odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

宇井純

宇井純 INDEX

2012/05/23 宇井純「公害の政治学」(三省堂新書) 1968年2019/10/11 石牟礼道子「苦海浄土」(講談社文庫) 1968年2019/10/10 石牟礼道子「天の魚」(講談社文庫) 1972年2019/10/08 宇井純「公害原論 I」(亜紀書房)-1 1970年2019/10/07 宇井純「公害原論…

石牟礼道子「苦海浄土」(講談社文庫) 公害を考えることは人権を考えることに等しい。本邦ほとんど唯一の世界文学。

断続的に発表されていたのを1968年にまとめ、出版された。水俣市に嫁いできた作者が奇病を知り、その被害者のところを訪問するうちに、さまざまなことばを聞く。そのことばが沈潜して、このような「小説」が生まれた。昭和の文学における奇蹟。(渡辺京二の…

石牟礼道子「天の魚」(講談社文庫) 「物わかりの悪い素人」となって権利を侵害するものに異議を申し立てる。

タイトルは「天の魚」。サブタイトルは「続・苦海浄土」。 初出は1972年。 第一章 死都の雪 ・・・ 1971年から72年に代わる時間。水俣病患者たちは団体交渉に応じないチッソに抗議するために東京本社の前に座り込みを始める。 「大道に座りかつねむる、とい…

宇井純「公害原論 I」(亜紀書房)-1 1970年に始まった夜間公開自主講座の記録。日本は公害が起こりにくい国土なのに公害列島になったのは国家と企業と大学の無責任のせい。

1970年10月12日に東大工学部の講堂で、夜間公開自主講座が日本初で開かれる。主催は工学部助手の宇井純。その前に水俣病の調査をして、1963年にメチル水銀が原因であることを突き止めた。しかし公開しなかった。1965年に新潟水俣病発生。そのときに被害者の…

宇井純「公害原論 I」(亜紀書房)-2 1970年での水俣病・新潟水俣病・足尾鉱毒事件のレポート。社会に迷惑をかける行動が社会をかえるきっかけになる。

2019/10/08 宇井純「公害原論 I」(亜紀書房)-1 1970年の続き 日本の公害の歴史をまとめる。一般的状況で「自治意識の強いところでは公害がでにくい」という指摘があったが、水俣病などの公害病が発生するまで汚染されたところでは、自治が強くない。水俣市…

宇井純「公害原論 II」(亜紀書房)-1 20世紀前半の公害問題。住民自治がしっかりしているところでは公害は防げる。住民自治が切り崩されると公害は蔓延する。

日本の公害の歴史を振り返る。歴史を振り返ると、以下のようにまとめられる。 「大正時代の公害問題に対する意識と行動の高揚が見事であるだけに、昭和年代の社会問題としての公害に対する我々の意識は、いかに低落したかに眼をおおいたくなるであろう。この…

宇井純「公害原論 II」(亜紀書房)-2 1960年代の公害問題。公害や環境汚染を技術の問題に還元しないが重要。

2019/10/04 宇井純「公害原論 II」(亜紀書房)-1 1971年の続き 続けて昭和の公害。ほぼ同時代に起きている公害反対運動の紹介。この時代には全国で公害問題があり、それぞれで反対運動が起きていた。反対運動は相互に行き来をし(SNSがないので、現地に行く…

宇井純「公害原論 III」(亜紀書房)-1 1960年代のヨーロッパの環境汚染問題。関心を持つのは遅れたが対策をとるのは日本より早かった。

1970年年末と翌年2月に国際会議に行く。そこの報告と自主講座第1期のまとめ。重要なのは、 「公害に関する議論は(略)真の問題点をぼやかすためにわざとにぎやかにされている面もあるにちがいない。意識的に、どうでもいい話をわざと混入するというのが、…

宇井純「公害原論 III」(亜紀書房)-2 国家・企業・大学の無責任に対抗するには縦割り組織や権力集中型組織は無力。システム的な対応をしない個人のゆるい連帯のほうが強い。

2019/10/01 宇井純「公害原論 III」(亜紀書房)-1 1971年の続き 第2巻の「技術的対策」の続き。 運動論・組織論 ・・・ 公害に対してなぜころほど無策、無力であったか。公害の無視が高度経済成長の要因であったし、大学も生産力(廃棄物の生産向上)をあ…

宇井純「現代社会と公害」(勁草書房) 研究者・法律家が講演する自主講座の2学期。荒幡寒村の回は全体の白眉。

自主講座の2学期はさまざまな現場のひとたち(現在に限らない)の話を聞く。宇井純による1学期の話を実地でどう使うかを検討する機会になる。当初100人教室で行っていたが、このころには400人を超える。荒畑寒村の回には屋内に収容できなくなり、途中から…

宇井純「現代科学と公害」(勁草書房) 科学者・研究者の講演。現場の記録と見せ方が関心を広げるために重要。

イタイイタイ病(萩野昇) 1971.5.10 ・・・ 萩野医師は敗戦直後にイタイイタイ病を発見し、治療にあたってきた。あわせて、鉱毒説を1957年に発表する。その結果、県、鉱山会社、東京大学その他から研究の妨害や恫喝を受けてきた。風向きが変わったのは、医…

宇井純「続・現代科学と公害」(勁草書房) 技術者・医師による実践運動の記録。市民・住民・大衆の関心や応援のあるなしが成否をわける。

「民衆のための科学」という考えがでてくる。大学などの研究者・専門家が体制の側に立って代弁者になる状況で、科学者はどういう研究をするべきか。それにこたえようという考え。本書収録の講演のうち最初のみっつは、そういう実践をしてきた人の報告。成功…

宇井純「公害被害者の論理」(勁草書房) 被害当事者の発言。現場から遠くなるほど彼らの声はかぼそくなるので、聞いたら広めることが大事。

このシリーズ(剄草書房版)は公害研究者による講演だったが、この巻では被害当事者の発言を収録する。被害者の声は、企業や権力の大声にかき消され、メディアにのりにくい。現場から遠くなるほどか細い声になる。それを聞き、「誰にでもできる寄与が手の届…

宇井純「公害原論 補巻I(公害と行政)」(亜紀書房) 自主講座第2期の記録。学者や専門家は役に立たない。物わかりの悪い素人の粘り強い抗議だけが、公害を止めることができる

サブタイトルは「公害と行政」。 初出は1974年。 公害を制度と技術は解決しない。むしろ公害を悪化させるように制度と技術は働く。学者や専門家は役に立たない。物わかりの悪い素人の粘り強い抗議だけが、公害を止めることができる。すでに過去の講義で繰り…

宇井純「公害原論 補巻II(公害住民運動)」(亜紀書房) 希望は個々人が行う住民運動のネットワーク。組織のない運動は長期に継続するのが難しい。

サブタイトルは「公害住民運動」。ここまで(初出1974年)15年続けてきた活動をまとめる。 「住民運動は、何の手引もなく未踏の分野を進まなければならない。そこには多くの困難があり、しかも自分たちの生活を守ることだけが成功の報酬という無償の行動であ…

宇井純「公害原論 補巻III(公害自主講座運動)」(亜紀書房) 著者が現場にいって被害者や支援者を前にした出張講座の記録。

サブタイトルは公害自主講座運動。もともとは東大の開いている教室を使って始めた自主講座。お代は200円。つまらないと思った人には返す。その結果、講師も聴衆も緊張感が出て、長続きする運動になった。そこから各地の公害運動の支援や情報交換役や記録係に…

宇井純「公害の政治学」(三省堂新書) 1968年に出版された新書。当時ほぼ唯一の水俣病のレポート。

1968年に出版された新書。多くのページは水俣病の発生から1968年当時までの状況を主に新聞記事を使って紹介している。著者は1961年ころから個人的に水俣病の調査を始めているのだが、ここでは極力個人的な体験を後ろにおいている。新聞記事や委員会報告書な…

宇井純「公害列島 70年代」(勁草書房) 1970年から1972年にかけて書かれた雑誌論文、コラムなどを収録。国家と企業と大学が金儲けのために自然破壊と国民の困窮化を進めていた。

1970年から1972年にかけて書かれた雑誌論文、コラムなどを収録。初出雑誌には「蛍雪時代」「朝日ジャーナル」「思想の科学」「現代の眼」などが並ぶ。最初のを除き、著者のような在野の思想家ないし運動家に文章を書かせ発表するというメディアはなくなった…

宇井純「キミよ歩いて考えろ」(ポプラ社) 自分が不利益を被っても公正のために正義を貫く生き方を実行した人の自伝。

初読が1980年2月5日。この日に著者が大学にきて講演したのだった。もちろん大学の主催であるわけではなく、学生が呼んだのだった。その席で、販売されたばかりのこの本を売っていた。買ってその日に読んだのだった。だから、この本には著者のサインがついて…