odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

黒川博行「破門」(角川文庫)

 中年の建設コンサルタントがいる。新規プロジェクトの際には、土地の買収やら建築会社の人夫手配やらのもめごとがあり、それの解決には大阪という土地柄やくざの力を借りねばならない。そのためやくざと腐れ縁ができ、時々持ち込まれてくる儲け話はいつももめごとになる。今回は、映画出資の話。Vシネマ風の映画を作ろうということになり、やくざの組がフロント企業や個人で出資した。さて、そろそろクランクインか、というころ、プロデューサーが資金ごと失踪する。そこで金を回収するために、やくざは建設コンサルタントを顎で使って、マカオ今治にと、振り回す。いつしか、金の回収は二の次になって、やくざのメンツを守る抗争に発展する。
 とまあ、こんな話(2014年初出)。それにしては文庫版550ページと長い。物語のあいまを埋めるのはカジノにパチンコなどのギャンブル描写。徹夜で励んではすってばかりの顛末。ドスト氏の「賭博者」、 笠井潔「熾天使の夏」(講談社文庫)のようなギャンブルの形而上学的思考でもあれば読みではあるが、ここで報告されるのは収支のみ。やくざが逃げたプロデューサーを執拗に追うのも金。なぜ、それほど人は金に執着するのか、流動性選好をうまく投資に使えないのか、そういう思考もない。
 小説の方法は、奇妙な闖入者に翻弄される語り手というもの。語り手が平凡で常識的であるほど、闖入者の無鉄砲や無軌道が痛快になる。日常に埋没している読者が一時的な憂さ晴らしをするにはいいでしょう。とはいえ、やくざと自営業という組み合わせは原尞のシリーズが先にあって(たぶん先行作品はもっとあるだろう)、原のほうが人物造形はしっかりしていたな。こちらは大阪弁をしゃべるのっぺらぼうみたいだった。
 にしても、21世紀のノワール小説はせちがらくなっているのね。映画の製作で集めた金はたかだか1.5億円。持ち逃げはその半分。その回収のために、複数人が病院送りになっている。バブル時代のエンタメではもっと多額の金で裏社会も動いていたのではないかと思うと、21世紀の長期停滞・不況がもたらしたのはエンタメ小説の貧困でもあるかもしれない。
<参考エントリー>
小林信彦「紳士同盟」(新潮文庫)1978年
天藤真「大誘拐」(創元推理文庫)1978年
板倉俊之「蟻地獄」(新潮文庫) 2012年
川村元気「億男」(文春文庫) 2014年

 21世紀の10年代は、暴力団ややくざが小説のようにはいきがって生きられない。すでに構成員は3万人を切り、解散する団体が続出し、人の指示をよく聞く訓練を受けているので高齢の元構成員は介護施設で働くようになったという報道がある。小説のようにグルメを楽しむなど夢のまた夢になっているのだろうなあ。
暴力団が介護事業に参入しているとの報道もあるので、手放しでよい話とするわけにはいかない。)

周木律「五覚堂の殺人」(講談社文庫)

 「堂」シリーズの第3作という。これを最初に読んだので、背景がよくわからない。たぶん沼四郎なる建築家がたてた奇妙な建物で独立した殺人事件がおきる。事件がおきると、善知鳥神(うとうかみ)という女性が十和田只人(ただひと)というエルデシュポール・ホフマン「放浪の天才数学者エルデシュ」(草思社文庫)をモデルにしたらしい放浪の変人数学者を呼び出して、謎解きをさせる。事件には宮司兄妹が捜査にあたるか関係者になっている。これらのシリーズキャラクターが、藤衛だか沼四郎だかの巨悪の計画に対決している、らしい。個々の事件の背後で謎の組織か個人かが計画するのを少数のチームないし個人が対抗するというのは、笠井潔の矢吹駆シリーズにもあるが、「堂」シリーズでは謎の計画に思想がないので、興味がわかないなあ。スペクターやショッカーみたいなものか。でも、世界征服を目指す結社が活躍できるほどの経済力はこの国になさそうだし。
 さて、今回の舞台は山奥の辺鄙な場所にある五角形の建物を組み合わせた建物。その持ち主が死亡して、遺産相続のために親族(三兄弟とその家族)が集まる。遺言の奇妙なのは30時間その建物からの外出は不可、外部との連絡不可という条件。集まった11人は手荷物を管理人の弁護士に預け、巨大な礼拝堂に個室も与えられずに軟禁状態になる。そして、すぐさま2人が小礼拝室で殺され、深夜に3人が別の礼拝室で殺される。いずれも密室。出入り不可。加えて第二の事件の際に、人魂が目撃され、壁が鳴るラップ音が聞こえた。これらの事件は室内のカメラで録画され、現場にいなかった十和田や宮司に資料として善知鳥から提供される。また重要なヒントとして「回転する」が与えられる。
 2014年初出で、文庫化された2017年に改訂されたという。自分が読んだものでは最近の作になるが、思いは戦前の本格探偵小説にむかう。すなわち小酒井不木「疑問の黒枠」浜尾四郎「殺人鬼」「鉄鎖殺人事件」蒼井雄「船富家の惨劇」岡田鯱彦「樹海の殺人」など。本書はこういう古いタイプの探偵小説に近しい。そういうのが21世紀にいまだに残っていることに複雑な思いが去来。若い読者はこういう100年前のストーリーが新鮮に思うのかとか、昭和30年代の日本のミステリーは意欲的な実験作がたくさんあったがその成果はどこにいったのだろうとか。

 

  小説の味付けのために、フラクタルの意匠がたくさん登場。メンガースポンジ、マンデルブロート集合、コッホ曲線、ヒルベルトカーブ、エッシャーの双曲空間、J.S.バッハの「フーガの技法」。共通するキーワードは自己相似。これらの数学や音楽、美術から共通性のある話題を集めるのは大変に思えるが、一冊読んでおけばよい。すなわち、ダグラス・ホフスタッター「ゲーデルエッシャー・バッハ」(白楊社)。この分厚い一冊に上の意匠は全部載っている。1980年代のポストモダンで自己相似や自己言及、フラクタル(加えてカオス)は話題になったなあ。たくさんの日本人評論家もいろいろ言及していたなあ。作者も同時期に読んでいたのかな、とちょっと親近感。「マンデルブロート」と当時の呼び方を踏襲しているところから推理してみた(今は「マンデルブロー」表記が一般的らしい)。 

(と胸を張ろうとしたら、巻末の参考文献にちゃんと載っていました。)

湊かなえ「ユートピア」(集英社文庫)

 都会の人たちが田舎暮らしにあこがれる。その町のはずれには、芸術家が集まる一角があって、創作と販売の活動を行っていた。街の人々も緩く支援している。でも、何ごとかを起こすと波風がたつ。それも、かつて殺人事件が起こり、その犯人のひとりが逃亡していて、5年たった今街に戻っているかもしれないという噂が立つと。

太平洋を望む美しい景観の港町・鼻崎町。先祖代々からの住人と新たな入居者が混在するその町で生まれ育った久美香は、幼稚園の頃に交通事故に遭い、小学生になっても車椅子生活を送っている。一方、陶芸家のすみれは、久美香を広告塔に車椅子利用者を支援するブランドの立ち上げを思いつく。出だしは上々だったが、ある噂がネット上で流れ、徐々に歯車が狂い始め―。緊迫の心理ミステリー。

www.amazon.co.jp

 物語は3人の女性の視点で。いずれも都会暮らしから街に来た人たち。あるきっかけで、3人は障がい者支援の通販を開始する。順調に見えるかと思ったら、祭りの火事がきっかけで車椅子利用者が実は歩けるといううわさが立つ。結果、通販サイトは閉鎖。こどもらは学校と地域でいじめにあう。次第に強まる閉塞感。そこで起きるのは、子供らの誘拐事件。しかも陶芸家の工房では家事が起き、釜の下から過去の殺人事件の逃亡者の死体が発見される。
 読書の意欲をそがれるのは、3人の語り手が交互に変わるのだが、三人称による独白の文体が誰も同じで、今読んでいるのは誰の手記なのかわからない。キャラクターの職業や専攻、性格にあわせて文体を変えたり、キャラごとに別々の蘊蓄を語らせるくらいの芸があればなあ(そこは都筑道夫がきちんとやる)。
 他人を信用しないし、他人の言葉に大きく反応する語り手たちになかなか感情移入できなかった。これはジェンダーを異にする読み手だからだろう。むしろ小説内では後景にいる男たち(語り手の配偶者など)の無神経さ、デリカシーのなさのほうがよくわかったりする。なるほど、男はそのようなうっとうしさと甘えと暴力性をもっているとみられているのか。
 謎は現在の事件と過去の事件のからみかたにある。と同時にもうひとつの物語も進行しているのであって、そこはうまく隠していた。日本の社会の偏狭性や閉鎖性を書くのはうまい。噂やネットの書き込みで被害者が追い詰められていく過程は迫真的。俺としては、語り手たちが互いに疑心暗鬼になるのではなく、協力して対処するようになるのを希望するが、そこまでいかずに孤立するのはとても日本的な有り方だと思う。作者はこちらのネット被害には興味を持たないのかな。「日本」を浮き彫りにするテーマになると思うが。
 帯には「善意は悪意より恐ろしい」とあるが、テーマとどう関係しているのかわからない。むしろ車椅子利用者支援のブランドを作る際の組織が日本的無責任で運営されたほうが問題。物と金と人を使うプロジェクトでは、運営責任者が情報を公開するとか業務を分担しチェックしあうとかの公正性を入れなければならない。そこをいい加減にするところが問題なのだ。それは隠されたもう一つの物語でも同様。意識の持ち方ではなく、コミュニケーションや組織運営の方法に問題があった。なので帯のキャッチは夜郎自大で大げさなだけ。タイトルもそう。