odd_hatchの読書ノート

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フョードル・ドストエフスキー「3 ロシヤの誕刺文学 処女地 終焉の歌 古い思い出」(米川正夫訳)

3 ロシヤの誕刺文学 処女地 終焉の歌 古い思い出 

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 わたしは今月文学、つまり美文学、「純文学」にも精進した。そして、なにやかや夢中になって読破した。ついでながら、わたしはさきごろロシヤの調刺文学、――といって、現代の、今日のわが調刺文学なのであるが、――に関するある外国批評家の意見を読んだ。それはフランスで発表されたものである。なかんずく、その結論のひとつが注目に値するものであった、――原文のいいまわしは忘れたが、意味は次のようなことであった。「ロシヤの調刺文学は、あたかもロシヤの社会における善き行為を恐れているかのようである。そうした行為に出くわすと不安におそわれて、どこかこの行為の裏に随劣漢を見つけるまでは、安心ができないのである。見つけるとさっそく、大喜びで叫ぶのだ。『これは決して善い行為ではない、なにもいつこううれしがることなんかありやしない、ごらんのとおり、ここにもやっぱり随劣漢が隠れているではないか!と
 この意見は正鵠をうがっているだろうか?わたしはそうとは信じない。ただわたしが知っているのは、わが国の調刺文学は数々の立派な代表者を持っていて、目下大流行だということだけである。世間ではひどく調刺文学を愛好しているが、しかし少なくとも、わたしの確信するところでは、この同じ世間はそれよりも、むしろ肯定的な美をはるかに好んで、それに飢え渇している。レフ・トルストイ伯などは疑いもなく、あらゆる傾向のロシヤの読書階級に、最も深く愛されている作家である。
 わが国の調刺文学はいかに華々しくても、実際、多少曖昧なのが欠点である、――とまあ、これくらいのことはいえるだろうと思う。時とすると、全体として、わが調刺文学が何をいおうとしているのか、てんで想像のつかないことがある。当のご自身のほうに、まるで裏づけがないのじやないか、と思われるほどだが、そんなことがあってよいものだろうか?調刺文学ご自身のほうは、何を信じているのか、なんのために暴露をやるのか、――それは未知の闇の中に沈んでしまう、といった形である。書くほう自身が何をもってよしとしているのか、さっぱり見当がつかない。 
 で、この問題について思いをひそめると、変な気持ちになってくる。 
 ツルゲーネフの『処女地』を通読し、第二編を待っている。ついでに一言するが、わたしはもうかれこれ三十年も書きつづけているが、この三十年間にしじゅう幾度となくあるおかしな感想が頭に浮かんでくるのだ。わが国の批評家たちは、だれもかれも(わたしはほとんど四十年近くも文学に目をさらしている人間だが)故人になったのも現存しているのも、一口にいえば、わたしの記憶しているかぎりの批評家は、今のことにせよ昔の話にせよ、現代ロシヤ文学に関して、多少でも晴れの舞台で何か総評でも始めると(例えば、以前、各雑誌が正月号に、前年度の概観を載せたものである)、必ずきまって、「文学がかかる衰退を示せる現代において」とか、「ロシヤ文学がかかる停滞にある現代において」とか、「文学の不振時代たる現在において」とか、「ロシヤ文学の沙漠をさまよいつつ」等々と同じようなきまり文句を、いくらか程度の相違はあるにしても、実に喜んで使いたがるのである。調子は種々まちまちに変わっているが、内容は一つことだ。ところが、事実において、この四十年間には、プーシキンの晩年の作が現われ、ゴーゴリの芸術が始まって終わり、レールモントフが活躍し、オストローフスキイ、ツルゲーネフゴンチャロフ、その他少なく見つもっても十指を屈するにたる、きわめて才能高き文学者が出現したのである。それも美文学の分野だけでである!ほとんどいかなる時代、いかなる文学を取って見ても、わが国のごとくかような短い期間に、かように多くの才能ある作家たちが、かように連続して、間断なく出現したというような例はまたとない、と断固として明言することができる。にもかかわらず、わたしは今でも、現につい先月あたりにも、またぞろロシヤ文学の停滞とか、「ロシヤ文学の沙漠」とかいう言葉に出くわしたのだ。もっとも、これはわたし一個のおかしな感想にすぎない。それに、事柄はまったく無邪気な、なんの意味も持たないことである。ただちょっと苦笑を誘われる程度のものだ。 
 『処女地』については、わたしはむろん何もいわない。だれもが第二部を待っている。それに、わたしが何かいうべき筋合いでもない。ツルゲーネフの芸術の価値には、疑いをさし挾むものはないはずだ。ただ一つだけいっておきたいのは、この長編小説の九十二ページ(『ヨーロッパ報知』参照)の上から十五行ないし二十行の間に、わたしをしていわしむれば、作品の全思想が凝集されていて、あたかも著者のその主題に対する見解が残らず表白されているかのようである。道憾ながら、この見解は、ぜんぜん誤ったものであって、わたしはそれに根本から不同意である。これは、小説中の一人物ソローミンに関して、作者の述べた数言である。 
 『祖国雑誌』の一月号で、わたしはネクラーソフの『終焉の歌』を読んだ。いつものネクラーソフに見らるるとおりの激烈な歌であり、いいたらぬ言葉ではあるが、ここにはなんという悩ましい病者の呻きがきこえることか!わが詩人は病いが篤いのだ、――彼自身がわたしにいったところによれば、――彼は自分の病状をはっきりと知っているのである。けれど、わたしはなんとなく信じられない。……これは強靭な、感じやすい肉体組織を持った人間である。彼は無惨に苦しんでいる(彼は腸に何かの潰瘍ができているのだが、はっきり診断しがたい病気なのである)が、わたしは彼が春までもたないなどとは信じない。春になったら、少しも早く外国の温泉に出かけ、異なった気候の影響で恢復するものと、わたしは信じてやまないのである。人間同士のあいだというものは、奇妙なことがあるものである。わたしとネクラーソフとは、生涯あまりしばしば会わなかったし、二人の間には気まずいこともあった。しかし、わたしたちの仲には、永久に忘れ得ないような一事件が存在している。それはほかでもない、われわれの生涯における最初の邂逅である。しかもどうだろう、近頃ネクラーソフを訪ねて行ったところ、彼は疲愈(ひはい)しつくした病人でありながら、開口一番その当日のことを回顧したではないか。その時(それはなんと三十年前のことなのだ!)なにかしらこう若々しい、新鮮な感じのする、悦ばしいこと、――それにあずかった人の心に永遠に残るようなあることが生じたのである。 
 わたしたちは二人ともそのころ二十歳そこそこであった。わたしはペテルブルグに住んでいたが、自分でもなんのためやらわからずに、すこぶる暖昧な漠然とした目的をいだいて、工兵将校の職を退いてから、すでに一年たった時である。折りしも一八四五年の五月であった。その冬の初め、今までなんにも番いたことがないくせに、わたしは急に自分の最初の中編小説『貧しき人々』に着手したのである。書きあげはしたものの、それをどうしたらいいやら、だれに渡したものやら五里霧中であった。わたしにはD・V・グリゴローヴィチよりほかには、文学上の知己など皆目なかった。しかも、そのグリゴローヴィチでさえ当時はある文集に載せた『ペテルブルグの手風琴師』という小さな短編以外、まだなに一つ書いてはいなかったのである。そのとき彼は郷里の田舎へ避暑に出かける準備をしながら、当分ちょっとの間ネクラーソフのもとに同居していたように思う。その彼がわたしのところへやって来て、「原稿を持って来たまえ」といった(彼自身もまだ読んでいなかったのである)。「ネクラーソフが来年文集を出そうといっているから、ぼくがあの人に紹介してやろう」わたしは原稿を持って行き、ほんのちょっとネクラーソフに会った。わたしたちは互いに手を握り合った。わたしは自分の作品を持って来たのだという考えのためにてれてしまい、ネクラーソフとはほとんどひとことも口をきかないで、そうそうに帰ってしまった。わたしはあまり成功などということを考えなかった。それにこの『祖国雑誌』の一党(当時の言葉を借りると)をおそれていたのである。ベリンスキイはすでに何年も前から夢中で読んでいたが、彼その人は薄気味の悪い、恐ろしい人のように思われた。「あの人はおれの『貧しき人々』なんか、一笑に付してしまうだろう!」といったような気が折々していた。でもほんの時おりには、「おれはあれを熱情をもって、ほとんど涙を流さんばかりにして書いたのだ、――いったいあれがみんな、おれがペンを手にしてこの小説に向かいながら体験した、あの賢い数々の瞬間が、――すべていっさい虚偽なのだろうか、空中楼閣なのだろうか、誤った感情だったのだろうか?」しかし、わたしがそう考えたのは、もちろんほんの刹那刹那で、たちまち猜疑の念が立ち戻るのであった。原稿を渡した日の晩に、わたしはどこか遠くに住んでいる一人の旧友のところへおもむき、一晩じゅう『死せる魂』のことを語り合って、もう何度目か覚えていないが、またぞろこの作品を読み合ったことである。これはその当時、若い人たちの間の流行で、二、三人のものが集まるとすぐ、「諸君、ゴーゴリを読もうじゃないか!」といって、テーブルにむかって読みはじめ、徹夜することさえ珍しくなかったのである。当時の青年たちの間には、きわめてきわめて多くのものが、何かに心魂を貫かれて、なにものかを期待しているようなふうであった。 
 わたしが帰って来たのはもう午前四時ごろで、昼のように明るいペテルブルグの白夜であった。ちょうど素晴らしい気持ちのよい時候だったので、わたしは自分の部屋へはいっても、床につかず、窓を明けて、窓際に腰をおろした。とつぜんけたたましいベルの音がして、わたしをひと通りならず驚かした。やがてグリゴローヴィチとネクラーソフが、歓喜の絶頂といった様子で、わたしに飛びかかって抱擁しはじめる。二人とも、ほとんど泣かないばかりなのである。彼らは前の晩、早く家へ帰って来て、わたしの原稿を取り出し、試しに読みはじめた。「十ページも読んでみたら見当がつくだろう」というわけだったのである。けれども十ページ読んでしまうと、さらにもう十ページ読むことにした。それからはもう原稿を手から放すことができず、一人が疲れると、代わって朗読するというふうにしながら、とうとう朝まですわり通してしまったのであった。「ネクラーソフはね、大学生の死の場面を読んでいると」と、後で二人きりになった時、グリゴローヴィチがわたしに教えてくれた。「ふいとぼくが兄ると、父親が棺の後を迫って走る、あすこのところまでくると、ネクラーソフの声がと切れるじゃないか、それが一度ならず二度までなんだからね。とふいにこらえきれなくなって、蝋で原稿を一つたたきながら、《ええっ、こいつめ!》といった。これはきみのことなんだぜ。こうして、二人は夜あかししてしまったのさ」読み終わったとき(なんと、印刷して七台分の原稿なのである!)さっそくわたしのところへ押しかけようと、異口同音に決議した。「眠ってたってかまやしない。たたき起こしたらいいんだ、これは睡眠以上だからね!」 
 その後、ネクラーソフの性格をじっと観察するにおよんで、わたしはあのときのことに、しばしば一驚を禁じ得なかった次第である。彼は引っ込み思案で、ほとんど猜疑心が強いといってもいいくらいで、用心深く、めったに心中をうち明けないたちであった。少なくも、わたしにはいつもそんなふうに思われた。そういうわけで、わたしたちが最初に会ったこの瞬間は、真に最も深刻な感情の発露であったのだ。彼らはそのおりわたしのところに三十分ばかりいたが、この三十分間に、わたしたちはどれだけのことを話し合ったかわからない、一口いわないさきに相手の考えを理解し合い、感嘆の叫びを発し、せき込みながら、芸術を語り、真実を談じ、「当時の情勢」を論じ、また『検察官』や、『死せる魂』などを引用しながら、ゴーゴリを語ったのは、いうまでもないが、しかし主として、ベリンスキイのことを話しあった。「わたしは今日にも早速あなたの小説をあの人のとこへ持って行きます、そしたら、おわかりになると思いますが、――いや、あの人の人物といったら、実になんて人物でしょう!やがてあなたも近づきになったら、どんな心の持ち主かおわかりになりますよ!」とネクラーソフは、わたしの両肩に手をかけてゆすぶりながら、感きわまった調子でいった。「さあ、これでおやすみなさい、おやすみなさい、わたしたちも帰りますから。明日はうちへ来てください!」まるで彼らの来訪のあとで、わたしが眠ることができるとでもいったようないいぐさだ!なんたる歓啓、なんという成功、が、何よりかんじんなのは、その時の感情が貴かったのだ、わたしははっきりと覚えている。「まあ、たいていの人は成功といったところで、まあ褒めてもらったり、会ったときにお祝いをいってもらったりするだけのものだが、あの人たちは目に涙を浮かべて駆けつけて、朝の四時にたたき起こすではないか。なぜなら、それが睡眠以上だから、というのだ……ああ、なんていい気持ちだろう!」こんなふうのことをわたしは考えた。それなのに、どうして眠ってなどいられようぞ! 
 ネクラーソフはその日のうちに、原稿をベリンスキイのところへ持って行った。彼はベリンスキイに随喜渇仰し、おそらく一生を通じて、だれよりも彼を愛していたらしい。当時まだネクラーソフは、その後間もなく、一年ばかりたって書き始めたような、大規模のものは書いていなかった。ネクラーソフは、わたしの知っているかぎりでは、十六の年にたった一人ぼっちで、ペテルブルグへ出て来たので、書き出したのもやはりほとんど十六歳時分からであった。彼とベリンスキイの交遊については、わたしもあまり多く知るところがないけれども、ベリンスキィはそもそもの初めから彼を見抜いて、おそらく彼の詩境にいちじるしい影響を与えたものと思われる。当時のネクラーソフのはなはだしい若さと、彼らの間の年齢の差にもかかわらず、二人の間にはすでにその頃からして、生涯に影響をおよぼした断ちがたい絆で結びつけるような瞬間があり、またそのような言葉が交わされたのである。「新しいゴーゴリが現われましたよ!」とネクラーソフは『貧しき人々』を持って、彼の家へ入って行きながら叫んだ。「きみたちにいわせれば、ゴーゴリがまるで雨後のきのこのように生えてくるんだからな」ベリンスキイは厳しくたしなめたが、それでも原稿は受け取った。ネクラーソフがその晩、また彼のもとへ立ち寄ったとき、ベリンスキィは、「ただもうわくわくとして」彼を出迎えた。「連れて来てくれたまえ、早くその男を連れて来てくれたまえ!」 
 こうして(それは、だから、もう、三日目のことである)、わたしは彼のところへ連れて行かれた。忘れもせぬ、一目見たとき、彼の外貌、彼の鼻、彼の額が、わたしをひどく驚かした。わたしはなぜか彼を、――「このものすごい恐るべき批評家」を、まったく別人のように想像していたのである。彼はひどくものものしげに、控え目な態度でわたしを迎えた。「なに、仕方がない、これがほんとうなのだろう」とわたしは心に思った。けれど、一分とたたぬうちに、なにもかもがらりと変わってしまった。あのものものしさは、二十二歳の駆け出し作家を迎える名士の、大批評家のポーズではなく、彼が一刻も早く流露させようと思っていた感情と、むやみに急いで発しようとした重大な言葉に対する、尊敬から出たものであった。彼は燗々と随を卸かしながら、燃えるような調子でいいだした。「いったいきみは自分でわかっているのですか」と彼はいつもの癖で、甲高い声を立てながら、幾度もくり返しくり返しいいだした。「あなたはどんなものを書いたのか、自分でわかっておいでですか!」彼ははげしい感情にかられて話すとき、いつも甲高い叫び声になるのであった。「きみはただ芸術家として直接な感受性で、これだけのものを書くことができたのだが、あなたは自分でわれわれに示されたこの恐るべき真実を、自分ではっきり意識しましたか?あなたが二十そこそこの年で、ちゃんとこれを理解していたなんて、そんなことがあろうはずがない。現にあなたの書かれたかわいそうな官吏にしても、長い勤めですっかり身心を消耗してしまって、虐げられたあまりに、自分を不幸なものと考えることさえあえてできないほどになってしまい、いささかでも不平がましいことは、ほとんど自由思想のように考え、自分は不幸の権利さえもたないものと思い込んでいるじゃありませんか。あの善良な人、あの上官の勅任官が例の百ループリを与えたときも、彼は自分のような人間を、『閣下様』がどうして憐れんでくださるのかと、驚きのあまり打ちひしがれ、たたきのめされたようになってしまう。しかも、先生がいうのによると、閣下は閣下でなくて、『閣下様』なんですからね!それから、あのちぎれて落ちたボタン、彼が閣下のお手に接吻する瞬間、――いや、ああなると、もう不幸な人間に対する憐憫どころか、恐怖だ、恐怖そのものだ――彼のこの感謝の中に恐怖があるのだ!これは悲劇だ!きみは物の本質に直接触れたのです、最も重要なことを瞥不したのです。われわれ、評論家・批評家たちは、ただそれを考察して、言葉で説明しようと努めるだけだけど、きみがた芸術家は一線一画をもって、ただちに形象の中に本質的な真髄を示し、手に触れるがごとく感知させ、どんな思索に縁遠い読者でも、忽然といっさいを悟ることができるようにするのです!これが芸術の秘密であり、芸術に表現されたる真実であるのです!これこそ芸術家の真理に対する奉仕の方法です!あなたは芸術家として真実を啓示され、告知されたのです、天賦として与えられたのです。だから、この天賦を大切にして、どこまでもそれに忠実にやってゆけば、やがて偉大な作家になるでしょう!」…… 
 これらすべてを、彼はそのおりわたしに話したのである。これと同じことを彼は、後にほかの多くの人々に語ったが、それらの人々はまだ今でも生きていて、このことを証明することができる。わたしは酔えるがごとき心地で、彼のもとを辞した。わたしは彼の家の角に足を停めて、空を眺め、晴れた日を眺め、道往く人を眺めながら、全存在をもって感じた。自分の生涯における荘重な瞬間、いわば一つの転機が生じたのだ、なにかしらまったく新しいものが始まったのだ、が、それはどんなに空想に熱中した瞬間にも、予想すらしなかったようなものだ(わたしはその頃おそろしい空想家であった)。「いったいおれは真実そんなに偉大なのだろうか?」とわたしは、一種臆病な歓喜につつまれながら、心の中で恥ずかしそうに考えたものである。おお、どうか笑わないでいただきたい、わたしはその後も一度として、自分を偉大だと思ったことはない。が、その時は、――はたしてそれだけの印象にたえ得るものだろうか!「ああ、おれはあの讃辞に値するだけの人間になろう。だが、なんという人たちだろう、なんて立派な人たちだろう!ここにこそほんとうの人間がいたのだ!おれは期待にそむかないようにしよう、彼らと同じ立派な人間になるように努め、どこまでも『忠実』にやってゆこう!ああ、おれはなんと軽率な人間であるか、もしベリンスキイが、このおれの内部にどれだけやくざな、恥ずべきものがあるかを知ったなら!ところで、みんな文学者は傲慢だ、自尊心が強いというが、なんてたわごとだ。もっとも、ロシヤで人間らしいのはただ彼らばかりだ。彼らばかりではあるが、しかし彼らのみが真理を持しているのだ。真理、善、真実は、常に勝利をしめて、悪行と悪徳の上に凱歌を奏するのだ。われわれは勝とう、おお、彼らのもとにおもむこう、彼らとともに行動しよう!」 
 わたしはのべつこれらのことを考えたのである、そしてその瞬間の気持ちを、完全に、明瞭に想い起こすことができる。わたしはその後も永久に忘れることができない。それはわたしの全生涯を通じて、最も感激的な一瞬であった。懲役に行っても、これを思い出しながら気力を奮い起こした。現在でもこれを想い起こすたびに、感激を禁じ得ないのである。さて、それから三十年たって、わたしはついさきごろ、病めるネクラーソフの枕もとにすわりながら、この瞬間を残らず想起して、ふたたびこれを親しく体験するの思いであった。わたしは彼に向かって、詳しい回想談はしなかった。ただあの時こうした共通の瞬間があった、ということだけを口にしたのみであるが、彼自身も記憶していることを見てとった。わたしも、彼が記憶しているのは、承知だったのである。わたしが懲役から帰って来たとき、彼は自分の著作の中の詩を一つわたしにさし示した。「これはあの当時、あなたがたのことを歌ったんですよ」と彼はいった。しかも、わたしたちは一生離ればなれに暮らしてしまったのである。今や病苦の床で、彼は生活を終わった友だちのことを回顧して歌っている。

彼らの予言の歌はうたいつくされず
彼らはこの世の盛りの年に、裏切りと
憎悪の犠牲となって倒れた。彼らの肖像(すがた)は
責むるがごとく、壁の上からわたしを見つめて

ここでこの「責むるがごとく」の一言が苦しい言葉である。われわれはあくまで「忠実」であったろうか、はたしてそれに違いなかったろうか?それは、各人がおのれの良心の裁きに照らして、決すべきことである。が、とまれ、この苦悩者の歌をみずから誦して、われらの愛する熱情の詩人を復活させたまえ!苦悶の熱情に燃える詩人を!……

「作家の日記」1877年1月 

河出書房「ドストエフスキー全集 15」作家の日記 下 
昭和45年7月20日初版 
昭和52年6月25日9版 

フョードル・ドストエフスキー「おかしな人間の夢」(米川正夫訳)

おかしな人間の夢 
 ――空想的な物語―― 

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 1 
  
 おれはおかしな人間だ。やつらはおれをいま気ちがいだといっている。もしおれが依然として旧のごとく、やつらにとっておかしな人間でなくなったとすれば、これは、位があがったというものだ。だが、もうおれは今さら怒らない、今となってみれば、おれはやつらがみんななつかしい、やつらがおれのことを嘲笑するときすらも、なぜか特別になつかしいくらいだ。おれは自分からやつらといっしょになって、笑ったかもしれない、――これもおれ自身を笑うのではない、おれにとって、彼らを見ているのが、こんなに憂鬱でないなら、彼らを愛して笑うのだ。憂鬱なのは、やつらが真理を知らないのに、おれだけ真理を知っているからだ。おお、ただ一人真理を知るというのは、なんと苦しいことか!だが、やつらにはこんなことはわかりやしない、とうていわかりっこない。 
 ところで前には、おれは自分がおかしな人間に見えるというので、ひどくくよくよしたものだ。見えたのではない、そうだったのだ。おれはいつもおかしな人間だった、そして、おれはちゃんと承知しているが、これはおそらく生まれた時からのことに違いない。どうやらおれはもう七つの時から、自分がおかしな人間だということを知っていたらしい。やがて、おれは小学校で、それから大学で勉強したが、どうだろう、おれは学問をすればするほど、自分がおかしな人間であることを、いよいよはっきり知ったのだ。だから、おれにとっては、おれの大学時代の学問は、すべてひっくるめて、それに深く没頭すればするほど、結局のところ、自分がおかしな人間であることを自分に証拠立て、説明するためのみに存在したようなものだ。生活においても、学問の場合と同じことだった。おれがあらゆる点において、おかしな人間だという相(あい)も変わらぬ意識は、一年ごとに、おれの内部で生長し、根を張っていった。おれはいつもみなに嘲笑された。が、もしもこの世の中に、おれがおかしな人間であるということを、一番よく知っているものがいるとすれば、それはおれ自身だということを、彼らはだれ一人として知りもしなければ、察しもしないのだ。これが、彼らがそれを知らないということが、おれには何よりも癇ざわりだった。しかし、それについては、おれ自身に罪があった。おれはいつも非常に傲慢だったので、どうあっても、そのことをだれにもうち明けなかった。この傲慢心は、おれの胸中で、一年ましに生長していった。で、もしおれが、自分はおかしな人間だということを、だれにもせよ、他人の前でうち明けるような真似をしたなら、おれは早速その晩、自分の頭にピストルの弾丸(たま)を撃ち込むに相違ない、と思われるほどだった。おお、おれはよく少年時代に、もしひょっと我慢しきれないで、ふいに何かの拍子で、友だちにうち明けてしまいはせぬかと、どんなに襖悩したかしれやしない!けれど、一人前の青年になってからというものは、一年ましに、いよいよ深く、自分の恐ろしい性質を知るようになってはきたが、なぜかまえよりいくぶん平気になった。まったくなぜかなのだ。というのは、おれはいまだにその理由を、はっきりさせることができないからである。おそらく、それはおれの魂の中で、おれのぜんぶよりも無限に高遠なある事情に関連して、恐ろしい煩悶がつのってきたからであろう。それはほかでもない、世の中のことはどこへ行っても、なにもかも要するに同じことだという確信が、おれの心をつかんだからである。おれはずっと前から、これを予感していたが、完全なる確信としては、最近の一年間に、何かこうとつぜんやって来たのだ。おれは忽然として世界が存在しようがしまいが、あるいはなに一つどこにもなかろうが、おれにとっては同じことだと感じた。おれは自分の全実在をもって、おれの身についているものはなに一つないのだ、ということを直感するようになった。はじめのあいだはなんといっても、以前にはその代わり、いろいろたくさんあったような気がした。が、やがてそのうち、前にもやっぱり何もなかったのだ、ただなぜかそう思われたのだと悟った。それから、おれは次第次第に、これからさきだって何にもありやしないのだと、確信した。そこで、急におれは人に腹を立てることをやめた。それどころか、人をほとんど眼中におかなくなった。じじつ、これはほんのささいなことにまであらわれた。例えば、おれは通りを歩いていながら、人にぶつかるようなことがちょいちょいあった。しかも、それは考え込んでいたからではない、おれに何を考えることがあろう、おれはその頃まったく考えることをやめてしまったのだ。おれにはどうでもよかった。問題の解決でもできたら、どんなによかったかしれないのだが、おお、おれは一つとして解決できなかった、そのくせ、問題は山ほどあったのだ!けれど、おれはどうでも同じことだったので、問題もすべて遠のいてしまった。 
 こういうわけで、それから後になっておれは真理を知ったのだ。去年の十一月、はっきりいえば十一月三日に真理を知ったのだ。その時以来、おれは一つ一つの瞬間を覚えている。それは陰鬱な、この世にあり得るかぎりの陰鬱をきわめた晩であった。おれはその時、夜の十時過ぎに家に帰っているところだったが、まったくこれ以上陰鬱な時はあるまい、と思ったことを覚えている。自然現象までもそうなのだ。雨がいちんち降りつづいていたが、これがまた実に冷たいうっとうしい雨で、人間に対して明らかに敵意を持った、なんとなく威嚇的な雨でさえあった、おれはこれを覚えている。それが突如、十時過ぎにぱったりやんで、恐ろしい湿けが始まった。雨の降っている時よりも、もっと湿けて寒々とし、街上の一つ一つの石からも、横丁という横丁からも、すべてのものから、一種の蒸気が立ち昇った。遥かに通りのほうから横丁の奥をのぞき込むと、蒸気の湧いてくるのが見すかされるのであった。おれはふと、もし到るところのガスが消えたら、いくらか心が愉しくなっただろう、ガスがついていると、かえって憂鬱になってくる、なぜなら、ガスがこれらすべてのものを照らすから、といったような気がした。おれはその日ろくろく食事をしないで、夕方早くからある技師のところにねばっていた。そこにはもう二人友だちが来ていた。おれはずっと黙りこくっていたので、みんなくさくさしていたらしい。彼らは何か煽情的な話をして、とつぜん、興奮さえしたほどである。だが、その実、彼らはどうだって同じことなので、おれはそれに気がついていた、彼らはただちょっと興奮してみただけなのである。おれはだしぬけにそのことをみんなにいってやった。「諸君、そんなことなどきみがたにとって、どうでもいいんじゃないか」でも、彼らは腹を立てもせず、みんなでおれのことを笑いだした。これというのも、つまり、おれがいっこう非難の調子など響かせないで、ただおれ自身どうだってかまわないという気持ちでいったからである。彼らもおれがどうだってかまわないのを見てとって、みんな愉快になってきた。 
 おれは往来でガスのことを考えた時、ふと空をふり仰いだ。空は恐ろしく暗かったが、ちぎれ雲の間々に、底のない真っ暗な斑紋をまざまざと見分けることができた。とっぜん、おれはこうした斑紋の一つに、小さな星を見つけて、じっとそれを見つめだした。というのは、この星がおれにある想念を吹き込んだからである。おれはその晩に自殺しようと決心した。このことはもうふた月前から、しっかり腹をきめていたので、ずいぶん貧乏幕らしはしていたが、素哨らしいピストルを買い込んで、その日さっそく弾丸(たま)をこめておいたのである。しかし早くも二か月経過してしまったのに、ピストルは相変わらず引出しの中にしまったままである。おれはあまりにもいっさいがどうだって同じことだったので、それほど無関心でないような一瞬を捉えようと思ったのだ。なんのためにそんなことをしたのか、おれは知らない。こういった次第で、このふた月の間というもの、おれは毎晩、家へ帰りながら、今日こそ自殺しようと考えた。そうして、たえずきっかけを待っていた。ところが、今この小さい星がおれに暗示を与えたので、今夜こそいよいよ間違いなく実行するのだと、きめてしまった。なぜ星が暗示を与えたのか、――おれは知らない。 
 さて、おれが空を振り仰いだとき、ふいにあの女の子がおれのひじをつかまえたのだ。往来はもうがらんとして、人っ子一人いなかった。だいぶ離れたところで、辻待ち馭者が馬車の上で居眠りをしていた。女の子は年のころ八つばかり、頭をきれで包んで、着ているものは一枚きり、しかも身体じゅうぐっしょり滞れていた。が、おれはとくに濡れたぼろ靴が目についた。今でも覚えている。なんだか特別ちらちらとおれの目に映ったのだ。女の子はいきなりおれのひじを引っぱって、呼びはじめた。彼女は泣きもしないで、妙に引っちぎったような調子で、何かえたいの知れぬ言葉を吐き出すのであったが、それもはっきりとは発音ができない。悪寒におそわれて、全身を小刻みにふるわしていたからである。彼女はどうしたのか恐怖におそわれて、「おっ母ちゃん!おっ母ちゃん!」と絶望の調子で叫んでいるのだ。おれはそのほうへ顔を向けようとしたが、しかし一こともものをいわないで、そのまますたすたと歩みをつづけた。女の子は駆け出して、おれのひじを引っぱったが、その声には、ひどくおびえた子供に絶望の表示としてあらわれる一種の響きがあった。おれはその響きを知っている。彼女は、言葉を満足に発音できなかったけれども、その母親がどこかで死にかかっているのだな、とわたしは察した。親子の身の上に、何蛎かがもちあがったので、彼女はだれか呼ぼう、母親を助けてくれる人を見つけだそうと、そとへ駆け出したに相違ない。しかし、おれはその跡からついて行こうとしなかったばかりか、かえって、この娘を追っ払おうという考えさえ、ふいに浮かんだほどである。おれははじめ彼女に、巡査をさがし出すようにいった。けれど、彼女はとつぜん、小さな両手を合わせて、しゃくりあげたり、息をつまらせたりしながら、たえずおれの横について走りつづけ、いっかな離れようとしない。そこでおれは、威嚇するように足踏みして、どなりつけてやった。女の子はただ「旦那、旦那!……」と叫んだばかりで、急におれを棄てて、一目散に往来を横切って駆け出した。向こうにやはり同じような通行人の姿があらわれたので、彼女はそれを目がけて飛んで行ったらしい。 
 おれは自分の五階の部屋へ昇って行った。おれはここで部屋を又借りして住んでいるのだ。ここは下宿屋のようになっていたのだ。おれの部屋は貧しい小さな部屋で、屋根裏式に半円形の窓が一つついている。模造皮張りの長いす、本の載ったテーブル、小いす二脚、それに古い代物ながら、ヴォルテール式の安楽いすが一つある。おれは座について、蝋燭をともし、さて考えはじめた。板で仕切ったお隣りの次の間では、相変わらず騒動がつづいていた。これはもう一昨日らいつづいているのだ。そこには退職大尉が住んでいて、来客中なのである、――六人ばかりの暖味な連中(言語はstriutakie)で、ウォートカを飲んだり、古いカルタでシュトスをやったりしている。昨夜は喧嘩があって、中の二人が長いこと髪のつかみ合いをしたのを、おれはちゃんと知っている。主婦は苦情を持ち込みたいと思ったけれども、大尉殿がこわくてたまらないのである。ほかの借間人といっては、小柄なやせた婦人がたった一人きりしかなかった。それは、連隊夫人(連隊の軍人に専属のかたちになった売春婦)らしく、小さいのを三人つれていたが、三人ともこの下宿で、さっそく病気してしまったのだ。彼女も子供も、気が遠くなるほど大尉殿をこわがって、夜っぴてがたがたふるえながら、十字を切っていたものだ。いちばん小さい子供は恐ろしさのあまりに、何かの発作を起こしたくらいである。この大尉はどうかすると、ネーフスキイ通りで通行人を引き止めては、合力を乞うている。これはおれがたしかに知っている。彼はどこにも勤め口が見つからないのだけれど、不思議なことには(つまり、これがために、おれはこんなことを細かく話すのだが)、大尉はこの下宿へ越して来てからまるひと月というもの、おれには少しもいまいましいという気持ちを起こさせなかった。近づきになることは、そもそもの初めから避けるようにしていたが、先方でも初対面の時から、おれと話すのは退屈そうであった。しかし、先生たちが、板仕切りの向こうでどんなにわめき散らしても、どれだけ大勢人が集まっても、おれはいつも同じことであった。おれは夜っぴてじっとすわっていたが、まったくのところ、彼らの声など耳に入らなかった。――それほどこっちでは、彼らのことなど忘れてしまっていたのだ。なにしろ、おれは夜の白々と明けるまで毎晩まんじりともしない。しかも、それがもうかれこれ一年からつづいているのだ。おれは夜っぴてテーブルの前の安楽いすに腰をかけたまま、なんにもしないでいる。書物を読むのは昼間だけである。じっとすわったまま考えごとさえしない。ただなんとなしに、いろいろ妄想が浮かぶけれど、おれはそいつを勝手にうっちゃらかしておくのだ。蝋燭は一夜のうちにすっかり燃えきってしまう。おれは静かにテーブルに向かって腰を下ろし、ピストルを取り出して、前においた。前においた時、おれは「これでいいのか?」とみずから問いかけ、「これでよし」とはっきりみずから答えたのを、今でも覚えている。つまり、自殺しようというのだ。おれは、いよいよ今夜こそ間違いなく自殺するのを承知しているが、それまでにまだどれくらいテーブルに向かって腰かけているつもりだったのか、そこまではわからなかった。そしてまた、もちろん自殺を遂げたに相違ないのだ、もしあの女の子さえいなかったなら。 
  
 2 
  
 実のところ、おれはどうだってかまわなかったとはいい条、例えば、痛みといったようなものは、やはり感じずにいられなかったわけだ。もしだれかおれをぶんなぐったとすれば、おれは痛みを感じたに相違ない。精神的方面からいっても同じことで、何か非常に哀れなことがおこれば、おれが人生のすべてをどうでもいいと思わなかった時代と同様に、憐憫の念を感じるはずである。そこで、おれはさきほど憐憫を感じたのだ。おれはきっと間違いなく、あの子供を助けてやるところであった。ところが、どうして助けてやらなかったのか?それはあのとき念頭に浮かんだ一つの想念のためである。女の子がおれのひじを引っぱって呼び立てた時、そのとき突如として、おれの眼前に一つの疑問が立ち塞がって、どうしても、それを解決できなかったのだ。それは呑気な疑問ではあったけれど、おれはすっかり腹を立ててしまった。もしいよいよ今夜自決すると決心したとすれば、今こそいつにもまして世の中のいっさいが、どうでもよくなるのがあたりまえではないか、という推論の結果、むかっ腹を立てたのである。なぜ急におれは無関心でなくなって、あの女の子をかわいそうに思うのだ?今でも覚えているが、あれはまったくかわいそうでたまらなかった。なにかしら不思議な浦みを感じるほどで、おれの立場としては、実際、あるまじきことと思われるほどであった。正直なところ、おれはその時、自分の心をかすめた刹那の感触を、これ以上うまく伝えることはできないけれども、その感触は、すでに家へ帰って、テーブルに向かった時でさえつづいていた。おれはもう長いこと覚えなかったほど、無性にいらいらしていた。いろんな考えが次から次へ流れ出した。もしおれが人間であって、まだ無でないとすれば、無に化してしまわない間は生きているのであり、したがって、自分の行為に対して苦しみ、怒り、差恥を感ずることができる。そのことがはっきりと頭に浮かんできた。それならそれでかまわない、しかし、例えば、二時間後におれが自殺するとすれば、あの女の子などおれにとって何するものぞ、またその時は羞恥にしろ、何にしろ、およそこの世のいっさいが、おれになんの用があるのだ?おれは無に帰するのだ、絶無の零になるのだ。そして、おれがいま完全に存在しなくなり、したがって何物も存在しなくなるという意識が、はたして少女に対する憐憫の情や、卑劣な行為の後に残る差恥の情に、いささかの影響をも与えることができないのだろうか?おれが不仕合わせな女の子に、地団太を踏んで見せたり、乱暴な声でどなりつけたりしたのは、要するに、憐憫の情を感じないばかりか、不人情な陋劣な所業をさえしたところで、二時間たてば、いっさいが消滅してしまうのだからかまわない、といった気持ちがあったからである。つまり、そのためにどなりつけたのだということを、読者は信じてくれるだろうか?おれは今それをほとんど完全に確信している。生活も世界も、いわばおれ次第でどうでもなるのだということが、はっきり頭に浮かんできた。それどころか、今では世界もおれ一人のために造られたものだ、とさえもいうことができる。おれがどんと一発やったら、世界も失くなってしまう、少なくとも、おれにとってはそうなのだ。実際、おれの死んだ後は、いっさいが何人(なんぴと)のためにも存在しなくなるのかもしれないのだ。おれの意識が消えるが早いか、全世界はさながらおれ一人の意識の付属物かなんぞのように、幻のごとく消えて失くなってしまうかもしれない。なぜなら、この世界ぜんたいも、これらすべての人々も、結局、おれ自身、おれ一人だけにすぎないからかもしれないのだ。こんなことは今さらいうまでもない。今でも覚えているが、おれはじっとすわったまま、あれこれと考え耽りながら、後から後からとひしめき寄せるこれらの新しい疑問を、ぜんぜん反対の側にひっくり返して、それこそほんとうに新しい思想を考え出した。例えば、忽然として、おれの頭に奇妙な想像が浮かんだものである。もしおれが以前、月か火星に住んでいて、そこでおよそ想像し得るかぎりの破廉恥で不名誉な行為をし、そのためただ夢の中にのみ、時として見る悪夢の中でのみ体験するような、罵詈嘲笑を浴びた後、この地上に現われ、しかも別の遊星でした行為に関する意識を保ちつづけ、しかもそのうえもはや決して二度ともとの遊星には帰らない、ということを承知していたとすれば、地球から月を眺めながら、おれははたして無関心でいられるかどうか?その行為に対して荒恥を感ずるかどうか?なにしろ、ピストルがもう目の前に横たわっていて、あれはもういよいよ間違いなしということを全身に感じていた時であるから、こんな疑問はあまりにも呑気な、用のないものではあったが、おれは興涌していらいらしてきた。今となっては、あらかじめある何物かを解決せずには、もう死ぬことさえできないような気がした。一口にいえば、あの女の子がおれを助けたのだ。なぜなら、おれはさまざまな疑問で、引き金をおろす瞬間を延ばしたからである。かれこれしているうちに、大尉の部屋でもだんだんひっそりしてきた。彼らは勝負を終わって、寝支度にかかったらしく、しばらくぶつぶついったり、大儀らしくののしり合ったりしているだけであった。その時、おれはふとテーブルの前の安楽いすに腰かけたまま、眠りに陥(おち)てしまった。こんなことは、これまでかつてなかったのである。おれは自分でもまったく気のつかぬうちに、寝てしまったのだ。夢というものは、ご承知のとおり、はなはだもって不思議千万なものである。あるところはあきれるほど明瞭に、宝石細工のように細かな点まで、まざまざと現われるかと思えば、またあるところは、まるで空間も時間も無視したように、無遠慮に飛び越して行くのである。どうやら、夢を押し進めて行く力は、理性でなくて希望であり、頭脳でなくて心情であるらしい。が、それにもかかわらず、どうかするとおれの理性は、夢の中で狡知をきわめた芸当をやって見せることがある!しかし、夢の中では、おれの理性に摩訶不可思議なことが生じるのだ。早い話が、おれの兄は五年前に死んだ。おれは時おり夢に見る。兄はおれの仕事に仲間入りをして、二人は大いに興味を感ずる。にもかかわらず、おれはずっと夢のつづいている間じゅう、兄貴はもう死んでしまって、埋葬されたということをはっきり知りもし、覚えてもいるのである。兄が死人でありながらおれのそばにいて、いっしょにまめまめしく働いているのを、なぜおれは不思議に思わないのか?なぜおれの理性はそれを平気で見のがしているのか?だが、もうたくさん。いよいよ夢の話に移ろう。さてその時、十一月三日におれはこんな夢を見たのだ!今みんなは、そんなことはただの夢でしかないじゃないかといって、おれをからかう。しかし、この夢がおれに真理を告げ知らせてくれた以上、夢であろうとなかろうと、同じことではないか?いったん真理を知り、真理を見た以上、それはあくまで真理であって、眠っていようと醒めていようと、それ以外の真理はあり得ないではないか。が、まあ、ただの夢でもいい、かまわない。しかし、諸君のそれほどありがたがる生命を、おれは自殺で抹殺しようとした。ところが、夢は、おれの夢は、――おお、あの夢は新しい、偉大な、更生された、力強い生活をおれに告げ知らせてくれたのだ!まず聞いてもらおう。 

 3 

 前にもいったとおり、おれはいつの間にか、というより、相変わらず同じようなことばかり瞑想しつづけながら、そのまま寝入ってしまった。ふとこんな夢を見た。おれはピストルを取りあげて、すわったままいきなり心臓へおしあてた、――頭ではなく心臓なのだ。ところが、おれは前から必ず頭を射とう、右のこめかみを射ち抜こうときめていたのである。胸にピストルをあてて、おれは一秒か二秒待っていた。すると、蝋燭も、テーブルも、壁も、おれの前にあるものが急に動きだし、ふわふわと揺れはじめた。おれは大急ぎで引き金をおろした。 
 どうかすると、夢で高いところから墜ちたり、人に斬られたり打たれたりするが、決して痛みを感じないものである。ただほんとうに自分で何かの拍子に、手や足を寝台にぶっつけた時は別で、そういう折には痛みを覚え、ほとんど常に痛みのために目をさます。おれの夢もそのとおりで、痛みなどは感じなかったが、発射と同時に、おれの内部でなにもかもが震動して、いっさいのものが忽然と消えてしまい、まわりがすっかり真っ黒になったような気がした。おれはさながら目も耳もつぶれたようなあんばいだった。と、いつしか仰向けに長くなって、何か固いものの上に横たわっている。なに一つ見えもせず、指一本、動かすこともできない。みんながやがや歩きまわったり、わめいたりしている、大尉のだみ声が聞こえるかと思うと、主婦の金切り声もする。――そのうちとつぜんまたいっさいがとぎれて、やがておれは、蓋をした棺の中に入れて担いで行かれる。おれは棺が揺れるのを感じて、そのことを心に考える。とふいに、おれはもう死んだのじやないか、すっかりこと切れたのじゃないかという考えが初めて強く心を打った。おれはそれを承知して、いささかも疑いをいだかない。目も見えず身動きもできないながらしかもそう感じ考えるのだ。けれど、間もなく、それにも諦めがついてしまった。夢の中の常として、文句なしに現実をそのまま受け入れるのだ。 
 やがておれは土の中に埋められる、人はみんな行ってしまって、おれは一人きり、まったくの一人ぼっちになってしまう。おれは身動きしない。以前、おれが墓に葬られる有様をうつつに想像したとき、いつも墓というものを湿けと寒さの感触に結びつけたものだ。今もやはりそのとおりで、おれはひどく寒い気がした。わけても、足の指さきに寒さを覚えたが、そのほかのことはなんにも感じがない。 
 おれは横になっていたが、不思議なことには、なに一つ期待しなかった。死人に何も待つことなんかありやしないという観念を、文句なしにおとなしく受け取ったわけである。しかし、しめっぽかった。どれぐらい時がたったか、――一時間か、二、三日か、それともうんと日数がたったか、そこはおれにはわからぬ。が、ふとおれの閉じた左の目に、棺の蓋から港み込んだ水が一しずく落ちた。それから一分ほどしてまた一しずく、それからまた一しずく、といつたふうにつづいてゆく。みんな一分おきなのだ。はげしい憤懣の念が、突如、おれの心に燃え立ってきた。やがて、ふいにそれが肉体的な浦みに感じられた。「これはおれの傷口だ」とおれは考えた。「これはおれの射ったところだ、あすこに弾丸があるのだ……」水滴はのべつ一分ごとに落ちてくる。それがきまっておれの閉じた左の目の上なのだ。おれはとつぜん、おれの身に起こっているいっさいの命令者である何者かに向かって呼びかけた、ただし、声に出してではない、おれは動けないのだから、――自分の全存在をもって呼びかけたのである。「たといお前が何者であろうとも、もしお前というものがあるならば、そして現在、行なわれているものよりも合理的なものが何かあるならば、その合理的なものがここにもあるようにしてくれ。もしお前がおれの無分別な自殺を、これからさきの醜い愚かしい存在で罰しようとしているのなら、これだけのことを知ってもらいたい、――たとえいかなる苦悶がおれの身にふりかかるにもせよ、その苦しみの幾百万年かのあいだ、おれが無言のうちに嘗めなければならぬ侮辱とは、とうてい同日の論ではないのだ!……」 
 おれはかく呼びかけて口をつぐんだ。ほとんどまる一分間ふかい沈黙がつづいて、さらに一滴の水すらもしたたり落ちたが、必ずや今すぐすべてが一変するに相違ないということを、おれは知っていた。知っていたばかりか、堅く限りなく信じていたのだ。すると、忽然、おれの墓がさっと開いた。といって、だれかが墓を掘りあばいたのかどうか知らないが、おれはだれともしれぬ模糊とした存在に抱き取られて、二人はいつしか無限の空間の中にいるのであった。おれはとつぜん目が開いた。それは深い深い夜で、このような暗さはかつてどこにもなかった!おれたちは、もはや地上遥かに離れた空間を翔(かけ)っていた。おれは、おれを運んで行く者に何もきかなかった。おれは待っていた。そして、倣然としていた。おれは、恐れてはいないぞと、自分で自分にいいきかせた。そして、恐れていないのだと考えると、うれしさに息がつまりそうな気がした。おれはどれくらいのあいだ飛んで行ったか覚えていない。思い浮かべてみることもできない。すべてが、いつも夢の中で経験するのと同じようなふうであった。夢の中では空間も、時間も、存在と理性の法則も飛び越してしまって、心の夢見る点にのみ停止するものである。とつぜん、暗黒の中に一つの小さな星を認めたことを、おれは覚えている。「あれは狼星だね?」と、おれはふいにたまりかねて問いかけた。というのは、何事もいっさいたずねまいと思っていたからである。「いや、あれはお前が家へ帰りしなに、雲のあいだに見つけたあの星なのだ」と、おれを運んでいた存在物は答えた。この存在物は、なにか人間みたいな面影を持っていたのを、おれは知っていた。奇妙なことながら、おれはこの存在物が好きでなかったのみならず、深い嫌悪の念さえも覚えたほどである。おれは完全な無を期待していたので、つまりそれがために、自分の心臓に弾丸を打ち込んだのだ。ところが、いまおれはある存在物の手に抱かれている、もちろん、人間ではないけれど、とにかく、現にあるものだ。存在しているものだ。「ははあ、してみると、死後にも生活があるのだな!」とおれは夢に特有の不思議な軽率さでこう考えた。けれど、おれの心の本質は、おれといっしょに深い奥底に残っていた。 
 「で、もしさらにいちど生存しなければならないのなら」とおれは考えた。「だれかの、いなみがたき意志によって、生きなければならぬとしたら、おれは征服され、屈辱をうけるのなんかいやなことだ!」――「お前はおれがお前を恐れていることを知っているだろう、だもんだから、おれを軽蔑しているんだろう」とふいにおれは、ピンででも刺されたように自分の屈辱を胸に感じて、我慢しきれずに道づれに問いかけたが、この問いの中には告白が含まれていたのである。彼はおれの問いに答えなかったが、おれは忽然として、自分は軽蔑されてはいない、嘲笑されてもいない、憐れまれてさえもいない、おれの道はおれ自身にだけ交渉のある、未知の、神秘な目的をもっているのだ、ということをさとった。おれの胸の中に次第に恐怖がつのっていった。なにかしらあるものが、言葉もなく、しかし苦痛を伴って、沈黙の道づれからおれに伝わってき、おれの内部にまで滲透するような具合だった。おれたちは、暗い未知の空間を翔ってゆく。もうだいぶ前から、見覚えのある星座の星々が、目に入らなくなっていた。この宇宙の大空には、光が地球へ達するのに幾千年、幾万年もかかるような星があることを、おれは知っていた。もしかしたら、おれたちはもう、そうした空間を飛び過ぎたのかもしれない。胸を悩ます恐ろしい憂愁の中に、おれは何やら待っていた。すると、ふいに、なにかしら馴染みのある、はげしく呼び招くような感じが、おれの全心をゆすぶった。見ると、思いがけなく、わが太陽が目にはいるではないか!おれは、これがわれわれの地球を生んだわれわれの太陽であり得ないことを知っていた。おれたちは、われわれの太陽から、無限の距離にへだてられているのだ。にもかかわらず、おれは自分の全存在をもって、これはわれわれの太陽とまったく同じようなものである、その反覆であり、双生児であるということを知った。甘い呼び招くような感情が、おれの魂の中で歓喜の曲をかなではじめた。光、おれを生んだ光のなつかしい力が、おれの心の中に反応し、それをよみがえらした。おれは生命を感じた。墓に入って以来はじめて、もとの生命を感じた。 
 「だが、もしあれが太陽だとすれば、われわれの太陽とまったく同じものだとすれば」とおれは叫んだ。「いったい地球はどこにあるのだ?」すると、おれの道づれは、闇の中でエメラルドのような輝きを放っている小さな星をさし示した。おれたちはまっすぐにそのほうへ飛んで行った。 
 「いったい宇宙にはこうした反覆があり得るものだろうか、いったい自然の法則とはこういうものだろうか?……もしあすこに地球があるとすれば、それはわれわれの地球と同じものだろうか……あれとそっくりそのまま、不仕合わせな、貧しい、しかし永久に愛すべき貴いものであって、自分の最も忘恩な子供たちの心にさえ、苦しい、愛着の念を呼びさます力を持っているのだろうか?……」と、おれは自分の見棄てて来たもとのなつかしい地球に対する、やむにやまれぬ烈しい愛情に身をふるわせながら叫んだ。かつて辱しめた哀れな娘の面影が、おれの眼前をひらめき過ぎた。 
 「なにもかも今にわかるよ」とおれの道づれは答えたが、その言葉の中には何かある哀調が響いていた。しかし、おれたちはぐんぐんとその遊星に近づいた。遊星は、見ているうちに大きくなってきて、おれは大洋を見分け、ヨーロッパの輪郭を認めるようになった。とふいに、なにかしら偉大な、神聖な嫉妬とでもいったような、不思議な感情がおれの心に燃えあがった。「どうしてこんな反覆があり得るのだろう、またいったいなんのためなのだ?おれはただおれの見棄てて来た地球を愛するのみだ。忘恩なおれが心臓に撃ち込んだ一発の弾丸で、われとわが生命の火を消したときの、おれの血のしぶきが残っているあの地球のみしか、愛するわけにゆかない。おれは決して一度だって、あの地球を愛することをやめはしなかった。あの夜だって、生命に別れを告げながらも、いつにもましていっそう悩ましく、地球を愛していたかもしれないのだ。いったいあの地球にも苦悶があるだろうか?われわれの地球では、真の愛はただ苦悶とともに、苦悶を通してのみ味わうことができるのだ!われわれはそれよりほかの愛し方ができず、それ以外の愛を知らない。おれは愛せんがために苦悶を欲するのだ。おれは今この瞬間、涙を流しながら、おれの見棄てて来たあの地球に接吻したい、ただあの地球のみを渇望する、そのほかの生活なんか望まない、いっさい受けつけない!……」 
 しかし、おれの道づれはもうおれを見棄ててしまった。おれは突如として、まるきり自分でも気がつかないうちに、楽園のように美しい、のどかな太陽の光を浴びながら、この第二の地球の上に立っているのだった。おれはどうやら、われわれの地球ではギリシャ多島海にあたる群島の一つか、さもなくぱ、この多島海に隣接している大陸の海岸にいるらしかった。おお、なにもかもがわれわれの地球と同じであった。ただうち見たところ、到るところさながら祭りのようで、なにかしらようやく達せられた偉大にして神聖な勝利の喜びに、輝いているかのようであった。優しいエメラルド色の海は静かに岸を打って、ほとんど意識的と見えるばかり明瞭な愛情をもって、石や砂を舐めている。高い見事な樹々は鮮かな緑の色を誇りかに聳(そび)え、無数の葉は静かな、愛想のよいささやきでおれを歓迎し(おれを信じて疑わない)、あたかも、何か愛の言葉を語っているかのよう。若草は目もさめるような香ぐわしい花々に燃え立っている。小鳥どもは群れをなして空を飛び交い、恐れげもなくおれの肩や手にとまって、その愛らしいふるえおののく翼で、喜ばしげにおれを打つのだ。やがてそのうちに、おれはこの幸福な地球の人々を見つけ、それと気づいた。彼らはみずからおれのほうへやって来て、おれを取り囲み、おれに接吻するのであった。太陽の子、おのが太陽の子、――おお、なんと彼らの美しいことよ!おれはわれわれの地球上で、人間のこのような美しさを、かつて見たことがない、ただきわめて幼いわれわれの子供たちに、この美しさのおぼろな、弱々しい反映を見いだし得るのみである。これらの幸福な人々の目の中には、明らかな輝きが燃えていた。その顔は叡知と、すでに平穏に達するまでに満たされた意識に輝いていたけれども、しかし、それらの顔は愉しそうであった。彼らの言葉や声には、子供らしい歓びが響いていた。ああ、おれは彼らの顔を一目みるなり、たちまちなにもかもすべてを悟ってしまった!それはまだ堕罪にけがされない土地であって、そこに住んでいるのは、罪悪を知らない人々なのだ。全人類の伝説によると、われわれの祖先が堕罪の前に住んでいたのと、同じような楽園に住む人々なのだ。ただ違うのは、ここでは到るところが、同じような楽園であるということだ。これらの人々は悦ばしげに笑いながら、ひしひしとおれのそばへ集まって来て、優しく愛撫するのであった。彼らはおれを自分たちのところへつれて行った。だれもが、おれの気をおちつかせたくてたまらなかったのだ。おお、彼らはおれになに一つたずねようとしなかったが、どうやらなにもかも知っているらしい様子で、少しも早くおれの顔から、苦痛の陰を追いのけたいふうであった。 
  
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 ところで、もう一度お断わりしておくが、なにぶんこれはただの夢にすぎないのである!しかし、これらの無垢な美しい人たちの愛の感触は、永久におれの内部に残って、おれは今でも、彼らの愛があちらから、おれにそそぎかけられているような気がする。おれは自分で彼らを見、彼らを認識し、確信したのだ、おれは彼らを愛し、後には彼らのために苦しんだのだ。おお、おれはすぐにその時でさえ悟ったのだが、多くの点について、おれはぜんぜん彼らを理解できそうもないと思った。現代のロシヤ人であり、ペテルブルグの進歩主義者であるおれにとっては、たとえば、彼らがあれだけ多くのことを知りながら、われわれの科学を有していないということが、不可解千万に思われた。けれど、おれは間もなく合点がいった。彼らの知識は、われわれの地球で行なわれるのとは違った、直感によって補われ養われるし、また彼らの希求も同じく、ぜんぜん別なものであった。彼らはなにものも望まず、おちつきすましている。彼らはわれわれのように人生認識を追求しない。なぜなら、彼らの生活は飽満していたからである。しかし、彼らの知識はわれわれの科学よりも深く、かつ高遠であった。われわれの科学は、人生はなんぞやという疑問の説明を求めて、他人に生活を教えるために、みずから生を意識せんと努力しているが、彼らは科学の助けなくして、いかに生くべきかを知っていたのだ。おれはそれを合点したが、しかし彼らの知識を理解することはできなかった。彼らはおれに自分たちの樹をさし示したが、おれは彼らがそれを眺める愛情の程度を、理解することができなかった。彼らはあたかも、自分と同じ生きものと話すようなあんばいであった。それどころか、彼らは樹木と話をしたといっても、おれの考え違いではあるまい!そうだ、彼らは樹木の言葉を発見して、相手も自分の言葉を解してくれるものと信じきっていたのだ。自然ぜんたいに対しても、彼らはそれと同じ見方をしていた。――動物どもも彼らとともにむつまじく暮らして、決して彼らに襲いかかることなどなく、彼らの愛に征服されて、彼らを愛していた。彼らはおれに星をさしてみせ、それについてなにやら話したけれども、おれにはなんのことやらわからなかった。しかし、彼らが何かで空の星と接触を保っているのは、信じて疑わなかった。それは思想の仲立ちによるのではなく、何かもっと生きた方法なのだ。おお、これらの人々は、しいておれに理解してもらおうともせず、そんなことなど無視して、おれを愛してくれたが、おれは彼らが決してこちらを理解することがないのを知っていたので、われわれの地球のことはほとんど少しも話さなかった。ただ彼らの住んでいる土地を接吻して、無言のうちに彼ら自身を尊崇した。彼らはそれを見て、なすがままにさせておき、おれが豊かな愛のために彼らを尊崇するのを、恥ずるふうもなかった。おれが折ふし、涙ながらに彼らの足を接吻するようなときでも、彼らはおれのために心を苦しめなどはしなかった。それはやがて力強い愛でおれに報いる時がくるのを、心に歓びを秘めながら承知していたからである。時として、おれは驚愕の念をいだきながら、自問したものだ、――どうして彼らはおれみたいな人間を、しじゅう侮辱せずにいられるのだろうか、どうしておれみたいな人間に嫉妬や、羨望の念を一度も起こさせずにすむのだろうか?おれは幾度となく自問したものだ、――どうしておれみたいな威張り屋のうそつきが、彼らの夢にも知らないような自分の知識を自慢せずにいられたのか、たとい彼らに対する愛情のためだけにでも、彼らをびっくりさせずにいられたのか?彼らは子供のように快活で元気がよかった。彼らは自分たちの美しい森や林をさまよいながら、素晴らしい歌をうたっていた。彼らは自分たちの樹に生る木の実とか、自分たちの森で採れる蜂蜜とか、彼らを愛する動物の乳とか、すべて軽い食物を轍としていた。衣食のために働くのは、ほんのちょっと、わずかな間であった。彼らにも恋はあって、子供も生まれた。しかし、われわれの地球に住むいっさいの人間に巣くっていて、わが人類のほとんどすべての罪の源となっている残忍な情欲の発作などは、ついぞ見受けたことがなかった。彼らは新しく出生した子供たちを、自分たちの幸福に参加する新しい仲間として、歓びむかえた。彼らのあいだに争いもなければ、嫉妬騒ぎもなく、それがいったいどんなものであるかさえも知らなかった。彼らの子供はみんなのものであった。というのは、すべての人が、一家族を形成していたからである。彼らの間には、ほとんど病気らしいものがなかった。もっとも死というものはあったが、老人たちは別れを惜しむ人々に取り囲まれて、彼らを祝福し、彼らに微笑を送り、またみずからも彼らの微笑に送られながら、静かに死んでゆくのだ。その際、おれは悲嘆や涙などを見受けたことがない。そこにはあたかも、法悦にまで増大した愛情があるのみ、しかもそれは、おちついた、充実した、瞑想的な法悦なのである。彼らは死後もなお死者と接触を保って、彼らの地上における結合は、死によって中絶されないのではあるまいか、とそう思われるほどであった。おれが永遠の生命ということを質問すると、彼らはほとんど合点のゆかない様子であったが、見たところ、彼らは永遠の生命を無意識にかたく信じていて、そんなことは問題にならないようなふうだった。彼らには神殿というものはなかったけれど、宇宙の統率者との絶え間なき生きた連繋があって、それが何か日術欠くべからざるものとなっているのであった。彼らには信仰はなかったけれども、そのかわり確固たる知識があった。つまり、地上の喜びが自然の限界まで充満した時には、彼らのために生者死者を問わず、宇宙の統率者との連繋がさらに拡大されるということを、彼らは承知しているのであった。彼らはこの瞬間を歓びをもって待ち受けていたが、急いだり苦しんだりすることなく、いわばそれに対する予感を、心の中にいだいているようなふうで、それをお互い同士語り合うのだった。毎晩眠りにつくとき、彼らは声を揃えて、整然たる合唱を試みるのを好んだ。これらの歌の中に、彼らは暮れゆく一日が与えた感懐を残りなく伝えて、その一日を讃え、それに別れを告げるのであった。彼らは大地、海、森、すべて自然を讃えた。彼らはお互い同士について歌を作り合い、子供のように褒め合った。それはきわめて単純な歌であったが、おのずと心の中から流れ出るので、よく人の心に渉み入るのだ。また歌の中ばかりでなく、彼らはお互い同士に見とれることを一生の仕事にしているらしかった。それはなにか一般共通の相互恋愛、とでもいったようなものであった。彼らの歓喜に充ちたものものしい歌の中には、おれにまったく理解のできないものがあった。言葉では通じているくせに、どうしてもぜんたいの意味をつかむことができないのだ。それは結局、おれの頭脳におよびがたいものとして残ったが、おれの心はだんだん無意識にその意味を滲み通していった。おれはしばしば彼らに向かっていった、自分はもうとうからこれを残らず予感していた、この喜悦と光栄はすでにわれわれの地球にいる時分から、時としてたえがたい憂悶に達するほどの、呼び招くような憧れとなって自分の心に響いていた、自分は心の夢と叡知の空想の中で彼らすべてと、彼らの光栄を予感していた。自分は以前の地上にいる頃、涙なしに落日を眺められないことがしばしばあった……あの地上に住む人々に対する自分の憎悪には、なぜつねに憂愁がこもっていたのか、どうして彼らを愛さずには憎むことができないのか、なぜ彼らをゆるさずにはいられないのか、なぜ彼らにたいする愛には憂愁がこもっているのか?どうして彼らを憎まずには愛すことができないのか?こんなことをいうおれの言葉に、彼らは耳を傾けていたが、おれのいうことを想像することもできないのは、ちゃんとおれの目に見えていた。しかし、おれは彼らにそういう話をしたのを悔みもしなかった。自分の見棄ててきた人々に対するおれの悩みの烈しさを、彼らがあますところなく理解してくれたのは、ちゃんとわかっていた。それに、彼らが愛情に貫かれたやさしい目つきでおれを眺め、おれもまた、彼らのまえでは、自分の心までが彼らの心と同じように穢れのない、正直なものになってゆくのを感じた時、おれは彼らを理解しないことを残念に思わなかった。生の充実感のために、おれは息がつまりそうになり、彼らのために無言の祈りを捧げたものである。 
 おお、いまだれもかれもが面と向かっておれを笑い、いかに夢とはいいながら、現在お前の話しているような詳細を見ることはできっこない、お前は夢にうなされているうちに、お前の心が生み出した感じを見、感じたまでであって、細かいことは、目がさめてから自分で創り出したのだという。そこでおれが、あるいはほんとうにそのとおりかもしれないと白状したとき、――いやはや、おれはどんなに皆から笑い倒されたことか、なんというお慰みを彼らに供給したことか!おお、それはもちろんいうまでもなく、おれはただあの夢の感じに征服されたので、その感じのみが、血の滲むほど傷つけられたおれの心に、残ったに相違ない。が、そのかわり、おれがほんとうに眠っているときに見た夢の現実の姿かたちは、いいようもないほどの調和に充たされ、魅力と美と真実に貫かれていたので、むろん、おれが目をさました後、われわれの哀れな言葉に表現することなど、できるわけがなく、当然、おれの頭の中で消えてしまうべきはずであった。してみると、ほんとうにおれはやむなく後から、無意識に、自分で細かいところを創作したのかもしれない。ことに、少しも早く、なんとかしてそれを人に伝えたいという、烈しい欲望に燃えていたのであってみれば、恐ろしい歪曲をあえてしたのも、あたりまえであろう。しかし、それかといって、これらいっさいのことがほんとうにあったのだという点を、どうして信ぜずにいられよう?あるいは、おれがいま話しているより、千層倍も美しく、喜ばしく、光明にみちていたかもしれないのだ。たといこれが夢であるにもせよ、すべて事実なくてはならないことなのだ。なんなら、諸君にひとつ秘密を教えてあげようか、これは始めから終わりまで、決して夢ではないかもしれないのだ!なぜなら、その後で、夢などに現われてくるはずがないほど、深刻味に充ちたある真実が生じたからである。まあ、この夢は、おれの心が生み出したものとしておこう。が、はたしておれの心だけの力で、その後起こったような恐るべき真実を、生み出せるものだろうか?どうしておれがそんなことを独力で考え出したり、心で生み出したりなどできるものか。いったいおれの浅薄な心や、とるにたらぬ気まぐれな頭が、そのような典災の啓示をなし得るまでに、高揚するだろうか!まあ、考えてもみてくれたまえ、おれは今まで隠していたのだが、今こそこの真実までもうち明けてしまおう。ほかでもない、おれは……彼ら一同を堕落させてしまったのだ! 
  
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 そう、そうなのだ、とどのつまり、おれは彼ら一同を堕落させてしまったのだ!どうしてそういう成り行きになったかは知らないが、とにかくはっきり覚えている。夢は幾千年かを飛び越して、ただおれに渾然としたものの印象を残したのみである。おれは要するに、堕罪の原因が自分だったということしか知らない。ちょうど豚に寄生するいまわしい旋毛虫のように、数々の国に病毒を伝染させるペストの黴菌のように、自分の来るまで罪というものを知らなかった幸福な国を、おれはすっかり毒してしまったのだ。彼らはうそをつくことを習い、うそを愛するようになり、うその美しさを知ったのである。いや、その始まりはおそらく無邪気なことだったのであろう。冗談から、媚態を装うことから、愛の戯れから、またはほんとうに目に見えぬ黴菌みたいなものから、始まったのかもしれない。とにかく、このうその黴菌が彼らの心に侵入して、しかも彼らの御意に召したのである。それから、急速に情欲が生まれ、情欲は嫉妬を生み、嫉妬は残忍を生み……おお、おれはよく知らない。覚えていないが、やがてすみやかに、きわめてすみやかに最初の血がしぶきをあげた。彼らは驚愕して色を失った、こうして、分散し孤立しはじめたのである。種々な同盟が現われたが、今度はもう互いに対立するものばかりだった。非難攻撃がはじまった。彼らは羞恥というものを知り、羞恥を美徳に祭りあげた。名誉なる観念が生まれて、おのおのの同盟にそれぞれの旗印がかかげられた。彼らは動物を虐待しはじめ、動物も彼らのもとを離れて森に去り、彼らの敵となった。分裂、孤立、個性のための闘争が始まり、おれのだ、いや、お前のだ、といがみ合うようになった。彼らは種々まちまちな言葉で話しはじめた。彼らは悲哀というものを知り、悲哀を愛するようになり、苦悶を渇望して、真理はただ苦悶によってのみ得られるなどといいだした。そのとき、彼らの間に科学が出現した。彼らが邪悪になったとき、彼らは四海同胞とか人道とかを口にし、この観念を理解した。彼らが罪を犯すようになってから、正義というものを発明して、数々の法典を書き、それを保存するようになった。そして、法典を保証するために、ギロチンを造った。彼らは自分たちの失ったものについては、きわめておぼろげな記憶しか持っていず、かつて自分たちが無垢で、幸禍であったということを、信じたがらないほどになった。彼らはそういった以前の幸福の可能をすら嘲笑し、これを空想と呼んだ。彼らはそれを具体的な形で、思い浮かべることさえできなくなったが、ここに不思議な奇妙なことというのは、昔の幸福に対する信仰を失って、それをお伽噺と呼んでいるくせに、彼らはさらにふたたび無垢な幸福の身の上になりたいと願うあまりに、幼な児のごとくおのれの心の望みの前に脆拝し、この希望を神化して、無数の神殿を建立し、おのれ自身の理想、おのれ自身の「希望」に祈りを捧げるようになった。そのくせ、この希望の実現の不可能なことを十分信じているのだが、しかもなおこれを礼拝して、涙を流しながら跪拝するのだった。ところが、万が一、彼らの失った無垢で幸福な状態に帰れるようなことになったら、もしだれかが突如それを彼らに示して、お前たちはこれに復帰することを望むかとたずねたならば、彼らはきっとそれを断わったに違いない。 
 彼らはおれに答えて、こういった。「われわれはうそつきの意地わるで、不正なものであってもかまわない。われわれはそれを承知して、そのために哀泣し、われとわが身を苦しめさいなんでいるばかりか、やがてわれわれを裁くであろう名も知らぬ大慈大悲の判官以上に、みずからを罰しているかもしれぬ。しかし、そのかわり、われわれには科学があるから、それによって、われわれはふたたび真理をさがし出すが、今度はもう意識的にそれを受け入れるのだ。知識は感情よりも尊く、生の知識は生よりも尊い。科学はわれわれに叡知を授け、叡知は法則を啓示する。幸福の法則の知識は幸福以上だ」とこんなふうに彼らはいった。そういった後、彼らの一人一人が、だれよりも一番、自分自身を愛するようになった。またそれよりほかには、なんともしようがなかったのだ。一人一人のものが自分の個性にかまけて、他人のそれを一生懸命に低下させ、縮小させようと努め、それに全生涯を費やすのであった。奴隷制度が出現した。中には好んで奴隷になるものさえ出てきた。弱者は進んで強者に屈服したが、ただしそれは自分よりさらに弱いものを圧迫するのに、強者の力をかりんがためである。やがて義人(ただしきひと)が現われて、これらの人々のもとにおもむき、涙を浮かべて彼らの誇りを説き、彼らが中庸も、調和も、羞恥の念も失いつくしたことを責めたが、人々は彼らを嘲り、石をもって打榔(ちょうちゃく)した。神の殿(みや)の閥で聖なる血潮が流された。そのかわりに、またこういうことを考える人が出てきた。どうかしてすべての人がさらにふたたび結合して、一人一人が自分自身をだれより最も愛しながら、それと同時にだれひとり他人の邪魔をせず、そんなふうにして一見、和協せる社会に住んでいるようにできないものだろうか。この理念からして、幾つも大きな戦争がもちあがった。そのくせ、すべての交戦軍は、科学と、叡知と、自衛感情とは、結局、人間を協和ある理性的な社会に融合せしめるに相逮ないと、かたく確信していた。そういうわけで、さしあたり仕事を早めるために、「叡知の人々」は、彼らの理想を解しない、叡知のない人々を、一刻も早く殲滅(せんめつ)しようと努めた。その連中が彼らの理想の勝利を妨げないためなのである。けれど、自衛の感情は急速に衰えていって、今度は高慢な連中や淫蕩漢が現われて、すべてかあるいは無を端的に要求しだした。すべてを獲得するためには悪行に訴え、それが成功しなかった場合には、自殺に走った。無価値の中で永久におちつくために、虚無と自己破壊を崇める宗教が現われた。ついにこれらの人々も、無意味な労苦に疲れて、その顔には苦痛の色が浮かんできた。これらの人々は、苦痛は美である、なんとなれば、ただ苦痛の中にのみ思想があるから、と高唱した。彼らは苦痛を歌にうたった。 
 おれは両手を折れんばかりによじながら、彼らの間を歩きまわり、彼らの上を突き悲しんだ。が、ことによったら、彼らがまだ無垢でうるわしく、その顔に苦涌の浮かんでいなかった時分よりも、もっと強く彼らを愛していたかもしれない。おれは彼らに稜された地球を、楽園であった時よりもさらに愛するようになった。それは、ただ悲しみというものが現われたからにすぎない。しかし、それは自分のため、ただ自分のためばかりなのだ。おれは彼らを憐れみながら泣いたのだった。おれは彼らに両手をさし伸べながら、絶望のあまりわれとわが身を責め、呪い、軽蔑した。おれは彼らにそういった。――これはみんなおれがしたのだ、おれ一人だけの仕業だ、おれが彼らに淫蕩と、病毒と、虚偽をもたらしたのだ――と。おれは彼らに、おれを十字架にかけて礫(はりつけ)にしてくれと哀願した。おれは彼らに十字架の造り方を教えてやった。おれはおのれみずからを殺すことができなかった、それだけの力がなかったけれども、彼らからその苦難を受けたかったのだ。おれは苦難に渇し、その苦顛の中に、おれの血が最後の一滴まで流れるように、と渇望したのだ。しかし、彼らはおれのことを笑うばかりで、はてはおれのことを気ちがい扱いするようになった。彼らはおれを弁渡して、自分たちはお前から、ただほしいと思ったものを受け取ったばかりなのだ、今日(こんにち)あるいっさいのものは、すべてかくあらねばならぬものなのだ、といった。とどのつまりには、お前は自分たちにとって危険になってきた、もしお前が口をつぐまなければ、瘋癲病院へ入れてしまうぞ、と宣告したほどである。その時、いいがたい悲しみがおれの魂に流れ込んで、ひしひしと胸をしめつけたので、おれは今にも死にそうな気がした……その時……いや、まあ、そういったわけで、おれは目をさましたのだ。 
  
 もう朝だった、といって、まだ、明けきってはいなかったが、かれこれ五時過ぎであった。おれは例の安楽いすに腰かけたままであった。蝋燭はすっかり燃えつきて、大尉の部屋でもみんな寝てしまって、あたりはこの家として珍しくしんとしていた。まず第一におれのしたことは、なみなみならぬ鷺きに打たれて、跳びあがったことである。こんなことは、ごくつまらないこまごました点にいたるまで、今までかつてなかったことである。例えば、おれは決して安楽いすにすわったまま、寝込むようなことはなかったのだ。と、そのとたん、おれがぼんやり立って、徐々に正気に返っているうち、ふと前のテーブルにおかれたピストルが目に入った、ちゃんと弾丸がこめられて、用意ができているやつだ、――けれど、おれはたちまちそれをわきのほうへ押しやった!おお、いまこそ生きるのだ、あくまで生きるのだ!おれは双手を挙げて、永遠の真理に呼びかけた。呼びかけたのではない、泣きだしたのだ。狂喜の念、はかり知れぬ狂喜の念が、おれの全存在を揺りあげた。そうだ、生活だ、そして伝道だ!伝道ということに、おれは即座に決心した。そしてもう、もちろん、生涯の仕事なのだ!おれは伝道に出かける、おれは伝道したいのだ、――何をだって?真理だ、なぜなら、おれはそれを見たのだもの、この目でちゃんと見たのだもの、真理の光栄を残りなく見たのだもの! 
 こうして、おれは現に、今日まで伝道している!のみならず、だれよりも一番、おれのことを冷笑した連中を、ことごとく愛している。なぜそうなのか知らない、説明ができない。がそれでいいのだ。彼らにいわせれば、おれは今でもしどろもどろのことをいってるそうだ。つまり、今からもうあんなにしどろもどろでは、さきざきどんなことになるのやら、というわけだ。正真正銘、そのとおりである。おれはしどろもどろのことをいっていて、さきざきもっとひどくなるかもしれない。もちろん、伝道のこつを、つまりいかなる言葉、いかなる行為で伝道するかを発見するまでには、幾度もしどろもどろをきわめるだろう、なにぶん、これはとても実行の困難なことなのだから。おれにとっては、それは今でも火を見るより明らかなのだが、しかし聴いてもらいたい。まったくだれだって、少しもまごつかない者なんかありやしない!けれど、すべての人間は、同じものを目ざして進んでいるのではないか。少なくとも、すべての人間が、賢者から、しがない盗人風情にいたるまで、道こそ違え、同じものを目ざして行こうとしているのだ。これは月並みな真理ではあるが、この中に新しいところがある。というのはほかでもない、おれはあまりひどくはしどろもどろになり得ない。なぜなら、おれは真理を見たからだ。おれは見た。だから、知っているが、人間は地上に住む能力(ちから)を失うことなしに、美しく幸福なものとなり得るのだ。悪が人間の常態であるなんて、おれはそんなことはいやだ、そんなことはほんとうにしない。ところで、彼らはみんな、ただおれのこうした信仰を笑うのだ。しかし、どうしてこれが信ぜずにいられよう、おれは真理を見たのだもの、――頭で考え出したものやなんかと違って、おれは見たのだ、しかと見たのだ。そして、その生ける形象(かたち)が永遠におれの魂を充たしたのだ。おれはそれをばあまりにも充実した完全さで見たものだから、そういうことが人間にあり得ないとは、信じられないのである。さあ、としてみれば、どうしておれのいうことがしどろもどろなのだ?もちろん、横道にそれることはあるだろう、しかも幾度もあるかもしれない、ひょっとしたら、借り物の言葉でしゃべるかもわからない。が、それも長いことではない。おれの見た生ける形象(かたち)は常におれとともにあって、たえずおれを匡(ただ)し、指向してくれるだろう。なに、おれは元気だ、おれは生き生きしている。だからあくまで進む、よしんば千年だって進む。実のところ、おれは初め、彼らを堕落させたことを隠そうかとさえ思ったけれど、それはおれの誤りだった、――これがそもそも第一の誤りだったのだ!しかし、真理が、お前はうそをついてるぞとささやいて、おれを守護し、正道に立ち帰らしてくれた。が、いったいなんとして楽園をつくったものか、おれは知らない。なぜなら、言葉でつたえることができないからだ。夢がさめてから、おれは言葉を取り落としてしまった。少なくも、おもな最も重要な言葉をすっかり失くしたのだ。だが、かまわない、おれは出かける、そして始終うまずたゆまず話すつもりだ、というのは、自分の見たことを伝えるすべは知らないけれど、なんといっても、この目で、ちゃんと見たからである。ところが、笑い好きの連中にはこれが腑に落ちない。曰く、「夢を見たのさ、うわ言だ、幻覚だ」と。ええっ!いったいそれがそんなに賢いことなんだろうか?彼らはいかにも得々としているのだ!夢だって?夢とはそもそもなんであるか?わが人生ははたして夢でないのか?いや、なお一歩すすんでいおう、よしんば、よしんばこれが決して実現することがなく、地上の楽園などあり得ぬこととしてもよい(なるほど、それはおれも納得している!)――が、それにしても、やっぱり伝道をつづけるつもりだ。しかしながら、これは実に造作のないことで、一日で、たった一時間で、なにもかもたちまちできあがってしまうかもしれやしない!まずかんじんなのは、おのれみずからのごとく他を愛せよということ、これがいちばん大切なのだ、これがすべてであって、これ以上まったくなんにもいりやしない。これさえあれば、いかに実現されるかは即座にわかってしまう。しかも、これは幾億度となくくり返しお説教された古臭い真理なのだが、どうもうまく生活に融け合わなかったのだ!「生命の意識は生命よりも上のものだ、幸福の法則の知識は幸福よりも賢い」というやつ、つまりこいつとたたかわなければいけないのだ!だからおれはそれをやる。もしみんながその気になりさえすれば、たちまちなにもかもできあがってしまうのだがなあ。 
 ――――――――――――― 
 ところで、あの小さな女の子はさがし出した……伝道に出かけるのだ!出かけるのだとも! 
  
 「作家の日記」1877年4月 
  
 河出書房「ドストエフスキー全集 15」作家の日記 下 
 昭和45年7月20日初版 
 昭和52年6月25日9版 
 

フョードル・ドストエフスキー「作家の日記 下」(河出書房)-1(1877年上半期)「おかしな人間の夢」

  下巻は1877年から。近東問題は急を呼び、ついには露土戦争の開始にいたる。

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 そこでドスト氏は、汎スラブ主義と反ユダヤ主義を強く主張するようになる。ことに3月号は前編が愛国主義的な論。すなわち、この戦争は政党であり、コンスタンチノーブルはロシア領にするべきであり(かつてギリシャ正教の本拠地があり、モスクワに移転した経緯があるので、聖地奪還の意図があるのだろう)、国内ユダヤ人はロシア人の権利や自由を踏みにじるというのだ。こういうヘイトスピーチを読むのはつらい。そういえば、ドスト氏の小説内でもスラブ民族以外の民族出身者は侮蔑的な表現をよくされている。ドイツ人やフランス人などには甘くとも、ポーランド人、中近東出身者、韃靼人(ママ)の扱いはひどい。5・6月号では、1528年版ヨハン・リヒテンベルゲルの予言の書に現在(1877年)のロシアの実情が書かれているとする(「ノストラダムスの予言」のロシア版か)。ドイツはプロテストの国、それもローマ帝国の時代からという。やれやれ。
(加えて、ドスト氏は子供や幼女への折檻や暴力を強く否定し、ハラスメントに抗議する。それをいうかたわらでは、バルカン半島に住むイスラム教徒や国内に住むユダヤ人の排撃を主張する。こういう考えは一貫しているとは思えない。ドスト氏はどう折り合いをつけていたのか。)
 1月号ではフランスに対する無茶な議論。すなわちフランスはカトリックに洗脳されていて、革命の「自由・平等・同胞愛」のスローガンもカトリック無神論者にいわせたものであるとも。というのも、カトリック=フランスは、理念と実態があっていないし、直す力もないから。社会主義カトリックへのプロテストであるが、強制的な人間の結合を押し付けるダメな思想である。これは「地下生活者の手記」からの一貫したドスト氏の主張だ。ドスト氏は反カトリックで、そこから反ヨーロッパ。若い時は社会主義がヨーロッパの中にある西洋批判であると思っていたが、ロシアの民衆を発見することで、社会主義も欺瞞であると見限った。そういう思想の変遷があったと、「作家の日記」から読む。


 1月の「古い思い出」には、ドスト氏のデビュー時の思い出が書かれている。「貧しい人々」を読んだネクラーソフが激賞し、批評家ベリンスキーに持ち込む。3日で読んだベリンスキーも激賞して、ドスト氏を呼んで励ます。22歳のドスト氏。ペテルブルグの文学青年たちの青春。


おかしな人間の夢(4月) ・・・ ふいに世界が存在しようがしまいが「おれ」にとっては同じことと啓示を受けた男。雨の後の靄の中、空を眺めて星をみつけたとき、自殺することを決意した。八つくらいの女の子がひじをひっぱり、「お母ちゃん」と叫ぶ。部屋にもどってピストルをテーブルに置いてその時を待つうち、女の子の存在と生が重要なものに思え、「おれ」の独我論が通用しないと悟る。そのまま眠りに落ち、ある存在者の案内で無限の空間を移動し、はるかに太陽と地球を見る。そのとき地球愛がめばえ、真の愛は苦痛を通じてのみ味わえるという大悟となる。ある存在者は労働と家族のない社会で永遠の生を楽しんでいたが、「おれ」の存在が彼らを侵食し(いまわしい旋毛虫@罪と罰のように)、うそを愛するようにしむけてしまう。それから彼らは堕落をたどり、「おれ」の哀願に耳を貸さない。その時目が覚め、「おれ」は大悟を伝道する決意を固める・・・
 不思議な味わい。冒頭の自殺にいたる心理は前年10月の「宣告」に等しい。夢の中で離れたところから太陽と地球を見て、地球愛を見出すところも同じ。この地球も、リアルな人々の集まりとしてではなく、抽象的てあいまいな観念であるところも同じ(「宣告」では人類愛だった)。なお、「おれ」は超越者といっしょに「無限の空間」を飛翔しているのだが、この時代(1877年)には暗黒な無限空間が宇宙であるというイメージが定着していたらしい。この直後には「エーテル」などもあったので、宇宙は真空ではなく何かが充満していたのだ(そういえばポオ「ハンス・プファアルの無類の冒険」1835年も空気が充満している宇宙空間を気球で移動するのだった)。
 そのあとの「ある存在者」の堕落がよくわからない。「作家の日記」の前後の記述をみれば、無垢で清浄なギリシャ・ローマの時代がキリスト教カトリックに汚染されていったメタファーであるのかも。嘘が情欲、嫉妬、残忍を生み、邪悪から科学が出現し、互いに争うようになる。義人(ただしいひと)が警告したが、彼らは石で打擲したというエピソードが裏打ちになる。「おれ」は彼らに悔悛を懇願するが、彼らは嘲笑して拒絶する(「賭博者」「夏象冬記」などを参照)。夢の後、「おれ」が真実を伝導するという。真実の内実は、彼らが生命よりも知識を重要とみなし他のは誤りであり、真の愛は苦痛を通してのみ味わえるということを普及することであるとなると、これはドスト氏の信念(およびこれまでの探究の成果)にほかならない。
 あいまいでなんとでも寓意を見出せそうでありそうだが、自分はドスト氏の反ヨーロッパのメタファーであると見た。さて、専門家はどうみているのか。
米川正夫は「ドストエーフスキイ研究」全集別巻で、

キリスト教は長い世紀を経るにしたがって、ギリシャ(ロシア)正教として残り、ローマ帝国はローマン・カトリック教に変形し、最後に社会主義と提携した、というのがドストエーフスキイの論旨である(P192)」

といっている。だいたい上の見方にあうな。)