ここでは第29話から第35話までを読む。
綺堂によると、江戸時代の人びとは妖怪や怪物の存在を信じていた。落雷が起こると雷獣が堕ちて暴れ、置いてけ堀では妖怪が人を呼び寄せ、タヌキは人を化かすのである。たいていの人は事件と妖怪が結びつくとそこで探求はおしまい。神社や社の民間信仰にお参りして拝んで、祟りが広がらないように祈った。でもなかには世の中の神秘を信じない人がいる。ここでは半七や奉行所の面々がそう。怪異が起きてそれを妖怪のせいにするのはとりあえずよしとしても、人びとの口の端にのぼり、パニックが広がるのは治安によくない。なので、もう一押しの探索をする。そこで見つかるのは、怪異を利用した人びとの思惑。以下の短編の多くがそう。
怪異を語る怪談と事件の謎解きをする探偵小説はとても近い。上のような人々が怪異を調べて、実は人間の仕業と解明するのが探偵小説。

熊の死骸(第二十九話) ・・・ 弘化二年1845年。江戸の大火事。逃げる途中に荒熊。娘を襲おうとしたのを風呂屋の青年が助ける。自分は傷を負う。熊の死骸消える。しばらくして娘は療養で別宅に移ったが、そこで殺されてしまった。娘は熊の毛を握っていた。この後の展開はご都合主義があるが、謎解きはなかなかに鋭い。複数人が勝手な思惑で動いていたので、事件が複雑になった。
あま酒売(第三十話) ・・・ 安政四年1857年。夜にしか商売をしない婆さんの甘酒売りがいる。その女ににらまれると七転八倒の苦しみでねこんでしまう。半七は甘酒を卸している問屋から調べることにしたが、たしかに婆さんは仕入れに来るが、どこの誰とは知れない。ある下女が怪しいとにらんだところで娘は殺され、甘酒売りの婆さんも名を明かせない武士に切り殺される。怪談と思われる事件を合理的に解くのが探偵小説だが、大正時代(たぶん)の作では怪異はあるものとされた。小説には現れないが、設定は部落差別にほかならない。微妙な作。
張子の虎(第三十一話) ・・・ 文久二年1862年。大泥棒の捕物の際に、遊郭の女が手元の草履をなげて、岡っ引きを助けた。これは忠義と、表彰され、店は大賑わい。それから二年後、女が絞殺されたのが見つかった。客を締めてもなにもでてこない。半七は女の友人を訪ねるところから始める。ぜんぜん無関係な話があとでつながる妙。
海坊主(第三十二話) ・・・ 安政二年1855年。品川に潮干狩りにいくと、襤褸を着て乱れ髪の男がうつろな顔つきでほっつきあるき、人が差し出す酒や飯を食らう。天をみて具風が来る、大雨になるとわめく。天は青いのであるが、突如風が吹き大雨になった。騒ぐと姿が消えている。半七は似た男が江戸をうろつき物置小屋に住み着いているらしいのを知る。犯罪がないのに探偵小説が成り立つ。都筑道夫「なめくじ長屋」のメンバーであるカッパの由来がここ。
旅絵師(第三十三話) ・・・ 隠密が御庭番と呼ばれるいわれを語る。文政四年1821年にある若い武士が御庭番となって、奥州のある藩を内定することになった。先主の不審死、その後の内紛の理由を探るのだ。絵心があるので、絵師を名乗ってある商家に長逗留する(昔の絵師、俳諧師などはこう。小さい仕事を受けおって小銭をためて、また旅にでる)。家老から掛け軸の仕事をもらうがなかなか書けない。商家の娘がうるさくつきまとう。そのうえ商家の旦那は切支丹のマリア像を模写しろという依頼され来る。人情と任務のがんじがらめ。武士は苦悩する。
雷獣と蛇(第三十四話) ・・・ 慶応元年1865年の雷獣さわぎ。文久三年1863年の蛇さわぎ。町のものをよく知っている半七はすぐに目星をつける。江戸のころから不良少女がいて、家出して、掏摸や窃盗で暮らしていたという。それより、江戸の夏の思い出が記憶に残る。
夕立について。
その夕立のきびきびしていることは、今云うように土砂ぶりに降ってくるかと思うと、すぐにそれが通り過ぎて、元のように日が出る、涼しい風が吹いてくる、蝉が鳴き出すというようなわけでしたが、どうも此の頃の夕立は降るまえが忌に蒸して、あがり際がはっきりしないから、降っても一向に涼しくなりません。やっぱり雷が鳴らないせいかも知れませんね
甘酒について
甘酒は江戸の夏のもの(半七の話の聞き手は子どもの時以来甘酒を飲んでいないという)
いずれも都筑道夫のお気に入りの話。なめくじ長屋その他で何度か書いている。
半七先生(第三十五話) ・・・ 嘉永三年1849年。七夕の習字で寺子屋の師匠にこっぴどく叱られた13歳の娘が行方不明になった。そこまで思いつめたのか、それとももっと子供のころの縁談が立ち消えになったのを憎んだ相手の仕業か。寺子屋の師匠から叱ったのは娘が誰か宛の手紙を隠していたせいだ、というのを聞いて、半七は目星を付ける。
怪異を利用した人達の思惑の多くは、理不尽で不条理な抑圧にあることからの開放だった。過酷な労働や恋愛の禁止、上司のパワハラ。そういうのから逃れるための工夫に利用した。身分制やタテ社会やホモソーシャルな社会だから、起きてしまう事件なのだ。
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2026/02/05 岡本綺堂「半七捕物帳 36~42」(青空文庫) 明治政府は武家政権を総否定した。江戸の風物・習俗は忘れられたが、数奇人は記録に残す。 に続く。