最後の章で、日本人はインドネシアの見方を変えろと主張する。そのとおりであって、インドネシアを観光国、資源供給国とみるのは1930年代の南進論以来の思考。そこにあるアジア人差別は1940年代の占領にあり、抗日の激しい反発を招いた。戦後はODA供与先とし…
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