odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

都筑道夫「三重露出」(光文社文庫)-2

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 サミュエル・ライマンのスパイアクションの物語を中断するかのように、滝口正雄(都筑道夫が使っていたペンネームのひとつ)の楽屋話が挿入される。滝口はS・B・クランストンが書いた「三重露出」の翻訳者。なぜ翻訳したかというと、登場人物に沢之内より子がいるため。彼女は滝口のグループのひとりで、2年前に事件で亡くなっているから。その事件は迷宮入りになり、より子を殺害した犯人は見つかっていない。滝口は小説に触発されて、事件の再調査を行う。
 その事件がおきたとき、より子の家には若者5人が集まって、ブラック・ジャックやインディアン・ポーカーなどのカードゲームを徹夜でやっていた。途中抜けるものもいたが、実質はそれぞれが監視している状態であった。滝口は彼らの証言を聞き集めたが、殺害に関する重要な証言は得られない。また、より子は同じ家にいたが、ゲームの連中とは別室にいて、気付かれずに侵入することは可能だった。それらの情報から滝口は栄子が犯人であると推理し、問い詰めるもはぐらかされる。滝口の推理はほかのメンバーからのおかしなところを指摘される。「つまりおれは、何も見えないし、なにも聞こえなかった、というわけか」という自己嘲笑のところで終了。つまりだれが犯人だったのかわからない。
 滝口正雄はたまたま入手したペーパーバックに、知り合いと同じ名前の登場人物がいるのを発見する。調べると、クランストンに日本の事情を教えたものが事件の関係者で、そのときにより子の生をを使ったのだそうだ。滝口は翻訳作業と同時並行で、調査を開始する。以下は俺の妄想。滝口は、ヨリコの描写を実際の事件に引き付けるように翻訳したのではないか。すなわちヨリコはサミュエルの援助者として現れ、サミュエルが事件に深く関与するように仕向け、最後にはサミュエルを裏切る。そのような心変わりと態度の変化は滝口からみたより子だったのではないか。滝口が語り手のパートでも、より子は「運命の女(ファム・ファタール)」であって、誰からも羨望されるが、誰かの庇護にはいることをしない自尊心の強い女性。滝口はほんろうされたのではないか。なにしろ滝口は妻がいて離婚している。相手の名前は書かれない。もしかしたら、相手はより子だったのでは。滝口は事件当夜の出来事でアリバイを主張している。その夜、突発的な仕事で60枚の翻訳を仕上げたのだと。これは滝口がいっているだけで、検証されていない。実行できるひとりに入っているのだ。では動機は? 本文中に気になる言葉が滝口からでている。「女に捨てられた男のうらみ」。滝口はとても強い容疑者なのだ。当の容疑者の書いたパートではあいにく名探偵がいないし、書いた本人の信頼性も低いのでここまでしかいえない。
講談社大衆文庫版では、どこかのミステリ研究会にいるだれかが滝口が真犯人とする解説を書いていた。おれのこの妄想も解説に影響されていそうだ。ちなみに、「三重露出」の前作「猫の舌に釘を打て」の犯行動機も「女に捨てられた男のうらみ」だった。) 
 でタイトルの「三重露出」だが、よくわからない。翻訳スパイアクションと一人称探偵小説が同じ本に「露出」しているのだが、もう一つはなんだろう。上の講談社大衆文庫版は「猫の舌に釘を打て」も収録されていたので、解説にあるようにもうひとつは「猫の舌に釘を打て」かもしれない。(昭和40年代に単行本になったときに、「三重露出」は「猫の舌に釘を打て」と合本になっていたそうなので、それを踏襲しただけともいえる。)
 このころ(1960年前後)の小説は、読者を不安なままにするものがあって、何とも油断ならない。

 

    

 

 光文社文庫には「わが小説術(抄)」が収録されている。どうやら単行本にはなっていない模様。都筑センセーの作法が開陳されているので、メモ。
・書き出しに工夫せよ。1ページ目の文章はきわめて大切。
・覚えやすく印象に残る名前を付けるには、姓と名と両方とも凝ってはならない。しかも口にしやすくなければいけない。姓が美しい時は名をやぼったく、姓がやぼったい時は名を凝る。例: 明智小五郎金田一耕助
・うまい小説家になろうとして、同じ言葉をある範囲(400字、200字など)で繰り返さないというルールで書いたことがある。
・安易な短縮語を使わない(前がNGで後ろがセンセーの使う言葉。CD→コンパクト・ディスク、ポケベル→ポケットベルなど。例に挙げた商品がほとんど市場からなくなろうとしているとき、センセーの作法のほうが後続の読者には親切だ。)

都筑道夫「暗殺教程」(光文社文庫)

「TULIP (「チューリップ」、The Undercover Line of International Police) はニューヨークに本部を置き、世界各地に支部を持つ腕利きの対謀略組織である。そこで働くエージェントは、スパイキャッチャーと呼ばれている。国際謀略叛乱グループ TIGER (「タイガー」、The International Group of Esplionage and Revolt) と対決するTULIP日本支部のスパイキャッチャー、コードネームJ3こと壇俊介の物語である。」

ja.wikipedia.org


 wikiの記述はテレビドラマのもの。

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 小説の主人公は吹雪俊介。東名高速道路(できたばかり)をコルベットスティングレーで疾走中、何者かの襲撃を受ける。撃退した後、吹雪は名古屋のカジノで、続いて都内で、謎の組織がTulipせん滅を目指していることがわかる。続いて郡山のスキー場で、那須の当たりの山中で待ち伏せにあう。そのころには敵はTIGERであることがわかり、アジトは香港にある。単独で潜入した吹雪は現地のエージェントの協力を得て捜査を開始するが、とらえられマカオの遊園地に閉じ込められる。そこで暗殺者たちの襲撃を潜り抜けるゲームをすることになる。相手の思惑を外したもののとらえられ、秘密裏に瀬戸内海の孤島に連れ込まれる。そこで敵のボスとの最終決戦・・・。
 懐かしいなあという既視感があったのは、ここに惜しげなく投入されたギミックや設定がのちのセンセーの冒険小説を思い起こさせるからだ(今回の再読は後の作からさかのぼるように読んでいるため)。あげてみるだけでも「なめくじに聞いてみろ(敵の設定と侵略意図がTIGERとよく似ている)」「闇を喰う男」「未来警察殺人課」「銀河盗賊ビリイ・アレグロ」「暗殺心」「翔び去りしものの伝説」など。中短編にもありそうだが、個々のタイトルを思い出せない。
 作者は「ミステリ・マガジン」編集長時代にフレミングの007シリーズを本邦に初紹介した。若い時から時代小説や講談ものでこういうアタック・アンド・カウンターアタックの小説を書いていた。それらの知恵と技術を組み合わせた本作はうまくはまった。味方と敵のバランスが良い。たいていの冒険アクション小説では前半敵が強すぎ、後半無敵になってしまうから。のちの作からすると、主人公は葛藤のないスーパーマンなので、小説は表層的なのだが、これほど面白ければよいでしょう。
 雑誌連載(1965-66年)のために、アクションと冒険が連続し、状況を把握するためのダレ場がないので、読み疲れてしまう。そこだけが欠点。まるでいいがかりのようだな。後半、香港に侵入してからは吹雪の独擅場になって、前半のTulipのチームワークがなくなったのは残念と思っていたが、それは最後の謎解きにかかわっていたのを知ると、欠点ではなくなる。
 1965年ころの風俗は今からすると古びている(首都高が混んでいないとか、郡山へは下道でしかいけないとか)けど、「三大怪獣 地球最大の決戦」「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣」や「ウルトラマン」などの雰囲気を思い出せばいい。(とはいえ、スキーのスピード記録保持者として、三浦雄一郎の名前が出ていて、2019年現在でご健勝というのが驚き。)

 併録はシナリオ「スパイキャッチャーJ3 SOSポラリス潜水艦」。テレビドラマ用。この台本は使われなかったらしい。なるほど、当時のテレビや映画ではこのシナリオを映像化するのはできなかった。また敵の計略の大きさに十分なだけの登場人物がいないのもうまくない。ここらのバランス加減はむずかしい。ちなみに、都筑道夫「ドラマ・ランド」(徳間文庫)にはスパイキャッチャーJ3原案が収録されていて、その第1話が同じ「SOSポラリス潜水艦」。こちらは梗概なので、趣向を凝らすには枚数が足りない。こちらのシナリオのほうがおもしろい。 

 

都筑道夫「哀愁新宿円舞曲」(ちくま文庫)、「猫の舌に釘を打て」(光文社文庫所収)

 光文社文庫都筑道夫コレクション「青春篇」に収録されている版で読んだ。併録は「猫の舌に釘をうて」。
 初出がかいていないので、このサイトに載っている年月をいれた。単行本になったのは1974年。
都筑道夫 短篇リスト(一段落版)

www7b.biglobe.ne.jp


娼婦の町 1973.04 ・・・ 昭和48年に40代後半のおとこたちが昭和20年代の新宿を思い出す。映画、居酒屋。おでん屋。そして区役所通りにいた娼婦たち。20年前から様変わりして、人も入れ替わった街をなつかしむ(しかし2019年に1990-2000年ころの新宿を思い出すと、ほとんど変わっていない。店は入れ替わったが、ビルは同じまま)。

歌舞伎町夜景 1971.07 ・・・ 赤線廃止の売春防止法施行の前年(昭和32年)の歌舞伎町の娼婦たちの一夜。親の仕送りに汲々とするもの、覚醒剤の中毒者など。都筑という探偵小説の翻訳をしている青年が登場。筋はないようにみせて、最後に強烈な印象を残す技術。

風のたたずむ窓 1961.05 ・・・ 阿佐ヶ谷から新宿に越してきたワイ本作家。神社の狛犬にまたがって死んでいる男をみている。そこから始まる殺しまでの述懐。1950年代の新宿に暮らす青年が書いた「おとなしい女(@ドストエフスキー)」。もちろん最後にひっくり返しがある。

トルコ・コーヒー 1973.02 ・・・ 昭和40年代のトルコ(風呂)の様子。40代のしょぼくれたサラリーマンが妻の眼を盗んで、サービスを受ける。「本番」「おスぺ」等の言葉はすでにあった。

狂犬日記 1972.12 ・・・ サイコパスの書いた手記と一視点三人称のテキストが交互にならぶ。殺人嗜好のある人物が巴という若い女性に目をつけていた。実行するつもりで部屋にはいったらすでに考えていたのと同じやり方で殺されていた。いわゆる叙述トリック。そういう言葉はなかったころに、センセーはすでに実作していた。

手紙の毒 1973.03 ・・・ アパート暮らしの女子大生がふしだら(死語)をしているという匿名の忠告高脅迫の手紙。父は激怒し、知り合いの若者に調査を依頼。それぞれの書く手紙で顛末がつづられる。19世紀の手紙小説が20世紀に復活。手紙小説にリアリティのあった最後の時代だろう。

HgCl2 1970.06 ・・・ 調剤屋がうがい薬にホウ酸と間違えて塩化水銀(昇汞)を入れてしまった。飲むと死んでしまう。パトカーやラジオで注意を促す。すると、調剤屋にはいたずらがきて、ニュースを使って何ごとか起こそうとする便乗犯もでて。大きくなった騒ぎをしゅるっとまとめる技を楽しむ。

乳房のあるサンドイッチ 1972.01 ・・・ 探偵趣味のあるマンションの管理人。盗聴器の音声を聞いて、殺しの準備が進んでいるといいだす。秘書兼お目付け役は管理人の言いつけ通りに監視に励む。深夜、関係者があつまって公園でひと悶着。探偵道楽のぼっちゃんを行動的なお目付け役が見守るというのは、もどきシリーズやものぐさ太郎シリーズ(この短編が最初のようだ)。

小説・大喜利 1973.03 ・・・ 落語は「ひとりで演じるストーリーを持った笑いの話術」。

穴だらけ ・・・ 一幕の戯曲。アパートに住む20代の夫婦。けんかをして男が残る。そこに妻の妹が来て、隣の部屋に不幸があって部屋を控室に提供すると、死んだ男は会社の金を使い込みしていて・・・。狭い部屋に人が来るごとにもめ事が起きていく。もっとも大きな悪を犯したのはだれか。

 

 最初の4編は新宿を舞台にしているが、あとのは場所が書かれていない。そういう点ではタイトルと中身に齟齬がある。解説によると、光文社文庫に載るまでの30年ほどは文庫化されていなかった。そうなる理由はわかる。新宿を舞台にした短編はちょっと落ちて、後半の場所を特定しない短編のほうがおもしろい趣向。そこでもタイトルと中身に齟齬があった。
 センセーと新宿はあわないなあ。戦前は畑と林だったのが、戦後に開けたので、歴史がない。戦争の記憶を持たない。昔を知っている老人や代々の店というのがない。過去につながる手がかりがないのだ。そのうえ新宿は急速に変化していった。闇市バラックだったのが、飲み屋とアパートになり、ビジネスビルに高級ホテルができる。人々はそこに暮らすのではなく、やってきては帰っていく。土地に根差すものがほとんどない(かわりに隣接する新大久保のコリアンタウンに歴史とその場所に根差す人がいる)。
 若いころにはセンセーも住んでいたようだが、早い時期(昭和30年代)に離れてしまった。この短編集から数年後になって、ようやく浅草と架空の町・多摩由良を見つけて、都市を描くようになる。

 

 以下は独立短編。作家の私生活や半生が反映しているものが選ばれている。
蛇 1977? 1979? ・・・ 子供のころに藁の蛇を持っていたら、お姉ちゃんの具合が悪い。藁の蛇を駆ってくるがすぐに消える。お姉ちゃんが死んだとき、胸に古い藁の蛇があった。大人になってから推理した。

随筆のかけなくなったわけ 1961.07 ・・・ は書斎で書いているところにある男が書いたばかりの随筆の話題で弾劾したからであって・・・。得体のしれない闖入者のせいで、作者の日常とフィクションの境が不分明になる。

雑談小説こねこのこのこねこ 1991.03 ・・・ 都筑道夫「デスマスク展示会」(光文社文庫)所収。タイトルの由来は「子子子子子子子子子子子子(ねこのここねこ ししのここじし)は、日本の言葉遊びである。「猫の子仔猫、獅子の子仔獅子」と読む」から。夏目漱石吾輩は猫である」、ホフマン「牡猫ムルの人生観」、谷崎潤一郎「猫と庄造と二人のおんな」、大佛次郎赤穂浪士」、シムノン「猫」。

 

 2021年7月にちくま文庫で復刻された。