環境・公害
長年、下水道研究に携わり、行政や学界から攻撃され研究費を削られてきた研究者が日本の水行政システムのおかしさを暴く。これまで著者は下水処理場を分散し、河川に戻して繰り返し使うことを主張してきた(しかし行政と学会は都市の大規模処理場にこだわり…
1980年代の初頭には、東西国家間の核戦争が起こるかもしれないという危機感があった。1975年にベトナム戦争が終了したこと、1973年の第一次石油危機を西側諸国がどうにか乗り越えたことなど、1970年代はデタントの進んだ時期だった。それが1980年代になると…
学習院大学理学部の著者がwebで公開した「本」。まだ出版されてもいない*1。しかも公開されて2日目くらいかな。通常、このblogでは古本ばかりを扱うのだが、今回は取り上げることにする。というのは、福島原子力発電所の事故と放射線漏れについて、たくさん…
持続型社会のあり方を科学技術の面から提起した啓蒙書。エネルギー保存則程度の科学知識で資源やエネルギー問題の解決方法を提示している。これまでこの種の本では必ず「エントロピー」が登場し、その理解に苦しむものだが、ここでは一切使っていないという…
著者は東京大学工学部の助手(当時)で、宇井純の同僚ということになる。 通常、工学部の教員が啓蒙的な本を書くとなると、自分の専門分野に特化したものになりがちであるが、著者は1980年前後にいくつかの地方都市から下水道計画のアセスメントを行うよ…
1958年、大分県と県境にある小国町の集落にダム建設(下筌(しもうけ)ダム)の話が起きた。なんとなればその前年の未曾有の大雨が筑後川を氾濫させ、久留米市などで死者150名余をだす大災害となり、治水のために上流のダム建設が必要とされたからだった。こ…
1968年に出版された新書。多くのページは水俣病の発生から1968年当時までの状況を主に新聞記事を使って紹介している。著者は1961年ころから個人的に水俣病の調査を始めているのだが、ここでは極力個人的な体験を後ろにおいている。新聞記事や委員会報告書な…
1970年から1972年にかけて書かれた雑誌論文、コラムなどを収録。初出雑誌には「蛍雪時代」「朝日ジャーナル」「思想の科学」「現代の眼」などが並ぶ。最初のを除き、著者のような在野の思想家ないし運動家に文章を書かせ発表するというメディアはなくなった…
初読が1980年2月5日。この日に著者が大学にきて講演したのだった。もちろん大学の主催であるわけではなく、学生が呼んだのだった。その席で、販売されたばかりのこの本を売っていた。買ってその日に読んだのだった。だから、この本には著者のサインがついて…
1968年の刊行。都留重人のほか、数名の学者による共著。特徴的なことは、科学の研究者、政治に関係する人ではなく、主に経済学者が取り組んでいるということ(ちなみにマルクス主義経済学者は入っていない)。 公害研究の古典という位置づけ。おそらくこれほ…
1951年に「思想の科学」研究会が新しい知識の百科事典を作ろうとしたのがきっかけ。当時の最新の学問である生態学の項目をつくるために、鶴見俊輔が梅棹忠夫に相談したのが始まり。梅棹忠夫が所属していた京都大学の研究者を中心に生態学の項目が記述された…
著者は当時28歳のジャーナリストで、NPO(当時そういう名称はなかった。環境保全を行う非営利団体)に所属。彼が指摘している「失われゆく大地」の現状は、砂漠の拡大、高地の土壌流出、燃料用薪の切り出しによる森林破壊、灌漑による土壌の塩分蓄積と…