埴谷雄高
2021/07/12 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)ガイド 1946年 2021/07/09 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「序」 1948年2021/07/08 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「第一章 癲狂院にて」 1948年2021/07/06 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文…
この小説は、敗戦直後の1946年に雑誌「近代文学」に連載された。第4章まで書かれて1948年に中断。それから約20年の時を経て、第5章が1975年に突然発表(このとき、「完本」のタイトルで第5章までの分厚く黒い本が出た。中学生だった俺は卒業直前に都会に出て…
2021/07/12 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)ガイド 1946年の続き 「序」で、「死霊」の方法と物語の構想が語られる。 序(1948.10) ・・・ 一つの形而上学でもある観念小説。方法は「極端化と暖昧化と神秘化」「als obの濫用、反覆の濫用、或る期間…
2021/07/09 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「序」 1948年の続き 第一章 癲狂院にて (第一日午前) とても暑かった夏の終わりの午前、永久運動で動く時計台をもっている「✖✖風癲病院」に、黙りがちで長身の三輪与志が、兄・高志の依頼で、高志の友人…
2021/07/08 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「第一章 癲狂院にて」 1948年の続き 第二章 《死の理論》 (第一日午後) その日の午後は、三輪家の祖母の葬儀が予定されている。「風癲病院」を抜け出した首が向かったのは津田家。彼は出かける前の津田…
2021/07/06 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「第二章 《死の理論》」-1 1948年の続き 三輪家と津田家は300年間の付き合いがある古い家。 最近になっての出来事で重要なのは、高志や与志の父である広志と津田康造が子供時代からの知り合いであること。…
2021/07/05 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「第二章 《死の理論》」-2 1948年の続き 首猛夫は自分の作った喩え話において、墓地をへて平安な場所にいけるのは津田夫人のみであるという。自分のことに思い煩うことがなく、他人の魂のことばかり背負い…
2021/07/02 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「第二章 《死の理論》」-3 1948年の続き 第三章 屋根裏部屋(第一日の夕方から日没) 語り手は、この時代を酷しき「紛糾と錯乱の支配する」鉄の時代であるとする。それ以前の金や青銅の時代から衰退・退廃…
2021/07/01 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「第三章 屋根裏部屋」-1 1948年の続き 黒川建吉は図書館の屋根裏部屋に寄宿してからしばらくは講義に出ていたが、それをやめると誰にも会わない。一時期は社会運動の連中が会合場所にしていたが、それもな…
2021/06/29 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「第三章 屋根裏部屋」-2 1948年の続き 第四章 霧のなかで(第一日 夜) 黒川と別れた与志は、橋を渡って先に行く。工場地帯が近くにあるその街は「魔窟」と比喩される。労働者を見込んだ歓楽街があるわけ…
2021/06/28 埴谷雄高「死霊 II」(講談社文芸文庫)「第四章 霧のなかで」-1 1948年の続き 与志が橋を渡って先にやってきたのは、尾木恒子にあうため。21-22歳くらいの彼女は一人暮らしの保母。夕刻にならないと帰宅しないと聞いていたので、遅い時間にや…
1909年生まれの埴谷雄高が書いた文章のうち、文学に関係するものを集める。 再読すると、自分は作家のいう「非同一な志向を担った読者」であるらしい。なので、サマリーは作れない。かわりに、いくつかの抜き書きと自分の感想をおいておくことにする。 序 『…
2021/06/24 埴谷雄高「文学論集」(講談社)-1 1973年の続き 俺は大学で生物学を専攻し、そのあと業務・事務の仕事を続けていたので、論はなにごとかの応用や転用が可能であることを望ましく思っている。なので、ことばや文章は一つの意味をあらわしていて、…
2021/06/22 埴谷雄高「文学論集」(講談社)-2 1973年の続き 第3部は作家の存在論とそのイメージ化。エッセイでのっぺらぼうがでてきても多分になんのこっちゃなんだが、「死霊」というフィクションでは強烈なリアリティを持つ。それもまた架空や夢で存在を…
埴谷の青年期の経歴は「青年期に思想家マックス・シュティルナーの主著『唯一者とその所有』の影響を受け、個人主義的アナキズムに強いシンパシーを抱きつつ、ウラジーミル・レーニンの著作『国家と革命』に述べられた国家の消滅に一縷の望みを託し、マルク…
2021/06/18 埴谷雄高「政治論集」(講談社)-1 1973年の続き 発行された1973年では共産主義や革命運動の党の問題は重要で深刻だったが、50年もたつと歴史的文書になってしまう。早い時期からスターリニズム批判をしていたということで、この論集は珍重された…
2021/06/25 埴谷雄高「死霊 II」(講談社文芸文庫)「第四章 霧のなかで」-2 1948年 第五章が発表されたのは、第四章が書かれてから28年後の1975年。なんという長い中断。その間、あきらめなかった作者の意志。 「第五章 夢魔の世界」(第一日の真夜中から…
2021/06/15 埴谷雄高「死霊 II」(講談社文芸文庫)「第五章 夢魔の世界」-1「死者の電話箱」 1975年の続き 目を開けた高志に与志はロケットを見せる。「あのひとはなぜ死んだか」の問いに高志は「俺が子供の存在を容認しなかったから」「自由意思でできる…
2021/06/14 埴谷雄高「死霊 II」(講談社文芸文庫)「第五章 夢魔の世界」-2 スパイ査問事件 1975年の続き 「あの人(尾木恒子の姉)」の死んだいきさつを聞く与志に、高志は「窮極の秘密を打ち明ける夢魔」の話をする。巧妙に回避したようだが、高志の作…
1975年に「死霊」第5章が発表されたことを記念して、「文藝」誌上で行われた対談を収録したもの。その年に25年ぶりに続きが発表されたのだった。主題は革命運動の秘密結社が行ったリンチ殺人。当時は内ゲバによる殺人が頻繁にあって、この主題はとても重かっ…
2021/06/11 埴谷雄高「死霊 II」(講談社文芸文庫)「第五章 夢魔の世界」-3 窮極の秘密を打ち明ける夢魔 1975年の続き 「第六章 《愁いの王》」(第二日の午前) 前日の夕方から立ち込めた霧は晴れて、日差しが出てきた。物語の中にいる人たちは、それぞ…
2021/06/08 埴谷雄高「死霊 II」(講談社文芸文庫)「第六章 《愁いの王》」-1 1981年の続き 矢場は首猛夫に「何をたくらんでいる」と尋ねる。首は「全剿滅(そうめつ)」と答える。すでに津田に「宣戦布告」といっている以上、そのたくらみが暗い情念に基…
1909年生まれの二人が1982-83年に雑誌「世界」で連載した座談を収録。作風から発表場所からずっと異なるところにいたので、接点はないものと自分は思い込んでいた。でも、同じ年に生まれたことと、戦前の東京で青春を過ごしていたことあたりが共通点になって…
2021/06/07 埴谷雄高「死霊 II」(講談社文芸文庫)「第六章 《愁いの王》」-2 1981年の続き 第七章 《最後の審判》(第2日午後) ずぶぬれになった一行(第六章)は、小橋のうえで身づくろい。津田夫人はだまってばかりの与志を詰問(「一人勝手でひとり…
2021/06/03 埴谷雄高「死霊 III」(講談社文芸文庫)第七章 《最後の審判》-1 1984年の続き 食われたものが食ったものを弾劾する。それは自己確認の前の弾劾。でも、食われたものもそのまえに誰かを食っているので、弾劾の対象になる。弾劾は相殺されて、…
2021/06/01 埴谷雄高「死霊 III」(講談社文芸文庫)第七章 《最後の審判》-2 1984年の続き 「より重苦しく鈍くより厳しい響きが何処からともまったく解らずゆっくりと『違うぞ』」と響いてくる。「この影の影の影の国の果てにあるその長さも見届け得ぬほ…
2021/05/31 埴谷雄高「死霊 III」(講談社文芸文庫)第七章 《最後の審判》-3 1984年の続き 第八章 《月光のなかで》(第2日夜) 第6章の終わりで集まったもののうち、そのあとの行動は首だけが第七章で語られた。第八章ではほかの人たちが語られる。すな…
2021/05/28 埴谷雄高「死霊 III」(講談社文芸文庫)第八章 《月光のなかで》-1 1986年の続き そこまでの話をしたところで、外に出た安寿子は首と与志が歩いているのを見かけ、さらに父・津田康造もいるのを知る。 長身の黒川の影をみて「高志さん?」と…
2021/05/27 埴谷雄高「死霊 III」(講談社文芸文庫)第八章 《月光のなかで》-2 1986年の続き 第九章《虚體》論―大宇宙の夢(第3日朝) 当日は安寿子18歳の誕生日(成年を認められる日)。津田家に安寿子が呼んだ列席者が集まり、舞踏会も行ったホールの…
2021/05/25 埴谷雄高「死霊 III」(講談社文芸文庫)第九章《虚體》論―大宇宙の夢-1 1995年の続き 黒服のいうこの「私」を笑う未出現者は、たとえば受精しなかった精子。受精の競争で数億の精子からひとつだけが選ばれて、ほかの精子はなににもならない(…