odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

2012-01-01から1年間の記事一覧

J・マッカレー「地下鉄サム」(創元推理文庫) 1920年代のアメリカ大衆文化の物語を同時期のこの国の貧乏インテリやサラリーマンは愛した。

地下鉄をもっぱらの仕事場とするスリのピカレスクノヴェル。1919年がアメリカの初出で、「新青年」で連載が開始されたのが1922年のこと。翻訳者は「新青年」の編集長を務めた人なので、確かなことなのだろう。 サムは下町の中年独身男。スリを本業としていて…

パーシヴァル・ワイルド「検死審問」(創元推理文庫)

コネチカット州ニューイングランドの田舎で、女性大衆小説作家70歳の誕生パーティが開かれた。独身時代に書いた勧善懲悪の小説が売れに売れたという気難しい女性だ。パーティに来たのは、犬猿の仲の批評家に、出版代理人に、甥の二つの家族たち。金のない家…

ハーバート・ブリーン「ワイルダー一家の失踪」(ハヤカワポケットミステリ)

古い家、といっても18世紀の終わりから19世紀の初頭に建てられたものが歴史あるものになるからアメリカの歴史はまだまだ浅いものといえる。そういう一家としてワイルダー家がある。ここには嫌な言い伝えがあって、この一家のものは失踪するのだ、それも不可…

ハーバート・ブリーン「真実の問題」(ハヤカワポケットミステリ) マッカーシー旋風が収まったころに、正義を追求するために不幸になることを受け入れるか葛藤する。

この作家は、第1作「ワイルダー一家の失踪」(ハヤカワポケットミステリ)を読んでいた。都筑道夫によると「イギリス趣味のないカー」であって、たしかこの一家の主人(というか家長)が次々と不可解な状況で失踪していくという話であった。アメリカ南部あた…

パトリック・クェンティン「二人の妻をもつ男」(創元推理文庫) ブルジョア階級におこる家族は犯罪に巻き込まれ不安にさいなまれ、父権が失墜する。

「ビル・ハーディングは、現在C・J出版社の高級社員として社長の娘を妻に迎え、幸福な生活を送っていた。ところがある晩、偶然に前の妻、美人のアンジェリカに会った。この時からビルの生活には暗い影がさし、やがて生活は激変し、殺人事件にまきこまれて…

トマス・スターリング「一日の悪」(ハヤカワポケットミステリ) 死期が近づいた富豪が3人を招待して相続人になるかもとほのめかす。殺人が起き、互いが告発しあう。

ベン・ジョンソンの古典喜劇「ヴォルポーニ」が下敷きになっている、のだそうだが、どうやら翻訳はない模様。 とりあえずサマリーを劇のように書くとだな。 序幕--ヴェニスに住む富豪が別々のところに住む3人に招待状を出す。死期が近づいてきたが、身寄りも…

ヘイク・タルボット「魔の淵」(ハヤカワポケットミステリ) 作家・評論家が高評価を下した、専門家や職業人の教科書になる密室殺人ミステリー。

まず周辺状況から。1981年にE.ホックが「密室大集合」というアンソロジーを編むときに作家・評論家などに、密室の代表長編をあげるようにというアンケートを行った。第1位はカーの「三つの棺」、これは順当だな、第2位は驚くべきことにこの作。なにしろ1944…

クレイトン・ロースン「帽子から飛び出した死」(ハヤカワ文庫) 手品師、降霊術者、神智学者に起きた密室殺人は魔術のようにも奇術のようにも見える。

「奇術師の防止からウサギやハトが飛び出すように、完全密室の中から摩訶不思議な殺人事件が飛び出した! 煙がもうもうとたちこめる真っ暗な部屋の中で、各頂点にローソクが妖しくゆらめく五ぼう星形の模様のまんなかに、神秘哲学者セザール・サバット博士が…

アラン・グリーン「くたばれ健康法!」(創元推理文庫) 原題は「What a Body!」。このダブルミーニングに注目。

「全米に五千万人の信者をもつ健康法の教祖様が、鍵のかかった部屋のなかで死んでいた。背中を撃たれ、それからパジャマを着せられたらしい。この風変わりな密室殺人をキリキリ舞いしながら捜査するのは、頭はあまりよくないが、正直者で強情な警部殿――!? ア…

ウィリアム・ヒョーツバーグ「ポーをめぐる殺人」(扶桑社文庫) 1923年のアメリカ「old good days」に起きたミステリー。探偵作家ドイルはオカルト好き、奇術師フーディニは合理主義という対比。

「1923年、繁栄と狂乱に沸くNYに、『モルグ街の殺人』がよみがえった。作品そのままの残虐な現場と、大猿の目撃 − だがそれは序曲にすぎなかった。『黒猫』が、『マリー・ロジェ』が、ポーの作品が悪夢の連続殺人となって次々に現実化していく。探偵役は、…

ビル S.バリンジャー 「歯と爪」(創元推理文庫) 主人公リュウは、探偵であり、犯人であり、被害者。初版は結末が袋とじされ解説ともども読めないようになっていた。

創元推理文庫に収録されたのは1975年ころと記憶している。末尾四分の一くらいが袋に覆われ、解説ともども読めないようになっていた。袋には、ここを開封しないで返品すれば代金を返しますと書かれている。結末命のエンターテインメントだからそうすることが…

ロアルド・ダール「あなたに似た人」(ハヤカワ文庫) 〈あなたに似た人〉は読者のあなたよりハイブロウでハイソ。

1976年3月のハヤカワ文庫創刊の初出は、「そして誰もいなくなった」「幻の女」「ウィチャリー家の女」などの圧倒的なラインアップで、ポケミスを買えない自分はすぐに購入した。あいにく高校生で小遣いに不自由していたので、なかなか揃えられない。「あなた…

ジャック・リッチー「カーデュラ探偵社」(河出文庫) 日光と鏡を嫌う吸血鬼は就職しないといけない資本主義社会でどのように種族維持を図ればよいか。

吸血鬼は人間の血を吸い、被害者を吸血鬼にすることによって種族を永らえている生物?である(とする)。吸血鬼同士は生殖できないということにしておこう。となると、吸血鬼という種が保存されるためには人間という宿主が必須である。このような種族増加の…

ハリイ・ケメルマン「九マイルは遠すぎる」(ハヤカワポケットミステリ) 神の言葉の意味を考える神学的な思考を突き詰めると人間に無関心になる

文庫になる前にポケミスを買って読んだ。最初の作は驚きだったなあ。たぶん、論理的な演繹の執拗さにだろう。論理に行き詰ったら、特殊例だけに絞ったり、別の補助線を外から導入したりするものだもの。ケメルマンのやりかたは神の言葉の意味を考える神学的…

エドワード・D・ホック「怪盗ニックを盗め」(ハヤカワ文庫) 大衆が夢見るような現実のすこし上の世界を描いた高級雑誌向けエンターテインメント。

価値のあるものは盗まない泥棒ニック・ヴェルヴェットの短編集第2巻。第1巻は、ハヤカワポケットミステリ初発のとき(1976か1977年)に購入して、面白く呼んだ記憶がある。空っぽの部屋から盗め、というような依頼の話が一番良く覚えているな。 個々の話がど…

エドワード・D・ホック「夜はわが友」(創元推理文庫) デビューから10年以内に書かれた短編。ドライな視線は作者の持ち味とは違った。

この作者は、レギュラー登場人物の連作短編によって有名。これまでのところ怪盗ニック・ヴェルベットとサム・ホーソーンのシリーズしか紹介されていないので、このような評価というのは揺るがない状態になっている。追加するとなると、「長い墜落」(「密室…

エドワード・D・ホック「大鴉殺人事件」(ハヤカワポケットミステリ) 実名の作家・編集者が登場し作者の想像した人物が動き回って現実と物語の境目をあいまいにしたミステリ

アメリカ探偵作家クラブ(MWA)は、この本を読むと、作家の親睦団体で、会費を取って事務員を雇い、地区ごとの定例会に年会を開催しているのだな。そこで優秀作品その他の賞を選定している。1945年に始まって現在に至るから、この国でも「MWA賞受賞作品!」と…

風見潤編「SFミステリ傑作選」(講談社文庫) SFであろうとするとミステリーから離れ、ミステリーをやろうとするとSFにならないという苦労。

1970-80年代の講談社文庫は後発のためか、海外エンタメ部門では既刊の小説を別訳で出していた。差異化を図るためか、いくつものアンソロジーを編んでいた。すでに品切れになって久しいが、ときどき古本屋で見つかる。そうして手に入れた一冊。編者が読みに優…

各務三郎編「世界ショートショート傑作選 1・2」(講談社文庫) 1950~60年代に書かれた雑誌の見開き2ページに収まる1000字程度の物語の傑作選。

石川喬司「夢探偵」講談社文庫という文庫があって、ミステリとSFの傑作が紹介されていた。それに載っている小説はもちろん入手可能なものがたくさんあるのだが(「ソラリスの陽のもとに」とか「Yの悲劇」とか、そういう有名作)、ショートショートに関しては…

ジョン・スラデック「見えないグリーン」(ハヤカワ文庫) アメリカ版西村京太郎の「名探偵」シリーズ。マニアやオタクやすれっからしほど楽しめる。

作者の名前は亡きサンリオ文庫の「言語遊戯短編集」で知っていた。「言語遊戯」? ジェームズ・ジョイスかナボコフ、マラルメあたりを連想して敬して遠ざけていた。で、この本を古本屋の100円棚で発見。ありがたや。中身の言語遊戯というのは頭韻、押韻、ア…

ウィリアム・L・デアンドリア「ホッグ連続殺人」(ハヤカワ文庫) クリスティとクィーンの主題によるネロ・ウルフ風変奏曲。

「雪に閉ざされたスパータの町は、殺人鬼HOGの凶行に震え上がった。彼は被害者を選ばない。手口も選ばない。どんな状況でも確実に獲物をとらえ、事故や自殺を偽装した上で声明文をよこす。署名はHOG−−この難事件に、天才犯罪研究家ベネデッティ教授が…

リチャード・ロービア「マッカーシズム」(岩波文庫) 1950年代アメリカで反共デマとヘイトスピーチに熱狂した人々が民主主義を壊し、個人の自由を侵害した。

ジョゼフ・マッカッシーはおよそエレガントでもジェントルでもインテリジェンスもない人柄。小柄で太っていて、強い飲酒癖をもち、ポーカーと競馬が大好きで仕事中に予想紙を広げていることもある。虚言癖をもち、いつでも支離滅裂ではあるが人を納得させる…

諸井三郎「ベートーベン」(新潮文庫) 戦前に活躍した邦人作曲家はベートーヴェンの晩年様式を「宇宙的人間の霊的感情の映像」とみる。

「ベートーヴェンは、一生を通じて貧困、失恋、耳疾、肉親の問題などさまざまな苦しみと戦いながら、音楽史上に燦然と輝く数多くの傑作を創造した。苦渋の生涯から生まれたそれらの音楽は、人々の心に生きる勇気を与える。本書は、作曲家として、また教育者…

みすず編集部「逆説としての現代」(みすず書房) プラトンの対話編をめざして編んだというが、50年の時間を経ると、ほとんど風化してしまった

老舗の雑誌みすずに掲載された対談集。1959年から1970年まで。誰もかれも亡くなってしまったなあ、という感慨にふけり、2011年7月現在吉田秀和が存命という驚き。書籍をめぐる対談は同社から出版された本の販促も兼ねていたのだろう。 芸術と政治――クルト・…

2012バイロイト音楽祭の「パルジファル」について 近代ドイツとワーグナー家の歴史を楽劇に盛り込む。ワーグナー一族のナチス加担を隠さない。

2012年のバイロイト音楽祭の上演作品のうち、「パルジファル」が放送された。演出が面白かったので、メモを残しておく*1。 ワーグナーの台本に、以下の本を重ね合わせると、演出意図が見えてくると思うので。 ・トーマス・マン「リヒャルト・ワーグナーの苦悩…

エリーザベト・フルトヴェングラー「回想のフルトヴェングラー」(白水社) 人当たりのよい常識人で家庭人であった再婚相手の証言。

フルトヴェングラーの2度目の奥さんであるエリーザベトが書いた記録(1979年刊)。ヴィルヘルムは1886年生まれ、エリーザベトは25歳年下の1911年生まれ(と思う)。1943年に結婚(ともに再婚)。 作曲家 ・・・ 自分は作曲家であると自己規定していたが、指揮者…

志鳥栄三郎「人間フルトヴェングラー」(音楽之友社) 再婚相手のインタビュー。それ以外は二次資料ばかりで新味はない。

フルトヴェングラーは死亡する直前に、コートを着ないで厳寒の散歩に出かけ、肺炎を患った。それは覚悟の自殺としての行為だ、という情報が流れた。この本によるとカール・べームがそれを口にしたらしい。そこでエリーザベト未亡人と知り合いになった著者が…

ヴェルナー・テーリヒェン「フルトヴェングラーかカラヤンか」(音楽之友社) 二人の音楽監督を経験した演奏家による比較。カラヤン存命中なので生存者には辛口。

ヴェルナー・テーリヒェンは1921年生まれで、若い時に戦争に出た。そのあと、1947年にベルリンフィルの打楽器奏者として雇用され、主席演奏家を35年務めた。ベルリン・フィルの理事にもなり、各種の折衝を支配人や音楽監督と行った。たぶん1985年ころに引退…

カルラ・ヘッカー「フルトヴェングラーとの対話」(音楽之友社) 長年の付き合いがあった女性作家による思い出。戦中演奏会を聞いた人による迫真の記録。

カルラ・ヘッカーは20世紀前半のドイツの女性作家。父に音楽家を持つので、素養は十分。1942年からフルトヴェングラーと懇意になり、指揮者との対話を継続的に雑誌や新聞に連載していった。その交友は指揮者の死去まで続き、1961年にこの本にまとめられた。…

クルト・リース「フルトヴェングラー」(みすず書房) ナチ加担を批判する論調に対するフルトヴェングラー擁護の反駁書。

クルト・リースはドイツ生まれのジャーナリスト。ナチス政権時代にスイスに亡命。1945年1月に亡命(?)してきたフルトヴェングラーと出会う。戦後の指揮者の非ナチ化裁判に尽力するなどして、彼との交友を深めた。ここらへんはカルラ・ヘッカーに似て…