2016-06-01から1ヶ月間の記事一覧
カントの政治哲学や歴史哲学の論文を読む。道徳論の難解さはここにはなくとても平易(下記にあるように翻訳のせいかもしれない)。楽しみながら高揚しながら読むことができました。まあ、素人であるおいらがカントの考えを正確に伝えられるはずもなく、解説…
2016/06/30 イマヌエル・カント「啓蒙とは何か/永遠平和のために」(光文社文庫)-1 1795年 の続き つづいて「永遠平和のために」を読む。政治哲学ではあまり言及されることがないようだが(おいらの偏見)、別の分野の本で言及されることがある。この国では…
SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の活動は2015年12月末現在で進行中(2016年参院選終了後解散を予定)。前史から含めると2011年ころから活動を開始。その歴史をまとめるとのちにずれが出てくるだろうから、ここでは省略。個人的には前身のSASPL…
高橋源一郎「ぼくらの民主主義なんだぜ」(朝日新書) 「民主主義」を探す著者のクエストの経過報告。「自分を責めてはならない。明るく、前向きな気持ちでいることだけが、この状況から抜け出る力を与えてくれる」
著者はデビュー時から知っていてしばらく追いかけていた。デビュー前に全共闘運動に参加して逮捕されたり、町工場で騒音の中で働いていたりしたことを知った。でも、たとえばテレビ時評でタレントの分析をしたり、ファッションショーの批評をしたり、「追憶…
1990年代初頭の「バブル経済」崩壊から20年(初出当時)。この国の経済は円高とリフレでにっちもさっちもいかない。どちらも経済に悪影響を及ぼし、産業の空洞化につながる。なんとかしなければ、ということで「円」を考える。 第1章 円の暴騰と日本経済 ・…
2016/06/23 ローレル・ファーイ「ショスタコービッチ」(アルファベータ)-1 2016/06/22 ローレル・ファーイ「ショスタコービッチ」(アルファベータ)-2 2016/06/21 ドミトリイ・ソレルチンスキー「ショスタコービッチの生涯」(新時代社)-1 2016/06/20 ド…
ショスタコーヴィチのわかりにくさは、音楽作品のあまりの多面性(初期と晩年でずいぶん違うし、大規模作品と室内楽でも異なる)があるほか、友人にすら本心を明かさないかたくなさがあって、一方ソ連の社会主義リアリズムのスポークスマンでもあって……という…
ドミトリー・ショスタコーヴィチ(以下DSとする)は1906年レニングラード生まれ。幼少の頃は特に神童エピソードはないが、6-7歳で音楽に関心を持った時、即座にピアノを弾けたというからすごい。13歳でグラズノフの推薦をうけてペトログラード音楽院に入学す…
著者のドミトリイは、DSが懇意にしていた音楽学者イワン・ソレルチンスキーの息子。イワンは若くして亡くなったが、DSはそのあとも家族と交友していて、ドミトリイもよく知っていたらしい。そこでDSの死後に編集・出版された。ヴォルコフ「ショスタコーヴィ…
スターリン批判があり、フレシチョフの雪解け政策があったとしても、ソ連社会はまだ堅苦しく、文化統制は続いている。1960年ころからのDSには二つの変化が訪れる。 ひとつは、公務をたくさん担うようになること。コンクールの審査員であったり(アメリカのヴ…
1979年にヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」がでた。その反響はとても大きかった。そのあとに、ソ連側からショスタコーヴィチの書いた文章を発表年ごとにまとめ、その年にDSに起きたことを説明する文章を加えた本がでた。それがこの「自伝」。原著は1…
ここではDSを離れて、政治と芸術について。 ソ連共産党の考えは、経済体制の下部構造のうえにある芸術活動は下部構造の変化に対して積極的にかかわらなければならない。すなわち資本主義から社会主義への変化が歴史的必然であり、それが疎外された民衆、人民…
まえがきによると、1960年ころにある音楽学生がDSと昵懇になり、家への出入りを許されるようになった、卒業後ジャーナリストになって、DSに頻繁にインタビューを行う。DSの話をメモに取り、適宜編集したものをみせると、DSは自分の文章としてよい、ただし発…
仮構されたショスタコービッチ=ヴォルコフの人格をDSと呼ぶことにして、DSの言うことを聞いてみよう。 DSは記憶の重要性をいう。というのは、ソ連の文化政策では一貫して、オーウェル「1984年」のように歴史は書き換えられるもので、粛清や虐殺は記録されず…
24歳の若者フランクは、各地を渡り歩き、小銭を稼いだり、警察や土地の者に追い出されたりしながら暮らしていた(こういうのをホーボーというのだっけ。かつては1960年代のヒッピーと比較された)。ふらっと立ち寄った安レストランで亭主に声をかけられ、住…
2016/06/10 ダシール・ハメット「フェアウェルの殺人」(創元推理文庫) 1923年 2016/06/9 ダシール・ハメット「スペイドという男」(創元推理文庫) 1926年 2016/06/8 ダシール・ハメット「血の収穫」(創元推理文庫) 1928年 2016/06/7 ダシール・ハメット…
ダシール・ハメットは1894年生まれ。従軍と探偵社勤務の経験があり、結婚生活が破たんしてから、広告の仕事をしながら、短編を書きだした。発表誌は当時読まれたパルプ雑誌。そのころの初期短編を集めたもの。 コンチネンタル探偵社サンフランシスコ支局に勤…
サム・スペイドの登場する短編3つを収録。スペイドの登場するのは、これに加えてあとは「マルタの鷹」だけ。 スペイドという男 1932.07 ・・・ 江戸川乱歩「世界短編傑作集 4」(創元推理文庫)に所収。絞殺された死体のうえには薔薇十字会の紋章を書いた…
鉱山町パーソンヴィルは別名ポイズンヴィル(毒村)。エリヒュー・ウィルソンが開祖で、市のすべてを牛耳っていた。1921年の不況の年、労働争議が盛んになったので、暴力団を雇って鎮圧したのだが、根を張った暴力団は市を好き放題にしている。エリヒューも…
タイトルからすると、1920年代アメリカの探偵小説黄金時代によくあるような通俗スリラーみたいなものを連想する。実際のところ、風俗こそ当時の最新のものではあるが、案外意匠は古めかしい。コンチネンタル探偵社の名無しの探偵である「私」がある一家に呼…
共同で探偵事務所を開いているサム・スペードのもとにワンダリーと名乗る女性が訪れた。妹が駆け落ちしたので見つけてほしい、ホテルにいる駆け落ち相手を監視するのがよいという。相棒が依頼者と出ていった翌朝、射殺された相棒が見つかる。続けて駆け落ち…
州都ほど大きくはないが、数十万人の人口のありそうな1920年代アメリカの田舎都市。市長、地方検事局は選挙で選ばれているのが、実質的な権力者は黒幕ともいえるギャングのボスであった。土建会社をトンネル会社にして、公共事業の受注を一手に引き受けると…
原題「The Thin Man」は直訳すると「やせっぽち」。でもここでは「影なき男」とされている。すなわち原書が1934年に出版されたあと、ハリウッドで映画化された。ウィリアム・ポールとマーナ・ロイの主演した映画(どんな俳優なんだろう)がおおあたり。数本…
19世紀後半のアメリカの資本主義の発達はたくさんの大金持ちを生んだが、その中にはギャングやマフィアと組んで市政を牛耳るものがあった。そのために多くの大都市は不正と横領と賄賂の横行(羽仁五郎「都市」岩波新書が詳しかった。引用ばかりだったけど)…