらの運動の駒の一つになって搾取されます。適当にあしらって抜けるようにしよう。「都市と星」「賢者の石」「神狩り」のような独我論の小説には書かれていないが、凡庸な俺たち読者は小説のキャラのような選民ではない。世界を一人で変革する体験をしない。他人とかかわりあって世界認識が一致することはない、恋愛の欲望が失敗する、自分の制作物がみすぼらしいなどの挫折体験をしましょう。選ばれた一人であるどころか、他人も持っている悩みを俺も抱えているだけ、オンリーワンどころか類の一つという自己認識をもちましょう。
さて、クラークのビジョンはとてもおもしろい。10億年の歴史を強度に圧縮するのもすごい。と19歳の若者は思った。でもそれから約半世紀を開けて読みなおすと、いろいろな元ネタが見えてくる。
・未来都市はイギリスのSFやユートピア小説を参照している。ダイアスパーの工業都市はハックスリー「すばらしい新世界」だし(とくに出産の工業化)、リスの田園都市はウィリアム・モリス「ユートピアだより」。10億年の歴史の圧縮と未来の人類の退化は、ウェルズ「タイム・マシン」。
・過去に「銀河帝国」の支配があり、帝国の崩壊後、国家機能がなくなって城壁に囲まれた都市に縮小する。そこに知識と技術が伝承される。あるときアノマリーが出現して、別の社会との交通が始まる。人の移動が起きて、知識の交換がある。この流れは西洋史をなぞっている。城壁に閉ざされて出入りが許されないという設定を読んだとき、中世の城壁都市を思い出したよ。都市間の交通がさかんになると、さらに外の世界に雄飛するようになるのも、大航海時代を思い起こさせる(ただし、実際の歴史では大航海を始めたのは、モンゴル帝国とされる。中近東にできた帝国がインド洋から東南アジアへの海路を開いた)。
・「都市と星」の世界(宇宙より大きい)の構成や進化の説明は、「存在の大いなる連鎖」をそのままなぞっている。すなわち、人間は世界のなかではちっぽけな都市に閉塞していて、満足しているがよりよくなる可能性がない存在。しかも「帝国」や「主」のようなより高次の存在からも見放されている。無視されている。リスの群体生物のような集合知すら持っていない。それがより高次な存在を知り、その知恵や知識や技術などを得ることにより、現在よりも高次な存在に上昇することができる。その努力をしなければならない。ここがまさに「存在の大いなる連鎖」そのもの。進化の帰結として生命が物質の肉体をすて、純粋思念体になるというのは、ベルクソン「創造的進化」と同じ。クラークの考えはベルクソンにとても近い。
(「存在の大いなる連鎖」は何度も文芸化された。中世にはダンテ「神曲」、近世にはゲーテ「ファウスト」。20世紀には本作。)
・世界の構成は西洋の哲学がずっと考えていたことと同じ。アノマリーとしてのアルヴィンはイエスになぞらえている。停滞した世界の穴あけと雄飛の可能性の示唆は、西洋の近代以降の歴史をなぞる。「都市と星」を読むことは、西洋に対する自信をもたせ、西洋がやってきたこととこれからやろうとすることを全面的に肯定させる。西洋中心主義を強化させる内容なのだ。
(ことに農本主義のリスに対する見方は危険。寿命の圧倒的な差、技術の違いがあるのに、ダイアスパーという機械都市の基準に合わせようとしている。リスの代表者の女性も、アルヴィンの友達である女性を軽視。両方の都市の評議会メンバーは男性ばかり。アルヴィンとバディの対等さにフォーカスすると、地球の都市の家父長制を見逃してしまいそう。)
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