odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

フョードル・ドストエフスキー「作家の日記 下」(河出書房)-3(1880年)「プーシキン論」 イワン・カラマーゾフの問いがここでも問われる。

 「カラマーゾフの兄弟」連載のさなかの1880年と81年に「作家の日記」が再開された。

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 1880年プーシキン論(1880年6月8日、ロシア文学愛好者協会大会での演説)。「作家の日記」収録にあたって、ドスト氏は「釈明」を書いている。それによると、ドスト氏は演説で、プーシキンが1)ロシア的感情の表現、2)ロシア的美の芸術的典型、3)世界文学、4)全民衆と共有ということを述べたのだという。それを念頭に本文を読むとはぐらかされる。前半は「オネーギン」のタチアナの愛について述べていて(チャイコフスキーの歌劇は聞いたことがあるが原作は未読なので何とも言いようがない)、後半はプーシキンのような民衆作家を生み出したロシア国民と精神を賛美する。ドスト氏の釈明の意図が測りかねる内容だった。自分は、文学が国民や民衆を描くとか、結びつけるという議論は受け入れがたい。なので、この演説は退屈だった。プーシキンのほかの作品やゴーゴリなどを思い浮かべると、ロシアの文学はヨーロッパから輸入したものを定着させる試みとして始まる。当然、民衆芸術と方法が異なるので(異国の方法を模倣する)、国民や民衆を典型として描きようがない。次の世代になると、文学は所与のものとしてあるので、最初の世代のような苦労や違和はない。そうすると国民や民衆を描いたように思えるのだ。次の世代の代表であるドスト氏が先行する世代への敬意を示したのだろう。さらには、農奴解放令から始まるロシアの近代化が成功して、西洋列国の仲間入りをし、帝国主義の一員になる。近代国家の成立が、国民や民衆の芸術の起源を必要としていて、プーシキンを発見したのでもあるだろう。ちょうどドイツがゲーテやシラーを必要としたのと同じように。

フョードル・ドストエフスキー「プーシキン論」(米川正夫訳)
フョードル・ドストエフスキー「後掲『プーシキンに関する演説』についての釈明」(米川正夫訳)


 「エフゲーニ・オネーギン」のタチヤナの選択に関連してドスト氏は次のように述べる。

「もし幸福が他人の不幸の上にきずかれるならば、それがなんの幸福であり得ようぞ?ひとつこういうことを想像してみていただきたい。諸君が究極において人々を幸福にし、ついには彼らに平和と安静を与える目的をもって、みずから人間の運命の建物を築くとしよう。そこで、このためには必ず不可避的に、一人の人間を苦しめなければならないと仮定する。しかも、それはあまりたいした存在ではなく、見る人の目によっては滑稽に見えるくらいで、シェイクスピアとかなんとかいったような偉人ではなく、たかが潔白な老人というだけのことである。それは、若い妻の夫で、その妻の愛を盲目的に信じ、その心はまったく知らないながらも彼女を尊敬し、彼女を誇りとし、彼女によって幸福であり、平安なのである。つまり、こういった人間ひとりだけを辱しめ、穢し、苦しめて、この穢されたる老人の涙の上に自分の建物を築くのだ!はたして諸君はかような条件において、かかる建物の建築技師となることをいさぎよしとせられるか?これが疑問である。もしその土台に、たといつまらない存在であるとはいい条、不正に容赦なく苦しめられた人間の苦痛がこめられているならば、かかる建物を建ててもらった人々自身が、はたしてかような幸福を受け取ることに同意するだろうか。またその幸福を受け取ったにもせよ、永久に幸福でいられるなどという思想を、ただの一瞬間でも認めることができるだろうか?あれほど高尚な魂を持ち、あれほど苦しんだ心を持つタチヤナが、あれ以外の決心をすることができたかどうか、伺いたいものである。いな、純なロシヤの魂は、次のように決心するのである。「たとえ、たとえわたくし一人が幸福を失ってもかまわない、たといわたくしの不幸のほうが、この老人の不幸よりはかり知れぬほど大きかろうと、またこの老人をはじめだれ一人として、永久にわたくしの犠牲に気づかず、しかもその値を知ってくれなくとも、わたしは他人を滅ぼしてまで幸福になりたくない!」ここに悲劇が存するので、この悲劇はついに完成される。最後の境界を越えることはできない、時はすでにおそい。かくして、タチヤナはオネーギンを立ち去らせたのである。」

 ほぼ同じ内容が「カラマーゾフの兄弟」に出てくる。

「さあ、答えてみろ。いいか、かりにおまえが、自分の手で人間の運命という建物を建てるとする。最終的に人々を幸せにし、ついには平和と平安を与えるのが目的だ。ところがそのためには、まだほんのちっぽけな子を何がなんでも、そう、あの、小さなこぶしで自分の胸を叩いていた女の子でもいい、その子を苦しめなければならない。そして、その子の無償の涙のうえにこの建物の礎を築くことになるとする。で、おまえはそうした条件のもとで、その建物の建築家になることに同意するのか、言ってみろ、うそはつくな!(カラマーゾフの兄弟 2」光文社古典文庫P248」

 アリョーシャはしずかに「いいえ、しないでしょうね」と答える。そのように答える人をドスト氏はアリョーシャの前に見出していた。この問いは、入管問題や外国人技能実習生の問題を見るとき、強いアクチュアリティをもつ。日本そのものが他人の不幸の上に建てられた建物であって、そこに住む人たちは、不幸な人たちをいないことにし、見ていない。ドスト氏はそのような不幸な人たちを「死の家の記録」にあるように監獄で見出して、彼らを「せめて人間らしく」扱えと訴える。日本人はドスト氏の問いと訴えに耳を傾けているか。
 米川正夫の解説によると、ドスト氏の演説はスラブ主義者には評判が良かったとのこと。ただし、プーシキン祭のあとで同じような批判をした西洋派がいたようで、ドスト氏は長い反駁文を書く。汎スラブ主義とロシア正教で正当化しようとする。そこにヨーロッパ批判と反ユダヤ主義をトッピング。筋の悪い議論(それを肯定する訳者解説は、うーん、困ったなあ)。
 1881年は財政論と銘打って、素人の経済政治談議。これも「論文・記録」以来の主張の繰り返し。第2章の後半でアジアがでてくるのが目新しい。南下政策を取れなくなって(イギリスやドイツの反対だろう)、シベリアからアジアに向かう政策になったことの反映かな。
 奇妙なのは、ドスト氏は皇帝に何か言ったことがない。日本の愛国主義者のような偶像としての役割をロシアの皇帝はもっていないのだ。たしかロシアの皇帝は家代わりを起こしていて、国作りの神話を民衆と共有していなかったはず。それにいくつかの皇帝一族は外からやってきたものだったはず。日本のナショナリズムとは異なる。(全集別巻「ドストエーフスキイ研究」によると、皇帝の言葉を許可なく印刷してはならないという規則があったとのこと。政治犯のドスト氏が編集する雑誌には厳しい検閲があったということだ。)
 1881年は没年。度重なる癲癇発作、若い時の無理がたたって体調はぼろぼろ。そういう中で書かれたものだった。

< 追記 2019/12/16>
 亀山郁夫「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する」(光文社新書) によると、続編では皇帝殺しが主題になるとのこと。皇帝に関する記述がなかったのは、そのことを深く考えるには目先の仕事が急務であったし、うかつに書くには重すぎる主題であるということなのだろうと妄想。

 


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 4か月かかって「論文・記録」「作家の日記」を読んだ。創作を除いたドスト氏の文章は読むのがつらい。まこと砂、砂、小石ばかり。いくつかの珠玉は創作でのみ見ることができる。それ以外の文章は粗雑で冗長、事実や観察に即していないで妄想ばかり、イデオロギー優先で差別も加わる。ドスト氏の小説にある雄弁さ、心理の掘り下げ、会話のポリフォニーなど、彼の長所はほとんど見られない。それなのに、小説ではあのような成果をだす。不思議だ。

米川正夫「ドストエーフスキイ研究」(河出書房)-1 個人約全集を出版した訳者による研究書。第1部は生涯。作家が生きた時代がさっぱりわからない。

  河出書房でドストエフスキーの個人訳全集を出版した訳者による研究書(全集別巻)。「ドストエーフスキイ」の表記は訳者による。

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 第1部は生涯。家族や知人、友人の記録を参照しながら、生涯のできごとを記載する。今回、「貧しき人々」からだいたい発表順にドスト氏の小説と論文などを読んだ。その作品の感想でドスト氏の生涯のできごとに触れた。しかし主要五大長編は見送った。そのために、ドスト氏の40歳以降の動向をあまりつかんでいない。そこで本書で補完すると、およそ10年のシベリア時代を過ぎてペテルブルクに帰還。政治犯なので当局の監視下にあり、おいそれと職につくことができない。当面の糊口をそのぐために、兄の雑誌の編集を行う。42歳になって書いた「罪と罰」が大当たり。一方で雑誌の負債が重い(兄の急死による肩代わりをしなければならなくなる)。加えて妻の急死、頻発する癲癇発作、ギャンブル狂いと問題山積。一つの長編を書かねばならなくなり、未成年の女性速記者を雇い「賭博者」を完成。速記者と再婚するが、前妻の子供がうるさく金をせびる。そこでドスト氏と若い妻はヨーロッパ旅行。数か月で帰るつもりが4年半の長旅になる。「白痴」「悪霊」を書き上げるも、ギャンブルで無一文になること多数。ようようにしてギャンブル狂いを克服して帰国したのは50歳を過ぎてから。ここで自作を出版することと、雑誌「作家の日記」創刊を企画する。いずれも読者を多数得ることができ、ドスト氏は初めて経済的な安定を獲得。ロシアの文壇で尊敬を勝ち得、わかい大学生もドスト氏を支持する。「カラマーゾフの兄弟」を順調に書き終えたが、体はぼろぼろであり、1881年に60歳で病没。
 「罪と罰」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」を読んだときには、その内容に圧倒されて、作者が自分のような凡庸な人間を超えた何かすごい存在のように思っていた。いっぽうでペトラシェフスキー事件とシベリア送りを過大に考えていたこともあり、どうにもドスト氏という人間のありようを把握してこなかった。本書は1958年に出たものでいささか古いが(購入した1978年ではまだ通用していた)、ここらの思い込みを解消することができた。
 とはいえ、内容には不満も。ドスト氏の生涯を描くにあたって、家族、係累、知人、友人などの証言を引用する。今となっては入手難の文献もあるので、それはとても参考になる。そのためか記述はドスト氏の半径50mくらいに限定される。おかげで、ドスト氏の生きた時代がさっぱりわからない。本書にはクリミア戦争も、露土戦争も、普仏戦争も、パリ・コミューンもでてこない。農奴解放令と工業化推進の近代化がみえてこない。皇帝と貴族と官僚による帝国の政治と経済が不明。ロシアに自由主義と民主主義と社会主義が導入・普及された過程が不明。ロシア国内の革命運動がみえない。ロシアの文壇と文学の様子がわからない。ドスト氏はなるほどすごいんだけど、彼は地上を超えた天才ではなくて、ロシアの、ペテルブルクという場所と、19世紀という時代の制約を受けて、そこで考えて書いた人。なので彼のいた場所と時代がわかるようにしないと。
 シェストフ「悲劇の哲学」でも、同じように場所と時代を書かずに、ドスト氏の行動性向と思想ばかりにフォーカスしていた。そういう批評は20世紀前半の流行りだったのだろうが、それだけで創作を読むでは足りない。抜け落ちるものがたくさんでてしまう。


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 「分身」のところにある解説。

ドストエーフスキイはまず、自分の創造する人物の言葉の抑揚を身につけ、それを口の中でいってみて、そのリズムに悟入する。その時はじめて、自分の主人公の外貌が浮かんでくるのであった。ドストエーフスキイの主人公たちは、言葉から生まれてくる、――それが彼の創作の共通の法則なのである。」(P55)

 バフチンの指摘する「ポリフォニー」がどこから生まれてくるかがわかる指摘。たぶん誰かの証言にあるのだろうが、記載はなかった。 

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 2019/11/25 米川正夫「ドストエーフスキイ研究」(河出書房)-2 1958年

米川正夫「ドストエーフスキイ研究」(河出書房)-2 個人約全集を出版した訳者による研究書。第2部は作品論。ロシアの特殊事情を無視した普遍化・象徴化。

米川正夫ドストエーフスキイ研究」(河出書房)-2 個人約全集を出版した訳者による研究書。第2部は作品論。ロシアの特殊事情を無視した普遍化・象徴化。2019/11/26 米川正夫「ドストエーフスキイ研究」(河出書房)-1 1958年の続き

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 続いて第2部は作品論。取り上げたのは以下。
貧しき人々/分身/プロハルチン氏/主婦/弱い心/白夜/伯父様の夢・スチェパンチコヴァ村とその住人/虐げられし人々・死の家の記録/夏象冬記・地下生活者の手記/罪と罰/白痴/悪霊/未成年/おとなしい女・おかしな人間の夢/カラマーゾフの兄弟
 主要作品を網羅。漏れているのは「賭博者」「永遠の良人」くらいか。「研究」にまとめられる文章に先立って全集全作品の解説を書いていて、この二篇にも触れているので漏れはない。できれば、「作家の日記」は創作だけではなく、記事も取り上げてほしかった。ドスト氏のスラブ主義や反ヨーロッパ、反社会主義反ユダヤ主義はきちんと把握・周知しておくべき。そうしないと、悪霊の「ニヒリスト」たちも、カラマーゾフの兄弟たちもよくわかならくなる。
 米川の作品論は、ストーリーのサマリー、主要人物評が主、ときに他の人たちの評を参照。個別作品の米川の評価はまとめることもない。ロシア文学の衝撃を受けた最初かその次の世代(1891年生まれ)であって、全面的に受け入れて消化しようとしている時期。そこに20世紀の日本近代文学の自我や自由の問題を組み合わせている感じです。
 21世紀に読んでみた素人の感想、というか言いがかりをいくつか。
 ドスト氏の特長をヒューマニズム心理主義、都会性、空想などの言葉で言い表すのだが、いまとなっては曖昧でぼんやりした概念になっている。その時代(昭和初めから30年代)では有効な批評の言葉であったはずなのに、そのあとの経験や知識に照らし合わせ社会の変化を重ねると、これらの言葉や概念が伝わる範囲がとても狭くて、貧しいことになる。たとえば「ヒューマニズム」。人間性の重視? それは法や正義にどう関係するのか、どのような社会合意を形成するべきなのか、どのようにコミュニティに参加するのか。そういう政治や社会へのかかわりを考えると(でないとラスコーリニコフの犯罪を弾劾できないし、彼を更生できないでしょ)、今では使えない。自由や愛もそう。
 くわえて、ドスト氏が反発した自由主義、民主主義、社会主義に対する理解と説明も不足。なぜスチェパン氏@悪霊がペテルブルクのサロンでバカにされるのか。それは19世紀初頭にロシアに導入された18世紀フランスの自由主義が、19世紀半ばに導入された社会主義に賛同する若者たちに賛意を得られない状況があったからだ。それが米川の解説ではすっぽりと抜ける。
 さらにはドスト氏の信奉したロシア(ギリシャ)正教の理解と解説も不足。転じて彼が批判するローマ・カトリックに関してもそう。ギリシャ正教高橋保行「ギリシャ正教」(講談社学術文庫)くらいしか読んでいないが、参考になる。大審問官やゾシマ長老@カラマーゾフの兄弟も東西のキリスト教の争いとしてみる見方は必要。
 米川はドスト氏の創造したキャラクターを人間存在の典型や象徴のようにみる。彼に限ったことではないが、ラスコーリニコフを知的犯罪者とするとか、カラマーゾフの兄弟を知・情・意の三典型に当てはめるとか。そういう普遍化や象徴化をするのは異論はない(なにしろそのような複雑怪奇なキャラクターを想像できたのはドスト氏くらい)。その前に、彼らがスラブ人、ロシア人であるというところを押さえておいてほしい。アリョーシャが善や義の人であるのはそうだけど、ロシア正教の信仰者であるのを抑えておくのは必要。
 という具合に、普遍化・抽象化の前に、ロシアの特殊事情がある19世紀半ばに書かれていることに留意しようという感想です。


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 米川は大正時代からのロシア文学紹介者。中村白葉などといっしょに紹介普及につとめた。「研究」の最後に年譜が載っている。膨大な翻訳書を作った。仕事熱心な人だった。誠実でまじめな成果。でも、正確さがドスト氏の破天荒さを減じているところがある、語彙が古い(謡曲を趣味にしているそうで漢学の素養もあった)などで、最近はあまり読まれない。没後50年を過ぎたので、彼の翻訳はパブリック・ドメインになった(いくつかが青空文庫にでている)。