odd_hatchの読書ノート

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デイヴィッド・リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」(サンリオSF文庫)-1

  イギリスの小説はリアリズムの伝統がある(例えばほとんどの探偵小説)が、一方で幻想を志向し、この世ならぬものへのヴィジョンを物語る系譜もある。このファンタジーの系譜は英国文学史にはあまり重要に扱われないが、少数の愛好家により広められ、この国でも翻訳がでている。時間をかけると、かなりな数の小説を入手し、読むことができる。自分も貧しいながらさまざまに読んできた。
 では自分は熱心な英国幻想小説の読み手であるかというとそうではなく、手を出してみたものの完読できずに断念した小説が多数ある。たいていの小説はつまらなくとも完読するものであるが、英国幻想小説には自分の登攀を拒んだものがある。いっぽう、完読できたもののいくつかは鮮明な記憶がいつまでも残り強く擁護するものになっている。自分にしか意味のないリストだが、あげてみるか。「オトラントの城」「フランケンシュタイン」「ジキル博士とハイド氏」「吸血鬼ドラキュラ」「不思議の国のアリス」などの有名作は除く。
完読して感動: マーヴィン・ピークゴーメンガースト」三部作、エディスン「ウロボロス」、ダンセイニ「影の国物語」「魔法使いの弟子」、チェスタトン「木曜の男」
完読できずに挫折: ジョージ・マクドナルド「リリス」、ポーイス「モーウィン」、マッケン「夢の丘」、ダンセイニ「妖精族のむすめ」、トールキン指輪物語」、オールディス「マラキア・タペストリ
 なんとも貧しいリスト。ともあれ、好悪ないしあうあわないが明確に分かれるジャンルは自分には珍しい。
 さて、ここにデイヴィッド・リンゼイアルクトゥールスへの旅」1920年がある。これは自分のなかでは評価しずらい一冊。大学2年冬の19歳で読んで圧倒されたが、何が起きているのかさっぱりわからなかった。好きなのか嫌いなのか、あっているのかあわなかったのかわからないまま、本棚に放置していた。
 それから数十年ぶりの再読。事前にコリン・ウィルソンデイヴィッド・リンゼイ論「不思議な天才」(「憑かれた女」@サンリオSF文庫所収)で予習してから読んだ。あわせて、章ごとにメモをとっておいた。では行ってみようかGO!

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降霊術の会 ・・・ フォール家で霊媒バックハウスを招いて降霊術の会を開く。招待客にマスカル(大男)とナイトスポー(中背)。霊媒が呼び出した霊が、闖入者(あとでクラッグとわかる)に首を捻じ曲げられる。高貴な表情が下品で卑しいけだもののような薄笑いの表情に変わる(これはのちに繰り返されるので、覚えておくこと)。

路上で ・・・ クラッグは霊の薄笑いを「クリスタルマンの表情」といい、スタークネスン天文台からトーマンス惑星(アルクトゥールス星系)に行くという。マスカルはその話に乗り、ナイトスポーもつきあうことにする。クラッグのレンズ(重さ9kg)でアルクトゥールスを覗く。

スタークネス ・・・ 二日後、マスカルとナイトスポーは天文台にいく。閉鎖されて無人。窓を壊して中に入ると、「太陽逆光線」「アルクトゥールス逆光線」のラベルのついた酒瓶4本がある。一本が転がると消える。マスカルは塔を登ろうとするが、めまいで途中で断念。

声 ・・・ クラッグが来ないので、ナイトスポーといっしょにソルジーの割れ目(という断崖)にいく。太鼓のなるような音(これものちに繰り返されるので、覚えておくこと)。日暮れて帰ると、マスカルひとりで塔を登る。3人をかついでいるような重さ。「ナイトスポーが目覚めたとき、おまえは死なねばならない」という予言の声を聞く。

出発の夜 ・・・ クラッグが遅れてくる。マスカルは塔に登るのを躊躇(ナイトスポーは「トーマンスの重力」のせいという)。クラッグが二人の腕をナイフで切ると、マスカルは上ることができる。魚雷型宇宙船にのると、バグパイプに似た叫び声が聞こえる。クラッグのいうようにマスカルは旅の途中眠ってしまう。

ジョイウィンド ・・・ マスカルは砂の上で目を覚ます。体が重く、しびれるような痛みを感じる。額にこぶ(ブリーブ:互いに考えていることを読み取る)、耳の下にこぶ(ポイグンズ:生き物を理解して共感する)、心臓から触手(マグン:ふれることで愛を増幅する)ができている。夜明けになり、細身の女性(ジョイウィンド)がくる。マスカルの様子を聞いて、互いに腕を切り傷口をあわせて血液を交換する。マスカルは元気に、ジョイウィンドはやつれる(「マスカルの血は濁っていて汚れている」)。シェイピングまたはクリスタルマンの神に、マスカルのことを祈り、彼女たちはクラッグすなわち悪魔と闘っているという。平原を歩き、空中に消える泉で水を飲む。マスカルの感覚が鋭敏になり、さまざまな色を見分けられるようになる。

パンオウ ・・・ ジョイウィンドの夫であるパンオウと会う。マスカルは「(地球の)卑俗さにうんざりした」とこの星に来た理由を説明。沼地のような湖の水を上を歩いて渡る。湖からは太鼓のリズム(「現実そのもののかすかなこだま」)が聞こえる。パンオウは口から水晶のような「美」を取り出し、しばらく眺めた後湖に捨てる。ここには性質のちがう2つの太陽がマスカルを引っ張り合うという。パンオウの物語。昔スローフォークという知者にあい、快楽より苦痛が、苦痛より愛が、愛より無が偉大であると答えた。快楽はシェイピングの世界、その他は別の何者かの世界といったのち、スローフォークは断崖を飛び降り自殺した。

リュージョン平原 ・・・ マスカルは二人と別れる(とても冷やかに)。平原の途中でサーターが現れ、「この世界に君を読んだのはわたしに使えるため。きみはわたしの召使、助け人」という。姿を消し、ラッパの音がする。別の女性(オウシアックス)と合う。この先に進むにはマスカルの体ではだめ、発光石(ドルード)を自分の器官に押し当てろという。マグンは触手から腕に、ブリーブは眼(ソーブ)になり、オウシアックスと同じようになる。

オウシアックス ・・・ オウシアックスは動物の毛皮をまとい、別の生き物(湖でとった魚)を食べる。人肉のような味。マスカルは彼女の家に行くことにする。彼女はソーブの力でシュロークという鳥を飼いならし、二人で乗って平原を飛ぶ。途中、突然地面が隆起し、地滑りや地震が起きる。ここではよくあること。オウシアックスの住まいにはサチュールという植物人(地面に根を張り、絵でに葉を茂らせる)がいる。サチュールの命令する若者(クルムタイフォン)がマスカルに罰を与えるというとマスカルは逆襲。首を絞めると死んで、にたにた笑いを浮かべる。オウシアックスは平然としている。


 最初の章こそ読者の物理現実と連続した世界であるようだ。イギリスの知られた地名がでて、よくある名前の人物がいる。そのひとりが、マスカルとナイトスポーという聞きなれない人物を連れてくるところから怪しくなってくる。マスク(仮面)とスカル(骸骨)の合成語であるマスカル、ナイト(夜)とスポー(胞子)の合体語であるナイトスポーというありえない名前の人物。まるで、実写のフィルムにアニメかCGで合成された虚構の世界の人物が同席しているよう。(その点で、自分は埴谷雄高「死霊」第9章を思い出す。そこには三輪高志、津田安寿子、首猛夫らの「現実」の人物のところに、虚体の住民らしい「黒服」「青服」の男が現れる。)
 21世紀に現実と虚構の人物が交差するのは珍しくもないが、100年前(1920年)の小説を読む際には、もっと昔の様式で考えた方がよい。たとえば、ルネサンスバロックのオペラには「嫉妬」「権力」「疑惑」「正義」「美」などの観念が擬人化されて登場し、神話の人物(オルフェオとかウリッセ(ユリシーズ)とか)と会話したりする。そこでは具体的人間の生き方が問題にされて、擬人化された観念は彼らの批評や同情などを喚起する役割をもっていた。でも、このリンゼイ「アルクトゥールスへの旅」では擬人化された観念の方が主人公になる。なので、マスカル、そして旅で出会うトーマンスの星の住民たちは姿かたちはあるいは会話は現実の人物に近いが(6章にあるように新しい器官を供えている)、読者の物理現実にいるような人間の「人間らしい」感情や反応や行動を期待してはならない。マスカルは出会う人物を次々と殺し、ときに吸収してしまうのだが、物理現実の「殺人」ではなく、観念同士の相克、闘争、弁証法が描かれているのだと考えた方がよい。

  

 

    

2020/04/06 デイヴィッド・リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」(サンリオSF文庫)-2 1920年
2020/04/03 デイヴィッド・リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」(サンリオSF文庫)-3 1920年
2020/04/02 デイヴィッド・リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」(サンリオSF文庫)-4 1920年
2020/3/31 デイヴィッド・リンゼイ「憑かれた女」(サンリオSF文庫) 1922年

デイヴィッド・リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」(サンリオSF文庫)-2

 2020/04/07 デイヴィッド・リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」(サンリオSF文庫)-1 1920年

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タイドミン ・・・ マスカルは夫の死に動じないオウシアックスに呆れて別れるつもりであったが、旅をつづけることにする。オウシアックス「私たちはクリスタルマンの娘で息子」。年配の女、クリムタイホンのもう一人の妻であるタイドミンがくる。夫の死体を見て二人に自分の家に来いという。オウシアックス、タイドミンの示した道を行き転落死。マスカルは死体を担いでタイドミンのあとを追う。タイドミン、「何か犠牲行為をしない限り(マスカルの)冒険の旅は終わらない」「死体を担ぐことではない」「犠牲の他には何もすることがないという気持ちになること」。マスカル、「人生の生きがいは運命さえも顔負けするような度量の大きい人間になること」。途中、ジョイウィンドの弟ディグルングにあう。マスカルは自分の冒険がジョイウィンドに伝わることを恐れ、ディグルングを殺すか吸収するかを選択する。ディグルングをあっさりをつかまえしっかりと抱え「吸収」する。歓喜、強い意志が伝わる。洞くつにつき、暗闇で横たわり、タイドミンに手を握られる。鮮明な夢。マスカル、「クラッグに会った。タイドミンは死なねばならない」。

ディススコーン高原で ・・・ タイドミンに死を与えるために、死体を担がせる。タイドミンの苦痛にマスカルは喜びを感じる。火の湖(太鼓の音が聞こえる)に死体を投げる。ジョイウィンドの幻をみて、マスカルはタイドミンを許す。中年の大男と会う。スパデヴィルという男はソーブの代わりに一対の膜があり、三本目の手がない。スパデヴィルが手をかざすとソーブは膜になる(ブローグという「世界に向かって開かれた門」である器官)。マスカルのソーブがブローグになると、マスカルは新しい掟、すなわち義務が意識に流れ出す。

スパデヴィル ・・・ スパデヴィルは、トーマンスの世界の原理である快楽と愛は偽りであるという。偉大が支配している世界への道は苦痛を通じて。苦痛とは義務に対する服従を達成すること(ここらの議論はよくわからない)。タイドミンは自分とスパデヴィルが死んでいる予知夢を見たという。目的地のサントにつくと、キャティスという老人がいる。マスカルのブローブを破壊すると、マスカルは快楽を拒否する体になる。スパデヴィルは「サーターはシェイピング」というが、キャティスは「うそ」といい、スパデヴィルを偽善者という。マスカルに二人を殺すように命じ、その通りにすると二人の死体にクリスタルマンのにたにた笑いが浮かぶ。キャティスは「快楽は故郷すなわちマスペルを忘れるから恥じるものである」といい、マスカルに別の地に行くよう命じる。

ウームフラッシュの森 ・・・ 3日目の朝。太鼓の音を追いかける。ドリームシンターという男。彼は「連れてこられたのはナイトスポー」「マスカルの役目はマスペルの燃えさかる炎を盗んで、人々により深い生を与えること」。幻の三人の男(ナイトスポー、マスカル、クラッグ)が行進。あとをつけると、クラッグがマスカルを刺し殺して茂みに消える。不思議な光と音楽の衝撃で、マスカルは気を失う。

ポールクラップ ・・・ 起きてなぜここにいるのか、何ができるのか自問。サーターに感謝して、歩く。<沈む海>にでて漁師のポールクラッブに会う。魚を食い、樹液で知能だけが酔う。マスカル「ここは現実であると同時に偽り」。ポールクラッブ「わしは殺すことによって生きている。この生は間違っている。クリスタルマンは万物をひとつのものに変えようとしている。クリスタルマンにつくられたものは逃れようとしても、再びクリスタルマンと面と向かい新しい水晶に変えられてしまう。サーターの世界は生の始まりであるひとつのものの向う側にある。そこに行くにはひとつのものの中を通って逆戻りしない行けない。それは生命を捨ててクリスタルマンの世界全体と再び結びつくことで可能になる」。ポールクラッブの妻グリーミールがきて、マスカルをスウェイロウンの島まで筏で送ろうという。ポールクラッブはわしがするというが、グルーミールは自分が島を見たいという。

スウェイロウンの島 ・・・ グリーミールが子供と夫と最後の別れ。スウェイローンの伝説(最初の音楽である彼にクリスタルマンは和音を送り美しい響きを出し、クラッグは不協和音を送ってそれ以来スウェイローンの楽器は耳障りなおとしかだせない)を話す。島にはスウェイローンの末裔にあたるアースリッドがいる。「快い日はシェイピングのつくった無粋な合成物。美の純粋さには快をちぎり取らないとならない。」「音楽は均斉と数と感情。快楽はハーモナイズ(調和)。苦痛はぶつかり合いで、その秩序から均斉となり、感情が発生」。アースリッドが演奏すると、マスカルに激しい衝撃。グリーミールは死亡。マスカルは自分が演奏すると言い出し、ためらうアースリッドを追い払う。湖の上にたち、意志を流れ出すと、湖に何本もの水柱が立ち、島のあちこちに亀裂。マスペルの謎めかしい光が輝き、楽器が壊れる。湖の水が消え、陥没のしたでマグマにふれて大爆発。島にアースリッドの死体をみつける。

 

 コリン・ウィルソンデイヴィッド・リンゼイ論「不思議な天才」(「憑かれた女」@サンリオSF文庫所収)で、「アルクトゥールスへの旅」をバニヤン天路歴程」にたとえている。「天路歴程」を読んだのがずいぶん昔(記録を見たら2003年だった)なので、細部を思い出せないが、クリスチャンという青年がキリスト教を体得するために、家族を捨てて、「天の都」を目指す。途中には「虚栄の市」(サッカレーの長編のタイトルになった)など、世界に会って宗教心を惑わし堕落させるものや、天の都に到達するための試練や、神のことばの知恵を授かる機会などがある。それらの惑わしや誘惑、堕落を克服して、メンターの話を聞き、真の神への信仰を獲得する(第2部はクリスチャンが「天の都」のいるという話を聞いた妻と子供が同じように旅をする話で、こちらは第1部ほど面白くない)。途中には、擬人化された倫理や徳目、あるいは罪などが現れ、クリスチャンと会話する。
 そのような構成は「アルクトゥールスへの旅」ににている。しかし決定的に異なるのは、マスカルの旅は「天の都」を目指したものではない。なるほど彼は人生を偉大なものにする願望を持っているものの、それが実現している場所がどこにあるかを知らない。出会う人々は知識をマスカルに披露するが、現実の道徳や倫理とは一致しないし、キリスト教のような教義にも合致しない。彼らの人格はマスカルよりも優れているように見えるが(評価基準は読者の物理現実の道徳や倫理だ)、トーマンスの別の世界にいったり、別の人の知恵と対決したりすると、敗北し死んでしまう。そのうえ、彼らの発する道徳や倫理がさげすむ<クリスタルマン>のにたにた笑いがこの人らの表情に浮かび、クラッブの「クリスタルマンにつくられたものは逃れようとしても、再びクリスタルマンと面と向かい新しい水晶に変えられてしまう」のことばが実現する。マスカルの行く先を示すメンターはいない(ガイドはいるものの、マスカルの欲望する「偉大なる生」をだれも示すことができない)。暗中模索の旅は、自己変革を促すが、その方向は定めがたい。マスカルも出会う人のことばに魅かれて右往左往するばかり(そのうえ、尊大さと自己中心癖が他者のいうことをすなおに聞き入れない)。
 そのうえ、随所で予言されているように、マスカルは旅の途中で死ぬことを知っていて、旅は完結しないまま終わることがあらかじめ示されている。なんとも奇妙な「冒険小説」だ。

 

  

 

    

2020/04/03 デイヴィッド・リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」(サンリオSF文庫)-3 1920年
2020/04/02 デイヴィッド・リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」(サンリオSF文庫)-4 1920年
2020/3/31 デイヴィッド・リンゼイ「憑かれた女」(サンリオSF文庫) 1922年

デイヴィッド・リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」(サンリオSF文庫)-3

 2020/04/07 デイヴィッド・リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」(サンリオSF文庫)-1 1920年
2020/04/06 デイヴィッド・リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」(サンリオSF文庫)-2 1920年

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リーホールフィー ・・・ 植物動物(両方の性質をもつ生物)に乗って、島から<沈む海>に出て、マタープレイに泳ぎ着く。生き物のいない中に、森のある谷にでる。マスカルの視覚が鋭敏になり、生物の内部、生命流まで見えるようになり、生き物の愛と冒険と美と女らしさを感得できるようになる。この谷には不思議な生物が充満。個体がすべて別の種。水の流れに入ると、生命のエネルギーが身体の中に登り、新たに6つの眼ができる。リーホールフィーという第三の性を持つ人とあう。いっしょにフェイスニー(シェイプマンともクリスタルマンとも呼ばれる)の世界のもとにある地下のスクールを探しに行こうと誘われる。この長い生を持つ人がいうには、マタープレイの土地には生命の流れが始まっている。流れの源では生命の火花がはじけ、生命が空中に自然発生のように誕生し消える。源から離れると、生命の力が弱くなり形をもつようになり、<沈む海>まではなれると生命の力が弱くて形を保てない。海はひとつの生命体。フェイスニーは四方八方の無と相対し、全身が顔で無数の眼をもっている。想念は無からフェイスニーの内部に流れてきて、形となり、人々は世界になる。われわれ(リーホールフィー)の外界はフェイスニーの内部に他ならない。谷のどんずまりの崖に到着。マスカルは休憩をとる。

コーパング ・・・ マスカルは崖を登り途中石を落とす。落石は泉の始まりの地下道の穴を見つけ、ふたりは中に入る。リーホールフィーは衰弱。外に出たところで死亡。ここはスリールだというコーパングに出会う。コーパング、「ここは3つの世界。フェイスニー(=存在=自然)とアムフェーズ(=関係=愛)とサール(=感情=来世)。敵対しつつ一体化」。マスカルの6つの眼は消失。コーパング、「それはフェイスニーの器官だから消えた。リーホールファーもフェイスニーの世界の住人だからここでは生きられない」。コーパングは<三体の像>に案内。うえの3つの世界の象徴がマスカルの前に姿を現し、マスカルの人格が変化し、「奉仕」を希求する。最後にサールの像が姿を現し「マスカルは数時間後に死なねばならない。人生を軽蔑してきたから、世界を無意味と、生は冗談ごとと思ってきたから。殺人を悔いろ」と予言する。<三体の像>にクリスタルマンのにたにた笑いが浮かんでいる。コーパングと地下道から元に戻る。

ホーント ・・・ 岩山に上る。文字通りの飛行船がくる。サークラッシュからきたというホーントという操縦手に頼んで乗り込む。ホーント、「マスカルは男女(混じっている性)。リッチストームでは純粋な性がある」。マスカルはリッチストームの女に会うことを希望。ホーント「自然は人を苦しめる」。ホーントの酒を飲んだマスカルは悪夢を見ている気分。暗闇を下りる途中、マスカルは気分が悪くなり、死を意識。とたんに歓喜(苦痛を通り越して愛に)。これはホーントすら体験できないこと。純粋な女であるサレンボウドがいる。ホーントがキスすると、ホーントは苦しんで死ぬ。サレンボウドから知能の面影が消える。

サレンボウド ・・・ サレンボウドがマスカルにキスされると、「魂を持つ生きた人間」となり、マスカルに愛を持つ。サレンボウド、「愛する人のためなら心の底から喜んで姿を消し、無になるものが愛」「絶頂に達してさらに上昇を目指せば愛は犠牲になる」「愛は苦悩の手で完成する」。登攀の途中で太鼓の音とマスペルの光。マスカルは硬直して、サレンボウドがキスしたのも気づかない。離れてサレンボウドは倒れる。クリスタルマンのにたにた笑い。泥のためにマスカルは見えない。

バリー ・・・ 夜明け。サレンボウドの墓をつくり水浴したマスカルはバリーへ行こうと決意。クラッグと再会。「きみは昼までに死ぬ」。バリーにはマスカルを待っていたらしいギャングネットがいる。湖に出て、浮島に乗り、海に出る。青い太陽が現れ、マスカルに光を当てる。マスペルの光が充満する。マスカル、「無限と向き合っている」「僕は無」「意志がない、自己がない」。クラッグが手をかけると、崩れるように倒れる。太鼓の音がして、マスカルが尋ねると、クラッグ「おまえの心臓をたたいているのさ」。ギャングネットは空中でもがき悲鳴を上げている。火が燃え移りクリスタルマンとなって絶叫し、消える。クラッグ、マスカルに「君はナイトスポー」。それを聞いて、マスカルは死ぬ。ナイトスポーが死体を見つめている。クラッグ「マスカルはクリスタルマンのもの、ナイトスポーはおれのもの」。

マスペル ・・・ 長方形の黒壁のようなものが現れ、マスペルの光がある。クラッグは浮島でナイトスポーを入口まで送り、中にはいれと指示。しりごみするナイトスポーはクラッグに命じられて、黒壁の中にはいる。石段を登り、窓からさまざまな世界をみる。マスペルとクリスタルマンの戦いの種々の位相(ここのイメージはおれのことばでは要約不可能)。マスペルの光は緑の生命体を苦しめるだけだが、クリスタルマンには食べ物になり、さらにのぼると「何もない」。マスペルはナイトスポ―自身とここだけの世界(これまでに登場キャラクターによって説明されたマスペルとクリスタルマンの在り方がイメージ化されている)。緑の生命粒子の悲鳴。それにこたえられるのはナイトスポーとクラッグとサーターのみ。サーターはどこに。黒壁から出るとクラッグが待っている。ナイトスポー「この戦いに勝ち目はない。クリスタルマンの力は強大」、クラッグ「おれのほうがクリスタルマンより強い。おれがサーター。地球ではペイン(苦痛)と呼ばれる」。二人は筏に乗って暗黒に漕ぎ出していく。

 

 アルクトゥールス星系の惑星トーマンス。地球に似ているが(大気の成分が、重力が、などの物理法則の設定は無視)、生態系はまったく似ていない。形態の似た生き物がいるようではあるが、ダーウィン的な生存競争も、今西錦司的な住み分けもない。あえていえば、ヘッケルのような意志をもち、霊的進化をとげようとする生き物の競争(ただし霊的進化に限る)のあるような生態系。惑星到着後のしばらくは、地球との差異は強調されないが、しだいに摩訶不思議な生態系になっていく。圧巻は「リーホールフィー」の章に出てくる生態系の説明。生命の泉からの流れから生命の火花が起こり、空中に生き物が自然発生し、というのはすでにサマリーに書いたので繰り返さないことにする。奔放なイメージの巻き起こりは決して地球上にはあり得ないのに、読者に強烈な印象を起こす。
 歴史的遠近法を使えば、そのような生態系は、オールディス「地球の長い午後」と筒井康隆の「メタモルフォセス群島」「ポルノ惑星のサルモネラ人間」、分野は異なるが手塚治虫火の鳥」くらいしか思い当たらない。そのような生態系を構想しえただけでも、すごいというしかない。
 もちろん、生命の泉、そこからのエネルギーの際限ない流出には、ネオ・プラトニズムを継いだアイデアであるだろうし、生命の自然発生も18世紀の生気論の影響下にあるに違いない。あるいはヘッケルの本も読んでいたかもしれない。そのような先行する思考を知っていることが重要なのではなく、独自な想像力を持って、世界を構想しえたこと(そしておそらくこの小説に書き切らなかったさまざまな詳細や断片があるはず)にいくら賞賛しても足りない。

  

 

    

2020/04/02 デイヴィッド・リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」(サンリオSF文庫)-4 1920年
2020/3/31 デイヴィッド・リンゼイ「憑かれた女」(サンリオSF文庫) 1922年