前回から14年を経ての再読。きちんとメモを取らなかったので、初読に等しいのだが、犯人と方法は鮮明に覚えていた。そこでカーのうまさを確認することになった。

2010/11/25 ジョン・ディクスン・カー/カーター・ディクスン「赤後家の殺人」(創元推理文庫)
ロンドンの真ん中に1751年に建てられた古い屋敷がある。この家には因縁があって、建築した当主の二代目がとんだ冒険家。1792年にフランスに渡り美しい娘と恋仲になったものの、フランス革命後の恐怖政治とイギリスの参戦は彼の立場を危うくした。娘に窮地を伝えたら、実家に逃げようと言い、着いたのは代々処刑事務を担当しているサムスン家。のちに夫婦は2人でロンドンに逃れ、結婚祝いの家具を持ち込んでいた。この夫婦が亡くなった後、家具を入れた部屋では一人で寝ると毒殺される事件が相次いで起こった。1850年ころに部屋は開かずの間になったが、1933年の不況のおり、土地を買いたいという業者が現れたので、現代の当主は売却することにした。そして解体が始まる前に、開かずの間に一晩籠って伝説のように殺されるものを決めようといいだす。
そこでサー・マントリングの通称「赤後家(red widow)」に一族の関係者が集まり(閑だ退屈だという語り手にこの時刻にここに行けばキミを呼び止める者がいるといわれ、そのとおりにすると屋敷に招待され事件に巻き込まれるという冒頭はとてもよい)、トランプのカードをひいて選ぶことになった。ひとくせもふたくせもある連中がポーカーフェイスで札を開けていくシーンはスリリング。最近出入りするようになった精神科医がスペードのエースを引き当てて、部屋にこもる。15分ごとに声をかけるときちんと返事がある。では規定の二時間が過ぎたので出て来いというと、こと切れているのが見つかった。しかも死んだのは1時間も前。いったい誰がどうやって出入りした。この「実験」に関わったものは全員アリバイがある!
高校時代の初読の時にもっとも昂奮したのは古い家にある開かずの間という設定。百年人の出入りがないのに、カギはスムーズに開き、室内はきれいに掃除してある。ここで、おお、といってしまったのは、「グリーン家殺人事件」と「Yの悲劇」を読んでいたからに他ならない。あいにくここには本は収蔵されていなかったが、フランス革命時代の家具は怨念を醸造するに十分である。
この家には何もしないぐうたらがいるが、古代の武器に関心があり、多数の古武器が置いてある。どうやら死因になったクラーレは矢じりから抽出されたものと思われる。さらに最近犬やインコがむごたらしく殺されていて、殺された精神科医がいうように「異常者」が邸内にいるとしか思えない(というのは偏見であるが、1933年当時では問題にされなかった。小栗虫太郎「黒死館殺人事件」
(という感想をもったが、ここは英国怪奇小説の伝統である幽霊屋敷であると考えるべき。)
エンタメなので、登場人物はどれも類型的であるが、それを会話だけで区別できる筆力がカーにはある。上流階級に住まうものは、ジェントルでなければならず、物腰やわらかで丁寧な口調であるのだが、口にする言葉の端々から、気どり・慇懃無礼・皮肉・見下し・ヒステリー・冷笑などの区別がつくのである。こういう会話の妙は日本のエンタメにはまずみられない(地の文で説明してしまうのは本邦作のわるい所)。前にあげた二作が屋敷のひとだけが登場するのに、カーではそうでないキャラも重要になる。家庭医ではない医師がふたりいたり、フランス人の家具専門家が呼ばれていたり。彼らがその家にいる理由も合理的。キャラの配置と役割分担もうまいんだよね。
捜査が進むと一人に容疑が進み逮捕状を出そうというところで殺されてしまう。振り出しに戻る。家にいるものたちは、邸内で喧嘩したり、秘密を暴露しあったりと角突き合わせる。毒の出所が分からなくなる。ますます事態は紛糾し、誰にも容疑がありそうで決定的な証拠も推論も生じない。でも、ひとつのできごとから一気に推論が動き出す。被害者がひげ剃りで傷をつけて洗面台に血がたくさん流れていたという証言がそれ。ここから怒涛の勢いで推理が進行する。前半3分の1までに書かれたさまざまな伏線が犯行の物語に回収されていくさまはみごと。
犯人逮捕のコンゲームや解決のみごとさは、なるほど江戸川乱歩のいうように、カー作品の中で第一級。ここには文句のつけようがないが、400ページの間ほとんど屋敷の中に閉じこもっていて、外に出る機会がないのでどうにも息苦しいな。H・M卿もどたばたをやらないし。チェスタトンみたいな哲学論議もやらないし。最後の3分の1はサスペンスももりあがらず、グダグダ気味です。前半の不可解事件や捜査の緊迫感はよかったのに。再読して評価は少し落ちた。
イギリス上流階級が閉鎖的な密室を作って、貴族的なふるまいをしている中で起きた物語。これはゴシックロマンスの方法で、カーのほとんどは踏襲している。でも、1930年代になると、上流階級はほぼ没落している。本書でもマントリング卿は家を売らなければならないし、係累はのこっていないし。ゴシックロマンスは20世紀前半でも時代遅れだった。そのアナクロを埋める視点や技法はカーにはなさそう。本書で最も生き生きしているのは、フランス革命時のイギリス貴族の冒険を語る時だった。WW2以後になって、上流階級もジェントルもなくなってしまえば(カズオ・イシグロ「日の残り」のように貴族の消滅は執事もなくなることを意味する)、カーは「現代」を書くことができない。「ビロードの悪魔」「火よ!燃えよ」のように探偵小説味を残した歴史冒険小説に移行するのも必然だった、といえる。
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