夏目漱石
2022/02/17 夏目漱石「倫敦塔・幻影の盾」(新潮文庫) 1905年2022/02/15 夏目漱石「吾輩は猫である」(新潮文庫) 1905年2011/11/20 夏目漱石「坊ちゃん」(青空文庫)2022/02/11 夏目漱石「坊っちゃん」(青空文庫)-2 1906年2022/02/10 夏目漱石「草枕」…
夏目漱石は1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉 生まれで、 1916年〈大正5年〉12月9日没。享年49歳。あらためて生没年を見ると、とても若くして亡くなった。作家活動は10年ちょっと。その前には英文学を研究。病弱でしょっちゅう病気をしていた。このあたりの事情…
過去に二回「猫」を読んでいて、いずれも退屈だったと記憶するが、今回の数十年ぶりの再読でも同じ。漱石の小説は全部(新潮文庫で入手できるものすべて)を読みなおしたが、「猫」がもっともつまらない。今回は「吾輩」が運動を始めると言い出したところ(…
もしかしたら漱石の「吾輩は猫である」は探偵小説として読めるのではないか、という試み。ときに漱石の原文をそのまま引用(「天璋院様のご祐筆・・・」のくだりなど)したり、原作のシーンを別視点で書き直したりしているので、原本を読んだうえで本書に取…
奇妙な小説だ。というのは、語り手の「おれ」23歳の観察力が不足していて、事態がさっぱりつかめないからだ。ことに、四国の中学に赴任して以降。とりたてて授業がうまいわけでも生徒に支持されているわけでもないのに、ひと月もたたないうちに校長は増給…
30歳の「余」は画工具をもって旅に出る。雨に降られたので、海の見える山のうえに宿を求める(どこなのかきっと考証されているのだろう。たぶん愛媛松山近辺あたりか、まあどこでもいい)。「余」は非人情を求める。そのとき「余」が考えている人情界は日…
「草枕」の次に書かれた中編二つが収録されている。 二百十日 1906 ・・・ 東京住まいの圭さんと碌さんが連れ立って、阿蘇に上る。道中、二百十日の大雨にあってずぶぬれ。足を痛めたので登山はあきらめる。できごとはこれだけ。何が書かれているかというと…
「坊ちゃん」の「おれ」も「草枕」の「余」も、人情の世界に嫌悪を感じ、非人情の世界を周囲に構築していきることができた。それと同類の人たちで、少しばかり世間の波に洗われている人たちがいる。宗近君、甲野君に小野君。いずれも大学を卒業してぶらぶら…
相当の地位を持つ家の息子19歳が、女性二人との三角関係に悩み、家出する。死んでも構わないくらいの自己破壊衝動があるが、自殺するまでには至らない。呆然と歩いているところを、長蔵という男に「坑夫(通常は鉱夫)」にならないか、儲かるぞと声をかけら…
1908年以降の短編やエッセイなど。「満漢ところどころ」「ケーベル先生の告別」は青空文庫で補完した。 江藤淳「夏目漱石」を読んだのは40年以上前なのでうろ覚えなのだが、「虞美人草」を連載するにあたって、東大教授の職を辞し、朝日新聞に入社したのでは…
2022/02/03 夏目漱石「文鳥・夢十夜」(新潮文庫)-1 1908年の続き 感想が長くなったので、エントリーを分ける。 思い出すことなど 1911 ・・・ 発表の前年夏に修善寺で静養していたところ、突如大吐血。一時死亡との報もでた。秋の終わりに東京に転院し、翌…
19歳(明治23年生まれ)の小川三四郎は熊本の中学をでて、東京大学文学部に入学する。田舎者の三四郎は東京という都市の、東京大学というアカデミアでとまどってばかり。勉強をするでもなく、趣味に没頭するでもなく、活動をするでもなく、ぼんやりと時…
1909年に朝日新聞に連載。小説では点描的にしかかかれない状況をみてみよう。日露戦争の四五年後。引用すると、 「今は日露戦争後の商工業膨張の反動を受けて、自分の経営にかかる事業が不景気の極端に達している。」「平岡はそれから、幸徳秋水と云う社会主…
大事なことはすでに終わっている小説。 ドラマになるのは、学生の宗助が御米と婚前交渉を持って、双方の家から絶縁されたこと、結婚後御米は三度流産して心臓に病を持っていること、宗助の父が死んだとき遺産を叔父に預けていたらすっかりなくされていたこと…
学校を出たばかりの田川敬太郎がいる。冒険したいが一人では何もできず、「休養」と称して何もしていない。暇つぶしにやるのは、他人の観察。同じ下宿にいる森本という会社員なのか香具師なのか詐欺師なのかわからない男と長話をしたり、退嬰主義と自称する…
タイトルのメタファーは何かと昔からいろいろと妄想したものだが、実際は「旅行に出かける人」の意。実際、この一家は頻繁に旅行に出る。東京に住んでいるらしいが、冒頭から家族総出の大阪旅行であり、語り手の「自分」は嫂(あによめ)といっしょに和歌山…
まあ確かに高校の教科書に先生の手紙が収録されていたのを読んで驚愕はしたのだった。漱石を読みだすきっかけになったのは確かだが、あまのじゃくな俺は最初に「こころ」を手にするのではなく、まず「幻影の盾」から読んだのだった。以後、出版順に読んで「…
2022/01/21 夏目漱石「こころ」(新潮文庫)-1 1913年の続き おさまりが悪いというのは、対象に思い入れを入れすぎない冷静なカメラアイが謎を解くのではなく、渦中の人が告白をするというスタイルのせいだ。「先生」は付き合いを持たず、他人との関係が希薄…
漱石44歳から46歳にかけての講演集。「門」を書き終え、胃潰瘍で大出血。入院後、体調をみて関西に行き講演会を開いた(娯楽の乏しい時代だったので、作家の講演でも人はよく集まったとみえる)。その時の記録。この直後に、再度胃潰瘍で入院する。 道楽と職…
1914年から翌年にかけて新聞に連載された随想集。小説よりも、自分の周りのことを書いたこういう随想のほうが、明治の人たちや漱石らが考えていることがわかりそう。 タイトルを「硝子戸の中(ルビによると「うち」と読むようだ。ずっと「なか」と思い込んで…
体調がすぐれないとなると、こうも不愉快なものを書くのかね。と嫌みのひとつもいいたくなる。 健三35歳か36歳は、おそらく大学の講師。安月給で生活ははかばかしくない。というのも、両親はとうに亡くなっているのだが、年の離れた兄や姉もまた貧乏であり、…
文庫本であれば数百ページに喃々とする漱石の大長編。普通、このくらいのサイズになると、主人公たちは大冒険をしたり、深遠な議論をしたり、いくつもの謎が解決されたり、愛憎のもつれがほどけるかよりをもどしたりもするのであるが、本作では何も起こらな…
漱石は1916年に「明暗」を書いたが、未完で亡くなった。70年の時を経て、水村美苗が続きを書いて完結させた(単行本は1990年)。あとがきによると、いろいろ批判があったらしい。漱石らしくないとか漱石は偉大だとか漱石はこのような結末を予定していなかっ…
漱石を読み返している最中(2021年3月現在)。漱石の「文学」の解説は読む気はないが(読むと引っ張られるので参考にしないし、これまでの読みとは違うところで読んでいるので参考にならないし)、物理学なら参考になるかもとタイトルにひかれて購入。著者は…
「第5編 アレキサンダー・ポープといわゆる人工派の詩 1 ポープの詩には知的要素多し/2 ポープの詩に現れたる人事的要素/3 ポープの詩に現れたる感覚的要素/4 超自然の材料/「ダンシアッド」 第6編 ダニエル・デフォーと小説の組立 デフォーの作品/小説の組…
続けて第2巻。アディスンとスティールはこの本以外で名前をきいたことがないや。 「第3編 アディソンおよびスティールと常識文学 1 常識/2 訓戒的傾向/3 ヒューモアとウイット 第4編 スウィフトと厭世文学 風刺家としてのスウィフト/スウィフトの伝記研究の…
1909年に発刊された講義録。著者の序文には、研究がいたらないがとりあえずまとめたという釈明が書かれていて、いつどこの講義であるのかわからない。著者はしきりに謙遜するが、開国後40年目のこの国で18世紀の英文学を鳥瞰しようというのがどれほど困難で…
ボランティアの手によって、著作権の切れた小説をネットで読むことができる。それを携帯電話で読むことができるのだから、世の中の進化はたいしたもの。いずれ書籍という形式はなくなり、デジタルディバイスに変わるのだろう。フェティシズムからすると残念…