プロレス
1964年が特異な年になる理由は、ジャイアント馬場が重大な決断を迫られていたから。日本人離れした肉体を持った若者はそれゆえに国内に居場所がなく、力道山の日本プロレスを経てアメリカに「武者修行」にでる。そこでは日本社会のような抑圧はなく、巨大な…
2021/01/21 柳澤健「1964年のジャイアント馬場」(二葉文庫)-1 2019年の続き アメリカと日本のプロレスが比較される。大きな違いは、アメリカはレスラーと興行と宣伝は別の組織が行うが、日本では一社が全部行うところ。日本のプロレスは力道山が相撲協会の…
2002年の雑誌「現代思想」の増刊。「現代思想」で「プロレス」とは面妖な。と、首をかしげる前にその前の10年の歴史を振り返る。転換期は1980年代なかばから。 それまで新日本と全日本と国際と全日本女子だけが国内のプロレス団体であった。プロレスを語るこ…
2021/01/18 現代思想2002年2月増刊「プロレス」(青土社)-1 2002年の続き 抽象的な思考の論文のあとは、プロレスの現場からの発言や意見。 おおきく5つの問題領域が設定されている。便宜上ABCを俺がつける。A.プロレス空間への招待。B.プロレスの哲学的考…
2021/01/18 現代思想2002年2月増刊「プロレス」(青土社)-1 2002年2021/01/15 現代思想2002年2月増刊「プロレス」(青土社)-2 2002年の続き プロレスの現場を見た後に、プロレスの歴史を語る。日本のプロレスができて50年(2002年当時)。それまでは当事者…
著者は高校生でホームステイしていたころからアメリカのプロレスラーにインタビューしていた。記事を書くと、日本のプロレス雑誌が買うようになり、プロのライターになってからは日本のプロレス試合のレビューも書くけど、むしろアメリカのプロレス情報を紹…
もとは2006年に出版されたものだが、今回は2018年にウェブで連載された版で読んだ(いろいろと加工して、PDFを作成しタブレットに表示させる)。およそ12年たっているので、その後の経歴や消息などをアップデートし、過去の資料の発見などを補足してある。 W…
オークランド・アスレチックスは冴えない大リーグの球団だった。資金が少なく、年棒総額はヤンキースの3分の1でしかない。しかし、1999年から数シーズン目覚ましい活躍をみせる。それまで年棒の高いスーパースターを集めれば常勝球団が作れるといわれていた…
著者は新日本プロレスの元レフェリー。退職後に、「プロレス、至近距離の真実」1998年、本書2001年、「マッチメーカー」2002年を出版した。他にも著書は多数あるが、プロレスの内幕を書いたということでは、この3冊が重要。 中身を見る前に、背景を確認して…
昭和の中ごろからプロレスラーは本を書いていた。たいていの場合は、ゴーストライターによる代筆だろう。 プロレスラーが自分で書いていることを宣言したうえで、文章を発表した端緒は、馳浩が安田忠夫のデビュー戦を週刊プロレスでレポートしたとき(いっし…
本名田尻義博で、21世紀になってからアメリカのプロレス界でもっとも名の知られた日本人レスラー。20世紀だと、戦前のキラー・シクマから戦後のジャイアント馬場、マサ斎藤、ヒロ・マツダ、キラー・カンなどの成功者を上げることができる(ここでは日系アメ…
1988年に出たので、著者が「第2次UWF」を旗揚げしてしばらくしたところ。翌年がこの団体のピークで、たしか東京ドームで大会を開いたのではなかったかな(U-COSMOS 1989年11月29日。TVで録画放送されたが、なんと旅客機のハイジャック事件が起きて、半分の試…
ジャイアント馬場の全日本プロレスは1972年に創立された。さまざまなスターレスラーを誕生させ、1999年に社長のジャイアント馬場が亡くなった後、選手とフロントで内紛がおき、分裂した。そのあと新日本プロレスの武藤敬司が社長に就任する。それも2013年に…
いうまでもなく、1980−90年代でこの国を主戦場にしたプロレスラーで最も知られ、最も成功した人。名前を書いた途端に、vsアントニオ猪木、vsアンドレ・ザ・ジャイアント、vsジャイアント馬場、vsジャンボ鶴田、vs天龍源一郎、vsハルク・ホーガン、vs四天王(…
本名リチャード・ベイヤー(バイヤーのほうが発音に近いらしいが、この国ではベイヤーでとおっている)、通称ディック・ベイヤー。こちらの名でリングに上がったことがある。われわれにとってはジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤーあるい…
ハルク・ホーガンの自伝翻訳書。本国アメリカでもベストセラーとなった本書の読みどころは、映画『レスラー』をはるかにしのぐスーパースターの転落ぶり。消えぬ肉体の痛み、息子の交通事故、そして妻の浮気と巨額離婚裁判……。スポットライトを浴び続けたス…
知っていますか? 「第16代大統領エイブラハム・リンカーンは、プロレスラーだった」 「世界初のチャンピオンベルトは、1870年に作られた」 「不世出のチャンピオン、ルー・テーズの最後の試合相手は、日本人レスラーだった」 「1950年代にデビューした女子…
著者は東京スポーツ出身のプロレス記者。後にはフリーライターとして活躍。のはずだったが、このところ彼の名を聞く機会がない。おかしいと思っていたら、脳梗塞により身体に不自由があるとの由(2004/10/26現在)。回復をお祈りします(wikipediaによると20…
すでに品切れで店頭に並んでいない本。「力道山の真実」「馬場・猪木の真実」「群狼たちの真実」の3巻からなる。著者は、日本プロレス創生期(1954年)の東京スポーツ記者で、試合・選手・興行に深くかかわった人。1970年代初頭に全日本プロレス(馬場)・新…
かつて力道山の勇姿に熱狂したことのある人なら、「グレート東郷」という名前に強烈なイメージを抱くはずだ。ずんぐりとした体型、常にニヤニヤと不敵な笑みを浮かべ、極悪非道の反則攻撃を繰り出す。1962年の「銀髪鬼」フレッド・ブラッシーとの一戦は、激…
こういうのを読むとつくづくプロレスというのは記憶なのだなあ、と思う。1990年より前には日本のプロレス団体は多くて8つ、少ないときにはひとつという状態だった。そこでは試合の数が少なく、大試合となると数ヶ月に1回ということになる。で、見る側は試合…
小人プロレスは、全日本女子プロレスの前座として興業に組み入れられてきた。たぶん最盛期は1980年代の初頭で、所属レスラーは10名前後。茨城県で興業ポスターを見たことがあり、おかしなリングネームににやついたものだ。プリティ・アトム、隼大五郎、天草…