odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

江口朴郎「世界の歴史14 第一次大戦後の世界」(中公文庫)-1

  松田道雄「世界の歴史22 ロシアの革命」(河出文庫)の記述がほぼロシアに限定されていたので、こちらので20世紀初頭(1914-1929年)までの状況を確認する。
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 重要なできごとは第一次大戦(WW1)。三国協商三国同盟の対決とされるが、むしろ19世紀の帝国主義国が早くに民主化したところ(英仏ア)と帝政が残っているところ(独墺)の対決とみたほうがよい。さらに遅れた帝政国家であるロシアとトルコの対立が加わった。主題は植民地の争奪と、ナショナリズムの勃興に対する抑圧。国内においては資本家・官僚と労働者の対立。百年以上の対立の構図がサラエボの一発の銃声で、西洋中を巻き込む戦争になった。そこであらわになったのは、帝政国家は総力戦となった国民戦争を戦えないということ。前線と銃後の区分をなくした総力戦で、帝政国家である独・墺・露・土はいずれも国民の叛乱によって戦争が継続できなくなり、いずれの帝政も退位・廃絶を余儀なくされた。
 労働組合などに主導された反権力の運動は、あいにくながら数年で沈静化。保守によって取って替えられる。ドイツでは、東欧諸国をソ連の脅威から守るためにという名目で占領を認められたこと。ソ連では戦時体制でウクライナ他の搾取が継続し、赤軍・労働者がそれを支持したこと(およびレーニン死後の官僚独裁体制ができたこと)。英米でも労働運動は弾圧され、社会党共産党は分断・分裂を繰り返す。背景にあるのは、政治処理後の好景気。アメリカの支援を受けた西欧諸国が経済復興を果たし、好景気からの高賃金になって、反権力の運動が落ち込んでいった。西欧諸国では、大企業優遇と保護主義の政策がとられる。国内需要が増加しているので、輸入による国内産業保護になったわけだ。それといっしょに、移民制限がとられる。すなわち戦地に赴いた兵士が帰還することで国内の労働力は充分であったのに、賃金をダンピングする移民廃絶の動きが起きる。とくにアメリカにおいて。日本人を含む東アジアからの移民がターゲットにされる。西洋諸国では反ユダヤ主義。産業・官僚・政治家が総じて保守化し、そこに排外主義や自国保護政策が加わる。それを背景にしてイタリアでいち早くファッショ政党が政権を取る(社会主義が転向してファシストになった)。
 結果、この時代はヘイトスピーチが蔓延する素地を作った時代。大企業優遇、保護経済、移民制限などの政策がナショナリズムや反共(ソ連では反革命)のプロパガンダと呼応して、民族差別や人種差別を誘発し、民衆・大衆に定着させる。アメリカではKKKが人気になり、最盛期では400万人のメンバーになり、例のいでたちでホワイトハウス前でデモをするまでにいたる。イタリアのファッショ党は徒党を組んで街中を歩き、商店に嫌がらせをし、社会主義の書物などを人前で焼き払った。
(WW1の発端となったサラエボでのオーストリア皇太子暗殺も、背景にあるのはオーストリア=ハンガリー二重帝国に支配されたボスニア独立運動フランス革命以来、ナショナリズムが勃興したときに、帝国を作るハプスブルク家などの支配者はコスモポリタニズムであって、格好のターゲットになる。帝国はなくなっても、国民国家帝国主義ナショナリズムを基盤にしていたので、排外主義やヘイトスピーチを排除できない。自国優遇の保護政策をとると、ナショナリズムレイシズムをまとう。ソ連社会主義国でも同じことが起きた。)

2021/03/08 江口朴郎「世界の歴史14 第一次大戦後の世界」(中公文庫)-2 に続く

江口朴郎「世界の歴史14 第一次大戦後の世界」(中公文庫)-2

2021/03/09 江口朴郎「世界の歴史14 第一次大戦後の世界」(中公文庫)-1 の続き

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 第一次大戦(WW1)はおもにヨーロッパと大西洋で戦われたので、東アジアは政治的・経済的な空白ができた。そこに入り込んだのが日本。日露戦争のあと、帝政ロシアと協力関係にあったので、北からの脅威を感じることなく、ドイツに対して宣戦布告。ドイツの占領地を代わりに占領。イギリスの代わりに中国大陸の開港都市に軍隊を派遣し、ずっと居座ることに成功。ヨーロッパからの輸入が途絶えたので、日本製品が代わりになった。WW1はおおむね日本の帝国主義には有利に働く。問題があったのは、ロシア革命帝政ロシアとの協力関係はなくなり、反共政策に転換する。
 総力戦を経験した西洋諸国は軍備拡大を忌避する。国内の反戦運動の高まりが理由なのではなく、新兵器・新戦術が開発されたことで装備が陳腐化し、新造や維持コストが上昇し、経済投資のために財政が拡大していたことなど。それが1921年ワシントン会議以降の軍縮につながる。日本にとっては、日英同盟の破棄、中国に対する日本の進出阻止を目的にしていたので、日本の利益と一致していた(当時は経済侵略政策を日本はとっていた)。予算減の海軍以外は軍縮を受け入れていたし、政党や議会も軍のコントロールが可能だった(それを破壊したのが満州軍の張作霖爆殺事件以降の独断専行)。
 とはいえ、1880年代からの朝鮮侵略日清戦争で、東アジアへの民族差別・人種差別が民衆に定着する。そのあらわれが1923年関東大震災での朝鮮人虐殺(1919年のシベリア出兵時に、日本兵は虐殺・放火・強姦などの戦時犯罪を犯していて、ヘイトクライムの先駆けといえる)。この事件をまともに総括できなかった(くわえて民間人の虐殺にたいしても)ことが、のちの15年戦争や太平洋諸地域での戦争犯罪ヘイトクライム、植民地政策を止められなかった理由となる。
 WW1には民族独立運動阻止を目的にする国もあったが、結果は各地の民族独立運動をさかんにする。本書で詳細に取り上げられたのは中国とトルコ(敗戦国で、スルタン性が崩壊した)。東欧諸国でも独立を果たす国が生まれる。しかし周辺の帝国主義国家はこれらの独立国を併合・衛星国家化したり(東欧諸国)、独立を承認しなかったりした。アメリカに代表されるような孤立主義・保護経済政策などがあって、民族独立は国際協調のプログラムに入らなかったのだ。
 1920年代は先進国では日本を除いて好景気にあった。国際連盟アメリカ・ソ連の参加がなくても、国際協力の会議の場を作れた。対外戦争は行われず、政権も安定していた。それが不況の1930年代になると、政治と経済の安定は失われ、ブロック経済圏の確立によって不況を打開しようとする。それは対外侵略とヘイトクライムの多発を産み、大量殺戮に至る。アメリカでは民族差別・人種差別が温存・強化され、イタリア、ドイツ、日本のとりあえずの民主国家がファッショ化し、労働者主権のソ連収容所群島に転化する。そのきっかけはいろいろあるだろうが、俺は排外主義と民族差別の蔓延、ヘイトクライムの放置を重視したい。これを理論的にも、国家政策でも、社会運動でも阻止できなかったことが重大だと考える。
(加えると、表現の自由を制限することが合法化され、政権批判・反権力の運動や個人が徹底的に弾圧された。それを抗議する大衆・民衆の運動も高揚しなかった。ヘイトスピーチの放置と表現の自由の制限は一体になって行われる。)

 

林健太郎「両大戦間の世界」(講談社学術文庫)-1

 原著は1966年(ということは1913年生まれの林健太郎が53歳の時の著作)。1976年に講談社学術文庫に収録。もとは文芸春秋の「大世界史」第22巻。この後に1930年代を書いた本があるので、記述は1933年まで。多くの戦間期の本は1933年のナチス政権以後にフォーカスしているので、それ以前の繁栄と安定の時代を知るには本書は有効。
 原著が書かれたのは、対象になった時代の40-30年後。2020年に即すると、1980年代を記述するようなもので、林にとっては自分が若いころを振り返るような面持ちになれる(個人的な回想は本書にはない)。対象となる時代の雰囲気、息吹がわかるのは記述の奥行を増すことになる。

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ウィルソンとクレマンソー ・・・ WW1の終戦処理。アメリカ・ウィルソンの諸国家の連合組織による相互保障とフランス・クレマンソーの経済的保障で考えが衝突。ボリシェヴィキ招聘の失敗。

ヴェルサイユ条約 ・・・ 1918/6/28条約調印。ドイツへの高額な賠償金(ドイツからすると「命令された平和」)、民族自立、国際連盟設立などが内容。専制主義vs民主主義の戦いであるとされ、条約内容がそれを根拠づけることになった。東欧北欧民族が独立(したが、他民族地域なので紛争の原因になる)。それ以外の土地、トルコ、パレスチナ、東アジアなど、は民族自立は実行されなかった。

指導者レーニン ・・・ 1917-18年のロシア革命。ロシアの工業は大都市に集中。工業労働者の半数が従業員550人以上の工場で働いていたので、組合やソヴェトの組織化が容易だった。それが革命に有利に働いた。(共産主義に反対する保守歴史家の書いたこの30ページは、ボリシェヴィキのシンパが書いたものより簡潔で的確なまとめになっている。対象への距離の取り方と批判的な視点が功を奏した。)
クリストファー・ヒル「レーニンとロシア革命」(岩波新書)
松田道雄「世界の歴史22 ロシアの革命」(河出文庫)
エドワード・H・カー「ロシア革命」(岩波現代選書)
レーニン「国家と革命」(国民文庫)

東欧諸国の民族主義 ・・・ 独立したポーランドユーゴスラヴィアルーマニアは独裁体制。チェコスロヴァキアのみ民主制。ハンガリーでは共産革命が起きたが、失敗して軍事政権に移行した(ポール・ホフマン「放浪の天才数学者エルデシュ」(草思社文庫)-2)。このときの民主主義の経験の有無が1989年の東欧革命で、転換か転覆かの違いになったわけか。

ドイツ共産革命の失敗 ・・・ 敗戦直前のドイツのごたごた。皇帝の廃位、議会の混乱、スパルタカス蜂起など。議会派の社会民主党を首班とする連日政権になり、ワイマル共和国樹立。(この時代、ドイツ皇帝とは別にバイエルン皇帝がいるとは知りませんでした。複数のキングを統べるキングがいるという君主制だったんだ。また廃位した皇帝はベルギーやドイツ国内に隠居していた。ここから「名指せない名前」@チェスタトン「ポンド氏の逆説」が生まれるわけで、短編は1930年代のリアルだったのね。

混乱から安定へ ・・・ 1920年のスパー会議でドイツの賠償金が増額。ハイパーインフレーション発生。アメリカの援助で持ち直し、投資が増えたことでドイツ経済が発展し、国際関係は安定になる。国際連盟も機能しだす。しかしアメリカが不参加だったため、ヨーロッパの政治的不安定を仲裁できなかった。1927年に不戦条約が参加65か国で締結。(日本も加わっていた。著者の林はWW2での日本はこの不戦条約違反の罪があったと指摘する。)

ワイマル共和国と第三共和国 ・・・ ドイツでは民主的・福祉国家思想のワイマル憲法はできたが、政権は不安定。左派は離合集散し、民族右派が台頭。フランスでは左派の連合政権と右派の政権交代がある。フランス植民地の経営が大変。

 

 

 WW1はオランダ・ベルギー・フランスの西部戦線と、ポーランド周辺の東部戦線と、ギリシャセルビアのバルカン戦線の3つが主要な戦場。そのためドイツとオーストリアの領土内ではほとんど戦闘が行われなかった。戦後復興がうまくいった理由であり、戦場になったフランスやポーランド、トルコの復興は遅れることになった。戦勝国のフランスが政治的に不安定であり、インフレに悩むというのはここに原因があった。
 ドイツ、オーストリア、ロシアの専制国家がWW1によって、立憲議会制に移行する。その結果、支配下にあった東欧諸国、バルカン半島諸国などが建国する。ナショナリズムの誕生と他民族の調整という新たな問題が発生する。フランス革命に100年遅れたこれらの国の民主化は20世紀を通じて紆余曲折を遂げる。

 

 

2021/03/04 林健太郎「両大戦間の世界」(講談社学術文庫)-2 1976年に続く