odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

江戸川乱歩「白髪鬼」(古典名作文庫) 寝取られ男は優れた心理家になるが、社交界がない日本では復讐計画はちゃちになる。

 九州S市出身の大牟田敏清。彼は大名家の生まれであるが、今は終身懲役の咎についている。いったい何が起きたのか。1870年前後の生まれと思える大牟田は大学で洋画の川村義雄と出会い、帰郷してから一緒に住むようになる。地元の評判の美女・瑠璃子に惚れ、結婚することになった。しばらくすると奇妙なことに瑠璃子は胸にできものがあると1年近く湯治をしてしまう。ようやく帰り、3人でピクニックにいったところ、がけ崩れにあってしまう。目が覚めたのは大牟田家の洋風墓地の中(土葬の時代)。5日間閉じ込められた末に、白髪の老人に変貌してしまう。墓地の中には清時代の海賊の財宝があった。それを元手に二人に復讐を誓う。まずは上海に飛び、別名の別人になりきるのだ。そして帰国後には成金と名乗って、川村と瑠璃子に近づく。彼らの秘密を手に入れ、彼らの希望を先回りして打ち砕き、失意の末に復讐を遂げるべく画策するのである・・・。


 元はマリイ・コレルリの「ヴェンデッタ」1886年。のちに黒岩涙香が「白髪鬼」1894年の名で新聞連載した。乱歩は幼少期から黒岩涙香版を好んでいた。そこで黒岩家の了解のもとに翻案をさらに翻案した。事情はwikiで。

ja.wikipedia.org


 コレルリの「ヴェンデッタ」は平井呈一の翻訳があり、黒岩涙香の「白髪鬼」も国会図書館デジタルコレクションで読める。異同をみたい気持ちがあるが、実行する気力には欠けているので、ここでは乱歩版についてだけ。
 なるほど乱歩が好きそうな犯罪小説だったなあ、というのが最初の感想。乱歩にはいくつもの偏愛する趣向がある。そのほとんどが「白髪鬼」につめこまれている。なので、乱歩の「エログロ」趣味の博物館のよう。いくつもの乱歩自作とリンクを貼ることができる。ここに出てくる趣向は、「早すぎた埋葬」「洞窟からの脱出」「洞窟の奥に隠された財宝」「別人に成り代わる」「科学的な変装術」「妻に振られ妻から求婚される」「覗き見・隙見・ピーピング」「復讐のためだけに建てられた洋館」「エロとグロのユートピア」「死者・怪人を映し出す幻燈」などなど。どれも、すぐに乱歩のどの小説かおもいあたるでしょう。
 主人公・大牟田は女嫌いを自称している。彼の興味は美男子。なので性的な関心は男に向いている。それが美女と出会うと一気にのめりこむ。エログロの行き着く先は被虐嗜好。大牟田は瑠璃子の奴隷であると自称する。似たようなキャラにドスト氏の「白痴」の主人公の一人ロゴージンがいた。彼もまたナスターシャに一方的に惚れて強引に結婚したすえ、彼女の奴隷のように生きた。そして彼女が自分のものでなくなったら、ロゴージンはナスターシャを殺したのだった。大牟田の心情の移り変わりはほぼロゴージンに重なる。乱歩版「白髪鬼」では、瑠璃子が一年以上湯治をして大牟田を離れたことが復讐の大きなきっかけになった。自分の感想では妻の寝取られと偶然の事故を装った殺人は復讐の動機にはならない(さっさと司法に渡して法で処罰すればよい)。でも復讐という時間がかかることを行ったのは、そこにもうひとつの理由が存在したと考えたい。たぶん大牟田はロゴージンと同じく不能(インポテンツ)。そこをなじられることは強い家父長制の持主である九州男児の大牟田には耐えがたい屈辱であったのだ。と妄想。
 早すぎた埋葬により早すぎた老化を経験した大牟田は、他人に無関心な坊ちゃんから、他人の心理をよく読む観察者に変貌する。上海で準備したさまざまな変装術や別人になる特訓よりも大きな変貌が大牟田に訪れたのはここにおいて。過去の経験を何度も反芻して思い出すことによって(よく抑うつ状態にならなかったね)、大牟田は他人の心理を細部まで読むことができるようになる。ドスト氏の小説でも寝取られ男はたいてい心理家だった。屈辱体験が人をかえたわけだ。
 実際に復讐計画のために、大牟田は上海に渡り、さまざまな変装術をほどこし、言動の癖を矯正する。そうやって別人になる。変装願望は乱歩の好きな性癖。これも実作やエッセイでたくさん書いている。まら1930年前後の上海は欧米各国と日本の軍隊が駐留していて、中国の主権が及ばない場所。だからこそ、外見や行動だけでなく、住民票や戸籍までいじることができた。国内にはそんな場所はなく、植民地だからあった。
 帰国後の復讐は、自分にはちょっとトーンダウン。というのはデュマ「モンテ・クリスト伯」という大傑作があるため。たんに暗殺しても復讐にはならない。相手もまた金にあかせて別人になっているのだから、公の場で恥をかかせ、過去の悪行をあばき、おおいに恐怖させなければならない。でも、日本にはフランスの社交界に当たるものがない。誰が集まっているのかわからないサロンや社交場で衆人のまえで恥をかかせることができない。そのうわさが社交界全体に広がり、復讐の相手が外に出られなくなるという事態が起きない。資本主義の競争を使って相手を破産させることができない。なので本作の復讐計画はちゃち。
 ブッキッシュなところをいうと、大牟田が再び瑠璃子と結婚することになったとき、瑠璃子は大牟田がいつもつけている黒眼鏡をはずしてと懇願する。相手が隠していることを婚姻前には知りたがる。それは禁断の質問で、問い続けることは相手を失うことと同じ意味。ワーグナー「ローエングリン」を思い出そう。結婚式はキリスト教会で行われる。1931年当時では町内会でやるか、結婚式場で神前結婚式を挙げるかなので、教会を式場にするのはとても珍しい。結婚式ののち、大牟田は私の秘密を打ち明けようといって地下室に瑠璃子を誘う。秘密の財宝を見せて力を誇示する。まるで自分の不能の男根の代わりに宝石を見せつけるかのよう。バラージュ-バルトークの「青ひげ公の城」を思い出そう。最後はエドガー・A・ポーの「アモンティリヤードの樽」。原作はもっとねちねちとした復讐が長い時間かけて行われるのを書いているだろう。そっちが善いと思うが、読むのは困難。うーん。
 書かれたのは「吸血鬼」のあと。この前に「魔術師」が書かれている。「魔術師」を復讐鬼の視点でリライトしたのが本作といえるかな。上海逃亡中に、大牟田家の洋風墓地に財宝を隠した海賊と邂逅する。印象深いシーンなのに、のちに使われなかったのは残念。そういえば明智小五郎は「一寸法師」事件の前後に上海に赴いていた。もしかしたら邂逅していたかも。(というより、この時期には上海には日本軍が常駐していて、ほとんど国内旅行の気軽さで日本人は渡航していたようだ。)

 

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江戸川乱歩「名探偵明智小五郎全集」-5「人間豹」「悪魔の紋章」「暗黒星」「地獄の道化師」 ファシズム下の「健康」な社会では明智に対抗する悪役はもういない。犯罪捜査に当たる探偵は精彩を失う。

 昭和10年代の明智小五郎冒険譚。吉川英治や山本周五郎のような翼賛大衆小説は奨励される。乱歩のように犯罪やエログロによって人間の醜さを描くようなものは抑圧された。1936年の226事件のあと、明智は急速に精彩を失っていく。明智が色あせていくので、悪役がいっしょうけんめいに踊る。しかしファシズムや軍国主義が要求する「健康」な社会では道化とみなされ、バカにされるしかない。

人間豹1934 ・・・ 今回の悪役は獣人。次第に人間離れしていって、悪役の設定がどんどんエスカレートしていく。いずれアンドロイドや宇宙人を相手にするのではないか(ジュブナイルで実現)。サマリーと前回の感想は以下のエントリー。
江戸川乱歩「人間豹」(講談社文庫)
 再読の感想はだいたい同じ。恩田=人間豹が行うのは三角関係のライバルの恋人を拉致監禁し、折檻することだけ。宝石、現金、美術品などには眼もくれない。ライバルが嫌がることをしたいだけ。恋人を折檻するのはライバルの鼻を明かすため。彼女の愛を獲得しようなどをはいっさい目的にしていない。獣人は猛烈な嫉妬の持主。なので反省しないし失敗を悔いることもない。
 それは彼の心理の核になるものがないからで、がらんどう。なので誰にでも変身・変装できる。実際に人間豹はコスプレを楽しむ。たんに自分でない誰かに成り代わることを楽しむのではなく、明智に見せつける。芝居の役者であろうとする。クライマックスが熊の着ぐるみvs豹の対決なのがそう。集客し口上をのべて見世物を開始する。彼はこの小説全体の脚本家で演出家で主演俳優(かつプロデューサー)。全部やり切ったら舞台から退場した。
(メモ。「江川蘭子」は1930年に雑誌「新青年」に連載したリレー連作小説のタイトル。乱歩は第1回を担当。)

悪魔の紋章1937-38 ・・・ 東京市には明智と並んで宗像博士が探偵事務所を開いていて繁盛している。今回の仕事は、精糖会社社長の川手氏に向けられた脅迫状。彼の二人の娘が誘拐され、のちに衛生博覧会やお化け屋敷に死体が展示されていた。そのうえ、博士の助手が二人も捜査中に殺されている。ついに川手氏にも死の予告が届いたので、博士は山梨の一軒家に隠れることを提案する。しかし悪漢は二人の秘密の行動を知っていて、先回りしていた。川手氏も誘拐され、「早すぎた埋葬」の折檻を受けることになる。川手氏を狙う悪漢は、世にも珍しい三重渦状紋の指紋を持っていた。この指紋が川手氏の周囲に現れている。容疑者が宗像博士によって見つかり、二人とも自殺したのが発見された。そこにおいてようやく明智探偵登場。警部から事件の説明を聞くと、さっそく動き出した……。意外な犯人の趣向。読みなれている読者には上のサマリーだけでまるわかりだが、1930年代の読者には驚愕の真相であった(と思いたい)。ここでも犯罪の動機は復讐。過去の、それも40年前の事件が発端。これは遡りすぎ。しかも川手氏当人に理由があるのではなく、父が起こしたもの。これが緻密な計画を持った復讐の動機になるかというと、どうも時代離れにすぎる。「白髪鬼」くらいに直近のできごとなら、まだ納得できるのだがねえ。なお一軒家に連れ込んでからの復讐は「白髪鬼」とほぼ同じ。アイデアの枯渇を感じそう。
今回の明智のライバルは、彼に恋ごころを持っていない。むしろ明智が東京市に不在なのを知って犯行を開始したくらいに、明智と距離を置こうとしている。なので明智はライバルに対して憐憫や温情を感じることはない。とても冷たい。この冷淡さが小説そのものをひんやりとさせていて、最後のページに至ってもカタルシスを得ることがない。
乱歩は指紋にも興味を持っていて、このころから独自に調べていたようだ。調査結果は昭和25年1950年の「明治の指紋小説」に結実した。エッセイ集「探偵小説の謎」所収。
 「暗黒星」1939.1-12と「地獄の道化師」1939.1-12は既読。以下のエントリーを参照。
2016/07/29 江戸川乱歩「暗黒星」(講談社文庫) 1939年

 

 探偵は国内に居場所がなくなる。実際に乱歩は明智小五郎ものを避けて、翻案もの(「白髪鬼」1931、「緑衣の鬼」1936、「幽霊塔」1937,「鉄仮面」1937、「幽鬼の塔」1940)に時間を割く。
 「悪魔の紋章」事件では朝鮮の京城で事件を扱っていた。そこには植民地を拡大するために、周囲の「敵」と戦う準備をするために、探偵が必要とされた。明智は京城の事件より「悪魔の紋章」事件のほうがおもしろいという。でも、国内では明智に対抗しようとする悪役はもういないのだ。「地獄の道化師」事件のあとは、明智の(疑似)一家は朝鮮に渡ってしまったのか、敗戦まで消息不明になる。

 

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2026/06/02 江戸川乱歩「名探偵明智小五郎全集」-6「化人幻戯」「影男」「月と手袋」 敗戦で二回目の転向をした明智小五郎は江戸川乱歩のカリカチュア。 1954年に続く

江戸川乱歩「三角館の恐怖」(創元推理文庫)-2 日本のタテ社会では遺産相続を動機にしたいざこざは起こらない。

 戦後に「エンジェル家の殺人」を翻案した「三角館の恐怖」を再読。発表の1951年は占領期で、外国語書籍の翻訳は困難。長編の依頼を受けた江戸川乱歩はオリジナルはダメだが、翻案ならできると、出版社に著者の許諾を取るよう依頼して実現したらしい。それぞれのサマリーは下記エントリー参照。
2012/03/30 ロジャー・スカーレット「エンジェル家の殺人」(創元推理文庫) 1932年
2016/07/28 江戸川乱歩「三角館の恐怖」(創元推理文庫) 1951年


 蛭峰家先代は資産を残したが、双子の兄弟に長生きしたほうが総取りという遺言を残した。資産の管理会社が上手く運用して配当を彼等に渡すので、生活は楽。以来半世紀近くがたち、兄は衰弱。父の遺言は破棄して親権者に当分にしようと提案する。そしたら、まず頑健な弟が射殺。遺言を残した兄は密室のエレベーターで刺殺された。兄にはぐうたらな二人の兄弟。弟には娘と婿入りした実業家がいる。探偵は遺言書を利用して、犯人にコンゲームを仕掛けた。
 というのが大筋。江戸川乱歩はスカーレット「エンジェル家の殺人」に大感激した。エレベーターの密室殺人はトリックがちゃち(それに事件の直後にすぐ解決)。深夜の暗い西洋館を歩き回る犯人(もしかしたら車椅子利用者かも)の恐怖は深堀りされない。キャラは類型的。俺が見るに優れた所は動機の隠し方かな。上のサマリーそのものが目くらましになっている(真の動機にも触れている)。ここはなかなか健闘。
 でも、人生三回目か四回目の読み直しとなると、乱歩ほどの感激には至らなかった(乱歩も後年「エンジェル家の殺人」の評価を落していって、初読直後は探偵小説ベスト4にいれたのが、のちの長編探偵小説30選では黄金時代の番外に落とした)。たとえば、兄の子供はふがいない社会不適応者で、ニヒリストと女たらしとされる。日本にはニヒリストはいないし、人前で口説くような女たらしもいないのだ。あと、事件は死者の意図が現在の犯罪の理由になっているところ。イギリスでは遺言書の効能は強くて裁判所でもひっくりかえせないのであるが、日本のタテ社会では契約書より情が優先。後継ぎを決めずに子分に総取りすることを許さない。亡父のような意向があったら、子分は裏切る。かりに遺言書があっても残された一族の合議によって覆されてしまう。
 死者の意図が現在の殺人の理由になっているというのは、横溝正史の「獄門島」もそう。こちらでは乱歩の翻案のような齟齬はみつからない。正史は日本のタテ社会をよく知っていた。乱歩は日本社会の仕組みには鈍感。

 

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