野中広務は日本の政治家(1925.10.20 - 2018.1.26)。自民党に所属して、官房長官などを歴任した。この人が独特なのは、京都の被差別部落の出身で、若いころの差別体験から政治家を志した。
所属ゆえに彼の政策は必ずしもリベラルの支持を受けなかったが、彼の人柄に惹かれる人がいた。
永六輔さんが、「あの人(野中さん)が、あちら(権力側)にいてくれるだけで、なぜか気持ちがホッとしていた」と語ったことがあった。同じように、この人なら、私たちの気持ちをわかってくれるのでは、と多くのマイノリティが野中氏にすがった。それはマイノリティだからこそわかる「におい」が野中氏にはあるからだ(P152)
その野中広務をふたまわりほど年下の女性がインタビューする。彼女からすると、野中広務は談合で平和を作り出そうとする人で、ボス交や根回しが得意で、結果平等主義の人だった。とても日本的な政治家であった。それに自民党なのでストレートに人権問題として口に出せないところもあった(石原慎太郎や麻生太郎の差別発言を容認してしまうし、他の政治家によるレイシズムにも動かない)。外国交渉が得意だったようで、北朝鮮に行って高官と何度も交渉を行っている。ときに裏事情が暴露されている。
このあいだ、北朝鮮問題に関して新しい情報を仕入れたんだけど、それを聞いて、日本ほど恥ずかしい国はないと思った。二〇〇二(平成十四)年に五人、そして二年後には子どもたちやジェンキンスさんらを帰国させた。これらの見返りとして、北朝鮮側はある条件を出してるんですよ。ところが、それを日本は何一つ履行していない。そのため、北朝鮮側でその時に中心になった人物がいま非常に厳しい状況に追い込まれている。それを耳にして、小泉っていうのはひどいことしたと思った。(P170)
このあと2010年代に総理大臣になった安倍晋三は自分が総理の間に拉致問題を解決するといっていたが、何もしなかった。その前触れは小泉訪朝の時からあった、ということになるのだろう。東アジアの緊張に関しては、次のように述べる。
野中 アメリカは三十八度線から早く撤収したいんですよ。イラクで失敗しアフガンでも失敗している。だから北と南の負担を軽くしたいんですよ。これはもうアメリカの本心なんだ。/辛 だから日本はアジアの中でうまくやってくれよっていうことですよね。(P173)
そしてアメリカ抜きのアジア共同体の構想を語り、そのためには日本の戦後未処理の問題を解決しなければならないと説く。しかし自民党と官僚は未処理の問題をなかったことにし、問題を起こすマイノリティが存在しないかのように無視する。たとえば裁判闘争で「違憲」の判決を得るためには、在日や旧植民地をいれることができない。敗戦後、日本は「島国だからこじんまりと平和に生きる」という仕方で生きてきたと野中はいう。それは1980年までのあり方(そういう言説は当時よく見た)。しかしそれ以降は、日本は傲慢になり、日本のやり方を他国に押し付けようとするようになり、21世紀に経済が逼塞すると、内にこもりながら日本は世界が羨むとぶつぶついうだけになった。野中はこのような変化を見ていなかった。
なので、本書の読みどころはインタビュアーの発言や注にある。彼女は民族差別の被害をずっとかぶってきた経験から、関東大震災を最初に清算しないといけないという。朝鮮人やマイノリティの日本人を虐殺したことを認め、二度と起こさない制度を作らないと、この国にある差別はなくならない(日本人が起こした虐殺はなかったとヘイトデマをいう団体が現れるほど、この国の人権意識は薄れてしまっている)。さまざまな日本の差別の現状が解説されているので、それを見よう。日本史の教科書に書かれない歴史が書かれている。
野中もインタビュアーも差別被害の当事者であり、彼らが受けた差別の壮絶さには言葉を失う。差別は暗黙の快楽であるというのは、インタビュアーや被差別当事者が繰り返し強調することだ。ヘイトスピーチを目的にする街宣やデモで差別者はニタニタ笑いを浮かべるのだ。何かを目的に差別するのではなく、快楽のために差別する。とても下劣であるが、21世紀の日本人がそれを行っている。推進しているのは政治家がヘイトスピーチを繰り返すからであり、法務省以下の官僚が取り締まらないからだ。
差別を受けたものは沈黙を余儀なくされるという。それは家族に被害が拡大し、悲しませるのがわかっているからだ。インタビュアーは家族から離れて暮らしているがそれでも係累から叱られ非難されるという。これはきつい。また彼女は一時期日本人男性を暮らしていたが、彼にも差別がぶつけられるようになったとき、差別者に対抗できなくなり彼女にあたるようになる。このことも自分にはキツかった。よく「差別を受ける者に寄り添おう」と言われるのだが、安易な寄り添いは被差別当事者の被害を拡大するし、自分自身を壊してしまう。人生をかけるくらいの覚悟がいるのだ。(そこまでの覚悟がないものは、被害者に寄り添うことはしないで、加害者に抗議することをすればよい。加害する差別者を委縮させ、沈黙させるようにするのだ。)
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