九州S市出身の大牟田敏清。彼は大名家の生まれであるが、今は終身懲役の咎についている。いったい何が起きたのか。1870年前後の生まれと思える大牟田は大学で洋画の川村義雄と出会い、帰郷してから一緒に住むようになる。地元の評判の美女・瑠璃子に惚れ、結婚することになった。しばらくすると奇妙なことに瑠璃子は胸にできものがあると1年近く湯治をしてしまう。ようやく帰り、3人でピクニックにいったところ、がけ崩れにあってしまう。目が覚めたのは大牟田家の洋風墓地の中(土葬の時代)。5日間閉じ込められた末に、白髪の老人に変貌してしまう。墓地の中には清時代の海賊の財宝があった。それを元手に二人に復讐を誓う。まずは上海に飛び、別名の別人になりきるのだ。そして帰国後には成金と名乗って、川村と瑠璃子に近づく。彼らの秘密を手に入れ、彼らの希望を先回りして打ち砕き、失意の末に復讐を遂げるべく画策するのである・・・。

元はマリイ・コレルリの「ヴェンデッタ」1886年。のちに黒岩涙香が「白髪鬼」1894年の名で新聞連載した。乱歩は幼少期から黒岩涙香版を好んでいた。そこで黒岩家の了解のもとに翻案をさらに翻案した。事情はwikiで。
コレルリの「ヴェンデッタ」は平井呈一の翻訳があり、黒岩涙香の「白髪鬼」も国会図書館デジタルコレクションで読める。異同をみたい気持ちがあるが、実行する気力には欠けているので、ここでは乱歩版についてだけ。
なるほど乱歩が好きそうな犯罪小説だったなあ、というのが最初の感想。乱歩にはいくつもの偏愛する趣向がある。そのほとんどが「白髪鬼」につめこまれている。なので、乱歩の「エログロ」趣味の博物館のよう。いくつもの乱歩自作とリンクを貼ることができる。ここに出てくる趣向は、「早すぎた埋葬」「洞窟からの脱出」「洞窟の奥に隠された財宝」「別人に成り代わる」「科学的な変装術」「妻に振られ妻から求婚される」「覗き見・隙見・ピーピング」「復讐のためだけに建てられた洋館」「エロとグロのユートピア」「死者・怪人を映し出す幻燈」などなど。どれも、すぐに乱歩のどの小説かおもいあたるでしょう。
主人公・大牟田は女嫌いを自称している。彼の興味は美男子。なので性的な関心は男に向いている。それが美女と出会うと一気にのめりこむ。エログロの行き着く先は被虐嗜好。大牟田は瑠璃子の奴隷であると自称する。似たようなキャラにドスト氏の「白痴」の主人公の一人ロゴージンがいた。彼もまたナスターシャに一方的に惚れて強引に結婚したすえ、彼女の奴隷のように生きた。そして彼女が自分のものでなくなったら、ロゴージンはナスターシャを殺したのだった。大牟田の心情の移り変わりはほぼロゴージンに重なる。乱歩版「白髪鬼」では、瑠璃子が一年以上湯治をして大牟田を離れたことが復讐の大きなきっかけになった。自分の感想では妻の寝取られと偶然の事故を装った殺人は復讐の動機にはならない(さっさと司法に渡して法で処罰すればよい)。でも復讐という時間がかかることを行ったのは、そこにもうひとつの理由が存在したと考えたい。たぶん大牟田はロゴージンと同じく不能(インポテンツ)。そこをなじられることは強い家父長制の持主である九州男児の大牟田には耐えがたい屈辱であったのだ。と妄想。
早すぎた埋葬により早すぎた老化を経験した大牟田は、他人に無関心な坊ちゃんから、他人の心理をよく読む観察者に変貌する。上海で準備したさまざまな変装術や別人になる特訓よりも大きな変貌が大牟田に訪れたのはここにおいて。過去の経験を何度も反芻して思い出すことによって(よく抑うつ状態にならなかったね)、大牟田は他人の心理を細部まで読むことができるようになる。ドスト氏の小説でも寝取られ男はたいてい心理家だった。屈辱体験が人をかえたわけだ。
実際に復讐計画のために、大牟田は上海に渡り、さまざまな変装術をほどこし、言動の癖を矯正する。そうやって別人になる。変装願望は乱歩の好きな性癖。これも実作やエッセイでたくさん書いている。まら1930年前後の上海は欧米各国と日本の軍隊が駐留していて、中国の主権が及ばない場所。だからこそ、外見や行動だけでなく、住民票や戸籍までいじることができた。国内にはそんな場所はなく、植民地だからあった。
帰国後の復讐は、自分にはちょっとトーンダウン。というのはデュマ「モンテ・クリスト伯」という大傑作があるため。たんに暗殺しても復讐にはならない。相手もまた金にあかせて別人になっているのだから、公の場で恥をかかせ、過去の悪行をあばき、おおいに恐怖させなければならない。でも、日本にはフランスの社交界に当たるものがない。誰が集まっているのかわからないサロンや社交場で衆人のまえで恥をかかせることができない。そのうわさが社交界全体に広がり、復讐の相手が外に出られなくなるという事態が起きない。資本主義の競争を使って相手を破産させることができない。なので本作の復讐計画はちゃち。
ブッキッシュなところをいうと、大牟田が再び瑠璃子と結婚することになったとき、瑠璃子は大牟田がいつもつけている黒眼鏡をはずしてと懇願する。相手が隠していることを婚姻前には知りたがる。それは禁断の質問で、問い続けることは相手を失うことと同じ意味。ワーグナー「ローエングリン」を思い出そう。結婚式はキリスト教会で行われる。1931年当時では町内会でやるか、結婚式場で神前結婚式を挙げるかなので、教会を式場にするのはとても珍しい。結婚式ののち、大牟田は私の秘密を打ち明けようといって地下室に瑠璃子を誘う。秘密の財宝を見せて力を誇示する。まるで自分の不能の男根の代わりに宝石を見せつけるかのよう。バラージュ-バルトークの「青ひげ公の城」を思い出そう。最後はエドガー・A・ポーの「アモンティリヤードの樽」。原作はもっとねちねちとした復讐が長い時間かけて行われるのを書いているだろう。そっちが善いと思うが、読むのは困難。うーん。
書かれたのは「吸血鬼」のあと。この前に「魔術師」が書かれている。「魔術師」を復讐鬼の視点でリライトしたのが本作といえるかな。上海逃亡中に、大牟田家の洋風墓地に財宝を隠した海賊と邂逅する。印象深いシーンなのに、のちに使われなかったのは残念。そういえば明智小五郎は「一寸法師」事件の前後に上海に赴いていた。もしかしたら邂逅していたかも。(というより、この時期には上海には日本軍が常駐していて、ほとんど国内旅行の気軽さで日本人は渡航していたようだ。)
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