odd_hatchの読書ノート

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フョードル・ドストエフスキー「作家の日記 下」(河出書房)-2(1877年下半期) 大長編の連載を開始したので、個人雑誌は終刊する。

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 個人雑誌としての「作家の日記」。1877年夏ごろに、ドスト氏は体調不良を覚え、同年内の中止を決める。最終号では翌年から長編の連載を開始すると予告していたが、実際は1879年から開始された(「カラマーゾフの兄弟」)。
 「作家の日記」を発行するにあたって、ドスト氏は文芸時評や作家・作品論は掲載しないというルールを作ったという。なるほど1876年の号でジョルジェ・サンドがでてくるくらいだった。この1877年下半期では、禁を破って最新刊のトルストイアンナ・カレーニナ」評とネクラーソフへの弔辞が書かれる。膨大な言葉が使われているが、あいにく論や評として読むに足るものではない。前者では主人公レーヴィンのトルコへの態度が問題にされるばかりで、後者ではドスト氏の民衆感が開陳されるだけ。これらを読んでも、作品の参考にはなるまい。残念。
 ドスト氏が気にしていた事件(妊娠中の若い継母がDVを繰り返す夫への面当てに、継子を窓から放り捨てたというもの。事件前にしばしば継母は継子をせっかんしていた)が結審。継母はドスト氏らの努力があって無罪になったという。これも現代の感覚でいえば有罪だろうし、夫のDVは訴追されたであろう。ドスト氏の弁護もアクロバティックなもので、なかなか受け入れがたい。自分としては、この経験が「カラマーゾフの兄弟」第4編のミーチャの裁判シーンに反映されたというのを想像するくらいしか感想はない。
 露土戦争はロシアが優勢で、12月ころには講和のうわさもでていた。ドスト氏はロシアの「勝利」を喜ぶ。

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 ここの記述を見ると、19世紀半ばのロシアの改革(大きなもののは農奴解放令)が成功し、国力が高まったことの帰結であるようだ。そこでナショナリズムが生まれて、都市のインテリが高揚している感じ。それはチェルヌイシェフスキーのような社会主義者もおなじだったのかな。面白いのは、社会主義者はミールやほかの村落共同体にナショナリズムをみたが、愛国主義者のドスト氏は共同体にはほとんど興味を示さずいきなり「私」と国家が結びついてしまう。ここらのナショナリズムの表れの違い(左翼もナショナリズムを持っている)は興味深いが、ドスト氏をサンプルに考えるのは止めよう。
 下半期には創作はなかった。 


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 「作家の日記」はとても売れた雑誌になった。初回から2000人の読者がつき、1877年に休刊を申し出るころには7-8000部の予約読者がいた。これは異例な数。それ以前に、ドスト氏は自作の全集を発行して、成功を収めていた。これらがあいまって、1870年代のドスト氏は経済的には安定していた(トルストイツルゲーネフほど高い稿料をもらえなかったのが不満だったらしい)。
 そのうえ、ドスト氏に若い読者(ナロードニキの運動があるころに)の支持を受けるようになる。彼の保守主義がある程度の支持を得ていたのだ。これは意外。

フョードル・ドストエフスキー「プーシキン論」(米川正夫訳)

第2章 

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 プーシキン論 
 六月八日、ロシヤ文学愛好者協会の大会においてなされたる演説 
  
 プーシキンはなみなみならぬ現象である、おそらくロシヤ精神の唯一の現われであろう、とゴーゴリはいった。わたしはそれに加えて、予言的現象であるといおう。しかり、彼の出現はわれわれロシヤ人一同にとって、まぎれもなく予言的なあるものをふくんでいるのだ。プーシキンは、ピョートル大帝の改革からまる一世紀たった時、わが国の社会にようやく萌しはじめた正しい自覚の、きわめて初期に出現したのであって、その出現はわれわれの暗黒な道を、新しい指導的な光で照らし出すのに、いちじるしく力があったのである。この意味においてプーシキンは予言であり、指標である。わたしはわが偉大なる詩人の活動を、三期に分けようと思う。いまわたしは文学批評家として語るものではない。プーシキンの創作活動にふれるにあたって、ただ彼の予言的意義に関する自分の思想を闡明(せんめい)し、かつその言葉で、わたしが何を意味するかを明らかにしたいのである。ただし、ついでに断わっておくが、プーシキンの活動の各時期は、はっきりした境界を持っていないように思う。たとえば、『オネーギン』の初めの部分は、わたしの考えによると、詩人の活動の第一期に属しているけれども、『オネーギン』の終わりのほうは、プーシキンがすでにおのれの理想を生みの国土に発見して、その愛と洞察に満ちた魂をもって、これを完全に受け入れ、かつ熱愛するようになった第二期のものである。またブーシキンはその活動の第一期においては、ヨーロッパの詩人たち、パルニ(ルイ16世時代のフランスの古典派詩人)、アンドレ・シェニエ、その他、ことにバイロンを模倣したといわれている。なるほど、疑いもなくヨーロッパの詩人たちは、彼の天才の発達に偉大なる影響をあたえ、かつその影響は生涯保存されていたのである。にもかかわらず、プーシキンのきわめて初期に属する諸作ですら、単なる模倣ではなく、そこには早くも彼の天才の異常なる独立性が現われていた。 
 たとえば、『ジプシーの群れ』――わたしはこの叙事詩――を、まだ彼の創作活動の第一期に属するものと認めるが、プーシキンがこの作の中に示したような、ああいう苦悩の独自性と、あのような自意識の深さは、しょせん模倣の中に現われるものではない。もし彼が単に模倣のみをこれ事としたのであったならば、あれほどの創造力と、激しい推進力が現われるはずがない、などということはもはや喋々すまい。叙事詩『ジプシーの群れ』の主人公アレーコの典型の中には、その後『オネーギン』で見事に完成された調和の中に表現された、あの力強い、深刻な、完全にロシヤ的な思想がうかがわれる。『オネーギン』になると、アレーコとほとんど同じ人間が、もはや幻想的な光に包まれず、手に触れ得るほど現実的な、理解しやすい姿をとって登場するのである。プーシキンは早くもアレーコにおいて、かの不幸な放浪者をわが祖国に見いだして、これを天才的に輪郭づけたのである。それは民衆から分離したわが国の社会に、歴史的必然性をもって現われた、歴史的なロシヤの受難者なのである。プーシキンがこれを発見したのは、もちろん、単にバイロンの作品からばかりではない。この典型は正確なものであり、しかも誤りなく把握されてい、後に長くわがロシヤの土地に住みつくこととなった不断のタイプである。これらの家なきロシヤの放浪者たちは、今日までもその放浪をつづけて、まだ長くその姿を消しそうもない。 
 彼らは現代において、もはや自分の世界的理想を、ジプシーの野性的な独自の生活形態の中に発見したり、躓きの多い矛盾したわがロシヤ・インテリゲンチャの生活からのやすらいを、自然のふところに求めんがために、ジプシーの群れに身を投じたりしないまでも、結局はそれと同じことで、アレーコ時代にはまだなかった社会主義に飛び込んで行き、新しい信仰を持って別の耕地におもむいて、そこで孜々(しし)として働いている。しかも、アレーコと同じように、この架空的な仕事の中に自分の目的を達し、おのれ自身のみならず、全世界の幸福をも獲得できるものと信じているのだ。なぜなら、ロシヤの放浪者にとっては、心の平安を得るためには、ほかならぬこの全世界的幸福が必要だからである。それより安い値では決して妥協しない、もちろん、それは目下のところ、理論だけの話ではあるが。とにかく、これとても要するに、同じロシヤ人であって、ただ異なった時代に現われたばかりである。この種の人間は、くり返していうが、ピョートル大帝の大改革後、ちょうど二百年をへた頃に、民衆と民衆の力から分離したわがインテリ社会に誕生したのである。おお、ロシヤ・インテリゲンチャの大多数は、プーシキン時代も現代も同様に、官吏として国庫に勤めたり、あるいは鉄道や銀行におとなしく奉職したり、さもなくばいろいろな手段で金を儲けたり、あるいは科学にすら従事して、大学で講義をしている者もある。これらはすべて規則的に、怠惰に、平和に行なわれて、俸給をもらい、カルタ遊びをしながら、ジプシーの群れにもせよ、またもっと現代にふさわしいところにもせよ、どこかへ逃げ出そうなどという野望は、いっさい持ちあわさないのである。まあ、たかだか「ヨーロッパ的社会主義の陰影を持った」自由主義を振りまわすくらいなものだが、それにも若干、ロシヤ人らしいお人好しの性格が加わっているのである。――しかし、これはすべて要するに、ただ時の問題である。一人はまだ不安を感じはじめもしないのに、もう一人は早くも閉ざされた扉に行きあたって、額をしたたかぶつつけたからといって、それになんの意味があろう。民衆とのつつましい合流という救いの道に出ないかぎり、だれでもそれぞれの時代時代に、同じ運命が待ち伏せしているのだ。よしんば、すべての人をこうした運命が待ち伏せしていないまでも、ただ少数の「選ばれたる人」つまり不安を感じはじめた人々の十分の一だけでもたくさんである。それだけでも残余の大多数はおかげで、平安を知らないことになるのである。 
 アレーコはもちろん、自分の悩みを正確に表現するすべを知らない、彼に見られるすべてのものは、まだなんとなく抽象的で、ただ自然に対する憧れとか、社交界に対する不満とか、世界的憧憬とか、どこかでだれかの失った真理、彼のどうしてもさがし出すことのできない真理に対する哀泣とか、そういったものにすぎない。そこには少々ばかり、ジャン・ジャック・ルソー臭いものがある。その真理はなんであるか、どこでいかなる形式をとって現われるか、またどこで失われたか、彼はもちろん、自分ではそれをいわないけれども、心から苦しんではいるのである。幻想的なせっかちなこの男は、今のところまだ主として、外部現象からの救いを渇望しているにすぎない。またそれが当然なのである。「真理はどこか自分の外にある、おそらくほかの国、たとえば、確固たる歴史的組織と、固定した社会的・公民的生活を有するヨーロッパにあるのかもしれない」。真理が何よりもまず彼自身の内部にあることを、彼はとうてい知ることはできないだろう。またどうしてそれが知れよう。なにしろ、彼は自分の国におりながら、自分の国の人間でないようなありさまである。彼はすでに代々長い間、労働というものから切り離され、文化を持たず、女学生のように、閉じこめられた壁の中に成長し、ロシヤの教養階級が分かたれている十四の官等のうちどれに属しているかに準じて、奇妙なわけのわからぬ職務を履行しているのだ。彼は目下のところ、風にもぎ取られて空中を漂っている草の葉にすぎない。彼はそれを感じて、そのために苦しんでいる。そして、しばしばなんともいえないほど悩むのである!ところで、おそらく世襲の貴族階級に属し、たしかに農奴さえ所有していたに違いない彼が、その貴族らしいわがままから、ちょっとした空想をおこし、「法律の外に」住んでいる人々に誘惑されて、一時、ジプシーの群れにまじって、見世物の熊を引きまわしたからといって、それがいったいどうしたのか?そのとき一人の女、ある詩人の言莱にしたがえば「野生の女」が、何よりもまっさきに彼の悩みを癒やす希望を与えたので、彼は軽はずみではあるけれども、熱烈な信仰をいだいて、ゼムフィーラ(『ジプシーの群れ』の女主人公、ジプシー女)に飛びかかって行った。「ここにおれの救いの道がある、世間から遠く離れた自然のふところの中、文化も法律も持たない人々の間、ここにこそおれの幸福があり得るのだ!」といったわけである。ところが、その結果はどうだろう。この野生的な自然の条件と、はじめて衝突するが早いか、彼はもう我慢しきれないで、自分の両手を血に染めるのである。世界的調和どころか、ジプシーの群れにとってさえ、この不幸な空想家は役に立たないものであるとわかって、彼らは彼を追い出してしまう、――しかし、復讐感も憤りもなく、荘重にしかも単純に。 
  
 われらのもとを去れ、倣れる人よ 
 われらは野の民、掟をもたず 
 されども人を苦しめ、罰することなし 
  
 これらはすべて幻想的なことに相違ないが、「倣れる人」はリアリスチックであり、的確に把握されている。それこそわが国では、プーシキンによって初めて捉えられたものであって、この点を記憶しなければならない。実に、実に、何かちょっとでも自分の気に入らないことがあると、彼はたちまち毒々しい自分の憤りのために相手を八つ裂きにし、刑罰しなければ承知しない。さもなければ(このほうがもっと好都合なのだが)、自分が十四の官等のうちの一つに所属していることを思い出して、相手を苦しめ罰する法律を、大声に呼び招くかもしれない。そういうことも往々おこったのである。ただ自分の個人的侮辱感の復讐さえできればいいのだ。いな、この天才的な叙事詩は決して模放ではない!そこには早くも民衆的信仰と真理によって、問題を、「呪われたる問題」をロシヤ的に解決せんとする試みがほの見えている。「謙遜になれ、倣慢なる男よ、何よりもまず慢心の角を折れ。謙抑であれ、無為の男よ、まず何よりも生みの田野で働くがいい」これが民衆的真実と、民衆的叡知による解決である。「真理は汝以外でなく、汝自身の内にある、おのれ自身の内にみずからを見いだせ、おのれ自身にみずからを服従させ、みずからを制御せよ、さすれば真理を見るであろう。この真理は物の中にもなければ、汝以外にあるものでもなく、またどこか海のかなたにあるのでもない。それは何よりもまず、自分自身に対する汝の労苦の中に存するのだ。おのれを克服し、おのれを鎮撫せよ、さすれば、かつて想像したこともないほど自由な身となって、偉大な仕事をはじめ、他人をも自由にして、やがては幸福を望むことができるだろう。なぜなら、汝の生活が充実して、ついには自国の民衆と、その聖なる真実を理解するからである。もし、汝自身が第一にそれに値しない、意地わるな、傲慢な人間であって、ただ生命を要求し、それに値をはらわなければならぬことさえ知らずにいるならば、世界的調和はジプシーの群れにも、またそのほかのどこにも見いださないだろう」問題のかかる解決は、プーシキンのこの叙事詩の中に、もうはっきりと暗示されているが、それは『エヴゲーニイ・オネーギン』の中にさらに明瞭に表現されている。これはもはや幻想的なものでなく、手にふれ得るがごとく現実的な叙事詩で、その中にはロシヤのほんとうの生活が、プーシキン以前には見られなかったような、またおそらくその以後にも見られないであろうような創造力と、完成味をもって具象されているのである。 
 オネーギンは、ペテルブルグからやって来る、――これは必ずペテルブルグからでなければならない。これは一編の叙事詩の中に、ぜひとも必須な事柄であって、プーシキンは、自分の主人公の伝記におけるかほど重要な現実的特質を、見のがすわけにゆかなかったのである。もういちどくり返すが、これは依然たるかのアレーコであって、ことにその後、彼が憂愁に駆られながら、 
  
 なぜおれはトゥーラの議員のように 
 中風にやられて臥つかないのか? 
  
 と叫ぶところなどは、とくにしかりである。 
 しかし、いま物語のはじめにあたっては、彼はまだ半分伊達者で、社交界の紳士であり、十分この人生に幻滅を感じるには、まだあまりにも生活経験が少なかった。しかし、彼のところへもまた早くも 
  
 ひそかなる倦怠のお上品な悪魔 
  
 が訪れて、不安を感じさせるようになるのである。祖国の中心ともいうべき僻陬(へきすう)の地に閉じこもっても、彼はもちろん、わが家におちついているような気がしない。彼はそこで何をしていいかわからず、われながら自分の家にいて、客にでも来ているような気がするのだ。その後、憂愁に駆られて、故郷や外国の土地土地をさまよいはじめた時も、疑いもなく聡明で、疑いもなく誠実な人間である彼は、なおさら自分がわれながら他人であるように感じたものである。もっとも、彼とても故郷を愛してはいるけれど、それを信頼しないのである。もちろん、祖国の理想についてもうわさは聞いたが、それを信じようとはしない。彼が信じているのは、何事にもあれ祖国の耕地で仕事をするのは完全に不可能だ、ということばかりである。この可能を信じているものがあれば、――それは当時も今と同様に少数ではあったが、――彼はもの悲しい嘲笑を浮かべて、それらの人々を眺めるのであった。彼がレンスキイを殺したのは、ただただふさぎの虫のせいにすぎなかった。もっとも、それは世界的理想に憧れるふさぎの虫だったかもしれない。――それはあまりにもロシヤ的で、大いにあり得る話なのである。 
 タチヤナはそのような人間ではない、これは自分の地盤の上にしっかと立っている、毅然たるタイプである。彼女はオネーギンより深みがあり、むろん、彼より聡明である。彼女はすでに自分の気高い本能によって、どこに、また何に真理があるかを予感しており、それが詩の結末に表現されている。もしプーシキンがこの叙事詩の名をオネーギンでなく、タチヤナのほうからとったら、むしろそのほうがよかったのではないかと思われる。なぜなら、彼女のほうが疑いもなく一編の女主人公だからである。これは消極的でなく積極的な典型である。これは積極的な美の典型であり、ロシヤの女性に対する讃歌である。したがって詩人は、タチヤナとオネーギンが最後に邂逅するあの有名な場面で、彼女に一編の思想を述べる任務を与えたのである。かかる美しさを持ったロシヤ女性の積極的典型は、わずかにツルゲーネフの『貴族の巣』のリーザをのぞいては、その後ほとんどわが文学中に二度とくり返されなかった、とさえいうことができる。けれど、人を高見から見下ろす癖のために、オネーギンは淋しい田舎ではじめてタチヤナに出会った時、まったくその本質を見分けることができなかった。純で無垢なつつましい姿をした彼女は、はじめて彼の前へ出ると、すっかりおどおどしてしまったのである。彼は見すぼらしい小娘の中に、完璧と完成とを見分けることができず、おそらく彼女を「道徳的胚子」と見なしたのかもしれない。いったい彼女が胚子なのだろうか?しかもそれは、彼女がオネーギンに宛てて手紙をおくった後のことである!もしこの叙事詩の中に、だれにもあれ道徳的胚子があるとしたら、それはもちろん、彼オネーギン自身である。それは論ずるまでもない。しかり、彼はまったく彼女を見分けることができなかったのである。またどうして彼に人間の魂を知ることができよう?彼は抽象的な人間であり、一生を通じて不安な夢想家であった。その後ペテルブルグに出て、名家の貴夫人となった彼女の姿を見、彼がタチヤナに宛てた手紙の文句にしたがえば、「心の底から彼女の完成美を残りなく悟った」時でさえ、彼は彼女を見分け得なかったのだ。それはただ言葉にすぎなかったのである。彼女は彼の生活において、認識されず、評価されないままで、彼のかたわらを通り過ぎたのである。そこに彼らのローマンスの悲劇が存するのだ。おお、もしあの時、田舎ではじめて出会った時、ちょうどそこへイギリスからチャイルド・ハロルドか、さもなくば何かのわけでバイロン卿自身がやってきて、彼女の臆病げなつつましい美を認め、それを彼にさし示したとしたら、――おお、その時はオネーギンも立ちどころにはっとして、驚嘆したに相違ない。なぜなら、こうした世界苦の受難者には、性々にして下男根性がひそんでいるからである。しかし、そういうことはおこらなかったので、世界的調和の探求者は、彼女に一場の教訓を授け、なんといっても潔白な態度をとった後、かの世界苦を胸にいだき、愚かな憤りに流された血に手を染めたまま、祖国を放浪すべく旅立ったのである。しかし、その祖国を認めるでもなく、体は健康と力に湧き立ちながら、呪詛の叫びを発するのである。 
  
 おれは若くて、内なる命はすこやかなのに 
 何を待ったらよいのやら、憂悶、憂悶! 
  
 タチヤナはそれを悟った。詩人はこの物語の不朽の詩句において、彼女が自分にとってかくも不思議な、依然として謎のような男の家を訪れる場面を描いている。これらの詩句の芸術的なことや、常人の達し得べからざる美しさや深みについては、今さら喋々しまい。さて、彼女は彼の書斎にはいって、彼の本、持ち物、調度品などを眺めまわし、それによって彼の魂を察し、自分の謎を解こうと努めている。やがて「遊徳的胚子」は、ついに謎の解決の近きを感じて、不思議なほほ笑みを浮かべながら、じっと手をとめる。そして、彼女の唇は静かにささやくのである。 
  
 ああ、彼はただパロディではないかしら? 
  
 そうだ、彼女は当然これをささやくべきであった。彼女は謎を解いたのだ。その後だいぶたって、ペテルブルグで再会した時、彼女はもう完全に相手を知りつくしていた。ついでながら、宮中にも出入りする社交界の腐敗した空気が彼女の魂にふれて、上流貴婦人としての地位と、新しい社交界的な観念が部分的には、彼女がオネーギンをこばむ理由となったのだ、などといったのは、いったいだれだろう?いな、それは見当ちがいである。いな、それは依然たるターニャである。依然たる田舎娘のターニャである!彼女はそこなわれはしなかった。むしろ彼女は、このけばけばしいペテルプルグの生活に圧倒され、眩暈(めまい)を感じ、苦しんでいるのだ。上流貴婦人としての自分の位置を悩んでいるのだ。彼女についてこれ以外の解釈をするものは、プーシキンのいわんと欲したことを、ぜんぜん理解していないのである。現に彼女はきっぱりと、オネーギンにいっているではないか。 
  
 けれどわたしはほかの男に許した身です 
 もう永久にその人に操を立てるつもりです 
  
 彼女はまさしくロシヤの女性としてこれをいったので、そこにこそ彼女の讃美さるべきゆえんがあるのだ。彼女はこの詩の真実を表現したのである。おお、わたしは彼女の宗教的信念や、婚姻の神秘に関する見解などについては、一言もいわないことにする。――いな、その問題にはあえてふれまい。しかし、いったいどうしたことだろう、彼女はみずから彼に向かって、「わたしはあなたを愛しています」といったにもかかわらず、なぜ彼について行くことをこばんだのか?それは、彼女が「ロシヤの女性として」(南方の女やフランス婦人などとはわけがちがって)大胆な一歩を踏み出す力がなく、自分の絆を断ち切って、名誉、財産、社交界の位置、美徳の条件などが有している魅力を、犠牲にすることができなかったからであろうか?いな、ロシヤの女性は大胆である。ロシヤの女性は、いったん自分の信じた人の後には、敢然と従って行くものである。彼女もすでにそれを証明した。しかし、彼女は「他の男に許した身であるから、永久にその人に操を立てます」という。そもそもだれに、何に、操を立てようとするのか?それはいったいどういう義務であるのか?あの年とった夫の将軍に対する義務なのか?しかし、彼女は彼を愛するわけにはゆかないではないか。なぜなら、彼女はオネーギンを愛しているからである。彼女が老将軍に嫁したのは、「母が涙を流して哀願した」からにすぎず、傷つけられ、辱しめられた彼女の心には、そのとき絶望のほかなんの希望も、光明もなかったのである。しかり、彼女はこの将軍に、――彼女を愛し、尊敬し、彼女を誇りとする潔白な夫に対して貞節なのである。よしや「母が哀願した」としても、同意したのはほかのだれでもなく、彼女自身ではないか。彼女自身が彼に向かって、貞節な妻となることを誓ったのではないか。たとえ結婚した動機は絶望であったにもせよ、いま彼は彼女の夫であり、彼女の裏切りは彼を汚辱と羞恥に包み、彼を殺すに違いない。ところで、人はおのれの幸福を、他人の不幸の上にきずくことができるであろうか?幸福はただ愛の歓楽のみでなく、精神の最高の調和の中にも存するのである。もし自分の背後に不純、無情、非人間的な行為があるとしたら、何をもって精神を静めることができよう?そこに自分の幸福があるというだけの理由で、彼女はいきなり逃げ出していいものだろうか?もし幸福が他人の不幸の上にきずかれるならば、それがなんの幸福であり得ようぞ?ひとつこういうことを想像してみていただきたい。諸君が究極において人々を幸福にし、ついには彼らに平和と安静を与える目的をもって、みずから人間の運命の建物を築くとしよう。そこで、このためには必ず不可避的に、一人の人間を苦しめなければならないと仮定する。しかも、それはあまりたいした存在ではなく、見る人の目によっては滑稽に見えるくらいで、シェイクスピアとかなんとかいったような偉人ではなく、たかが潔白な老人というだけのことである。それは、若い妻の夫で、その妻の愛を盲目的に信じ、その心はまったく知らないながらも彼女を尊敬し、彼女を誇りとし、彼女によって幸福であり、平安なのである。つまり、こういった人間ひとりだけを辱しめ、穢し、苦しめて、この穢されたる老人の涙の上に自分の建物を築くのだ!はたして諸君はかような条件において、かかる建物の建築技師となることをいさぎよしとせられるか?これが疑問である。もしその土台に、たといつまらない存在であるとはいい条、不正に容赦なく苦しめられた人間の苦痛がこめられているならば、かかる建物を建ててもらった人々自身が、はたしてかような幸福を受け取ることに同意するだろうか。またその幸福を受け取ったにもせよ、永久に幸福でいられるなどという思想を、ただの一瞬間でも認めることができるだろうか?あれほど高尚な魂を持ち、あれほど苦しんだ心を持つタチヤナが、あれ以外の決心をすることができたかどうか、伺いたいものである。いな、純なロシヤの魂は、次のように決心するのである。「たとえ、たとえわたくし一人が幸福を失ってもかまわない、たといわたくしの不幸のほうが、この老人の不幸よりはかり知れぬほど大きかろうと、またこの老人をはじめだれ一人として、永久にわたくしの犠牲に気づかず、しかもその値を知ってくれなくとも、わたしは他人を滅ぼしてまで幸福になりたくない!」ここに悲劇が存するので、この悲劇はついに完成される。最後の境界を越えることはできない、時はすでにおそい。かくして、タチヤナはオネーギンを立ち去らせたのである。 
 人あるいはいうであろう、オネーギンとても不幸なのではないか。結局、彼女は一人を救って他の一人を滅ぼしたのである!と。なるほど、それは別の問題であって、あるいはこの叙事詩の中で、最も重大なものでさえあるかもしれない。ついでながら、なぜタチヤナがオネーギンと、手をたずさえて去らなかったかという疑問は、少なくともわが文学界において、一種きわめて特色的な歴史を持っているので、そのためにわたしはあえてこの問題を敷衍する次第である。しかも、この問題の道徳的解決が、わが国ではあれほど長く疑問の種になっていたのは、最も特質的な点である。ところで、わたしはこう思う。もしタチヤナが夫の死によって寡婦となり、自分の身の上になったとしても、その時ですら彼女は、オネーギンのもとにおもむかなかったであろう。この性格の真髄を十分に理解しなければならない。なにぶん、彼女は男がいかなる人間であるかを見抜いているのだ。この永遠の放浪者は、自分の歯牙にもかけなかった女を、華々しい、およびもつかぬような、新しい環境の中に、突如として見いだした。つまり、この新しい環境の中にこそ、おそらく問題の全核心が存するだろう。かつて彼が軽蔑せんばかりであったあの小娘に、今や全社交界が跪拝している。オネーギンにとっては、彼の世界的な憧憬にもかかわらず、この社交界は恐ろしい権威なのであった。つまり、それゆえにこそ、彼は眼(まなこ)くらんで、彼女に飛びかかって行ったのである!これがおれの理想だ、これがおれの救いだ、これがおれの憂愁からの逃げ道だ、おれはそれを見落としていた、しかも「幸福はこれほど可能であり、これほど近く寄っていたのだ!」と彼は叫。ぶ。以前アレーコがゼムフィーラに向かったように、彼も新しい気まぐれな幻想の中に、いっさいの解決を求めながら、タチヤナに向かって行ったのである。しかし、タチヤナはこうした彼の内部の気持ちを、はたして悟らなかったであろうか、はたしてすでに久しい前から、彼という人間を見透していなかっただろうか?彼が実際において、ただ自分の新しい幻想を愛しているのみで、依然としてつつましやかな彼女、タチヤナを愛しているのではないということを、彼女ははっきり知っていたのだ!彼は彼女を実際とは違ったなにものかのように取り違えているので、実際は彼女を愛してすらもいない、それを彼女は知っていた。おそらく彼は何人をも愛していないのかもしれぬ、またあれほど悩み苦しんでいるにもかかわらず、なにものにもあれ、人を愛する能力がないのかもしれぬ!彼は幻想を愛しているのだ。が、彼自身も幻想なのである。まったく、もし彼女が彼に従って行ったならば、彼は明日にも幻滅を感じて、自分の一時の熱中を冷笑の目で見るだろう。彼にはなんの地盤もない、これは風に漂う草の葉なのである。 
 ところが、彼女はまるで違う。絶望の中にあっても、自分の生涯は滅びたという悩ましい意識の中にも、彼女にはなんといっても、魂の寄りかかる強固なゆるぎなきなにものかがある。それは彼女の少女時代の追憶である。彼女のつつましい清らかな生活の始まった、淋しい田舎にある故郷の思い出である。それは「彼女の哀れな乳母の墓の上なる十字架と、木立の陰」である。ああ、これらの思い出と、昔のさまざまな人の姿は、今や彼女にとって何よりも尊いものであり、彼女に残された唯一のものであるが、これが彼女の魂をどんづまりの絶望から救っているのである。これは決して些少なことではない。いな、そこには多くのものがふくまれている。なぜなら、それは完全な土台であり、一種ゆるぎのない、破壊しがたいなにものかである。そこには故郷、郷土の民衆、その聖物との接触がある。しかるに、彼には何があるか、また彼はなにものであるか?彼女としては、ただ彼を慰めんがためのみに、明日にもすぐ彼がこの幸福を冷嘲の目で見ることをあらかじめはっきり承知しながら、無限な愛の憐憫のために、ほんのひとどき幸福の幻影を与えんがために、同情の念から、彼の後に従うわけにはゆかないではないか。いな、たとえ限りなき同情のためにもせよ、おのれの聖なるものを意識的に穢すことのできない、深い毅然たる魂があるものである。いな、タチヤナはオネーギンの後に従うわけにはゆかなかった。 
 かくして、この及びがたい不滅の詩『オネーギン』の中で、プーシキンは彼以前の何人もかつてなかったような、偉大なる国民的文学者となったのである。彼はその洞察に満ちた的確な形象によって、一挙にしてわれわれの、民衆の上に立っているわが上流社会の、最も深い本質を剔抉したのである。過去および現在にわたるロシヤの放浪者の典型を示し、その歴史的運命と、わが国の将来におけるその偉大な意義を、天才的直覚によって、最初に明察するとともに、ロシヤ婦人の形をとったまぎれもない肯定的な美の典型をそれに平行させたプーシキンは、なおこの時期に属するその他の作品において、ロシヤ民衆の中から発見した多くの美しき肯定的なロシヤ人の典型を示した点からいっても、もちろん、ロシヤ作家の第一人者である。これらの典型のおもな美しさは、その真実さ、争う余地のない、手にふれ得るがごとき哀実さに存するのであって、もはやそれを秀定することはできない。彼らは彫刻のごとく、われわれの前に立っているのだ。もういちどいっておくが、わたしは文学批評家として話をしているのではないから、わが詩人の天才的諸作品を詳細に、文学的に考究することによって、自分の思想を闡明(せんめい)しようとはしない。たとえば、ロシヤの年代記者である修遊僧(『ボリス・ゴドウノフ』の登場人物)にしても、プーシキンによってロシヤの土地から探し出され、彼によって彫刻され表現された、この荘重なるロシヤ的形象の重大さと、深い意義を明らかにするためには、優に一冊の書物を書くにたるほどである。今やこの形象は、かくのごとく争う余地のない真実の所有者を生み出し得る国民生活の力強い精神の証明として、まぎれもない謙抑かつ荘重な精神美を示しながら、永久にわれわれのまえに打ち立てられたのである。この典型はプーシキンによって与えられ、すでに現存しているのであるから、これに論駁して、あれは考え出したものだ、あれは詩人の空想であり、理想化である、といい棄てることは不可能である。諸君みずから静かに瞑想してみるならば、しかり、これは現存する、と同意されるだろう。したがって、これを創造した民衆の精神も存在するわけであり、したがって、この精神の生ける力も存在し、かつ偉大で無限なものであることも承認されるだろう。プーシキンの作品には到るところ、ロシヤ的性格に対する信仰と、その精神力に対する信念がひびいている。信仰がある以上、当然、希望、――ロシヤ人に対する伸大なる希望もなければならない。 
  
 光栄と善き行ないの望みに燃えて 
 われは行く手を見やるなり、恐れげもなく 
  
 と詩人みずから他のことに関連していっているが、この言葉はただちに、彼の国民的創作活動の全般にあてはめることができる。プーシキンのごとく、あれほど心から親密に、おのが民衆と融合したロシヤの作家は、彼以前にも彼以後にも、かつて一人としていなかった。おお、わが国の作家の中には、民衆に関して実に上手に、実に正確に、愛情をこめて書いた人情通はたくさんある。けれど、プーシキンにくらべると、最近に現われた彼の後継者のうち、せいぜい一人二人を例外にして、今日までだれもかれもが、ただ民衆のことを書いた「旦那方」にすぎない。彼らの中で最も才能のある人々でさえ、いまわたしが挙げた二人の例外でさえも、ちょっとどうかすると、なにかしら尊大な、別の生活、別の世界から来たようなものが顔をのぞけ、民衆を自分たちのところまで引きあげてやろう、引きあげて幸福にしてやろう、と望むようななにものかが閃くのである。ところが、ブーシキンにおいては、まったく心底から民衆と融合しきったところがあって、それはほとんど素朴な喜びにまで達している。百姓が自分の奥方である牝熊を殺したことを物語った『牝熊の話』を取りあげてみても、また、 
  
 おい、イヴァン、仲人役、うんと飲もうじゃないか 
  
 という詩を思い出しても、諸君はわたしのいわんと欲するところを諒解されるであろう。 
 芸術と芸術的洞察の至宝ともいうべきこれらの作品はどれも、あたかも将来の芸術家、――いわば、同じ畑に働く未来の労働者に対する師表として、わが偉大なる詩人が残していったかの感がある。もしプーシキンがいなかったら、彼の後継者となった多くの才能も、現われなかったに相違ないとは、断言してはばからないところである。少なくとも、彼らの偉大なる天賦の資質にもかかわらず、その後、現代にいたって発揮することができたような、あれほどの力と明瞭さは、示されなかったに違いない。これは単に詩や芸術的創造の問題ばかりではない。もしプーシキンなかりせば、わがロシヤの独立性に対するわれわれの信仰も、現在ではすでに意識的になったわが国民力に対するわれわれの期待も、ひいてはヨーロッパ各国間におけるわが将来の自主的使命に対する信念も、これほど強固な力をもって確立されなかったかもしれない(これはまだ全部の人でなく、きわめて少数の人に見られるにすぎないとはいえ、その後、明瞭になった事実である)。このプーシキンの偉業は、わたしが彼の芸術活動の第三期と名づけるものを分析してみると、さらに明らかになるであろう。 
 ―――――――――――――――――――――― 
  
 もう一度、さらにもういちどくり返していうが、これら三つの時期は、さして画然たる境目を持っていない。たとえば、第三期の作品のあるものは、われらの詩人の詩的活動の、きわめて初期に現われ得るものということさえできるほどである。なぜならば、プーシキンは自分のあらゆる芸術的胚子を、外部から取るのでなく、はじめからちゃんと内部に蔵している、そういったふうの常に渾然とまとまった、全一的オルガニズムだったからである。外界は、すでに彼がその魂の奥底にふくんでいたものを、単に呼びさますだけにすぎなかった。しかしこのオルガニズムは発達を遂げていったので、この発連の各期間を明示することもできれば、その各々にそれぞれ独自の性格を指摘することもでき、一つの時期から他の時期へ移って行く、その経路さえ追うことができるのである。かくして、第三期には主として、全世界的理念が輝きはじめ、他国民の詩的形象が反映し、彼らの天才が具顕されている一系列の作品を、編入することができる。これらの作品の中には、プーシキンの死後はじめて発表されたものもある。わが詩人は、芸術活動のこの時期において、彼以前どこのいかなる作家にもかつて聞いたことがなく、見たこともないような、ほとんど奇跡的なものであるかのごとく感じられる。なるほど、ヨーロッパの文学には、シェイクスピアセルバンテス、シルレルのごとき、巨大な芸術上の天才がいた。しかし、わがプーシキンのごとく、世界的共鳴の才能を有していたものが、これらの伸大な天才たちの中に、一人でもあったろうか、あれば指摘していただきたい。わが国民性の最もおもな特色であるこの能力を、彼はわが民衆とともにわかち持っているのであって、これこそ主として彼が国民詩人たるゆえんである。ヨーロッパの詩人中もっとも偉大なるものですらも、プーシキンの現わしたような力をもって、よしんばつい隣国のものであろうとも、他国の天才と、その精神と、この精神の中に秘められている深みと、その使命の悩みとを、自己一身に具象し得た例はかってないのである。むしろ反対に、ヨーロッパの詩人たちは他国民に対する場合、しばしば彼らをおのれの国民性に融合させ、自己流に理解したものである。シェイクスピアについてみてさえも、たとえば、彼の描いたイタリア人は、ほとんどぜんぶイギリス人なのである。プーシキンのみは、すべての世界的詩人の中でただ一人、完全に他の国民性に融合し、変態する特性を有していた。現に『ファウストの一場面』、『吝嗇なる騎士』、譚詩『昔世に一人の貧しき騎士ありき』などがその例である。『ドン・ジュアン』を読んでみても、もしプーシキンの署名がなかったならば、これがスペイン人の筆になったものでないということを、とうてい知ることはできなかったであろう。『死の酒もり』の中のファンタスチックな形象は、なんという深みを持っていることか!しかし、これらのファンタスチックな形象の中には、イギリスの天才が感じられる。叙事詩の主人公の歌う素晴らしい黒死病の歌、それから、 
  
 騒がしき子らの声々は 
 学びの庭に響き渡りぬ 
  
 の二行をふくんでいるメリーの歌、これはまさしくイギリスの歌である。これはブリテンの天才の悩みであり、その嘆きであり、おのれの未来に対する悩ましい予感である。それから、次の奇怪な詩を思いおこしていただきたい。 
  
 あるときよ、荒れたる谷間をさまよいながら 
  
 これはあるイギリスの古い宗派の信徒が散文で書いた、不思識な、神秘の書の最初の三ページを、ほとんど文字どおりに翻訳して、詩形に直したものであるが、これがはたして単なる翻訳であろうか?これらの詩の憂鬱な歓喜に満ちた音楽には、北方のプロテスタンチズム、イギリスの異端者、限りなき神秘派の魂そのものが、鈍く、憂鬱な、やむにやまれぬ憧れと、神秘的空想の激しい力とともに、名ごりなく表現されている。この奇怪な詩を読むと、さながら宗教改革時代の精神が耳に響く思いがし、当時ようやく始まったプロテスタンチズムの、焔のごとき闘争精神が理解し得るのみならず、ついには歴史そのものまでがわかってくる。しかも、それは単に思想のうえばかりでなく、あたかも自分がそこに居合わせて、武装した宗派の信徒たちの陣営のかたわらを通り過ぎ、彼らとともに讃美歌を唱え、彼らの神秘的な歓喜に包まれながら、あいともに泣き、彼らの信ずるところをともに信じているかのごとき、気持ちがしてくる。ついでながら、この宗教上の神秘主義とならんで、コーランからとった同じく宗教上の詩の一節、すなわち『コーランを倣(まね)びて』がある。はたしてこれが回教徒の歌でないだろうか、コーランの緒神そのものではないだろうか。その剣、素朴な信仰の荘重味、そのものすごく血なまぐさい力が感じられないだろうか?それから、今度は古代の世界として『エジプトの夜』がある。そこには、民衆の上にどっかとすわっている地上の神々がある。彼らはすでに国民的天才とその憧れを蔑視し、もはや民衆を信ぜず、まったく孤立せる神々となって、おのれの孤独のために発狂し、死滅のまえの倦怠と憂愁のために、ファンタスチックな残虐や、虫けらにひとしい淫楽、――雄をくい殺す雌蜘蛛のような淫楽で、おのれを慰めている神々である。いや、わたしは断固としていうが、プーシキンのような世界的共鳴の天才を持った詩人は、またとほかになかった。しかしこの際、問題は単なる共鳴ということばかりでなく、その驚嘆すべき深みと、他国民の緒神におのれの精神を同化さす力に存するのだ。その同化は、ほとんど完全無欠であるがゆえに奇跡的であり、世界じゅうのいかなる詩人にも、かような現象はくり返されなかったほどである。これはまったくプーシキンにのみ見られることであって、この意味において、くり返しいうが、彼は前代未聞の現象であり、われわれにいわせれば、予言的なものである。なんとなれば……なんとなれば、そこには彼のロシヤ国民的な力が表現されているからである。まさしく彼の詩魂の国民性、その向後の発展における国民性、現在にひそんでいるわが未来の国民性が、予言的に表現されているからである。実際、究極の目的において、全世界性と全人類性に対する希求にあらずして、はたして何がロシヤ国民の精神力であるか?完全に国民詩人となって、民衆の力にふれるやいなや、プーシキンはただちに、その力の偉大なる未来の使命を予感したのである。ここにおいて、彼は洞察者である。ここにおいて、彼は予言者である。実際、ピョートル大帝の改革はわれわれにとってなんであるか?単に将来についてのみならず、すでに過去となったこと、われわれの目前に出現したことについてもいうのであるが、この改革はわれわれにとって、はたして何を意味するか?それはわれわれにとって、ただヨーロッパ風の衣服や、習慣や、発明や、科学を摂取したということばかりではあるまい。事の真相を熟視して、その核心に徹しようではないか。しかり、あるいはピョートルもはじめはこの意味で、すなわち、ただそういった手近な功利的な意味だけで、改革を実施しはじめたのかもしれないが、その後、自分の理想が漸次発展するにつれて、ピョートルは疑いもなく、おのれの内部にひそんでいるある直覚にしたがって、単なる手近な功利主義より、まぎれもなく偉大な未来の目的に向かって、自分の仕事を進めて行ったに連いない。それとまったく同様に、ロシヤの民衆も、単なる功利主義から改革を受け入れたのではなく、手近な功利主義よりさらに遠大な、比較にならぬほど高邁な目的を、ほとんどただちに予感したに相違ない。目的を直感したといっても、またもやくり返すようだが、もちろん、無意識的にである。しかし、それは直接的であり、まったく生命的な感受なのである。事実、ロシヤ人はそのとき一挙にして、生命的な大同団結に向かって、全人類的結合に向かって突進して行ったのだ!われわれは敵意を持たずして(それは一見したところ、そうなりそうなことではあったけれども)、その反対に友諠的な気持ちで、完全なる愛をもって、われわれの魂の中に他国民の天才を受け入れたのである。しかも、民族上の優先的差別をせず、ほとんど第一歩から、本能によって矛盾を見分けて、これを取りのぞき、各々の相違をゆるし、かつ和解させながら、すべてのものを一様に取り入れ、それによって、われわれ自身にもその時はじめて明瞭になった傾向、すなわち偉大なるアーリア人種に属するすべての民族を、全人類的に結合しようというわれわれの傾向と、それに対する用意とを表示したのである。しかり、ロシヤ人の使命は、疑いもなく全ヨーロッパ的であり、全世界的である。真のロシヤ人になること、完全にロシヤ人になりきることは(この点をはっきり銘記していただきたい)、とりも直さず、すべての人々の同胞となることである。もしお望みなら、全人になることだと申しあげてもよい。おお、わが国のスラヴ主義とか西欧主義とかいうものは、歴史的に必然なものであったとはいえ、要するに、すべて大きな誤解にすぎないのである。真のロシヤ人にとってはヨーロッパも、偉大なるアーリア人種ぜんたいの運命も、ロシヤそのもののごとく、わが生みの国土の運命のごとく尊いものである。なぜなら、われらの運命は全世界性だからである。それも剣の力によるものでなく、われわれの人類同胞性と、全人類結合に対するわれわれの同胞的努力によって、獲得されたものである。もし諸君がピョートル大帝改革以後の、わが国の歴史の真意に透徹しようとするならば、その中にこの思想の痕跡と、わたしのこの空想の指示を見いだされるであろう。さらにお望みとあらば、わが国とヨーロッパ諸民族との交通の特質にも、またわが帝国の政策にさえも、それを発見することができるのである。この政策を行ないはじめた最近二世紀間に、ロシヤはなにをしただろうか、ロシヤは自分自身に奉仕するよりもおそらくはるか以上に、ヨーロッパに奉仕してきたのではないか?それは単にわが国の政治家たちの無能のために生じた、とばかりは考えられない。おお、ヨーロッパ各国民は、彼らがわれわれにとっていかに尊いかを知らないのだ!わたしはかたく信ずるが、後日われわれは、いや、もちろん、われわれではなく未来のロシヤ人は、すべて一人のこらず悟るであろう。――すなわち、真のロシヤ人なることは、とりもなおさず、ヨーロッパの矛盾に最後的な和解をもたらし、いっさいを結合する全人間的なおのれの魂の中に、ヨーロッパの悩みの捌け口をさし示し、同胞的な愛を。もってすべての同胞をその中に収め入れ、ついにはおそらくすべての民族を、キリストの福音にしめされた掟によって充全に同胞として結合さすにたる、伸大なる一般調和の決定的な言葉を発するという、かかる目的に向かって努力することを意味するのである!わたしは承知している、わたしの言葉は右頂天な、誇張した、幻想的なものに聞こえるかもしれないということを、あまりにもよく承知しているのである。しかし、かまわない、わたしはそれを口外したことを悔まない。これは当然、口外さるべきことだったので、ことに今、まさしくこの思想を芸術の力をもって具象化した、われらの偉大なる天才を追慕するこの盛大なる祭典にあたっては、なおさらこれをいう必要があったのである。この思想は、すでに一度ならず表白されたもので、わたしの言葉はもうとう新しいものではない。第一、これらのことは、あまりに思いあがった言葉に聞こえるかもしれない。「それはいったい、われわれの貧しい国についていっているのか、われわれの粗野な国土にそんな運命が授けられているのか?はたしてわれわれが、人類に新しき言葉を発する使命を有しているのか?」といわれるかもしれない。しかし、そこにはなにも不思議はないので、わたしは経済的方面の光栄や、剣や科学の光栄のことをいっているのではない。わたしはただ人間の同胞愛のことと、全世界人類の同胞的結合のためには、ロシヤ人の心がおそらくあらゆる国民の中で、最も適した素質を持っているだろう、という話をしたまでである。わたしはその形跡をわが国の歴史に、わが国の天分ある人々に、プーシキンの芸術的天才の中に見いだすものである。よしやわが国土がまずしいものであろうと、この国土は「キリストが奴隷の姿をかりて、祝福しながら遍歴された」ものである。どうしてわれわれが彼の最後の言葉を、内部に蔵しているはずがないといわれよう?またキリスト自身も秣槽(まぐさおけ)の中で誕生したのではないか?くり返していうが、少なくともわれわれはすでにプーシキンと、その天才の全世界性・全人類性を指示することができるのだ。事実、彼は他国の天才をさながら肉親のもののごとく、自分の魂に納め入れることができたではないか。芸術においては、少なくとも芸術的創作においては、彼はロシヤ精神の希求が全世界的であるということを、疑う余地もないほどに表現して見せたが、ここにもう偉大なる啓示があるのだ。よしんばわれわれの思想が夢であるとしても、プーシキンという人がある以上、少なくともこの夢の根拠となるべきところは存するのである。もし彼がもっと長くこの世に生きていたならば、あるいはヨーロッパの同胞に完全に理解されるような、偉大にして不滅なロシヤ魂の形象を創造して、今よりもさらに強く、さらに近く彼らを引き寄せ、われらの希求の真実さを残りなく、彼らに闡明(せんめい)したかもしれない。そうすれば、彼らも今よりずっとわれわれを理解し、われわれの気持ちを察して、今なお彼らが持しているような不信と、傲慢の態度をとらなくなったであろう。もしプーシキンがいま少し長命したならば、現在見受けられるような、われわれ相互の間の誤解と争いは、少なくなっていたに相違ない。しかし、神の裁きは別様であった。プーシキンはその力の延び行く最中にたおれて、疑いもなくある偉大な秘密を、墓の中に持ち去ったのである。かくして、今やわれわれは彼なき後にこの秘密を解かんとしているのである。 
  
 「作家の日記」1880年8月 
  
 河出書房「ドストエフスキー全集 15」作家の日記 下 
 昭和45年7月20日初版 
 昭和52年6月25日9版
 

フョードル・ドストエフスキー「後掲『プーシキンに関する演説』についての釈明」(米川正夫訳)

一八八〇年八月 第1章 

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 後掲『プーシキンに関する演説』についての釈明 

 『作家の日記』の本号(一八八〇年の唯一号)のおもなる内容をなす、次にかかげるプーシキンとその意義に関するわたしの演説は、本年六月八日、ロシヤ文学愛好者協会の大会で、多数の聴衆のまえでなされ、多大な印象を与えたものである。その席上、自分はスラヴ主義の指導者のごとく見なされているといったイヴァン・セルゲーエヴィチ・アクサーコフは、わたしの演説を「一つの事件である」と演壇から声明した。わたしがこのことを想起するのは自慢のためではなく、次のことを声明したいがためである。もしわたしの演説が一つの事件であるとすれば、それは後段に述べるような、ただ一つの見地からのみいい得ることである。わたしがこの前書きを書くのも、それがためにほかならぬ。その演説の中で、わたしはとくにロシヤに対するプーシキンの意義に関し、次の四か条を指摘したいと思ったのである。 
一、プーシキンは、その深い洞察力をもった天才的な知性と、純ロシヤ的な感情によって、社会の地盤から歴史的にもぎ離され、民衆を高みから見下ろしているわがインテリゲンチャの、最もおもなる病的現象を発見し、指摘したところの第一人者である。自分の生まれた地盤とその生みの力を信じないで、不安に悩まされ、妥協を望まないところから、ついにはロシヤをも自分自身をも(すなわち、おのれの社会をも、われわれを生んだ地盤の上に発生した自分たちの知識層をも)否定し、他人と事をなすを欲せずして、しんから苦悶しているわが国の否定的タイプを剔抉し、これをわれわれの前に浮彫りにして見せたのである。アレーゴ(戯詩『ジプシーの群れ』の主人公)やオネーギンは、その後わが純文学の中で、多くの類似した典型を生み出した。その後からペチョーリン(レールモントフ『現代の英雄』)、チチコフ(ゴーゴリ『死せる魂』)、ルージン、ラヴレーツキィ(ツルゲーネフ貴族の巣』)、ポルコンスキイ(レフ・トルストイの『戦争と平和』における)、その他、枚挙にいとまがないくらいで、それらはすべてその出現によって、最初プーシキンの投げつけた思想が真実であったことを証明するものである。ピョートル大帝の偉大なる社会改革後、わが国に生じた最も大きな病所を指摘した彼の知性と、天才に光栄あれ。われわれは自分たちの病気の発見と認識に対して、彼の巧妙な診断に負うところが多い。しかし、同時に、彼はわれわれに慰籍を与えた最初の人である。なぜなら、彼はこの病気が致命的なものでなく、もしも民衆の真理と結合するならば、ロシヤの社会は全治して、更正し、復活することができるという、偉大なる希望を与えたのである。なんとなれば、 
 二、彼は直接、ロシヤ精神から生まれ、民衆の真理の中に、われわれの地盤の中に現われ、みずから発見したロシヤ的美の芸術的典型を、われわれに与えた最初の人である(まさしく最初の人である。彼以前にはだれもいない)。そのことを証明するのは、外来の虚偽からおのれを守った完全にロシヤ的な女性であるタチヤナの典型、それからたとえば、『ポリス・ゴドゥノフ』に現われる僧やその他の歴史的典型、また『大尉の娘』における世相的典型、そのほか彼の詩、短編、覚書、『ブガチョフ叛乱史』にさえ散見される多くの人物である。ことに特筆しなければならない主要な点は、これらすべてのロシヤ人とその魂の積極的美を示す典型が、完全に民衆精神から取って来られたことである。こうなると、真実を残らずいってしまわなければならない。プーシキンは、わが現代文明や、いわゆる「ヨーロッパ風の」教義や(そんなものは、ついでにいっておくが、かつてわが国になかったのだ)、外面的に取り入れられた醜悪なヨーロッパ的思想や形式の中に、この美を示したのではなく、ただ民衆の精神の中に、ただその中にのみ発見したのである。かようにして、くり返しいうが、彼は病気を識別して、偉大なる希望を与えたのである。「民衆の精神を信じ、ただそれのみに救済を期待せよ、しからば救われん」と。プーシキンの精神に徹すると、こうした結論をしないわけにはゆかないのである。 
 わたしがブーシキンの意義について指摘しようと思った第三の点は、彼をのぞいてはどこのいかなる作家にも見いだすことのできない特殊な芸術的天才の一面、――すなわち全世界的共鳴の才能、他国の天才に完全に同化する才能である。わたしが演説の中でもいったことであるが、ヨーロッパにはシェイクスピアだとか、セルバンテスとか、シルレルとかいう偉大な世界的天才があるけれど、そのだれ一人にもこの才能を見いださない、ただプーシキンにこれを見るのみである。このさい、問題は単なる共鳴性だけでなく、まさしく同化というものの驚くべき完全さに存するのである。わたしは、プーシキンを評価するに際して、この才能を彼の天才の最も特質的な点として指摘せざるを得ない。これは全世界の芸術家中、ただ彼一人にのみ属するものであって、これが彼をすべての芸術家から区別するところのものである。しかし、わたしがこんなことをいうのは、シェイクスピアやシルレルなどという、ヨーロッパの天才の偉大さを減殺するためではない。わたしの言葉からかかる結論をなし得るのは、ただばかな手合いだけである。シェイクスピアによって永久に与えられたアーリア人種の世界的典型が、全世界的であること、万人に理解され得ること、きわめつくせない深みを持っていることは、わたしはもうとう疑おうとしない。たとえシエイクスピアがオセロを英国人でなく、真実ヴェニスムーア人として創造したにもせよ、それはただ地方的・民族的特質の光彩を与えるのみで、この典型の世界的意義は依然として変わりがなかったであろう。なぜなら、それがもしイタリア人であっても、彼は自分のいわんと欲したことを、それと同じ力をもって表現したに相述ないからである。くり返していうが、わたしは他国民の天才に同化し得るプーシキンの天才力を強調するにあたって、シェイクスピアやシルレルの世界的価値を侵犯するつもりはなく、ただわれわれにとって偉大な予言的指示を、この能力の中に証明したいと思ったにすぎない。なぜならば、 
 四、この才能は、完全にロシヤ的な、国民的な才能であって、プーシキンはただそれをわが全民衆と共有しているのであり、完全無欠な芸術家として、この才能の最も完全な表現者だからである。少なくともその活動において、芸術家としての活動においてしかりである。わが民衆はその魂の中に、全世界的共鳴と和解に対するこの傾向を橘していて、すでにピョートル大帝の改革後二百年間に、一再ならずそれを表明している。わが民衆のこの才能を指摘しながら、わたしは同時にこの事実の中に、未来におけるわれわれの偉大なる慰藉と、われわれの前方に輝くおそらく最大の希望を、認めないわけにゆかなかったのである。要するに、われわれのヨーロッパに対する憧憬は、そのいっさいの熱中と過激な現われさえもふくめて、根本においては合法的であり、合理的であるのみならず、むしろ国民的なものであって、民衆精神そのものの希求と完全に合致しており、窮極において高遠な目的をも有することは疑いをいれない。それをわたしは強調したのである。わたしの短い、あまりにも短い演説の中では、十分に論旨を展開させることができなかったのはもちろんであるが、少なくとも、わたしのいったことは明瞭であると思う。わたしの述べた「わが貧しき土地があるいは結局、世界に向かって新しき言葉を発するであろう」という言葉に憤慨する必要はない。そんな必要はさらさらない。また同様に、われわれは世界に新しき言葉を発するまえに「まず自分から経済的、科学的、公民的に発達を遂げて、その時はじめてヨーロッパ諸国のごとき完成された(?)組織体に向かって『新しき言葉』を告げるなどという空想にかかるがいい」などと力説するのも滑稽な話である。わたしはあの演説の中で、自分がロシヤ国民を経済的、あるいは科学的光栄の方面で、西欧諸国民と比較しようとするものでないことを、とくに強調したのである。わたしはただロシヤ人の魂、ロシヤ民衆の天才は、おそらく他のいかなる国民よりも、全人類結合、同胞愛の理念を、最も多く内蔵する力を有している、といっただけである。敵をゆるし、相異なるものを識別してこれを寛恕し、矛盾をのぞき去る冷静な見方、これがロシヤ民衆に妓も多く見られるものである。それは経済的とかなんとかいうものではなく、単に精神上の特質にすぎないので、これがロシヤ民衆の中に存していないなどと否定したり、論駁したりできるものが、だれかあるだろうか?ロシヤの民衆は、単に蒙昧な大衆であって、民衆を高見から見下ろしているわがヨーロッパ的知識階級の進歩と発達に、経済的に奉仕する運命を担っており、彼ら自身の内部には単に死のごとき蒙昧を蔵しているのみであるから、なに一つ期待することもできなければ、ぜんぜんなんらの希望をもかけることができないなどということを、はたしてだれが断言できようか?残念ながら、多くのものはこのように断言しているが、わたしはそれと反対のことをあえて声明したのである。くり返していうが、わたしは自分でみずから名づけたところの「このわたしの空想」を、十分完全に委曲をつくして論証することは、もちろんできなかったけれども、それを指示しないではいられないのだ。経済的・公民的に西欧と肩をならべ得るようになるまでは、わが貧しい混沌たる国土が、そのような高邁な希求を持つはずがないと断言するのは、ただもうばかばかしいことというよりほかない。国民精神の根本的・道徳的な宝は、少なくとも、その基礎的本質においては、経済力などには依存しない。わが貧しい混沌とした国土は、その最上層をのぞくほか、完全に一体をなしている。八千万の住民全部(ヨーロッパ・ロシアの人口)は、もちろん、ヨーロッパのどこにもないような、またあり得ないような精神的結合体をなしているので、ただこの点のみから見ても、わが国土が混沌としている、とはいえないし、厳密な意味では、貧しいとさえいえないほどである。それどころか、ヨーロッパでは、あれほど富の蓄積されているヨーロッパでは、各国の公民的基礎が完全に蝕まれて、明日にも永久に跡形なく崩壊しつくし、そのかわりに、以前のものとは似ても似つかぬ、前代未聞のなにものかがやって来るかもしれないのだ。ヨーロッパの蓄積したすべての富も、その崩壊を救うことはできないだろう。なぜなら、「一瞬にして富も消滅せん」だからである。にもかかわらず、この蝕まれ毒された彼らの公民的組織を、わが民衆の憧れ求むべき理想として指し示し、この理想を狸得した後に、はじめてヨーロッパに向かって、なんなりとも自分の言葉を発することができる、とこういうのである。ところがわれわれは、愛と結合の精神力を内蔵し保持することは、現在のわれわれの貧しい経済力でもできる、と断言するのである。いな、現在どころか、もっとひどい赤貧状態でもできるほどである。この精神力は抜都(パプ)の侵入後とか、ただ民衆の結合精神のみがロシヤを救った混乱時代(一六〇四―一六一三年)の、壊滅後のごとき赤貧状態でも、よくこれを保持し、内蔵することができるのである。また最後に、人類を愛する権利、いっさい結合の精神をいだく権利を有し、他民族が自分たちに似ていないからという理由で、これを憎まないだけの能力を有するためには、自分だけがいっさいを獲得して、他民族はレモンのようにただ搾取さえすればいいという目的で、おのれの国民性によって他国に城壁をめぐらすような野心をいだかないためには、(こういった気持ちの国民は、たしかにヨーロッパに現存しているのだ!)これらいっさいの目的を達成するために、まずあらかじめ富強な国民となって、ヨーロッパ的公民制度を移植する必要があるとしても、われわれははたしてこのヨーロッパ的組織を、奴隷的に模倣しなければならないだろうか?(しかも、この組織はヨーロッパでは、明日にも崩壊するのだ。)それでも、ロシヤの公民組織は、自分自身の有機的な力で国民的に発達することが許されず、是が非でも下男的態度でヨーロッパを模倣しながら、無人格にならなければならないのだろうか?それではロシヤの組織はいったいどこへやったらいいのだろう?はたしてこれらの諸君は、組織とはなんであるかを理解しているのだろうか?それでいてなお、自然科学などを云々しているのだ!「そんなことは民衆が許さない」と二年ばかりまえ、ある人がある取柄について、一人の猛烈な西欧主義者にいったことがある。「それなら、民衆を撲滅してしまえ!」と西欧主義者は荘重な調子で、おちつきはらって答えた。しかも、その男はだれあろう、わが知識階級の代表者の一人である。この逸話は間違いのない話である。 
 わたしは、以上の四か条によって、われわれにとってプーシキンがいかなる意義を有するかを明らかにした。そして、くり返していうが、わたしの演説は人々に印象を与えたのである。この印象はわたしの手柄でもなければ(この点を力説しておく)、叙述の巧妙なためでもなく(その点は、わたしに反対な側の人々に同意を表して、決して自慢などしない)、ただわたしの真摯さと、演説が短く不完全であったにもかかわらず、わたしの提出した事実が、あえていうけれど、いなみがたい真実を蔵していたことによるのである。しかし、イヴァン・セルゲエヴィチ・アクサーコフのいわゆる「事件」なるものは、はたしていかなる点にふくまれているのか?ほかでもない、いうところのスラヴ主羨者、あるいは別名「ロシヤ党」(ああ、なんということか、わが国には「ロシヤ党」が存在するのである!)が、西欧派との和解に向かって大きな、おそらく最後的な一歩を踏み出したところにふくまれているのだ。なぜなら、スラヴ主義者たちは、西欧派のヨーロッパに対する憤慨が正しいものであること、彼らの最も極端な熱中や結論さえもが、まったく正当なものであることを声明し、その正当なるゆえんを、国民精神に合致する純ロシヤ民衆的な憤慨によって説明したからである。また彼らの熱中にいたっては、歴史的必然性、歴史的宿命をもって肯定したのであって、結局、総決算のときには(もしいつかそういうものが行なわれるとすれば)、西欧派はロシヤの国土と、その精神的希求に奉仕したのであって、その点、真に自分たちの生まれた祖国を愛し、今まであまりにも熱心に「ロシヤ生まれの外国人」のありとあらゆる熱中ぶりから祖国を守ろうとした純粋のロシヤ人たちと、まったく同一であることが、明白となるだろう。 
 最後に、二つの党派の間におけるすべての紛擾(ふんじょう)と悪性の論争は、単に大きな誤解にすぎなかったということが宣言されたのである。つまり、これがおそらく「事件」となり得たのであろう。なぜなら、スラヴ派の代表者たちは、わたしの演説が終わるとすぐにその場で、その論旨の全部に完全な同意を表明したからである。わたしは今つぎのように声明する。――いな、これはすでにあの演説の中で声明したのであるが、この新しき第一歩の名誉は(もし和解の最も確実なる望が名誉となるならば)、この新しき(と称したければだが)言葉の功績は、決してわたし一人だけでなく、スラヴ主義ぜんたい、わが「党」の精神と、方向ぜんたいに属するものである。これはたえずスラヴ派の運動に注意していた人にとっては、はじめから明瞭なことであって、わたしが表現した思想は、たとえ口から発しられないまでも、すでに一再ならず彼らによって指示されていたのである。わたしはただうまく適当な機会をつかんだにすぎない。 
 さて今度は結論であるが、もし西欧派がわれわれの推論を受け入れて、それに同意するならば、もちろん、両党派の間の誤解はたちまち残らず消えてしまって、イヴァン・セルゲエヴィチ・アクサーコフのいったとおり、「今後すべては解明されたのであるから、西欧派とスラヴ派はなにも論争することがなくなる」はずである。その観点からすれば、わたしの演説はもちろん一つの事件」でもあったろう。しかし、悲しいかな、「事件」なる言葉は、ただ一方の側から真摯な熱中に駆られて発しられたものにすぎないから、もう一方の側に受け入れられるか、単なる理想としてとどまるか、これはもうまったく別個な問題である。すぐ演壇の上でわたしを抱擁し、握手したスラヴ主義者たちにつづいて、わたしが壇を降りるやいなや、西欧主義者たちもわたしに近づいて握手した。しかも、それはただの有象無象と違って、ことに現在その陣営中で第一流の役割を勤めている、西欧派の錚々(そうそう)たる代表者たちであった。彼らは、スラヴ派に劣らない激しい真撃な熱中ぶりで、わたしの手を握りしめ、わたしの演説を天才的であると讃えた。しかも、この言葉に力を入れながら幾度も、あれは天才的だといった。しかし、わたしは恐れる。あれは最初の感激に駆られて、「性急」に発せられた言葉ではないか、と心底から恐れている。おお、わたしが恐れているのは、彼らがわたしの演説を天才的だといった言葉を、撤回するかもしれないということではない。あれが天才的でないのは、わたしも自分で承知しており、人々の曲調にもうとう酔ってはいないから、わたしが天才的だということについて、彼らのいだくべき幻滅感を、衷心からゆるすつもりである。が、それにしても、次のようなことが生ずるおそれはある。西欧派の人々がすこし考えた時、次のようなことをいうおそれがある(N・B わたしは自分に握手してくれた人たちのことを書いているのではなく、今はただ一般に西欧派のことをいっているのだ。この点をとくに力説しておく)。 
 「さて」とおそらく西欧派の人々はいうであろう(注意していただきたい、これはただ「おそらく」である、それだけの話である)。「諸君は長い争論と応酬の後に、ついにわれわれのヨーロッパに対する憧憬が正当なものであり、ノーマルなものであったと同意してくれた。諸君はわれわれの側にも真理があったことを認めて、自分の旗を捲いた。いや、けっこう、われわれは諸君の承認を喜んで受け入れ、これは諸君としてなかなか悪くないことでさえあると、急いで声明する。少なくとも、これは諸君にある程度の頭脳が存することを示すものだ。もっとも、われわれは諸君に頭脳のあることを、一度も否定したことはない。ただし、われわれの中で最も鈍感な連中は例外で、そんなのに対してわれわれは責任を持つことを欲しないし、またそんなこともできやしない。しかし……ここにまたしてもある一つの障害が現われる。で、この点を一刻も早く明白にしなければならない。というのは、われわれの熱中が民衆の精神と合致して、神秘な形でそれに指導されていたという諸君の仮定、諸君の結論は、なんといっても、われわれの目に疑わしいというより以上のものなので、したがって、諸君とわれわれとの間の協定は、依然として不可能になってくる。よく承知しておいていただきたいが、われわれの指導標準となったのは、ヨーロッパとその科学であり、ピョートル大帝の改革であって、わが民衆の精神ではさらさらない。なぜなら、われわれは自分の道程において、そんな精神に出あわなかったし、匂いも嗅がなかったくらいである。それどころか、われわれはそれを後方に見棄てて、大急ぎでそのそばを逃げ出したものだ。われわれはそもそもの初めから、独立独歩に進んだのであって、全世界的共鳴とか、人類の結合とか、一言にしていえば、その他諸君がいまたくさんならべ立てたものに対するロシヤ民衆の、ある種の牽引的とでもいう本能に引きずられたのでは決してない。もうなにもかもあけすけにいってしまう時機がきたから申しあげるが、われわれはロシヤ民衆の中に、依然として蒙昧な大衆を見いだすばかりである。われわれとしては彼らに学ぶべきなにものもない。彼らは進歩的なより良きものに向かうロシヤの発達を、むしろ阻害するくらいであるから、根本的に改造し、たたき直さなければならない。もし有機的にそれをなし得ないならば、少なくとも機械的にやらなければならない。つまり、ごく簡単に、彼らが永久にわれわれのいうことを聞くようにしてしまうのだ。ところで、民衆を聴従させるというこの目的を貫徹させるには、たったいま問題になったヨーロッパ各地における公民的組織を、そっくりそのまま取り入れなければならない。実際、わが民衆は今までもそうであったように、現在でも乞食のごとく赤貧で、悪臭紛紛とし、個性も思想も持つことができないのだ。わが民衆の歴史ぜんたいはめちゃくちゃなものであるが、諸君はその中からとんでもない結論を引っぱり出してきた。ただわれわればかりが冷静な見方をしていたのである。わが国のごとき民衆は、歴史を持つべきではないのであって、彼らが歴史と称して今まで持っていたものは、嫌悪の念をもってきれいさっぱりと忘れてしまわなければならない。歴史を持つべきものはただわれわれインテリゲンチャの社会ばかりで、民衆は労働と力をもってこの社会に勤めさえすればいいのだ。 
 ああ、どうかご心配なく、そんなにがやがやわめかないでいただきたい。われわれは彼らを聴従させるといったからとて、なにもわが民衆を奴隷的に束縛しようというのではない。おお、もちろん、そんなことはない!どうかそんな結論を引き出さないでもらいたい。われわれは人道的なヨーロッパ人なので、諸君もそのことは知りすぎるほど知っていられるはずだ。それどころか、われわれは徐々に、規則的にわが民衆を教育して、彼らをわれわれの程度にまで引きあげ、その教育が完了したのち、しぜんと現われる新しい国民性にたたき直すことによって、われわれの建設を完成せしめようと考えているのだ。彼らの教育は、われわれがみずからはじめたものからはじめ、そこに基礎をおくつもりである。すなわち、彼らにいっさいの過去を否定させ、彼らに自分たちの過去を呪わせるのだ。われわれは民衆に少し読み書きを教えたら、さっそく、ヨーロッパの匂いを嗅がせ、ヨーロッパを餌にして彼らを誘惑しにかかるつもりだ。まあ、早い話が、生活様式、礼儀作法、衣服、飲物、舞踏などの優美さで、誘惑するのだ。要するに、彼らをして以前の木の皮靴や、クワスを恥じさせ、自分たちの古い歌を恥じさせるのだ。その中にはりっぱな音楽的な歌もいくらかあるけれど、とにかくわれわれは、諸君がどんなに腹を立てたところで、彼らに韻を踏んだヴォードビルを歌わせるつもりだ。一口にいえば、われわれは良き目的のためには、ありとあらゆる無数の手段を用いて、われわれがそうであったのと同様に、彼らの心の弱点にまず働きかける。そうすれば、民衆はもうこっちのものだ。彼らは自分の過去を恥じ呪うだろう。おのれの過去を呪うものは、すでにわれわれの掌中のものだ。これがわれわれの公式である!われわれは民衆を自分たちの程度まで引きあげにかかる時、この公式を完全に適用するだろう。もし民衆が教育に不適当であるときまったら、その時は『民衆を除外する』のだ。なぜなら、その時はわが民衆が服従を強制されるより能のない、とるにたらぬ野蛮な大衆であることが、もはや疑いもなく明瞭になるからである。事実、その場合なんとしようがあるものか、真理はインテリゲンチャとヨーロッパにのみあるのだから、よしんばわが国に八千万の民衆がいるとしても(諸君はこれを自慢にしていられるようだが)、とにかく、この八千万の民衆は何よりもまず、このヨーロッパ的真理に奉仕しなければならない。それよりほかのものはありもせず、またあり得ないからである。何千万などという数でわれわれを驚かしてもらうまい。これがわれわれの不断の結論であるが、今はただそれが完全に露出されただけの話で、われわれはあくまでそれを固守する。われわれは諸君の結論を採用して、le Pravoslavie(正教)などという奇妙なことを、諸君といっしょになって喋々し、それに何か特別な意味があるように騒ぎ立てるわけにはゆかぬ。どうか諸君もせめてこれだけは、われわれから要求しないようにしてもらいたい。ことに目下、ヨーロッパとその科学の最後の言葉は、文化的・人道的無神論であるというのが、一般的結論になっているのだから。われわれとしては、ヨーロッパの後について行かないわけにはゆかないのだ。 
 かようなわけで、きみがわれわれに賞讃をささげた演説の半分だけは、われわれもまあ、ある制限を付してちょうだいしてもよろしい。仕方がない、それくらいのお愛想は示さなければならない。ところで、諸君と諸君の『根本義』いっさいに関する演説の他の半分は、失礼ながらちょうだいいたしかねる……」 
 こういう悲しむべき結論もあり得るのだ。くり返しいうが、わたしは自分の手を握ってくれた西欧派の人々の口に、あえてこの結論を押し込もうとするものではない。のみならず、完全にロシヤ人であり、最も文化的なロシヤの活動家であり、その抱懐する理論にもかかわらず、尊敬すべき立派なロシヤ公民である彼らの多数者にも、この結論をあえて擬するものではない。そのかわり大衆、中心から遊離した離反者の大衆、西欧派の有象無象、凡庸の徒、思想を引きずりまわしている街頭の徒輩、「思想的傾向」の蛆虫ども(彼らは浜の真砂と同じなのだ)、おお、彼らの間では、必ずやこれに類したことをいうに違いない。いな、あるいはすでにいったかもしれない。(N・B たとえば、宗教に関するある出版物の中で、スラヴ主義の目的はほかでもない、全ヨーロッパを正教に改宗させることに存すると、いかにも彼ららしい機知を弄して、声明したものである。)しかし、憂鬱な考えを振り捨ててしまって、われわれはわが欧化主義の尖端的代表者に期待をかけよう。もし彼らがわれわれの結論と、彼らに対するわれわれの期待のせめて半分でも認めてくれたら、それこそ彼らの徳として名誉として、われわれは衷心から歓喜に燃えながら、彼らを迎えるだろう。もしほんの半分だけでも、彼らがロシヤ精神の個性と、独立性と、その存在の正当さと、人間愛に満ちた、いっさいを結合せんとするその希求を、せめて半分だけでも受け入れてくれるならば、つまり認めてくれるならば、その時は少なくともおもな、根本的なものについては、もう何も論争することがなくなるだろう。その時こそ、まことにわたしの演説は、新しき事件の基礎として役立つだろう。最後にもういちどくり返すが、わたしの演説そのものが事件なのではなく(それはこれほどの名称に値しない)、プーシキンの偉大なる祭典がわれわれの結合のために、――未来の最も美しき目的に向かってすべての教養ある、誠実なロシヤ人が結合するために役立った、それが事件なのである。  

   
 河出書房「ドストエフスキー全集 15」作家の日記 下 
 昭和45年7月20日初版