odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

プロレス

柳澤健「1964年のジャイアント馬場」(二葉文庫)-1 バディ・ロジャースの全盛期にアメリカに渡った怪奇派「東洋の巨人」キャラレスラー

1964年が特異な年になる理由は、ジャイアント馬場が重大な決断を迫られていたから。日本人離れした肉体を持った若者はそれゆえに国内に居場所がなく、力道山の日本プロレスを経てアメリカに「武者修行」にでる。そこでは日本社会のような抑圧はなく、巨大な…

柳澤健「1964年のジャイアント馬場」(二葉文庫)-2 選手や団体の評価がダッチロールして再読に耐えない

2021/01/21 柳澤健「1964年のジャイアント馬場」(二葉文庫)-1 2019年の続き アメリカと日本のプロレスが比較される。大きな違いは、アメリカはレスラーと興行と宣伝は別の組織が行うが、日本では一社が全部行うところ。日本のプロレスは力道山が相撲協会の…

現代思想2002年2月増刊「プロレス」(青土社)-1 プロレス人気が凋落して関係者が自信喪失したから生まれた「プロレス問題」

2002年の雑誌「現代思想」の増刊。「現代思想」で「プロレス」とは面妖な。と、首をかしげる前にその前の10年の歴史を振り返る。転換期は1980年代なかばから。 それまで新日本と全日本と国際と全日本女子だけが国内のプロレス団体であった。プロレスを語るこ…

現代思想2002年2月増刊「プロレス」(青土社)-2 小人プロレス、女子プロレス、在日コリアンレスラーなど語られてこなかったプロレスの歴史を発掘。

2021/01/18 現代思想2002年2月増刊「プロレス」(青土社)-1 2002年の続き 抽象的な思考の論文のあとは、プロレスの現場からの発言や意見。 おおきく5つの問題領域が設定されている。便宜上ABCを俺がつける。A.プロレス空間への招待。B.プロレスの哲学的考…

現代思想2002年2月増刊「プロレス」(青土社)-3 日米プロレス史。昭和の馬場vs猪木論争はコップの中の嵐。

2021/01/18 現代思想2002年2月増刊「プロレス」(青土社)-1 2002年2021/01/15 現代思想2002年2月増刊「プロレス」(青土社)-2 2002年の続き プロレスの現場を見た後に、プロレスの歴史を語る。日本のプロレスができて50年(2002年当時)。それまでは当事者…

斎藤文彦「フミ・サイトーのアメリカン・プロレス講座 決定版WWEヒストリー 1963-2000」(電波社) テレビ時代に全米のプロレスマーケットをワークホリックなビジネスマンが一社で独占するまで。

著者は高校生でホームステイしていたころからアメリカのプロレスラーにインタビューしていた。記事を書くと、日本のプロレス雑誌が買うようになり、プロのライターになってからは日本のプロレス試合のレビューも書くけど、むしろアメリカのプロレス情報を紹…

斎藤文彦「レジェンド100―アメリカン・プロレス伝説の男たち」(ベースボールマガジン社)

もとは2006年に出版されたものだが、今回は2018年にウェブで連載された版で読んだ(いろいろと加工して、PDFを作成しタブレットに表示させる)。およそ12年たっているので、その後の経歴や消息などをアップデートし、過去の資料の発見などを補足してある。 W…

マイケル・ルイス「マネー・ボール」(RHブックス・プラス) データ重視は野球の技術と戦法を変えたが、球団運営を変えたか

オークランド・アスレチックスは冴えない大リーグの球団だった。資金が少なく、年棒総額はヤンキースの3分の1でしかない。しかし、1999年から数シーズン目覚ましい活躍をみせる。それまで年棒の高いスーパースターを集めれば常勝球団が作れるといわれていた…

ミスター高橋「流血の魔術」(講談社+α文庫) 興行のシナリオが存在し、試合の結末が事前に決められているという事情を知ることは、プロレスの楽しみを半減させることになるか

著者は新日本プロレスの元レフェリー。退職後に、「プロレス、至近距離の真実」1998年、本書2001年、「マッチメーカー」2002年を出版した。他にも著書は多数あるが、プロレスの内幕を書いたということでは、この3冊が重要。 中身を見る前に、背景を確認して…

「TAJIRIのプロレス放浪記」(ベースボール・マガジン社) 日米プロレス団体比較。団体所属のサラリーマンと個人事業経営者の集まり、どっちがいい?

昭和の中ごろからプロレスラーは本を書いていた。たいていの場合は、ゴーストライターによる代筆だろう。 プロレスラーが自分で書いていることを宣言したうえで、文章を発表した端緒は、馳浩が安田忠夫のデビュー戦を週刊プロレスでレポートしたとき(いっし…

「TAJIRI ザ ジャパニーズバズソー」(ベースボール・マガジン社) ECWの終焉を伝える貴重なドキュメント“This Is Not For Everyone” “Join The Revolution”

本名田尻義博で、21世紀になってからアメリカのプロレス界でもっとも名の知られた日本人レスラー。20世紀だと、戦前のキラー・シクマから戦後のジャイアント馬場、マサ斎藤、ヒロ・マツダ、キラー・カンなどの成功者を上げることができる(ここでは日系アメ…

前田日明「格闘王への挑戦」(講談社文庫) 格闘少年の「父親」捜し。読みでがあるのは「パワー・オブ・ドリーム」。

1988年に出たので、著者が「第2次UWF」を旗揚げしてしばらくしたところ。翌年がこの団体のピークで、たしか東京ドームで大会を開いたのではなかったかな(U-COSMOS 1989年11月29日。TVで録画放送されたが、なんと旅客機のハイジャック事件が起きて、半分の試…

和田京平「読む全日本プロレス」(MF文庫ダ・ヴィンチ) 観客1万人を年6回集めてもプロレス興行会社は自転車操業。それでもプロレスはやめられない。

ジャイアント馬場の全日本プロレスは1972年に創立された。さまざまなスターレスラーを誕生させ、1999年に社長のジャイアント馬場が亡くなった後、選手とフロントで内紛がおき、分裂した。そのあと新日本プロレスの武藤敬司が社長に就任する。それも2013年に…

スタン・ハンセン「魂のラリアット」(ベースボール・マガジン社) 団体の利益のために全力を投入するが、団体への帰属意識は薄く、自分にふさわしいと思われる報酬は遠慮なく要求する「日本で最も有名な外人プロレスラー」

いうまでもなく、1980−90年代でこの国を主戦場にしたプロレスラーで最も知られ、最も成功した人。名前を書いた途端に、vsアントニオ猪木、vsアンドレ・ザ・ジャイアント、vsジャイアント馬場、vsジャンボ鶴田、vs天龍源一郎、vsハルク・ホーガン、vs四天王(…

ザ・デストロイヤー「マスクを脱いだデストロイヤー」(ベースボール・マガジン社) アメリカとこの国のプロレスの勃興と没落のタイムラグをうまく利用して、最適な場所に自分をおくことができた「世界で最も有名なマスクマン」

本名リチャード・ベイヤー(バイヤーのほうが発音に近いらしいが、この国ではベイヤーでとおっている)、通称ディック・ベイヤー。こちらの名でリングに上がったことがある。われわれにとってはジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤーあるい…

ハルク・ホーガン「わが人生の転落」(双葉社) 世界で一番有名なプロレスラーの栄光と没落を本人が語る。

ハルク・ホーガンの自伝翻訳書。本国アメリカでもベストセラーとなった本書の読みどころは、映画『レスラー』をはるかにしのぐスーパースターの転落ぶり。消えぬ肉体の痛み、息子の交通事故、そして妻の浮気と巨額離婚裁判……。スポットライトを浴び続けたス…

スコット・M・ビークマン「リングサイド」(早川書房) WWEが市場を独占する前のアメリカ・プロレスの歴史。興行とメディアの変化がプロレスを変えた。

知っていますか? 「第16代大統領エイブラハム・リンカーンは、プロレスラーだった」 「世界初のチャンピオンベルトは、1870年に作られた」 「不世出のチャンピオン、ルー・テーズの最後の試合相手は、日本人レスラーだった」 「1950年代にデビューした女子…

門馬忠雄「アンドレがいた!」(エンターブレイン) アンドレに関しては目新しい情報はないので、ヨーロッパのプロレス情報のほうがおもしろい。

著者は東京スポーツ出身のプロレス記者。後にはフリーライターとして活躍。のはずだったが、このところ彼の名を聞く機会がない。おかしいと思っていたら、脳梗塞により身体に不自由があるとの由(2004/10/26現在)。回復をお祈りします(wikipediaによると20…

門茂男「力道山の真実」「馬場・猪木の真実」「群狼たちの真実」(角川文庫) 昭和40年代にでプロレスの内幕暴露本。

すでに品切れで店頭に並んでいない本。「力道山の真実」「馬場・猪木の真実」「群狼たちの真実」の3巻からなる。著者は、日本プロレス創生期(1954年)の東京スポーツ記者で、試合・選手・興行に深くかかわった人。1970年代初頭に全日本プロレス(馬場)・新…

森達也「悪役レスラーは笑う―「卑劣なジャップ」」(岩波新書) 日系アメリカ人プロレスラー「グレート東郷」は日本のプロレスの貢献者になりそこねた。

かつて力道山の勇姿に熱狂したことのある人なら、「グレート東郷」という名前に強烈なイメージを抱くはずだ。ずんぐりとした体型、常にニヤニヤと不敵な笑みを浮かべ、極悪非道の反則攻撃を繰り出す。1962年の「銀髪鬼」フレッド・ブラッシーとの一戦は、激…

村松友視「力道山がいた」(朝日文庫) 日本のプロレスをゼロから作ったイノベーターの一代記。

こういうのを読むとつくづくプロレスというのは記憶なのだなあ、と思う。1990年より前には日本のプロレス団体は多くて8つ、少ないときにはひとつという状態だった。そこでは試合の数が少なく、大試合となると数ヶ月に1回ということになる。で、見る側は試合…

高部雨市「君は小人プロレスをみたか」(幻冬舎アウトロー文庫) 「小人プロレスは人権団体に潰された!」はデマ。スカウトをやめて選手がいなくなり、興行会社の倒産で規模が小さくなった。

小人プロレスは、全日本女子プロレスの前座として興業に組み入れられてきた。たぶん最盛期は1980年代の初頭で、所属レスラーは10名前後。茨城県で興業ポスターを見たことがあり、おかしなリングネームににやついたものだ。プリティ・アトム、隼大五郎、天草…