著者はジェンダーワークやLGBTQ差別の研究者で、政策提言者。なので本書でも、ジェンダー差別とLGBTQ差別を扱っている。自分の知識が不足しているので、差別一般に関する議論として抽象化、形式化してメモを取ります。
社会のマジョリティが差別禁止や撤廃の啓発や研修を受けた時によくある反応が、差別がなくなるように「思いやり」「心がけ」「配慮」「やさしさ」ともとうというもの。実はこの「思いやり」以下は差別をなくすのに全く寄与しないばかりか、無意識の偏見を公表しまうことになる。「心がけ」には自分の気に入る/気に入らないの恣意性があるので、社会全体の規範を決めることができない。。それでマイノリティはむしろ萎縮や沈黙をせざるをえなくなってしまう。同じような効果をもたらす言葉には「周知を徹底」というのがある。これらに共通するのは、差別を他所事にしてしまい自分のことにしないし、行動を起こさないいいわけになっていること。そこには差別が大したことはないという思い込みや面倒くさいと感じる怠惰がある。(そうなるのは、明治政府の近代化からずっと人権教育がなされてこなかったし、政権が差別容認だったという事情がある)。
もう一つの大きな理由は、差別をなくすためにどのように行動するかが明示されてこなかったので、どうすればよいのかがわからないことだ。そこに差別の原因は個人の内面にあるという了解がある。これらがあわさって、意識変革をすればよいとなり、「思いやり」「心がけ」「配慮」「やさしさ」という内面のことでおしまいにしてしまう。
重要なのは、制度やガイドラインを作り、それに則って組織を運営し、個人が行動すること。具体的には、国が差別撤廃法を作り、自治体が条例をつくり、企業が社内規則を作る。ふだんの行動にガイドラインを示すことで差別行為を減らすことができる。差別を起こすのは個人だけではなく、社会や文化のせいで動かされることにもある。なので、やってはいけないことを明示することがは大事。
同時に、各種差別の禁止法を作り、法で保護する分野を増やす。そして罰則を設ける。具体的な処罰(罰金から禁固など)を設けることで抑止効果を期待する。既存の民事の一般条項で対応するのはハードルが高い。また被害の解決をマイノリティにゆだねるのもよくない(告発が二次被害を生む)。なので、被害者を守る制度や通報する制度などが必要である。これらの「面倒くさい」行動は待っていても進まないから、行政が情報公開していくことも重要。このような提言を著者は行う。
(人種差別や民族差別を禁止するヘイトスピーチ解消法では、罰則規定や通報制度などがないので、抑止する効果が表れない。今のところもっともよい抑止効果は市民による抗議と、司法による仮処分だけ。実名公開を入れている自治体のヘイトスピーチ抑止条例もある程度の効果はある。)
本書には書いていないが、差別を見た時に最も重要な行動は差別に怒ること。被害者に「寄り添う」「思いやり」をもつことではない。被害者やマイノリティ集団と接触して交流することではない(やりたければやっていいけど、相応の覚悟が必要)。差別を許さない意思表示をすること。
繰り返すが、差別をなくすには内面を変えることは無効であって、行動(テキスト、発話を含む)を変えることが必須。何をしてはいけないか、何をしゃべったり書いたりしてはいけないかをはっきりすること、他人の差別に抗議すること(抗議するのが面倒なら付き合いを辞めればいい)。
LGBTQ差別に反対し同性婚に賛成するのは、他人の婚姻を規制することがダメなだけではない。そのような人間関係を予想しなかった時期に作られた制度がマイノリティの権利を侵害している事例があるから。たとえば、学校入学や就職の差別であり、住居の差別であったり。婚姻が法で認められなければならないのは、保険の配偶者や受取人、医療の緊急連絡先、相続の対象に同性婚のパートナーが認められていないため。
あと極右は反LGBTや同性婚反対と同時に、戸籍の維持に執着するが、これは戸籍が国体(天皇制イデオロギー)の根幹をなすと考えているから。極右やカルト右翼に見られる家族主義も同様。なお、カルト宗教で家族主義を強調するのは信者の子どもを囲い込み、社会からの介入を防ぐため。
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