odd_hatchの読書ノート

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中山茂「帝国大学の誕生」(講談社学術文庫) 維新から明治が終わるまでの大学史。日本の教養主義は高等教育政策と社会運動の影響をみないといけない。

 天野郁夫「大学の誕生 上下」(中公新書)は大学の制度史。それだと政府の思惑が見えてこないので、中山茂による帝国大学史を読む。1966年と古いが内容は充実。元は中公新書だったが、講談社学術文庫に入った。
 中山茂(1928~2014)の経歴。卒業後、平凡社に入社。5年後にハーバード大学に留学し、トーマス・クーンに学ぶ。学位取得後帰国し、東大教養学部地学教室に着任した。ここには科学史の教室があって転属を約束されていたのに、いつまでたっても実行されない。どちらの教室にも嫌われ、定年まで講師だった。宇井純中西準子とおなじアカデミックハラスメントを受けたわけだ。たくさんの著書があるのは、こういう事情があったせいか(組織運営や会議などに参加しないので、自由時間が豊富)。
 自分はずっと科学史研究者と認識してきたが(クーン「科学革命の構造」の訳者)、大学史も同時進行していたとのこと。

・明治政府は復古だったので、当初は皇学派(国学者)と漢学派と洋楽派で勢力争いがあった。皇学派が優勢なときに起きたのが廃仏毀釈。明治3年1870年に洋学派が勝利して(岩倉使節団が帰国して政権を取った)、大学令が発布。国内の教育制度を作りだす。
・明治10年代までは工学系技術者を養成することに力を注いだ。工部省が工科大学校を設立。元武士の若者が入学する。脱落者は法科系に比して少ない。
・東大の前身になる組織ができ、お雇い外国人による授業を開始。専門家の育成を目的にする。日本が西洋から取り込む学問を決め人選して訪日させる。彼等には大学運営や政策には関わらせなかった。同時に留学生を各国に派遣し、彼らが帰国したころに東京帝国大学と改称して(1886)、日本人による大学教育を開始する。お雇い外国人は解雇。
・明治14年1881年の政変で英米派の大隈重信が普独派の伊藤博文に追い出され、ドイツをモデルにした日本の近代化が始まる。当時、ドイツは科学研究と大学運営の先進国。特長は研究と教育を一緒にやる組織にした(英米仏は別組織)。西洋では大学は権力から独立する伝統があるが、日本では権力から独立しにくい組織になった。
・明治14年の政変以降、法科系官僚エリート養成に政策が変わり(中心は伊藤博文)、東大法学部が強化される。文部省が工科大学校を引き取り、帝大工科大学に改組する。「工科系の国家の「設計の思想」から、ある程度出来上ったものに対する法科系の「管理の思想」へと、政府の発想が変わっていった(P88)」。明治20年代には、官僚ポストは法科系出身者が占めるようになり、民業でも法科系出身者が優遇されるようになる。
・学制が固定化すると、大学を通じて縦の社会移動ができるようになった。そこから出世を目指す若者がでてくる。ひとつは民間法科で自由民権の運動に参加。民間の法科系学校、早稲田大や慶応大や中央大など、はイギリス系の法科を教えた。自由民権などを許容する法曹関係者を産んだ。もうひとつは帝大法科で体制側出世を目指す。この二つのコースができた。政府と国は後者のコースのみにしようとする。
・法科系の選抜のために高等文官試験などができた。これは資格や実技を評価するのではなく、虚学や「教養」で頭のいいことを見せて競争に勝ったことを証しする。それが部下や庶民に畏敬を要請する根拠になった(そこに学歴ひけらかしの起源がある)。帝国大学の法科系には司法官や弁護士に無試験で慣れるという特権があった。帝大法科系→官僚→議員(この時には部下の官僚を多数持っている)の出世コースが確立した。(この違いを見せつけるために、帝大と民間の法科系学校の間に差を作った)。
(江戸の身分制は消えたが、政府や民間では大卒エリートと職人の庶民という新しい階層が生まれた。法科系の優遇に起源する社会の階層化によって、日本の知識人や教養階層には法科系エリートに対する嫌悪感を持つようになった。二葉亭四迷や夏目漱石など。戦後も高橋和巳などにみられる。)
・帝大では明治26年に講座制がしかれる。一教科一教授で研究の専門トレーニングを受けられる場所としてできた。教授は研究と教育の両方を担当し、講座棒という手当を出した。教科は政府が決める。19世紀的な学問分類(と産業の要請)であったので、新しい学問が生まれても対応できない(その後にできた京都・東北・九州の帝国大学に新しい学問の講座が作られた)。講座の教授には留学から帰ってきた30代半ばが着任したが、定年まで居座った。彼らは研究より制度作りの行政家を志向した。権威主義がはびこり、研究は停滞した。その次の世代の研究者は、留学生化をいかす研究をしたかったが、東大ではできない。新興の帝国大学で研究を行った。彼等は産業主義で、テクノクラート志向。
(日本の科学研究では世界的な成果が出るのは20世紀になってからで、東大ではない帝国大学で生まれているのはこういう事情。世界的な成果といっても日本という地域の独自性によるものが多い。)
・帝国大学は民権派に対抗する官僚養成所として作られた。アカデミックな成果は生まれず停滞していた。権威主義が学外学内ではびこった。これに対して民権派のジャーナリズムが激しく批判した。とくに法科系の特権に対する反発が強かった。
・日本の帝国大学方式(国家による大学の設立、国家による学問の序列付け、官僚養成目的など)は植民地や第三世界で採用された。
 記述は大正デモクラシーまで。このあと1930年代後半から敗戦まで科学動員体制が敷かれるが、これはなし。廣重徹などで補完しよう。

 

 本書には年月日や政令などの記述がないので、天野郁夫「大学の誕生 上下」中公新書などで補完しよう(天野さんは中山らが1960年代から日本の大学史研究を始めた時に参加した少壮研究者のひとり。本書にも名前が登場)。
 明治政府は、政府の権力を強めるために上級官僚(専門知を持っている必要はあまりない。競争に勝ったという実績があることが高評価される)を育成するために東京帝国大学を作った。官僚採用や昇進のルートが作られて、一高-帝大-法務省のような立身出世コースがエリートの人生の目標になった。競争の勝者になった帝大卒の官僚は学閥を作り、富国強兵の国家目標を継続して行うグループを形成した。ただ、陸軍大学や海軍大学のような他の立身出世コースもあったので、別のルートによる勝者グループとは対立や野合が繰り返された。
 こういう立身出世コースに積極的に乗っていこうとしたのが、武家の出身者や田舎の豪族の子弟たち。帝大入学者全員が法科から官僚をめざしたわけではない。学問をしたいものもいただろうが、多くは有利な就職を目指してだった。卒業直後の給与は民間の方がずっとよかった。国家試験の準備をするものや研究に専心するもの以外は、モラトリアムを楽しみ、リベラルな考えをもつようになった。田舎の豪族の子弟(のうち長男)は帰省後には地元で家業を継いだり政治家になって、権力をふるった(下筌(しもうけ)ダム)建設に反対した地主の室原智幸がこういう経歴の持ち主。松下竜一「砦に拠る」(講談社文庫))。
 法科系エリートはごく少数(毎年の卒業者は百人くらいか?)で、特権をさまざまにもっていた。この競争に参加できないものや民権派の思想を持つものは法科系エリートに反感をもっていた。たとえば帝国大学で冷遇された文学部や文部省に邪見にされた私学。その卒業生たち。彼らによる反帝大の思潮は長く続く。

 

 というわけで、竹内洋「教養主義の没落」(中公新書)の話に移る。この本はとても面白かったが、教養主義の始まりについては納得がいかなかった。1920年代にマルクス主義の影響を受けて始まったとされる。感想では、その時代の教養主義は右翼の愛国主義弁論活動に対するカウンターであると書いた。いま考えると、大逆事件によって社会主義運動と労働組合運動がきびしく弾圧されて、政治的な活動がやりにくくなったために、学園の中でできる非政治的であることを標榜した運動であるともみなしたい。文学者もいっせいに内向の時代、自我の時代になって「私小説」などの非政治的表現に向かっていったしね。
 竹内洋「教養主義の没落」には大学史が欠けているのが問題。その知識を埋めるのが本書・中山茂「帝国大学の誕生」。帝国大学に典型的に現れる明治政府の官僚国家化、学者研究者の制度化を補完しないといけない。帝国大学が教育する専門知教育とそれに反発する民権派の教養知。帝大の専門地教育に対する批判から帝大が修養教育に転換する指示をだしたりもした。こういう対立と運動が学生や教員の中で起きていて、1920年代になる前から教養知を獲得しようとする教養主義はすでにあった。社会変革運動の志も明治期からあった。前の節に書いたような、官僚化と同時に民権派(のちに社会主義運動)に対する弾圧もみないと、日本の教養主義は捉えられない。右翼的、愛国主義的な教養主義もあった。たとえば大正時代の雄弁会活動。佐藤紅緑のようなもの。1930年代の杉本五郎「大義」を講読する勉強会運動。保守と変革の両派での教養主義運動があった。そこには法科系エリートの立身出世主義や拝金主義に対する批判があった。あいにく竹内書にはこれらの視点がない。
 竹内洋には「学歴貴族の栄光と挫折」(講談社学術文庫)があるので、こちらで補完しているのかも。

 

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