odd_hatchの読書ノート

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法月綸太郎「誰彼」(講談社)

 昭和の終わりに急速に信者を増やしてきた「汎エーテル教団」。その教組に脅迫状が届いている。極秘裏に進めている教組への養子縁組に対する警告であり、教組の死を予告しているのだ。教組の秘書に依頼された法月名探偵は、教組が塔にこもるのを見送る。72時間の瞑想を行うのだ。その間、都内のあるマンションで首なし死体が見つかる。フィリピンからきた娘を囲っていたところで、その主が被害者らしい。指紋を照合すると、教組のものと知れた。どうやら人知れないように教組は二重生活をしていたらしい。なぜ、そのような暮らしをしていたのか。脅迫状との関係は?

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 捜査陣が混乱するのは、この教組の家族がとても複雑だったからだ。教組の下に双子が生まれたが、父は双子を憎み(母が死んだので)、一歳になる前に養子にだしていた。兄は義父に好まれ平凡な高校教師になるが、弟は義父に嫌われていると思い込み高校卒業と同時に家出。おりからの学園闘争に参加して、理論家として名声を得たが、過激な活動にかかわり行方不明になった。それから十数年。双子の兄は町で教組(変装してそうとはわからない)を見つけていた。さらに、双子の弟は宗教コミューンに一時期匿われていた。そのときに、エーテルの波動だかトライステロ宇宙神の声を聞いた教組と接触し、最初の信者となった。しかし、コミューンをでていく事故で死んでいた。
 というような情報が断片的に表れ、法月探偵の推理はことごとく外れ、事件は複雑怪奇な様相を示していく。いったい誰が死に、だれが動機をもっているのかさっぱりわからない。
 それでも右往左往した捜査の果てに姿を現した真実は驚愕すべきもので、しかも断片的な情報はひとつの相貌にみごとにまとまり、さらにはオイディプス神話を繰り返しているようなシンボルまで現れるのである。なるほどクイーンの国名シリーズを読むような知的快感(蕩尽)を味合わせてくれる見事な作になった。そのために、次作の「頼子のために」以降で書かれるような事件関係者の内面描写はおろそかになって、人形めいた、あるいはステロタイプな人物ばかりになってしまったが、それは国名シリーズもそうなので、目くじらを立てるほどのことではない。ともあれ、作者の長編ではもっともクイーンらしいもので、謎解きや犯人あてを目的に読むのなら、この作を推したい。(見かけない熟語のタイトルは「たそがれ」と読む。本書以外に用例はなさそう。こういうケレンも昭和の終わりという時代を彷彿させる。)
 以上のように感想がなおざりになるのは、作品そのものよりも引用が気になったので。作者名と探偵名が同じであり、探偵の父が独身の警官であるというのが、クイーンの作品になぞられているだけでなく、この作では首のない死体が現れ(「エジプト十字架の謎」)、探偵が推定する犯人は反証を受けて嫌疑のそとにでるのが繰り返される(「ギリシャ棺の謎」)。都会から離れたコミューンに接触し(「エジプト十字架の謎」の砂漠に孤独に暮らす男をおもいだしてもいいが、メンターを名乗る初老の男が率いているというのは「第八の日」)、いくつもの暗号を込めた脅迫状が届く(「盤面の敵」「悪の起源」)。教組は塔に閉じこもり(ノックス「密室の行者」)、動機のひとつが厭人癖(チェスタトン「紫の宝石」@詩人と狂人たち)。それよりなによりトライステロ宇宙神トーマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」)、これをみたとき爆笑しました。こんなふうに小説は引用でできている。なので、ミステリ好きがミステリ好きのために書いたミステリ。好事家であるほど、引用元探しで楽しめるのではないかな。
 1989年初出で、書かれたのは日本経済が好調なころ。日本の株価の時価総額アメリカの時価総額を超えていて、日本はアメリカを全部買えるのだとうそぶいていたころ。ふりかえるとそういう当時の傲慢な日本人の考えが反映している。ことに、被害者が同棲していたフィリピン娘。観光ビザで入国し、ビザが切れてもキャバレーなどで働いていたという女性。そういう人はたくさんいた(思い出したが、初出当時住んでいた五反田近くに、キャバレー勤めと思われる外国人女性の寮があった。バブル崩壊後すぐになくなった)。彼女は事件に関係したために、入管によって本国に強制送還される。法月は彼女と話さないし、彼女の境遇に関心をもたない。せっかくここに「砂漠」や「交通空間」がある(「ふたたび赤い悪夢」参照)のに。無関心でいたために、のちの事件で名探偵は足を掬われるのであった。

 

法月綸太郎「頼子のために」(講談社)

 政治史?の教授・西村悠史の手記が提示される。それによると、17歳の娘・頼子が深夜家に帰らず、翌朝絞殺死体となって発見された。類似の事件が多発していたことから、警察は通り魔事件で片付けられようとしている。悠史は納得できず、独自に調査を開始。頼子が妊娠4か月目であり、その診断書を高校の教師に見せていたことから、悠史は教師を犯人と断定。ある日、教師の家を訪れ、一気に刺殺。そして西村悠史は自宅に戻って睡眠薬自殺を遂げていた。未遂のために、意識が戻るとともに、尋問が予定されている。

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 このありふれた事件の再調査が探偵・法月に依頼される。生徒と教師の死が連続しておこり、教師の不祥事が暴露されることは理事長とその兄の代議士にとって、直近に控えた選挙で不利になるからだ。代議士のライバルもこの事件の調査を独自に行っているようであり、なんとしても「迷宮」入りにしたい。そのような思惑の下、法月はこの現実の利害関係にかかわることを拒否し、「真実」のために調査することを宣言する。とはいえあまりに高名な「名探偵」になってしまっているので、法月の捜査は目立って仕方がない。イエロー・ジャーナリズムの記者にまとわりつかれるわ、屈強なボディガードに拉致(もどき)されるわ、と物騒なことも起きる(ハードボイルドの探偵のように拳銃の発砲があったり、いきなり殴られるようなことはない)。
 明らかになってくるのは、西村家の複雑な履歴。すなわちすったもんだのすえ結婚したが、頼子3歳の時に事件が起こる。頼子の不注意で母・海依が交通事故にあい、下半身不随と流産。以後、ベッドに寝たきりの生活になる。彼女を支援する人は多く(そのなかには、悠史と海依の恋愛に巻き込まれ、自分の愛をあきらめるものいる)、童話作家として成功する。自分を「観念の化け物」と呼ぶ海依は法月よりも事件に通暁しているようだが、不用意なおしゃべりはしない。頼子の行動も不振だった。同世代の男の子とつきあったり、親に知られずに婦人科を受診していたり、交通事故の加害者と連絡を取っていたり。思春期の娘が親に心配をかけまいと、人知れず行動するのが、逆に親の不審を招くという事態。
 以上の情報は整理されて提示されるのではなく、法月が足をかけて人を訪ねる過程で断片として現れる。この過程は、ハードボイルド探偵に極めて近い。なるほど、クイーンの戦後の作になると、警察の動きとは別に動くので、エラリーはハードボイルドの探偵に似てきたが、この小説でもそう。法月は高名であることと、父が警視庁の上の法であるのが知られていて、ほとんど徒手空拳の町の名無しの探偵とは異なり、恵まれた捜査ができている。会うのも中流以上の知的エリートばかりだし。
 解説などでは「ロス・マクドナルドの主題によるニコラス・ブレイク風変奏曲」といわれているが(本人が言ってた)、そういう趣き。ニコラス・ブレイク風のところは冒頭の西村悠史の手記にあたるところ。本家のものを一ひねりしていて、手記そのもの正当性を疑わせるという趣向がよい。手記とそのあとの法月の捜査では文体を変えていて、前者の感情や思考のとめどなく突発的な噴出が読者をある思い込みに向かわせている。後者ではロスマク風の主題が見えてくるようになる後半の記述がよかった。そのために学校内のスキャンダルや政争の具であるかもしれないと思わせる前半も手馴れな感じ。ここでは「うっかり八兵衛」のようなひねくれた記者の存在がおもしろかった。
 ロス・マクドナルドを大量に読んだ後だと、この家族の問題がむしろ父のわがままに収斂されるようで、そこはロスマクほどの深みにかけるのであるが(ことに最後の一行の「さむけ」が皮相なところ)、解き明かされる事件の複雑さはみごと。殺し方の複雑さを捨てて、心理や感情の表現に心を砕いた文章がそれを引き立てます。このような文体をもつミステリー作家はめったにいないので珍重。なにしろ再読のし甲斐があるミステリーはこの国にはとても珍しいのだ。
 さて、本作では上記二人の作家の作品が強く反映しているが、もうひとつクイーンの中期の長編もある。それがラストシーンの犯人との対峙。このときの探偵の選択は、長い間探偵を苦しめることになる。まあ、利害関係のない第三者であると自認している探偵が人の行動の選択に影響を及ぼしうると不遜な考えを犯したのが発端。理性の神でありたいと思っていたら、相手は道徳の神とおもいこんだわけね。ここで俺はハメット「デイン家の呪」を思い出す。探偵は事件の関係者に介入し選択をせまるのだが、それは相手の人間性の回復を目的にしたものだった。介入するとはそういうことで、生死に関する私的制裁をやってはいけない、という凡庸な意見に戻る。
 

法月綸太郎「一の悲劇」(祥伝社)

 都内の中堅広告代理店でマネージャーになった山倉史郎。その息子が誘拐された。しかし実際に誘拐されたのは息子の同級生。身代金を要求されたので、警察が代理になることを断り、自分で行くことにする。調布から八王子の周辺をあちこち行き来したあとに受け渡しの場になった公園で足を滑らせてしまう。その結果、指定時間までに身代金を渡すことができず、身代わりの子供が死体になって発見された。奇妙なことに亡くなったのは、受け渡しの指定電話がかかってくる前。警察から容疑者の自動車の車種を聞いたとき、山倉はある男を思い出す。その男にはアリバイがあった。名探偵・法月綸太郎と終日談論していたのだった。男を問いつめようとしてマンションを訪れた時、山倉は殴られて失神。目覚めたとき、男は密室で殺されていた。
 このような事件が進展する一方で、山倉の周辺たちの複雑な関係が明らかになる。山倉の妻は、広告代理店の創業者。そのもう一人の娘が、容疑があると思った男と結婚し、妊娠していた。出産時に娘は死亡。残った息子を山倉夫婦は養子に引き取り、家族に向かえていた。山倉の妻も妊娠したが流産。そして子供を産めなくなってしまう。山倉が看病していたときに、ある女と不倫関係になり、妊娠させてしまった。そして生まれた子供が誤認誘拐された子供なのである。山倉からすると、「誤認」こそが誤認であり、自分の子供が誘拐されたことに他ならない。

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 とても小さな集まりで、濃密な関係になっていて、それに縛られていながら、互いに知らんふりをしている。このように思えるのは、読者が読むのが事件の渦中にいる山倉という男の手記であるから。すなわち、現在の誘拐事件と殺人事件、過去の不倫と家族の組み換えに最も関与しているのが山倉という男。その男の見聞きしたことと感想が書かれたテキストを通して事件をみることになり、この男の反省と自己嫌悪、そして衝動的な行動が事件を錯綜させていくのだ。
 とはいえ、平成の頭(1991年)に書かれた小説に描かれる男の肖像は、自己中心的でミソジニーをたぶんに持っている。過去と現在のできごとに責任を持とうとする態度は男の側からすると潔いかにみえながら、実際は女や子供を手段として扱っている。なので、かつての初読のときは血縁のない子供を息子であると認めることに感心したが、21世紀になるとちょっとね。それに自信過剰で封建的な義父(広告代理店の創業社長)の振る舞いは全く日本的でなく、アメリカの家父長をコピーしたようで、鼻知らむ。まあ、著者26歳の作というから、ロス・マクドナルドをよく日本に移植したのだということにしようか。(文庫のあとがきでは、「ポスト黄金時代の本格ミステリの傑作を引用/再解釈」したとうことだが、そのタイトルは秘密の日記に。このブログで紹介済。もう一つ、クイーンの長編も引用されている。)
 ここまでは異常に厳しい評価であるが、それは自分の中の期待が大きいからで、初出時のころの「新本格」のあまたいる書き手の中では抜群に文章がうまく、会話がなめらかで、心理も情景描写も秀で、なにより構成の妙に感心してきた。なので、20年以上をたっての再読では、ちょっとした瑕疵が目に付いてしまった。
 小説の背景はバブルからその直後(執筆時期とほぼ重なる)。なので、ガジェットが21世紀と異なる。携帯電話はなく(爆発的な普及は1995年から)、パソコンのかわりにワープロを使い、ネットもないしパソコン通信も知られていない。誘拐もので身代金受け渡しに携帯電話を使わないのは、21世紀にはあり得ないが、この小説のトリックはそれがなくても成り立つ。なので、小説はまだ賞味期限を迎えていない。代わりに上の点が古びてしまった。当時は問題にならなかったことが、21世紀では瑕疵になってしまう。)