ドストエフスキー
今回は角川文庫の小沼文彦訳。昭和33年1958年初版なので、前回読んだ米川正夫訳よりも新しい。たとえば以下の言葉が注釈なしに使われる。「デート」「ランデブー」「ハート」「(好きな人の)タイプ」など。これらは当時の若者言葉。昭和30年代の日本の青春…
2020/02/28 フョードル・ドストエフスキー「貧しき人々」(河出書房)-1 1846年2020/02/27 フョードル・ドストエフスキー「貧しき人々」(河出書房)-2 1846年2020/02/25 フョードル・ドストエフスキー「分身(二重人格)」(河出書房) 1846年2020/02/24 フ…
これから米川正夫個人訳のドストエーフスキイ全集を読んでいく。 中学3年の冬、高校受験の直前に同じ訳者の「罪と罰」(新潮文庫)を買って、受験勉強をほったらかしにして一月ほどかけて読んだ(目標にしていた高校に入学)。そのときに、この作家の小説を…
対するマカールでは下宿の同居人ブルシコフの存在に目をひかれる。マカールと同じ小官吏。彼は上司の不正か何か巻き込まれて訴追されていた。それは彼を意気消沈させるものであったが、勝訴し、職場の信頼も復活する。パーティの席で興奮して疲れて休んでい…
タイトルは「ドッペルゲンガー」を意味するロシア語だそうなので、米川正夫の「分身」のほうがあっている。岩波文庫のタイトルの「二重人格」は読者を混乱させるな。今なら「ドッペルゲンガー」で通じると思う(オカルト系ではこの現象の人気がなくなってい…
以下は河出書房新社版全集第1巻に収録された中短編。 プロハルチン氏 1846 ・・・ 安下宿に長年寄宿している下級役人のプロハルチン氏。けちで他人を寄せ付けない偏屈な男。それがある晩姿を消し、体調を崩して帰ってきた。譫妄状態になり、ついに死亡する…
以下は河出書房新社版全集第2巻に収録された中短編。1848年に発表されたもの。 弱い心 1848 ・・・ 長年ルームシェア(という言葉は出てこないけど)しているアルカージィとヴァーシャの青年下級官吏。大晦日の晩にご機嫌で帰ってきたヴァーシャを問いつめ…
ペテルブルグにきて8年目、26歳になった「わたし」。友達がいないので、町をうろつくことしかできず、ずっとなにか考え事(空想)をしている。今日もうつうつとしていて、一人ぼっちで世の中から見捨てられている感じ。この自閉的な行動性向は素質によるのか…
2020/02/20 フョードル・ドストエフスキー「白夜」(河出書房)-1 1848年 さて、この「白夜」の米川正夫訳は戦前から読まれてきた翻訳だ。 河出書房版全集の月報で、堀田善衛が「白夜」の思い出を書いている。少年のときに、この短編を、とりわけその冒頭を…
つねに自分が苦労するように選択し、自分が貧乏になるように行動してしまう女性「ネートチカ・ネズヴァーノヴァ」の告白(1849年)。まとめのために、原作にはない「第〇部」をつける。 第一部。夫と死別した母が再婚したのは、オーケストラのバイオリン弾き…
ペトラシェフスキー事件のあとに発表された作品を読む。ざっと8年のブランクのあとの作品。すでにドスト氏は30代半ば。 初恋(小英雄) 1857 ・・・ ペトラシェフスキー事件以前に書かれたが、事件のために発表は1857年と遅れた。兄が原稿を保管していて、…
ペトラシェフスキー事件のあとの長編。 大学を卒業してからのらくらしている「わたし」におじから帰宅せよと連絡が入る。叔父(30代後半)の経営しているスチェパンチコヴォ村がしっちゃかめっちゃかになっているという。もともとこの土地は伯爵が経営してい…
新進作家として順調な創作を行ってきたが、ペトラシェフスキーの主宰する空想社会主義サークルに参加していたために、28歳の1849年に逮捕。1854年までシベリアで服役し(流刑になるまでの経緯は重要かつ劇的であるがここでは省略)、軍隊に勤務する。1858年…
2020/02/10 フョードル・ドストエフスキー「死の家の記録」(河出書房)-1 1860年 書き手の「わたし(アレクサンドル・ペトローヴィチ)」は貴族として入獄する。彼は、監獄で初めて民衆と出会ったと述懐するのであるが、彼の観察はそれほどでもない。すなわ…
2020/02/10 フョードル・ドストエフスキー「死の家の記録」(河出書房)-1 1860年2020/02/07 フョードル・ドストエフスキー「死の家の記録」(河出書房)-2 1860年 監獄には、信心深いもの、せこいもの、他人のいいなりになるもの、強いものに取り入ろうとす…
同じ人物が複数の名前で呼ばれるので、ネットにある登場人物表を印刷して手元に置いておくとよい。 新進作家のヴァーニャ(米川正夫訳)は知り合いのナターシャを好きだったが、ナターシャは公爵の息子アレクセイ・ペトロヴィッチを強く愛していた。このアリ…
2020/02/04 フョードル・ドストエフスキー「虐げられし人々」(河出書房)-1 1861年 このような三角関係の物語と同時進行するのが、貧しい娘ネルリ(米川正夫訳)の薄幸な生涯。 新進作家の「わたし」はペテルブルグで犬を連れた老人が物乞いをし、ある朝、…
フョードル・ドストエフスキー「虐げられし人々」(河出書房)-3 語り手の「わたし」が書けない時に起きた事件の数々の記憶を反芻することによって、小説を書こうとする意欲を取り戻すまでを書いたのがこの小説。
2020/02/04 フョードル・ドストエフスキー「虐げられし人々」(河出書房)-1 1861年2020/02/03 フョードル・ドストエフスキー「虐げられし人々」(河出書房)-2 1861年 1861年に書かれた小説。1859年「スチェパンチコヴォ村とその住人」「伯父様の夢」、1860…
「虐げられし人々」1861年と「罪と罰」1866年の間に書かれた短編。ドストエフスキー40代前半の作品。 いやな話 1862 ・・・ 中級官吏が上司のいびりに耐えながら食事。むかついた気分で帰宅する途中、貧しい街でにぎやかな音と灯りを見つける。深夜のそれは…
19世紀のロシアの哲学者、経済学者。ナロードニキ運動の創設者の一人。1863年獄中にあったときに、4か月で書いたのがこの小説。発表前に検閲に会ったが、特に問題視されずに、雑誌に三回にわけて連載。大きな反響を呼んで、単行本が出たら発禁になった。その…
2020/01/28 チェルヌイシェフスキー「何をなすべきか 上」(岩波文庫) 1863年 長かった。ほとんどはヴェーラの恋愛と家庭生活について。いれかわりたちかわりにヴェーラの前に男が現れる。ヴェーラは気をひかれたり、幻滅したり。結婚して愛想をつかし、別…
2020/01/28 チェルヌイシェフスキー「何をなすべきか 上」(岩波文庫) 1863年2020/01/27 チェルヌイシェフスキー「何をなすべきか 下」(岩波文庫)-1 1863年 1863年 「宮殿」の比喩が二回出てくる。この比喩には同時代のドスト氏が「地下室の手記(地下生…
タイトルは米川正夫がつけたもの。江川卓訳(新潮文庫)では「地下室の手記」。原題に即すると「地下室」が正しいというが、本書がチェルヌイシェフスキー「何をなすべきか」批判の書というとき、同書(岩波文庫版)に出てくる「地下室の人」の意味を持って…
2020/01/23 フョードル・ドストエフスキー「地下生活者の手記(地下室の手記)(河出書房)-1 1864年 「ぼく」が普通の部屋住まいであるにもかかわらず、「地下室」の住人、「地下生活者」であると自認するのは、チェルヌイシェフスキー「何をなすべきか」の…
2020/01/23 フョードル・ドストエフスキー「地下生活者の手記(地下室の手記)(河出書房)-1 1864年2020/01/21 フョードル・ドストエフスキー「地下生活者の手記(地下室の手記)(河出書房)-2 1864年 第2部「ぼた雪にちなんで(米川訳では「べた雪の連想…
2020/01/23 フョードル・ドストエフスキー「地下生活者の手記(地下室の手記)(河出書房)-1 1864年2020/01/21 フョードル・ドストエフスキー「地下生活者の手記(地下室の手記)(河出書房)-2 1864年2020/01/20 フョードル・ドストエフスキー「地下生活者…
「罪と罰」連載中にどうしても長編を書かねばならなくなり、にっちもさっちもいかないので、速記ができる女性を雇い(のちの妻)、27日間で口述筆記した。すでに構想ができていたのと、舞台がなじみの賭博場であったので取材が必要なかったので、驚異的なス…
「白痴」1868年と「悪霊」1871年の間の1870年に出た中編。 中年(38-39歳)の独身男ヴェリチャーノフはとみに老いを感じ、ヒポコンデリー(というが記述をみるとうつ病だ)にかかっている。町で帽子に喪章をつけた男が妙に気になり、あとを追いかけていたら…
ドストエフスキーが書いた創作・手紙以外で、かつ「作家の日記」以外の媒体で発表したもの。このあとでてくる「ヴレーミャ」はドスト氏の兄ミハイルと一緒に出していた雑誌。収録されたものの多くは匿名であるが、のちになってドスト氏の筆になるものと確認…
ここでは政治的なもの、論争的なものを集める。ドスト氏のジャーナリスティックな側面がうかがわれる。同時に、創作ではなかなか見えない政治的主張や偏見が顔をのぞかせる。 アポロン・グリゴリエフについて 1864.09 ・・・ N.ストラーホフの論文をネタにし…