odd_hatchの読書ノート

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ギュスターヴ・ル・ボン「群衆心理」(講談社学術文庫) 群衆心理に巻き込まれないことにどう注意するかよりも、やってはいけないことをしっかり覚えることが先。

 この古典をそのまま読むのは危険。なにしろ1895年の著書。今と同じ前提で書かれていると思うと誤りになる。まず、19世紀末の心理学は20世紀後半の実験や観察、アンケートなどを使った実証的なものではなく、哲学の一分野だった。ニーチェがいう「心理学」みたいな所にある本なのだ。なので本書の群衆の心理分析が現実に即して妥当であると鵜呑みにしないほうがいい。当時は反ユダヤ主義、犯罪遺伝説などの偏見や差別意識があった。ここにもそれが反映されている。
 また著者のいう群衆は、路上の示威活動だけではない。路上の集会、団体交渉、組合活動・農民運動まで含み、さらに議会・裁判の陪審員普通選挙、労働者や農民など階級までをふくむ。当時、参政権を持たない人たちの集まり他の活動をすべて群衆とみなすのだ。
 そうすると著者の政治的立ち位置が見えてくる。すなわち、著者は反民主主義で反労働組合で反社会主義であり、国民国家の支配層の一員とみなしている。そのような保守で豊かな人々が、政治に参加する自由を行使する活動を危険視する。今では「群衆心理」は社会心理学の嚆矢とされるが、自分の妄想では為政者層の「群衆」活動抑止のマニュアルとして読まれていたのではないかな。(ル・ボンの思想に近いと思ったのは、一世代下のチェスタトン。)
 このあとWW1などを経て、普通選挙権など政治参加の自由が大幅に広がり、政治の意思決定の場所が貴族や官僚から議会に移った。それが常識になったところで、本書は「社会学」の古典に転化したのだと思う。俺からすると、この群集心理の分析はのちのモッブと全体主義運動の分析の先駆だった。群衆や全体主義運動の分析はこの後飛躍的に展開しているので、本書の記述は粗雑にすぎる。勉強するなら新しいものを使おう。最新知識を持ったうえで、この古典を読まないと見落とすことが多々あると思う。


 さて、本書のサマリーであるが、すごい勢いでページを繰ってしまった俺がやるより、まっとうに読んだ人のものを引用する。
100分de名著 ル・ボン「群衆心理」

www.nhk.or.jp


 なので、以下は俺の思い付きを箇条書きで。
保守主義ディレッタントである著者が思い描く「群衆」は1789年のフランス革命のそれ。以後パリでは20~30年おきに市民の蜂起がおこる。本書出版の1895年には、この四半世紀前のパリ・コミューンの記憶もなまなましい。同時代にはドレフィス事件で反ユダヤ主義に抗議する人々が路上で示威活動をし、労働組合運動が盛んになっていた。ロシアの反皇室の革命運動も耳に聞こえる(パリ市内に亡命革命家が潜伏)。群衆はときに破壊や強奪、時に殺人やテロの犯罪を起こす。帝国主義国民国家が危機にあると思われていた時代だった。無個性で衝動的で偏狭で暗示を受けやすい群衆は抑圧すべきものだった。

・なので、群衆が暴徒化する大きな理由である国家暴力には言及しない。

・また集団の示威行動で政策が変わり、富が再配分されたり、マイノリティの権利が認められたり、名誉が回復されたりすることがあるが、そのような効果を著者は言及しない。上の「100分de名著」のサマリーも群衆活動をネガティブなものとしている。政治的権威の側からはNHKのまとめは好意的にみられるだろう。
 というのは、NHKのサマリーでは、21世紀の「群衆」をネットのデマや差別発言に煽られて、他人や組織を攻撃する事例になぞられているから。この不思議な集まりは、顔を合わせない。でも、一つのイシューで共通行動をとる。それは容易に他者危害に転化する。本書に出てくる群衆活動の事例は政府や企業などに向けられたものだが、21世紀の不思議な集まりは個人やマイノリティに攻撃が向けられる。その行動様式と心理は本書の「群衆心理」分析でかなり説明可能とされている(俺はモッブ分析がないので、不思議な集まりにある自己評価の低さや他人嫌悪などが漏れているので不十分。21世紀の「群衆」が差別扇動やヘイトクライムを起こしていることを指摘しないのも不十分)。
 そのような21世紀の「群衆心理」に同調しない行動が必要とされる。上の「100分de名著」ではわかりやすさの罠にはまるなとか、メディアがしっかりしろとかが提案される。俺がそこに加えるならば

・わかりやすさの罠にはまらないためには、教養を積むことが必要。高校教科書レベルの知識をもとう。普段から正義、公正、共通善、自由、民族、差別について考えよう。このくらいは読もう。
2020/11/05 北山俊哉/真渕勝/久米郁男「はじめて出会う政治学 -- フリー・ライダーを超えて 新版」(有斐閣アルマ)-1 2003年
2020/11/03 北山俊哉/真渕勝/久米郁男「はじめて出会う政治学 -- フリー・ライダーを超えて 新版」(有斐閣アルマ)-2 2003年
2020/11/2 加茂利男/大西仁/石田徹/伊藤恭彦「現代政治学 新版」(有斐閣アルマ)-1 2003年
2020/10/30 加茂利男/大西仁/石田徹/伊藤恭彦「現代政治学 新版」(有斐閣アルマ)-2 2003年
2020/10/29 川崎修/杉田敦編「現代政治理論(新版)」(有斐閣アルマ)-1 2012年
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・主張を見極めるリテラシーと同時に、リーダーを見極めるリテラシーももとう。人柄、雰囲気、好感度などでリーダーを判断すると全体主義運動に巻き込まれて、「群衆心理」をもってしまう。

・群衆になることは問題ではない。群衆の示威行動は社会を変えることもある。問題なのは、群衆の活動から悪や不正義を行うこと。よくあるのは民族や人種、性など差別扇動を行ったり、ニセ科学・トンデモ医療などのデマを流したり、他者危害を行ったりすること。

 群衆心理に巻き込まれないためにどう注意するかよりも、個人でも群衆でもやってはいけないことをしっかり覚えることが先だなあ。

 

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