odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

宮沢賢治「春と修羅」(青空文庫) ヘッケルの「霊魂不滅」「宇宙的な霊的進化」で書かれた日本型全体主義翼賛の文芸運動。

 宮沢賢治にはまったく興味がない。そりゃ小学生のときに童話を読んだり、10代に詩集を読んで関心したりしたさ。20代の時に数冊を読んださ。でも、読んでいくうちに「なんかこいつへん」という感想になってそれっきりになった。見田宗介宮沢賢治岩波書店1984を出た直後に読んだので、この内容に付け加える発見などなさそうとみきりを付けたのもある。なので、その後の関心は、1910~20年代の日本の知識人がどんな西洋音楽を聴いたのかについてだけ。彼が持っていたSPは調査済みで、たしかCDも出ているのではなかったっけ。
(2014/3/1にNHKFMで放送された「クラシックの迷宮 -岩手県に捧ぐ- 」でMC片山杜秀氏が数枚紹介していた。なんでもあるyoutubeにもなさそうな希少録音だった。)

 それなのに、なぜ宮沢賢治のことを書くか。エルンスト・ヘッケルにある。ヘッケルは20世紀初頭に日本に紹介されて、大変な関心を持たれた。当時関心を持っていた人(ないし翻訳や原著を読んだ人)には、宮沢賢治埴谷雄高荒畑寒村などがいる。ただWW2敗戦と同時にヘッケルは全知識人から忘れられた。ただ生物学教科書に反復説を称えた人として記述が残されているだけ。そのような「不遇」なヘッケルに俺は関心を持っていた。「生命の不可思議」につづいて、もっとも売れた「宇宙の謎」を読んだので、ヘッケルがどういうことを考えていたのかだいたい把握できた。そのような目で、宮沢賢治を読めるのではないかと思ったのだ。宮沢賢治とヘッケルの関係はそれなりに言われているが、たいていは「反復説」との関係についてまで。いやいや、ヘッケルの考えの中で「反復説」は端っこの端っこにあるようなもの。「反復説」を言っているだけではヘッケルのことはわからないのです。
 ではヘッケルはどういうことを言っていたのか。それは「宇宙の謎」のエントリーを見るように(追記;いずれアップします)。

(というわけで以下「独自研究」をメモするが、普通仏教やカルト宗教や自伝などで説明するようなところはスルーするか、強引にヘッケルに結びつける珍説を披露する。よくある解説を期待する人は読まないように。)

 今回は青空文庫収録の「春と修羅」第1巻を読んだ。過去に読んだ新潮文庫版の詩集を思い出すと、自分が好んだ詩はここに集まっていたから。ページを開いてみたら、冒頭の序からヘッケルだ!と狂喜乱舞することになった。

「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/(あらゆる透明な幽霊の複合体)/風景やみんなといつしよに/せはしくせはしく明滅しながら/いかにもたしかにともりつづける/因果交流電燈の/ひとつの青い照明です/(ひかりはたもち その電燈は失はれ)」

 「わたくし」は主体や自我のような固定されたものではないという考えだったり、生は光であって、電灯のような個物が失われても光は保たれるというところ。「幽霊」は以下を参照。「せはしくせはしく明滅」は同じ種の個体が世代交代しながら変化するヘッケルの進化論のイメージ化。種の進化はひとつの方向に向かっているので、過去と未来の関係は「因果」とみなす。「ひかり」は種の進化であり、宇宙の霊的進化をみていて、ひかりのもとになる個々の「電燈」は個体の死とともに失われる。
 「春と修羅」のなかから、抜き書きすると、「こころのひとつの風物」「それぞれ新鮮な本体論」「光素(エーテル)」「地球照(アースシャイン)」「意識ある蛋白質」。これらは、ヘッケルの一元論哲学や宇宙の法則を反映したことばです。俺の読みでは、賢治のいう「心象」は物質即ち精神から現れる実体あるもの。これもヘッケルの一元論哲学。
 「春と修羅」の白眉は妹とし子の臨終とその後の詠嘆にある。無声慟哭から青森挽歌までの一連の詩は多くの人が関心を持っているところだ。そこに賢治の妹への愛情や献身を見ることが多い。でも俺はそこにヘッケルの思想が入り込んでいると見た。とし子が亡くなっても賢治はそこかしこにとし子がいるように感じている。遠くの林や山にいて、賢治の方を見たり聞いたりしていると思っている。賢治はとし子の気配を感じても、コミュニケーションはできないのがもどかしいが、それは必然であり受け入れられるとしている。ヘッケルの「霊魂不滅」と「宇宙的な霊的進化」を信じているから。とし子という個体は失われても、霊魂は宇宙的な霊的進化の運動に参加している。なので、悲しむことはない。いつか再会できる可能性も信じられる。
 青森挽歌では賢治は直接エルンスト・ヘッケルに語りかける。

「《ヘツケル博士!/わたくしがそのありがたい証明の/任にあたつてもよろしうございます》」

 「そのありがたい証明」はまさにこの「霊魂不滅」に関すること。「宇宙の謎」では他人が唱えているから霊魂不滅はあるのだと証明にはほど遠いことしかいっていない。賢治はそれを実体験として証明したいのだ。そこに「よだかの星」や「グスコーブドリの伝記」のような自己犠牲と宇宙的霊との一体化をみることができる。
(その直前の「ギルちゃん」をめぐる会話は「反復説」を話題にしているようだ。)
 という具合に終始、おっここもヘッケルだと発見を楽しんだ。とはいえ、ヘッケルの痕跡を見出せるのは冒頭ととし子の死をめぐる詩に集中する。それ以外は賢治の私的な出来事の書きつけで、こちらはあまり関心しなかった。賢治は哺乳類には詳しく、鳥には関心はなさそうなのに、無脊椎動物は種の名前が出てきて、そこはヘッケルを読んだからなのだろうなと思ったくらい。
(「銀河鉄道の夜」はそれこそヘッケルの痕跡探しがいろいろできそう。アニメのシーンを思い出すと、あっあれが、おっこれも、なんとそれも、といくつも指摘できる。「よだかの星」も「霊魂不滅」と「宇宙的な霊的進化」の寓話化。でも、この先は面倒なので、もうやる気はない。)

 

 宮沢賢治は生涯で東京にいったのは二度ばかりで、それ以外は岩手県から出てことがなかったはず。竹内洋「教養主義の没落」(中公新書)によると、日本で教養主義が成立したのは1920年代とのことなので、賢治はエリート層の教養主義勃興の運動には参加できなかった。あこがれはあったようで、詩句に「デカンショ」がかきつけられたり、西洋古典音楽の蘊蓄を取り入れたりした(「自由射手(フライシュッツ:通常は「魔弾の射手」)」「エグモント序曲(英語)」「荘厳ミサ」「葬送行進曲」など)。都会のエリート層には複雑な思いをもっていたのではないかしら。
 でも教養主義のような共産主義社会主義への関心はなさそう。社会変革運動への関心はあったようで、農業学校教師そのたの農本運動に参加した。俺は、賢治が参加したのはヘッケルの一元論哲学運動のような愛国主義的な政治活動だったとおもう。上のような「霊魂不滅」「宇宙的な霊的進化」への共感はテキスト重視の社会主義運動にはむかわない。むしろ身体を行使することによって自然と一体化同一化するように向かっている。興味深いのは賢治のテキストでは〈私〉〈自我〉はたいていからっぽで、地球的宇宙的視座からは価値のないもの意味のないものとされている。そのような〈私〉が意味や価値を持つのは他人のために献身すること、場合によって自分の命をなげうつ時になる。自分の存在を他人のために捨てることによって、全体がよくなるという考えなのだ。これは全体主義運動に近い。賢治はのちのファシズム運動の先駆者なのだろう。大正から昭和初期の青年運動家として宮沢賢治をみることができそう。
(賢治は反近代・反都市であるようだ。一方で、電線と汽車には強い関心をもっていた。どちらも近代化や合理化の象徴で、田舎を破壊するもの。それが賢治のてにかかると霊界との通信や交通の手段になってしまう。この折り合いをどうつけているのかはよくわからなかった。)(あとで考えたら、電信・電話による死者との交信はメスメリズムなどのオカルティズムの影響。)

 日を開けて第2集を読んだ。ここにはヘッケルの痕跡はなかった。かわりに仏教用語が頻出。仏教用語の言葉の力が強すぎて、詩人の日常の言葉はぜんぜん及ばなくなった。科学の言葉も仏教に負けている。そのせいか、第1集のような奔放な想像力はなくなり、日常茶飯事ばかりがつづられる。読んでも面白くなかった。

 

宮沢賢治春と修羅」 → https://amzn.to/3KYi6mg https://amzn.to/472OwES https://amzn.to/47gnTLf

www.aozora.gr.jp

www.aozora.gr.jp

三木清「ゲーテに於ける自然と歴史」「読書遍歴」他(青空文庫) 大正教養主義時代に「非政治的」という政治的な立場から読書の仕方を考える。

 青空文庫に収録されている三木清の論文とエッセイから関心をもてそうなのを選んで読んだ。

マルクス主義唯物論1927.08 ・・・ 新カント派からハイデガーを経由してパスカルに至った哲学者(「読書遍歴」)によるマルクス主義の解説。通俗的な説明に、さまざまな哲学者の名前を飾ったものでした。三木は学究だったので、この論文に出てくる「生産」も「労働」も空虚このうえない。経済学の知識に欠けているので、説明も不十分。マルクス主義の可能性を唯物論で探るなら、柄谷行人の「探求」を参照したほうがよい。

認識論1930.01 ・・・ 認識論という切り口で見た西洋哲学史プラトンからハイデガーまでの主要な哲学者の考えがまとめられている。これで勉強するより、21世紀に出版された新書を読んだほうがいいです。

ゲーテに於ける自然と歴史1932.05 ・・・ 「ゲーテは非歴史的と言われるが、十分に歴史的意識を持っていた」を主張する論文。もともとは岩波書店の「ゲーテ研究」1932年に収められたもの。岡崎勝世の「聖書vs世界史」と「科学vs.キリスト教 世界史の転換」(講談社現代新書)を読んだ後だと、この論文は不満ばかり。歴史の書き方が18世紀の末から変わりだして、史料に準拠する歴史学が19世紀半ばにできた。なのでまず「歴史」の意味が20世紀とは異なる。三木が存命中の歴史学からみても、ゲーテの歴史意識は歴史学にはあわない。そのうえゲーテの原型論や神話論、色彩論などは当時の科学から見ても奇妙なのだ。通常の歴史学の流れに無理して収めようとするより、異端の歴史思想家として当時と現在の歴史学との差異を強調したほうがよかったです。あるいは異端の科学者として描いてもよい。この国の戦後の科学史ゲーテをほぼ無視していたので、この要約はよく整理されています(ただあまりに堅苦しい文体なので読みにくい。もっと柔らかく書けばいいのに。哲学者が判りやすい文体を持つようになるのはこの半世紀あと。)
 といいながらも、日本人がゲーテを読みだすようになったのは、1880年代にドイツ留学中だった森鴎外あたりが最初。それから50年で全集がでて、ちゃんと読み込めるまでになったことに驚きと寿ぎを送りたい。
 ゲーテは時間にも独特な意見を持っていた。現在のみが実在的で現在は永遠である。たとえば以下のことば。

「ただ永遠なもののみが我々にとつてあらゆる瞬間において現在的であり、かくて我々は過去の時間について悩まない。」

 なるほど「ファウスト」の最後はこの考えが前提にあったわけか。
 自分がゲーテに冷淡なのは、以下を読んでいるから。詩や小説はおいておくとして、政治家や科学者としてのゲーテは問題だらけと思うのだ。
2016/09/20 ゲーテ「色彩論」(岩波文庫)-1 1810年
2016/09/19 ゲーテ「色彩論」(岩波文庫)-2 1810年
2023/05/30 ゲーテ「若きウェルテルの悩み」(新潮文庫)-1 1774年
2023/05/29 ゲーテ「若きウェルテルの悩み」(新潮文庫)-2 1774年
2023/05/13 トーマス・マン「ゲーテとトルストイ」(岩波文庫)-1 1922年
2023/05/12 トーマス・マン「ゲーテとトルストイ」(岩波文庫)-2 1922年
2023/04/11 トーマス・マン「永遠なるゲーテ」(人文書院) 1948年
<追記> この後ラヴジョイ「存在の大いなる連鎖」とゲーテの「ファウスト」を読んだ。「ファウスト」が「存在の鎖」説の文芸化であることを確認。なので、三木がゲーテの考えをまとめようと四苦八苦しているのは、どれも「存在の鎖」説で説明が可能です。三木が頑張って解説しようとしていることは、別の説明が可能(といって俺のような読みをしている人はたぶんいない)。

読書遍歴1941.06-12 ・・・ 1897年生まれの三木清の読書から見た自叙伝。田舎の成績優秀者が選ばれて東京と京都のエリート校にはいり、故郷に帰らないで学究生活者になるまで。彼が振り返る自分の半生は、まさに日本の教養主義者の典型だった。日本の教養主義の特長は下記エントリーを参考に。
竹内洋「教養主義の没落」(中公新書)-1 2003年
竹内洋「教養主義の没落」(中公新書)-2 2003年
 後者のエントリーで、俺は架空の教養主義者の半生を描いてみたのだが、まさにそのとおりの生き方をしたのが三木清だった。このエッセイからわかるのは、1910年代には中学生にも弁論や演説などの雄弁活動が普及していて、いっぽう宗教・文学・哲学を読んでいた。政治にはほとんど関心がない(実際、大逆事件ものちの関東大震災での大杉栄虐殺などもでてこない)。内省的と本人はいうが、日露戦争後の検閲・自主規制のために政治的表現や社会問題の告発などがまったくなくなっていたのに自覚がなかったのだ。それが1920年代になると社会問題に関心を寄せるようになる。そのことは「読書遍歴」には書かれていない。発表時期が1941年であれば、雑誌連載に書いても通るはずがない。そういう自主規制が働いたのか、後半はドイツ留学の思い出に終始する。ということは1925年ころまでで記述は終了していた。書いているころには政治運動にも参加していて、難しい立場に置かれていたのだろう。
 10代で読んだときは、出てくる本や学者の名前に幻惑されたが、半世紀近くたっての再読では、旧知の人を紹介されているような気分になった。

如何に読書すべきか1938.12 ・・・ 中堅の学究による読書指南。指南の内容は前回のエントリーを参照。40歳でこれを書けるのは、読書の達人としての自信があるからでしょう。
https://odd-hatch.hatenablog.jp/entry/20110502/1304286876
 たぶん編集者からの依頼で方法だけを書いた。なので「如何に」とタイトルをつける。「なぜ」は問わない。それに対する答えらしいのは、「人生を豊富にする」「心に落ち着きを与える」くらいしかない。当時の教養主義は「なぜ読書するか」という問い自体が無効だったのだろう。高等学校や大学の学生は読書するのが当たり前、複数の外国語ができるのは当然だった。それが可能なエリートしか学生になれなかった。
 今日では「なぜ」に応えないといけない。でも今の日本の知識人は十分にこたえていないと思う。それに対する文句と俺の考えは下記のエントリーに書いたので繰り返さない。
桑原武夫「文学入門」(岩波新書) 1950年
外山滋比古「思考の整理学」(ちくま文庫)
斉藤孝「読書力」(岩波新書)


 「読書と人生」新潮文庫に収録されていない論文をいくつか読んだが、満足できるものはひとつもなかった。この人は書いたもので評価するより、どう生きたかで評価される人なのだなあ。あの悲惨な死と盟友林達夫が報告するおっちょこちょいな行動性向がうまく合わないので、この人はよくわからない。

 


三木清ゲーテに於ける自然と歴史」 → 

www.aozora.gr.jp

 

小林多喜二「蟹工船・党生活者」(新潮文庫) 北海の船に閉じ込められた工員たちが重労働と低賃金で怒りを溜めていく。

 2010年代に「蟹工船」が若い人たちによく読まれて、自分事として工員たちに共感した。あいにく俺は共感(エンパシー)を感じにくいたちなもので、とても冷静に分析的に読みます。自分に重ね合わせて読んでいる人たち、ごめんなさい。

蟹工船1929 ・・・ 特定の主人公はいない。群衆全員がヒーローになる小説。読者もこの小説にでてくるストライキや団交に参加して、いっしょにヒーローになるよう勧められている。そういう点では初出の時期には日本で公開されていないエイゼンシュタイン監督の「戦艦ポチョムキン」1925とそっくり。群衆がヒーローであるばかりでなく、ストーリーがよく似ている。函館の蟹工船はシーズンを前に、周旋屋がだまして工夫、百姓、学生、出稼ぎ、喰い詰めものを集めていた。甘事を言ったが乗船するときには借金漬けになっている。乗ればカムチャカ海のタラバガニ漁は過酷。そのうえ帝国の意思を受けてソ連領海での違法操業もするような悪辣な会社なので、労働は過酷を極める。劣悪な食事、長時間労働、不潔な環境、病人の放置、リンチの横行。船長や監督は酒池肉林の傲慢。駆逐艦とはなあなあの関係を結び、船員が疲労しきっているときに、船内で宴会を繰り返す。あまりの過酷さに自然とサボタージが始まり、さらに組織化されてストライキとなる。彼等の闘争は成功するか……。「戦艦ポチョムキン」の名をあげたように、この小説は都市労働者の団結と蜂起を教える役割をもっている。当時主流のレーニン主義だと、先に目覚めた革命家が群衆を教育し、扇動して、党に結集するようなプログラムを示すのだが、ここではあくまで自然発生によるコミューン結成となる。そのせいか作家のほかの小説のような教条らしさがないので、感情移入しやすい。それにストーリーは任侠小説の趣き。流れ着いた悪徳の町で虐げられ辱められたものが我慢に我慢を重ねたうえでの命を懸けた決起! みなが高倉健さんや小泉博さんになったかのような爽快な気分に浸れる。
 山田和夫「戦艦ポチョムキン」(国民文庫)
(なお、当時の蟹工船がここまで劣悪かつ命を粗末にしたかというとそれは疑問。リンチ死や病死が頻発した船が帰航したあと、船員たちの不満はすぐに陸にひろまり、次の操業ができないほどのダメージになるから。搾取は激しいとしても、人命を取ることまではしない。むしろ、船員も大日本帝国の一員であるかと思わせるような懐柔もあった。ただし植民地から連行された徴用工は別。彼等は小説のような虐待と虐殺を受けた。ただし配属されたのは蟹工船ではなく、脱出や逃亡ができない鉱山や僻地の土木作業場だった。)
杉原達「中国人強制連行」(岩波新書)
党生活者1932 ・・・ 1929年の大不況以降、労働争議が頻発した。労働組合への弾圧と共産党員の検挙が相次いだ。すでに非合法化されていた党員はそれでも所属を秘匿して運動に励む。しかし幹部と中堅がいっせいに逮捕され、組織的な活動ができなくなり、一部からは転向するものがでる。そういう時代の党員生活を描く。このあとはさらに弾圧が激しくなり、非合法活動を行って壊滅する。俺としてはこのような時期にどういう方針で臨めばよいか見当もつかない。小説のやり方ではうまくいかないだろう、でもどうやって対抗すればよいのか、迷うばかり。
その工場は満州事変以降、好景気を続けていた。本工200人のほか臨時工を600人も雇って増産している。しかし労働は長時間かつ過酷で、低賃金。おとなしい工員も怒りを覚えるようになっていた。工場は臨時工の分断工作と全員馘首を行う。それに対して「私」ほか3人の「細胞」はレーニン主義に則って自発的決起を促そうとひそかに活動していた。すこしずつシンパは増えるが、一方で公安の監視は厳しくなり、逮捕者が続出している。そこで馘首の発表日のまえに工場の欺瞞を暴露するビラを配布しよう。逮捕覚悟、拷問覚悟の一大決起だ……。
工場の「細胞」の献身に驚きと感動を覚える一方、書き手の「私」のダメっぷりには憤りしかかんじない。ことに、公安に顔を知られ(数度の逮捕歴あり)、住居を点々としないといけない状況で、ついにあるシンパの女の部屋に逃げ込む。そこで党の地区責任者として指令をだしビラの原稿を書くことになる。生活費のいっさいは女にださせる(あるいはカンパに頼り)。女が勤務先を解雇されると、「女給になれ(売春しろ)」と言い放つ。「私」は女が党生活に不向きなものとして軽蔑する。その一方で、工場「細胞」の一人である女にはいい顔をして見せる。優れた活動家だと賞讃もする。このミソジニーにはへきえき。実際にこの時代の共産党ではひとりの党員が地下に潜ると、一人の女性がこのように生活全般の面倒を見せられたものだ。まさに運動内部にある差別が露呈している。
戦前の共産主義運動はレーニン主義とおりになる。そのため、党員には「革命家」であることが求められる。「全生活はただ仕事にのみうずめられている」というわけ。具体的には、家族をすてる(「私」は母を捨てる、しかし金を出させる)、定職につかない(臨時工まで)。このルール・規律を遵守する。それがミソジニーを強化するのだし、前衛と大衆の間を広げることになる。
(ストーリーはスパイ小説。工場の監督その他の監視をかいくぐり、公安を出し抜いたりすることが克明に描かれる。主人公は「敵」の策略を出し抜くように、知恵を絞り、瞬時に活動する。大衆小説ととても近いところで書かれている。同時に、「党生活者」である「私」の生活を克明に記録する「私小説」でもある。具体的な生活はぼかしていても、内面は「真実」を語っているかような装いをもっている。大衆向けのプロパガンダ小説であっても、時代の趨勢には影響されている。)


 文体がハードボイルド。形容詞や修辞を使わず、固有名を叩きつけ、感情を書かずに行動だけを書く。敗戦後に邦訳されたハードボイルドはこの小説の文体を模倣したかのよう。

 

小林多喜二蟹工船・党生活者」 → https://amzn.to/4o22dde https://amzn.to/42OXGCe
小林多喜二「工場細胞・不在地主・防雪林」 → https://amzn.to/4o9eeO8

www.aozora.gr.jp