odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

2019-01-01から1年間の記事一覧

著作権切れテキスト起こし

著作権が切れた文章をテキスト起こししました。 江戸川乱歩 江戸川乱歩「探偵作家としてのエドガー・ポオ」(1949)(エドガー・A・ポー「ポー全集 4」(創元推理文庫)から全文採録) 江戸川乱歩「カー問答」(1950)(ミステリマガジンNo255,1977年7月号…

フョードル・ドストエフスキー「ボボーク」(米川正夫訳)

ボボーク 今度は『ある男の手紀』を掲戦することにしよう。それはわたしではない。まったく別な人なのである。これ以上の前置きは不必要と思う。 『ある男の手記』 セミョーン・アルダリオーノヴィチが、おとといわたしをつかまえてだしぬけに、 「ねえ、イ…

フョードル・ドストエフスキー「作家の日記 上」(河出書房)-1(1873年)「ボボーク」 ロシアは「ヨーロッパの強国にならなければならない」という主張。

「作家の日記」は「本来の日記ではなく、雑誌『市民』でドストエフスキーが担当した文芸欄(のちに個人雑誌として独立)であり、文芸時評(トルストイ『アンナ・カレーニナ』を絶賛)、政治・社会評論、エッセイ、短編小説、講演原稿(プーシキン論)、宗教…

フョードル・ドストエフスキー「キリストのヨルカに召されし少年」(米川正夫訳)

キリストのヨルカに召されし少年 けれど、わたしは小説家であるから、どうやら自分でも一つの「物語」を創作したようだ。なぜ「ようだ」などと書くのかといえば、なにしろわたしは創作したことは自分でもたしかに知っていながら、それでもこれはどこかで、ほ…

フョードル・ドストエフスキー「百姓マレイ」(米川正夫訳)

百姓マレイ しかし、こんなprofessions de foi(信条声明)を読むのは、退屈至極なことと思うから、わたしはある一つのアネクドートを語ろうと思う。もっとも、アネクドートというのはあたらない。要するに、一つの遠い昔の思い出にすぎないのだが、わたしは…

フョードル・ドストエフスキー「百歳の老婆」(米川正夫訳)

百歳の老婆 その朝、わたしは大へん遅くなりました。――この間ある婦人がわたしにこんな話をした。――で、家を出たのは、もうかれこれ午ごろでした。しかも、その時にかぎって、まるでわざと狙ったように、用事がたくさんたまっていました。ちょうどニコラエフ…

フョードル・ドストエフスキー「作家の日記 上」(河出書房)-2(1876年上半期)「キリストのヨルカに召されし少年」 ドスト氏の中年以降の主張は汎ロシア主義。

しばらく休止していて、再開は1876年から。すでに「未成年」を上梓している。ここからしばらくは「作家の日記」に注力していて、「カラマーゾフの兄弟」の取材を始めていたころかしら。というのも、出てくるトピックに子供の虐待(および男性農民による女性…

フェードル・ドストエフスキー「宣告」(米川正夫訳)

4 宣告 ここでついでに、退屈のために自殺したある男、もちろん、唯物論者のある考察をお目にかけよう。 「……まったくのところ、いったい自然はどういう権利があって、何かえたいの知れない永遠の法則のために、このおれを世の中へ生み出したのだろう?おれ…

フョードル・ドストエフスキー「おとなしい女」第1章(米川正夫訳)

おとなしい女――空想的な物語―― 著者より わたしはまずもって読者諸君に、今度、いつもの形式をとった『日記』の代わりに、一編の小説のみを供することについて、お許しを願わねばならぬこととなった。しかしながら、事実一か月の大部分、わたしはこの小説に…

フョードル・ドストエフスキー「おとなしい女」第2章(米川正夫訳)

フョードル・ドストエフスキー「おとなしい女」第1章(米川正夫訳)の続き。 第2章 1 傲慢の夢 ルケリヤはたった今、このままわたしのところに住みつこうと思わない、奥さんの葬式がすんだら、早速お暇をいただくと言明した。わたしは五分ばかりひざまつい…

フョードル・ドストエフスキー「作家の日記 上」(河出書房)-3(1876年下半期)「宣告」「おとなしい女」 露土戦争(1877-78年)を控えてドスト氏は「近東問題」を語る。

上半期から「近東問題」が話題になっているが、これは露土戦争(1877-78年)を控えてのロシアとトルコの緊張を指してのこと。調べないで、記述から推測されることを書くと(ドスト氏がちゃんとレポートしないので)、オスマン・トルコが勢力拡張をめざしてバ…

フョードル・ドストエフスキー「3 ロシヤの誕刺文学 処女地 終焉の歌 古い思い出」(米川正夫訳)

3 ロシヤの誕刺文学 処女地 終焉の歌 古い思い出 わたしは今月文学、つまり美文学、「純文学」にも精進した。そして、なにやかや夢中になって読破した。ついでながら、わたしはさきごろロシヤの調刺文学、――といって、現代の、今日のわが調刺文学なのである…

フョードル・ドストエフスキー「おかしな人間の夢」(米川正夫訳)

おかしな人間の夢 ――空想的な物語―― おれはおかしな人間だ。やつらはおれをいま気ちがいだといっている。もしおれが依然として旧のごとく、やつらにとっておかしな人間でなくなったとすれば、これは、位があがったというものだ。だが、もうおれは今さら怒ら…

フョードル・ドストエフスキー「作家の日記 下」(河出書房)-1(1877年上半期)「おかしな人間の夢」 露土戦争の開始にいたり、ドスト氏は、汎スラブ主義と反ユダヤ主義を強く主張する。

下巻は1877年から。近東問題は急を呼び、ついには露土戦争の開始にいたる。 そこでドスト氏は、汎スラブ主義と反ユダヤ主義を強く主張するようになる。ことに3月号は前編が愛国主義的な論。すなわち、この戦争は政党であり、コンスタンチノーブルはロシア領…

フョードル・ドストエフスキー「作家の日記 下」(河出書房)-2(1877年下半期) 大長編の連載を開始したので、個人雑誌は終刊する。

個人雑誌としての「作家の日記」。1877年夏ごろに、ドスト氏は体調不良を覚え、同年内の中止を決める。最終号では翌年から長編の連載を開始すると予告していたが、実際は1879年から開始された(「カラマーゾフの兄弟」)。 「作家の日記」を発行するにあたっ…

フョードル・ドストエフスキー「プーシキン論」(米川正夫訳)

第2章 プーシキン論 六月八日、ロシヤ文学愛好者協会の大会においてなされたる演説 プーシキンはなみなみならぬ現象である、おそらくロシヤ精神の唯一の現われであろう、とゴーゴリはいった。わたしはそれに加えて、予言的現象であるといおう。しかり、彼の…

フョードル・ドストエフスキー「後掲『プーシキンに関する演説』についての釈明」(米川正夫訳)

一八八〇年八月 第1章 後掲『プーシキンに関する演説』についての釈明 『作家の日記』の本号(一八八〇年の唯一号)のおもなる内容をなす、次にかかげるプーシキンとその意義に関するわたしの演説は、本年六月八日、ロシヤ文学愛好者協会の大会で、多数の聴…

フョードル・ドストエフスキー「作家の日記 下」(河出書房)-3(1880年)「プーシキン論」 イワン・カラマーゾフの問いがここでも問われる。

「カラマーゾフの兄弟」連載のさなかの1880年と81年に「作家の日記」が再開された。 1880年はプーシキン論(1880年6月8日、ロシア文学愛好者協会大会での演説)。「作家の日記」収録にあたって、ドスト氏は「釈明」を書いている。それによると、ドスト氏は演…

米川正夫「ドストエーフスキイ研究」(河出書房)-1 個人約全集を出版した訳者による研究書。第1部は生涯。作家が生きた時代がさっぱりわからない。

河出書房でドストエフスキーの個人訳全集を出版した訳者による研究書(全集別巻)。「ドストエーフスキイ」の表記は訳者による。 第1部は生涯。家族や知人、友人の記録を参照しながら、生涯のできごとを記載する。今回、「貧しき人々」からだいたい発表順に…

米川正夫「ドストエーフスキイ研究」(河出書房)-2 個人約全集を出版した訳者による研究書。第2部は作品論。ロシアの特殊事情を無視した普遍化・象徴化。

米川正夫「ドストエーフスキイ研究」(河出書房)-2 個人約全集を出版した訳者による研究書。第2部は作品論。ロシアの特殊事情を無視した普遍化・象徴化。2019/11/26 米川正夫「ドストエーフスキイ研究」(河出書房)-1 1958年の続き 続いて第2部は作品論。…

レフ・シェストフ「悲劇の哲学」(新潮文庫)-1 ドスト氏の地下室に孤独に引きこもるキャラは、社会の問題から解放されて(引き受けなくてもいいことにして)、孤独な人格の問題を取り上げることに専心する。

レフ・シェストフ(1866年2月12日(ユリウス暦1月31日)- 1938年11月19日)はロシア出身、ドイツに住んだ哲学者、文芸評論家。本書によるドストエフスキー読解は戦前の若者に大きな影響を与えたという。そういう歴史的な古典を、古本屋で河上徹太郎訳の文庫…

レフ・シェストフ「悲劇の哲学」(新潮文庫)-2 社会に背を向ける行為は、全体主義やファシズムに取り込まれることになる。この評論はその区別を読者は付けられるかの試金石になりそう。

2019/11/22 レフ・シェストフ「悲劇の哲学」(新潮文庫)-1 1903年の続き 続いて後半の論文。 ニーチェ ・・・ ニーチェもまたドスト氏と同じく苦悩と罪人を考えた人。その思想の経歴には似たところがある。ドスト氏のシベリア流刑のように、ニーチェは師で…

河出文芸読本「ドストエーフスキイ」(河出書房)-1 戦後25年の間に書かれた論文で日本人がドスト氏をどう受容したかを見られる。自由や自我を抽象的な問題にした批評は全然響いてこない。

河出書房新社が1970年代に出した有名作家の論文・エッセーのまとめ。なくなるまでに国内外の作家30人くらいが出たのではなかったかな。夏目漱石とドスト氏だけが2冊出た。需要が多かったわけだ。タイトルの「ドストエーフスキイ」は、この出版社で出してい…

河出文芸読本「ドストエーフスキイ」(河出書房)-2 ギリシャ(ロシア)正教と19世紀ロシア史の解説はとても有意義。

2019/11/19 河出文芸読本「ドストエーフスキイ」(河出書房)-1 1976年 もうすこし具体的な問題を取り上げた論文を読む。全体の10%に満たない文章のほうが重要だった。 ドストエフスキー(E・H・カー)1931 ・・・ 歴史家カーの最初の本であるドスト氏の伝…

亀山郁夫「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する」(光文社新書) 書かれなかった第2部では皇帝暗殺事件=社会的な父殺しが主題になるはず。

2007年の病気療養中の3月から翌月にかけて、中学生の時に死ぬまでに一度読み通すという決心をした本を集中的に読んだ。マルクス「資本論第1巻(岩波文庫1~3)」、埴谷雄高「死霊」、ドストエフスキー「悪霊」と「カラマーゾフの兄弟」。毎日13-14時間を…

奥泉光「『吾輩は猫である』殺人事件」(新潮文庫)-1 上海に帝国主義国家の猫が集まり、国の代表のように駄弁をふるう。

まえもって夏目漱石「吾輩は猫である」を読んでおいた方がいい。なので、未読の人は本書を読むのは後回しにすること。 猫の「吾輩」はビールに酔っぱらって水死したはずである。「吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀…

奥泉光「『吾輩は猫である』殺人事件」(新潮文庫)-2 テキストで1905年から6年を再現しようという意思が働いていて、蘊蓄・博識を隠さない。

2019/11/14 奥泉光「『吾輩は猫である』殺人事件」(新潮文庫)-1 1996年 新聞などから解る事情はこういうこと。1905年11月23日。夕方客のあったあと自室にこもっていた苦沙弥氏は翌朝頭を殴られて死んでいるのが発見された。家屋は内から戸締りがされていて…

奥泉光「『吾輩は猫である』殺人事件」(新潮文庫)-3 名無しであるという無個性はそれゆえにこそ宇宙的な普遍性を獲得する。しかし猫の普遍性は人間には全く影響を及ぼさない。

2019/11/14 奥泉光「『吾輩は猫である』殺人事件」(新潮文庫)-1 1996年2019/11/12 奥泉光「『吾輩は猫である』殺人事件」(新潮文庫)-2 1996年 古典的なテキストを基にして、別の物語を載せてリフレッシュさせる文学は、例えばクリストファー・プリースト…

山口雅也「日本殺人事件」(角川文庫)

日本人の母(再婚のため血縁はない)を失ったとき、トーキョー・サムはまだ見ぬニホンへの憧憬が強まった。サンフランシスコの私立探偵ライセンスは米軍基地のあるカンノン市では有効である。そこで、失業したサムはわずかなたくわえでニホンへ向かった。そ…

山口雅也「続・日本殺人事件」(創元推理文庫)

「日本殺人事件」1994年の評判が良かったので、作者に連絡をとってあと2作を翻訳して1997年に発表した、とされる。 巨人の国のガリヴァー ・・・ 私立探偵事務所を開くことになったトーキョー・サム。最初の依頼人はなんとスモウ・レスラーだった。カンノン…