odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧

大江健三郎「遅れてきた青年」(新潮文庫)-3 社会でのし上がろうとして失敗した青年は「セヴンティーン」「政治少年死す」の高校生と表裏一体。

2017/02/02 大江健三郎「遅れてきた青年」(新潮文庫)-1 1961年 2017/02/01 大江健三郎「遅れてきた青年」(新潮文庫)-2 1961年の続き。 昭和10年代の軍国主義、そのあとの占領時代の民主主義。この国では価値の激変がおきたわけだが、1952年に独立を承認…

大江健三郎「世界の若者たち」(新潮社) 毎日グラフに連載された若者たちのインタビュー集と海外旅行記、

35年前にたまたまどこかの古本屋で入手して、それ以後見かけたことがない。珍しい本だと思う。1962年初出。 デビュー以来ずっと図書館か書斎で小説を書いてきたが、閉鎖的で室内的な性格をつくりかえあければならないと思って、海外旅行(および他の国の作家…

大江健三郎「叫び声」(講談社文庫) 「人間みなが遅すぎる救助をまちこがれている恐怖の時代には、誰かひとり遥かな救いをもとめて」あげえる叫び声を作家は自分事として聴こうとする。

冒頭に「人間みなが遅すぎる救助をまちこがれている恐怖の時代には、誰かひとり遥かな救いをもとめて叫び声をあげる時、それを聞く者はみな、その叫びが自分自身の声でなかったかと、わが耳を疑う」とあって、小説の主題が提示される。高度経済成長があって…

大江健三郎「性的人間」(新潮文庫) 孤独で内省的であり、妄想の実現にあたって他者を目的ではなく手段として利用する「性的人間」の主題は21世紀には時代遅れ。

「性的人間」新潮文庫と同じ内容であるが、自分の読んだのは新潮社版の「大江健三郎全作品 I-6」。新潮文庫には「セヴンティーン」「共同生活」が入っているが、それらは別エントリーで。 性的人間(1963年5月) ・・・ 大企業創業社長の息子Jは、仕事をしな…

大江健三郎「日常生活の冒険」(新潮文庫)-1

著者のよくある技法である「はた迷惑な闖入者」の物語。 20歳になるまえの大学生で小説が認められ、そのまま職業作家になる。必ずしも平穏無事にあるわけではなく、書斎に閉じこもり気味な生活がストレスになり、22歳ころに書いた政治的小説でバッシング…

大江健三郎「日常生活の冒険」(新潮文庫)-2

2017/01/25 大江健三郎「日常生活の冒険」(新潮文庫)-1 1964年の続き。 孤独で悲惨な現代生活。周りは高度経済成長で仕事にはげめば高収入が得られ、およそ20年前の敗戦とその後の窮乏から抜け出せる。この小説が書かれた1964年はそのような気分があったこ…

大江健三郎「空の怪物アグイー」(新潮文庫)「不満足」「スパルタ教育」 作家は自己自身の反省や創作物への批判を小説の中に取り入れる。

「空の怪物アグイー」新潮文庫と同じ内容であるが、自分の読んだのは新潮社版の「大江健三郎全作品 I-6」。なので、新潮文庫版とは収録作品が異なり、並び順が違う。この感想では、とりあえず「空の怪物アグイー」にならう。「大江健三郎全作品 I-6」には「…

大江健三郎「個人的な体験」(新潮文庫) 「逃げ回り続けることを止める」。「個人的な体験」から「人間一般にかかわる真実の展望」を見出そうとする試み。

27歳4カ月の鳥(バード:あだ名)は鬱屈していた。妻の出産が思いかけず難産であり、赤ん坊に異常があると知らされたから。町の産婦人科はただちに大学病院を紹介し、そこで赤ん坊が「脳ヘルニア」であることを知る。手術をしなければ命が危ういし、成功して…

大江健三郎「ヒロシマノート」(岩波新書)

原爆投下から20年にもなる1964年。政府は被爆者問題や支援に無関心で、通常の生活保護でしか対応しない(それでは不十分)。原水爆反対運動は二つに分裂しつつあり、多くの国民も無関心になろうとしている。一方、健康と思われた人にも原爆症の症状がでて有効…

大江健三郎「大江健三郎全作品 第1期」巻末エッセイ(新潮社)「大江健三郎同時代論集第7巻 書く行為」に収録。模索時代の曖昧模糊とした文章

1965年から翌年にかけて、「大江健三郎全作品第I期」全6巻(新潮社)が刊行された。その際に、各巻末にエッセイが収録された。のちに、岩波書店で刊行された「大江健三郎同時代論集全10巻」のたしか第9巻 第7巻「書く行為」にまとめられた。ここでは「全作…

大江健三郎「万延元年のフットボール」(講談社文庫)-1 都市の反権力運動とは全く異なるやり方で起こした抵抗運動の高揚と挫折の物語。デビューから当時までの集大成であり、その後の作品の出発点。

障害のある子供が生まれて鬱屈して大学の英語講師をやめた「僕」は、数年ぶりに帰国した弟・鷹四の誘いで生まれた四国の森の中の村に帰ることにする。この兄弟の根所家がもっていた巨大な蔵屋敷を、「スーパーマーケットの天皇」と及ばれる地域の商人資本家…

大江健三郎「万延元年のフットボール」(講談社文庫)-2 村の余所者家族がもつ自己破壊、自己処罰的な傾向。瓦解寸前の家庭の鬱屈。

2017/01/17 大江健三郎「万延元年のフットボール」(講談社文庫)-1 1967年の続き。 このエントリーでは根所家にフォーカス。根所というのは奇妙な名前で、どうやら村の権力には関係しない、むしろ差別される側の一族だったようだ。蔵屋敷をもつのは、たぶん…

大江健三郎「万延元年のフットボール」(講談社文庫)-3 四国の山の中の村「大窪村」は20世紀の「日本」。それに対抗する「たった一人の反抗」も日本的。

2017/01/17 大江健三郎「万延元年のフットボール」(講談社文庫)-1 1967年 2017/01/16 大江健三郎「万延元年のフットボール」(講談社文庫)-2 1967年の続き。 蜜と鷹が帰る四国の山の中の村。周囲は森に囲まれ、隠遁者ギーという老人のほかは村人でさえ迷…

大江健三郎「万延元年のフットボール」(講談社文庫)-4 現在の物語が進行しながら、過去の物語が明るみになるという構造。作家の最も技巧的な小説。

2017/01/17 大江健三郎「万延元年のフットボール」(講談社文庫)-1 1967年 2017/01/16 大江健三郎「万延元年のフットボール」(講談社文庫)-2 1967年 2017/01/13 大江健三郎「万延元年のフットボール」(講談社文庫)-3 1967年の続き。 1967年に書かれた長…

松原新一「大江健三郎の世界」(講談社) 作家と年齢がほぼ同じで同時代の雰囲気や同世代の気分をよく知っていた人の批評。1967年初出なので情報は古い。

1967年出版なので、大江健三郎は32歳で、最新作品は「万延元年のフットボール」。21世紀に読むには取り上げている作品が初期に偏っているのが不満だし、1970年代以降の作家のモチーフには触れていない。そこは残念だが仕方がない。 著者が大江の作品の中で重…

大江健三郎「核時代の想像力」(新潮社) 1969年ころ毎月1回の講演で、小説を書くこと、想像力を使うこと、社会や現実にコミットすることなどを話す。

「万年元年のフットボール」1967年を書き終えて、次の長編にとりかかるのが大変(次の長編「洪水は我が魂に及び」がでるのは1972年で間があいている)。そこで、紀伊国屋ホールで毎月1回の講演をすることで、小説を書くこと、想像力を使うこと、社会や現実…

大江健三郎「沖縄ノート」(岩波新書)

沖縄の施政権返還が政治日程にはいっていたころの1969-70年にかけての連載。当時沖縄にいくには、パスポートとヴィザが必要。なので、行き来ができなく情報の乏しいところだった。そこで、作家は沖縄に行き、沖縄の人と会い、運動に参加し、歴史を紐解き、現…

大江健三郎「壊れものとしての人間」(講談社文庫) 34歳の評論集。暴力にさらされるこわれもの(fragile)としての人間を考え、それは核時代の人間の「自由」を考えることである。

1970年初出。著者34歳の評論集。タイトルは暴力にさらされるこわれもの(fragile)としての人間を考え、それは核時代の人間の「自由」を考えることであるという認識からつけられた。 出発点、架空と現実 ・・・ 谷間の村の幼年期の記憶。歴史的遠近法を使うと…

重藤文夫/大江健三郎「原爆後の人間」(新潮社) 被爆者とその家族が社会と国家から見捨てられ、差別のさなかにあって苦しみ悲しんでいるときに、彼らの側に立って活動する人間がいた。

重藤文夫(シゲトウフミオ:1903−1982)は、放射線医師であることと、原爆病院の初代院長であることくらいしか知られていない。 重藤 文夫(シゲトウ フミオ)とは? 意味や使い方 - コトバンク まず、この人の経歴がすさまじい。広島近くの村で生まれ、医師に…

2017年年頭の誓い

2017年1月に読書感想のエントリー数が1700になります。2017年 秋に読書感想のエントリー数が1900になります。今年は二人の作家のほぼ全作レビューが完結します。