odd_hatchの読書ノート

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ショスタコービッチ

ショスタコービッチ INDEX

2016/06/23 ローレル・ファーイ「ショスタコービッチ」(アルファベータ)-1 2016/06/22 ローレル・ファーイ「ショスタコービッチ」(アルファベータ)-2 2016/06/21 ドミトリイ・ソレルチンスキー「ショスタコービッチの生涯」(新時代社)-1 2016/06/20 ド…

ローレル・ファーイ「ショスタコービッチ」(アルファベータ)-1 20世紀の新資料で、障害も作品も謎めいた作曲家を検討しよう。

ショスタコーヴィチのわかりにくさは、音楽作品のあまりの多面性(初期と晩年でずいぶん違うし、大規模作品と室内楽でも異なる)があるほか、友人にすら本心を明かさないかたくなさがあって、一方ソ連の社会主義リアリズムのスポークスマンでもあって……という…

ローレル・ファーイ「ショスタコービッチ」(アルファベータ)-2 革命と新芸術運動の渦中で若いDSは実験的思弁的技術的なモダニズム音楽を作る。

ドミトリー・ショスタコーヴィチ(以下DSとする)は1906年レニングラード生まれ。幼少の頃は特に神童エピソードはないが、6-7歳で音楽に関心を持った時、即座にピアノを弾けたというからすごい。13歳でグラズノフの推薦をうけてペトログラード音楽院に入学す…

ドミトリイ・ソレルチンスキー「ショスタコービッチの生涯」(新時代社)-1 最初の受難。スターリン体制期に非難され粛清される危機にあう。

著者のドミトリイは、DSが懇意にしていた音楽学者イワン・ソレルチンスキーの息子。イワンは若くして亡くなったが、DSはそのあとも家族と交友していて、ドミトリイもよく知っていたらしい。そこでDSの死後に編集・出版された。ヴォルコフ「ショスタコーヴィ…

ドミトリイ・ソレルチンスキー「ショスタコービッチの生涯」(新時代社)-2 WW2以後も文化統制の監視対象↓で公務を引き受けソ連の文化交流の代表になる。

スターリン批判があり、フレシチョフの雪解け政策があったとしても、ソ連社会はまだ堅苦しく、文化統制は続いている。1960年ころからのDSには二つの変化が訪れる。 ひとつは、公務をたくさん担うようになること。コンクールの審査員であったり(アメリカのヴ…

ドミトリ・ショスタコービッチ「ショスタコービッチ自伝」(ナウカ)-1 ソ連の監視社会ではDSのテキストはあたりさわりのないことばかり。あまりに簡潔に書き、音楽のようなイロニーやグロテスク風を持ち込まない。

1979年にヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」がでた。その反響はとても大きかった。そのあとに、ソ連側からショスタコーヴィチの書いた文章を発表年ごとにまとめ、その年にDSに起きたことを説明する文章を加えた本がでた。それがこの「自伝」。原著は1…

ドミトリ・ショスタコービッチ「ショスタコービッチ自伝」(ナウカ)-2 DSが生きていた時代の「政治と芸術」論争はもはや無効。今は「思想・表現の自由」問題で考えるべき。

ここではDSを離れて、政治と芸術について。 ソ連共産党の考えは、経済体制の下部構造のうえにある芸術活動は下部構造の変化に対して積極的にかかわらなければならない。すなわち資本主義から社会主義への変化が歴史的必然であり、それが疎外された民衆、人民…

ソロモン・ヴォルコフ「ショスタコービッチの証言」(中公文庫)-1 60代のDSは右手の傷害と病気に苦しみ、友人たちは周辺から去って孤独になる。

まえがきによると、1960年ころにある音楽学生がDSと昵懇になり、家への出入りを許されるようになった、卒業後ジャーナリストになって、DSに頻繁にインタビューを行う。DSの話をメモに取り、適宜編集したものをみせると、DSは自分の文章としてよい、ただし発…

ソロモン・ヴォルコフ「ショスタコービッチの証言」(中央文庫)-2 本書は「病に襲われた者の語るいたましい臨終的打ち明け話(byファーイ)」

仮構されたショスタコービッチ=ヴォルコフの人格をDSと呼ぶことにして、DSの言うことを聞いてみよう。 DSは記憶の重要性をいう。というのは、ソ連の文化政策では一貫して、オーウェル「1984年」のように歴史は書き換えられるもので、粛清や虐殺は記録されず…