odd_hatchの読書ノート

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フョードル・ドストエフスキー「後掲『プーシキンに関する演説』についての釈明」(米川正夫訳)

一八八〇年八月 第1章 

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 後掲『プーシキンに関する演説』についての釈明 

 『作家の日記』の本号(一八八〇年の唯一号)のおもなる内容をなす、次にかかげるプーシキンとその意義に関するわたしの演説は、本年六月八日、ロシヤ文学愛好者協会の大会で、多数の聴衆のまえでなされ、多大な印象を与えたものである。その席上、自分はスラヴ主義の指導者のごとく見なされているといったイヴァン・セルゲーエヴィチ・アクサーコフは、わたしの演説を「一つの事件である」と演壇から声明した。わたしがこのことを想起するのは自慢のためではなく、次のことを声明したいがためである。もしわたしの演説が一つの事件であるとすれば、それは後段に述べるような、ただ一つの見地からのみいい得ることである。わたしがこの前書きを書くのも、それがためにほかならぬ。その演説の中で、わたしはとくにロシヤに対するプーシキンの意義に関し、次の四か条を指摘したいと思ったのである。 
一、プーシキンは、その深い洞察力をもった天才的な知性と、純ロシヤ的な感情によって、社会の地盤から歴史的にもぎ離され、民衆を高みから見下ろしているわがインテリゲンチャの、最もおもなる病的現象を発見し、指摘したところの第一人者である。自分の生まれた地盤とその生みの力を信じないで、不安に悩まされ、妥協を望まないところから、ついにはロシヤをも自分自身をも(すなわち、おのれの社会をも、われわれを生んだ地盤の上に発生した自分たちの知識層をも)否定し、他人と事をなすを欲せずして、しんから苦悶しているわが国の否定的タイプを剔抉し、これをわれわれの前に浮彫りにして見せたのである。アレーゴ(戯詩『ジプシーの群れ』の主人公)やオネーギンは、その後わが純文学の中で、多くの類似した典型を生み出した。その後からペチョーリン(レールモントフ『現代の英雄』)、チチコフ(ゴーゴリ『死せる魂』)、ルージン、ラヴレーツキィ(ツルゲーネフ貴族の巣』)、ポルコンスキイ(レフ・トルストイの『戦争と平和』における)、その他、枚挙にいとまがないくらいで、それらはすべてその出現によって、最初プーシキンの投げつけた思想が真実であったことを証明するものである。ピョートル大帝の偉大なる社会改革後、わが国に生じた最も大きな病所を指摘した彼の知性と、天才に光栄あれ。われわれは自分たちの病気の発見と認識に対して、彼の巧妙な診断に負うところが多い。しかし、同時に、彼はわれわれに慰籍を与えた最初の人である。なぜなら、彼はこの病気が致命的なものでなく、もしも民衆の真理と結合するならば、ロシヤの社会は全治して、更正し、復活することができるという、偉大なる希望を与えたのである。なんとなれば、 
 二、彼は直接、ロシヤ精神から生まれ、民衆の真理の中に、われわれの地盤の中に現われ、みずから発見したロシヤ的美の芸術的典型を、われわれに与えた最初の人である(まさしく最初の人である。彼以前にはだれもいない)。そのことを証明するのは、外来の虚偽からおのれを守った完全にロシヤ的な女性であるタチヤナの典型、それからたとえば、『ポリス・ゴドゥノフ』に現われる僧やその他の歴史的典型、また『大尉の娘』における世相的典型、そのほか彼の詩、短編、覚書、『ブガチョフ叛乱史』にさえ散見される多くの人物である。ことに特筆しなければならない主要な点は、これらすべてのロシヤ人とその魂の積極的美を示す典型が、完全に民衆精神から取って来られたことである。こうなると、真実を残らずいってしまわなければならない。プーシキンは、わが現代文明や、いわゆる「ヨーロッパ風の」教義や(そんなものは、ついでにいっておくが、かつてわが国になかったのだ)、外面的に取り入れられた醜悪なヨーロッパ的思想や形式の中に、この美を示したのではなく、ただ民衆の精神の中に、ただその中にのみ発見したのである。かようにして、くり返しいうが、彼は病気を識別して、偉大なる希望を与えたのである。「民衆の精神を信じ、ただそれのみに救済を期待せよ、しからば救われん」と。プーシキンの精神に徹すると、こうした結論をしないわけにはゆかないのである。 
 わたしがブーシキンの意義について指摘しようと思った第三の点は、彼をのぞいてはどこのいかなる作家にも見いだすことのできない特殊な芸術的天才の一面、――すなわち全世界的共鳴の才能、他国の天才に完全に同化する才能である。わたしが演説の中でもいったことであるが、ヨーロッパにはシェイクスピアだとか、セルバンテスとか、シルレルとかいう偉大な世界的天才があるけれど、そのだれ一人にもこの才能を見いださない、ただプーシキンにこれを見るのみである。このさい、問題は単なる共鳴性だけでなく、まさしく同化というものの驚くべき完全さに存するのである。わたしは、プーシキンを評価するに際して、この才能を彼の天才の最も特質的な点として指摘せざるを得ない。これは全世界の芸術家中、ただ彼一人にのみ属するものであって、これが彼をすべての芸術家から区別するところのものである。しかし、わたしがこんなことをいうのは、シェイクスピアやシルレルなどという、ヨーロッパの天才の偉大さを減殺するためではない。わたしの言葉からかかる結論をなし得るのは、ただばかな手合いだけである。シェイクスピアによって永久に与えられたアーリア人種の世界的典型が、全世界的であること、万人に理解され得ること、きわめつくせない深みを持っていることは、わたしはもうとう疑おうとしない。たとえシエイクスピアがオセロを英国人でなく、真実ヴェニスムーア人として創造したにもせよ、それはただ地方的・民族的特質の光彩を与えるのみで、この典型の世界的意義は依然として変わりがなかったであろう。なぜなら、それがもしイタリア人であっても、彼は自分のいわんと欲したことを、それと同じ力をもって表現したに相述ないからである。くり返していうが、わたしは他国民の天才に同化し得るプーシキンの天才力を強調するにあたって、シェイクスピアやシルレルの世界的価値を侵犯するつもりはなく、ただわれわれにとって偉大な予言的指示を、この能力の中に証明したいと思ったにすぎない。なぜならば、 
 四、この才能は、完全にロシヤ的な、国民的な才能であって、プーシキンはただそれをわが全民衆と共有しているのであり、完全無欠な芸術家として、この才能の最も完全な表現者だからである。少なくともその活動において、芸術家としての活動においてしかりである。わが民衆はその魂の中に、全世界的共鳴と和解に対するこの傾向を橘していて、すでにピョートル大帝の改革後二百年間に、一再ならずそれを表明している。わが民衆のこの才能を指摘しながら、わたしは同時にこの事実の中に、未来におけるわれわれの偉大なる慰藉と、われわれの前方に輝くおそらく最大の希望を、認めないわけにゆかなかったのである。要するに、われわれのヨーロッパに対する憧憬は、そのいっさいの熱中と過激な現われさえもふくめて、根本においては合法的であり、合理的であるのみならず、むしろ国民的なものであって、民衆精神そのものの希求と完全に合致しており、窮極において高遠な目的をも有することは疑いをいれない。それをわたしは強調したのである。わたしの短い、あまりにも短い演説の中では、十分に論旨を展開させることができなかったのはもちろんであるが、少なくとも、わたしのいったことは明瞭であると思う。わたしの述べた「わが貧しき土地があるいは結局、世界に向かって新しき言葉を発するであろう」という言葉に憤慨する必要はない。そんな必要はさらさらない。また同様に、われわれは世界に新しき言葉を発するまえに「まず自分から経済的、科学的、公民的に発達を遂げて、その時はじめてヨーロッパ諸国のごとき完成された(?)組織体に向かって『新しき言葉』を告げるなどという空想にかかるがいい」などと力説するのも滑稽な話である。わたしはあの演説の中で、自分がロシヤ国民を経済的、あるいは科学的光栄の方面で、西欧諸国民と比較しようとするものでないことを、とくに強調したのである。わたしはただロシヤ人の魂、ロシヤ民衆の天才は、おそらく他のいかなる国民よりも、全人類結合、同胞愛の理念を、最も多く内蔵する力を有している、といっただけである。敵をゆるし、相異なるものを識別してこれを寛恕し、矛盾をのぞき去る冷静な見方、これがロシヤ民衆に妓も多く見られるものである。それは経済的とかなんとかいうものではなく、単に精神上の特質にすぎないので、これがロシヤ民衆の中に存していないなどと否定したり、論駁したりできるものが、だれかあるだろうか?ロシヤの民衆は、単に蒙昧な大衆であって、民衆を高見から見下ろしているわがヨーロッパ的知識階級の進歩と発達に、経済的に奉仕する運命を担っており、彼ら自身の内部には単に死のごとき蒙昧を蔵しているのみであるから、なに一つ期待することもできなければ、ぜんぜんなんらの希望をもかけることができないなどということを、はたしてだれが断言できようか?残念ながら、多くのものはこのように断言しているが、わたしはそれと反対のことをあえて声明したのである。くり返していうが、わたしは自分でみずから名づけたところの「このわたしの空想」を、十分完全に委曲をつくして論証することは、もちろんできなかったけれども、それを指示しないではいられないのだ。経済的・公民的に西欧と肩をならべ得るようになるまでは、わが貧しい混沌たる国土が、そのような高邁な希求を持つはずがないと断言するのは、ただもうばかばかしいことというよりほかない。国民精神の根本的・道徳的な宝は、少なくとも、その基礎的本質においては、経済力などには依存しない。わが貧しい混沌とした国土は、その最上層をのぞくほか、完全に一体をなしている。八千万の住民全部(ヨーロッパ・ロシアの人口)は、もちろん、ヨーロッパのどこにもないような、またあり得ないような精神的結合体をなしているので、ただこの点のみから見ても、わが国土が混沌としている、とはいえないし、厳密な意味では、貧しいとさえいえないほどである。それどころか、ヨーロッパでは、あれほど富の蓄積されているヨーロッパでは、各国の公民的基礎が完全に蝕まれて、明日にも永久に跡形なく崩壊しつくし、そのかわりに、以前のものとは似ても似つかぬ、前代未聞のなにものかがやって来るかもしれないのだ。ヨーロッパの蓄積したすべての富も、その崩壊を救うことはできないだろう。なぜなら、「一瞬にして富も消滅せん」だからである。にもかかわらず、この蝕まれ毒された彼らの公民的組織を、わが民衆の憧れ求むべき理想として指し示し、この理想を狸得した後に、はじめてヨーロッパに向かって、なんなりとも自分の言葉を発することができる、とこういうのである。ところがわれわれは、愛と結合の精神力を内蔵し保持することは、現在のわれわれの貧しい経済力でもできる、と断言するのである。いな、現在どころか、もっとひどい赤貧状態でもできるほどである。この精神力は抜都(パプ)の侵入後とか、ただ民衆の結合精神のみがロシヤを救った混乱時代(一六〇四―一六一三年)の、壊滅後のごとき赤貧状態でも、よくこれを保持し、内蔵することができるのである。また最後に、人類を愛する権利、いっさい結合の精神をいだく権利を有し、他民族が自分たちに似ていないからという理由で、これを憎まないだけの能力を有するためには、自分だけがいっさいを獲得して、他民族はレモンのようにただ搾取さえすればいいという目的で、おのれの国民性によって他国に城壁をめぐらすような野心をいだかないためには、(こういった気持ちの国民は、たしかにヨーロッパに現存しているのだ!)これらいっさいの目的を達成するために、まずあらかじめ富強な国民となって、ヨーロッパ的公民制度を移植する必要があるとしても、われわれははたしてこのヨーロッパ的組織を、奴隷的に模倣しなければならないだろうか?(しかも、この組織はヨーロッパでは、明日にも崩壊するのだ。)それでも、ロシヤの公民組織は、自分自身の有機的な力で国民的に発達することが許されず、是が非でも下男的態度でヨーロッパを模倣しながら、無人格にならなければならないのだろうか?それではロシヤの組織はいったいどこへやったらいいのだろう?はたしてこれらの諸君は、組織とはなんであるかを理解しているのだろうか?それでいてなお、自然科学などを云々しているのだ!「そんなことは民衆が許さない」と二年ばかりまえ、ある人がある取柄について、一人の猛烈な西欧主義者にいったことがある。「それなら、民衆を撲滅してしまえ!」と西欧主義者は荘重な調子で、おちつきはらって答えた。しかも、その男はだれあろう、わが知識階級の代表者の一人である。この逸話は間違いのない話である。 
 わたしは、以上の四か条によって、われわれにとってプーシキンがいかなる意義を有するかを明らかにした。そして、くり返していうが、わたしの演説は人々に印象を与えたのである。この印象はわたしの手柄でもなければ(この点を力説しておく)、叙述の巧妙なためでもなく(その点は、わたしに反対な側の人々に同意を表して、決して自慢などしない)、ただわたしの真摯さと、演説が短く不完全であったにもかかわらず、わたしの提出した事実が、あえていうけれど、いなみがたい真実を蔵していたことによるのである。しかし、イヴァン・セルゲエヴィチ・アクサーコフのいわゆる「事件」なるものは、はたしていかなる点にふくまれているのか?ほかでもない、いうところのスラヴ主羨者、あるいは別名「ロシヤ党」(ああ、なんということか、わが国には「ロシヤ党」が存在するのである!)が、西欧派との和解に向かって大きな、おそらく最後的な一歩を踏み出したところにふくまれているのだ。なぜなら、スラヴ主義者たちは、西欧派のヨーロッパに対する憤慨が正しいものであること、彼らの最も極端な熱中や結論さえもが、まったく正当なものであることを声明し、その正当なるゆえんを、国民精神に合致する純ロシヤ民衆的な憤慨によって説明したからである。また彼らの熱中にいたっては、歴史的必然性、歴史的宿命をもって肯定したのであって、結局、総決算のときには(もしいつかそういうものが行なわれるとすれば)、西欧派はロシヤの国土と、その精神的希求に奉仕したのであって、その点、真に自分たちの生まれた祖国を愛し、今まであまりにも熱心に「ロシヤ生まれの外国人」のありとあらゆる熱中ぶりから祖国を守ろうとした純粋のロシヤ人たちと、まったく同一であることが、明白となるだろう。 
 最後に、二つの党派の間におけるすべての紛擾(ふんじょう)と悪性の論争は、単に大きな誤解にすぎなかったということが宣言されたのである。つまり、これがおそらく「事件」となり得たのであろう。なぜなら、スラヴ派の代表者たちは、わたしの演説が終わるとすぐにその場で、その論旨の全部に完全な同意を表明したからである。わたしは今つぎのように声明する。――いな、これはすでにあの演説の中で声明したのであるが、この新しき第一歩の名誉は(もし和解の最も確実なる望が名誉となるならば)、この新しき(と称したければだが)言葉の功績は、決してわたし一人だけでなく、スラヴ主義ぜんたい、わが「党」の精神と、方向ぜんたいに属するものである。これはたえずスラヴ派の運動に注意していた人にとっては、はじめから明瞭なことであって、わたしが表現した思想は、たとえ口から発しられないまでも、すでに一再ならず彼らによって指示されていたのである。わたしはただうまく適当な機会をつかんだにすぎない。 
 さて今度は結論であるが、もし西欧派がわれわれの推論を受け入れて、それに同意するならば、もちろん、両党派の間の誤解はたちまち残らず消えてしまって、イヴァン・セルゲエヴィチ・アクサーコフのいったとおり、「今後すべては解明されたのであるから、西欧派とスラヴ派はなにも論争することがなくなる」はずである。その観点からすれば、わたしの演説はもちろん一つの事件」でもあったろう。しかし、悲しいかな、「事件」なる言葉は、ただ一方の側から真摯な熱中に駆られて発しられたものにすぎないから、もう一方の側に受け入れられるか、単なる理想としてとどまるか、これはもうまったく別個な問題である。すぐ演壇の上でわたしを抱擁し、握手したスラヴ主義者たちにつづいて、わたしが壇を降りるやいなや、西欧主義者たちもわたしに近づいて握手した。しかも、それはただの有象無象と違って、ことに現在その陣営中で第一流の役割を勤めている、西欧派の錚々(そうそう)たる代表者たちであった。彼らは、スラヴ派に劣らない激しい真撃な熱中ぶりで、わたしの手を握りしめ、わたしの演説を天才的であると讃えた。しかも、この言葉に力を入れながら幾度も、あれは天才的だといった。しかし、わたしは恐れる。あれは最初の感激に駆られて、「性急」に発せられた言葉ではないか、と心底から恐れている。おお、わたしが恐れているのは、彼らがわたしの演説を天才的だといった言葉を、撤回するかもしれないということではない。あれが天才的でないのは、わたしも自分で承知しており、人々の曲調にもうとう酔ってはいないから、わたしが天才的だということについて、彼らのいだくべき幻滅感を、衷心からゆるすつもりである。が、それにしても、次のようなことが生ずるおそれはある。西欧派の人々がすこし考えた時、次のようなことをいうおそれがある(N・B わたしは自分に握手してくれた人たちのことを書いているのではなく、今はただ一般に西欧派のことをいっているのだ。この点をとくに力説しておく)。 
 「さて」とおそらく西欧派の人々はいうであろう(注意していただきたい、これはただ「おそらく」である、それだけの話である)。「諸君は長い争論と応酬の後に、ついにわれわれのヨーロッパに対する憧憬が正当なものであり、ノーマルなものであったと同意してくれた。諸君はわれわれの側にも真理があったことを認めて、自分の旗を捲いた。いや、けっこう、われわれは諸君の承認を喜んで受け入れ、これは諸君としてなかなか悪くないことでさえあると、急いで声明する。少なくとも、これは諸君にある程度の頭脳が存することを示すものだ。もっとも、われわれは諸君に頭脳のあることを、一度も否定したことはない。ただし、われわれの中で最も鈍感な連中は例外で、そんなのに対してわれわれは責任を持つことを欲しないし、またそんなこともできやしない。しかし……ここにまたしてもある一つの障害が現われる。で、この点を一刻も早く明白にしなければならない。というのは、われわれの熱中が民衆の精神と合致して、神秘な形でそれに指導されていたという諸君の仮定、諸君の結論は、なんといっても、われわれの目に疑わしいというより以上のものなので、したがって、諸君とわれわれとの間の協定は、依然として不可能になってくる。よく承知しておいていただきたいが、われわれの指導標準となったのは、ヨーロッパとその科学であり、ピョートル大帝の改革であって、わが民衆の精神ではさらさらない。なぜなら、われわれは自分の道程において、そんな精神に出あわなかったし、匂いも嗅がなかったくらいである。それどころか、われわれはそれを後方に見棄てて、大急ぎでそのそばを逃げ出したものだ。われわれはそもそもの初めから、独立独歩に進んだのであって、全世界的共鳴とか、人類の結合とか、一言にしていえば、その他諸君がいまたくさんならべ立てたものに対するロシヤ民衆の、ある種の牽引的とでもいう本能に引きずられたのでは決してない。もうなにもかもあけすけにいってしまう時機がきたから申しあげるが、われわれはロシヤ民衆の中に、依然として蒙昧な大衆を見いだすばかりである。われわれとしては彼らに学ぶべきなにものもない。彼らは進歩的なより良きものに向かうロシヤの発達を、むしろ阻害するくらいであるから、根本的に改造し、たたき直さなければならない。もし有機的にそれをなし得ないならば、少なくとも機械的にやらなければならない。つまり、ごく簡単に、彼らが永久にわれわれのいうことを聞くようにしてしまうのだ。ところで、民衆を聴従させるというこの目的を貫徹させるには、たったいま問題になったヨーロッパ各地における公民的組織を、そっくりそのまま取り入れなければならない。実際、わが民衆は今までもそうであったように、現在でも乞食のごとく赤貧で、悪臭紛紛とし、個性も思想も持つことができないのだ。わが民衆の歴史ぜんたいはめちゃくちゃなものであるが、諸君はその中からとんでもない結論を引っぱり出してきた。ただわれわればかりが冷静な見方をしていたのである。わが国のごとき民衆は、歴史を持つべきではないのであって、彼らが歴史と称して今まで持っていたものは、嫌悪の念をもってきれいさっぱりと忘れてしまわなければならない。歴史を持つべきものはただわれわれインテリゲンチャの社会ばかりで、民衆は労働と力をもってこの社会に勤めさえすればいいのだ。 
 ああ、どうかご心配なく、そんなにがやがやわめかないでいただきたい。われわれは彼らを聴従させるといったからとて、なにもわが民衆を奴隷的に束縛しようというのではない。おお、もちろん、そんなことはない!どうかそんな結論を引き出さないでもらいたい。われわれは人道的なヨーロッパ人なので、諸君もそのことは知りすぎるほど知っていられるはずだ。それどころか、われわれは徐々に、規則的にわが民衆を教育して、彼らをわれわれの程度にまで引きあげ、その教育が完了したのち、しぜんと現われる新しい国民性にたたき直すことによって、われわれの建設を完成せしめようと考えているのだ。彼らの教育は、われわれがみずからはじめたものからはじめ、そこに基礎をおくつもりである。すなわち、彼らにいっさいの過去を否定させ、彼らに自分たちの過去を呪わせるのだ。われわれは民衆に少し読み書きを教えたら、さっそく、ヨーロッパの匂いを嗅がせ、ヨーロッパを餌にして彼らを誘惑しにかかるつもりだ。まあ、早い話が、生活様式、礼儀作法、衣服、飲物、舞踏などの優美さで、誘惑するのだ。要するに、彼らをして以前の木の皮靴や、クワスを恥じさせ、自分たちの古い歌を恥じさせるのだ。その中にはりっぱな音楽的な歌もいくらかあるけれど、とにかくわれわれは、諸君がどんなに腹を立てたところで、彼らに韻を踏んだヴォードビルを歌わせるつもりだ。一口にいえば、われわれは良き目的のためには、ありとあらゆる無数の手段を用いて、われわれがそうであったのと同様に、彼らの心の弱点にまず働きかける。そうすれば、民衆はもうこっちのものだ。彼らは自分の過去を恥じ呪うだろう。おのれの過去を呪うものは、すでにわれわれの掌中のものだ。これがわれわれの公式である!われわれは民衆を自分たちの程度まで引きあげにかかる時、この公式を完全に適用するだろう。もし民衆が教育に不適当であるときまったら、その時は『民衆を除外する』のだ。なぜなら、その時はわが民衆が服従を強制されるより能のない、とるにたらぬ野蛮な大衆であることが、もはや疑いもなく明瞭になるからである。事実、その場合なんとしようがあるものか、真理はインテリゲンチャとヨーロッパにのみあるのだから、よしんばわが国に八千万の民衆がいるとしても(諸君はこれを自慢にしていられるようだが)、とにかく、この八千万の民衆は何よりもまず、このヨーロッパ的真理に奉仕しなければならない。それよりほかのものはありもせず、またあり得ないからである。何千万などという数でわれわれを驚かしてもらうまい。これがわれわれの不断の結論であるが、今はただそれが完全に露出されただけの話で、われわれはあくまでそれを固守する。われわれは諸君の結論を採用して、le Pravoslavie(正教)などという奇妙なことを、諸君といっしょになって喋々し、それに何か特別な意味があるように騒ぎ立てるわけにはゆかぬ。どうか諸君もせめてこれだけは、われわれから要求しないようにしてもらいたい。ことに目下、ヨーロッパとその科学の最後の言葉は、文化的・人道的無神論であるというのが、一般的結論になっているのだから。われわれとしては、ヨーロッパの後について行かないわけにはゆかないのだ。 
 かようなわけで、きみがわれわれに賞讃をささげた演説の半分だけは、われわれもまあ、ある制限を付してちょうだいしてもよろしい。仕方がない、それくらいのお愛想は示さなければならない。ところで、諸君と諸君の『根本義』いっさいに関する演説の他の半分は、失礼ながらちょうだいいたしかねる……」 
 こういう悲しむべき結論もあり得るのだ。くり返しいうが、わたしは自分の手を握ってくれた西欧派の人々の口に、あえてこの結論を押し込もうとするものではない。のみならず、完全にロシヤ人であり、最も文化的なロシヤの活動家であり、その抱懐する理論にもかかわらず、尊敬すべき立派なロシヤ公民である彼らの多数者にも、この結論をあえて擬するものではない。そのかわり大衆、中心から遊離した離反者の大衆、西欧派の有象無象、凡庸の徒、思想を引きずりまわしている街頭の徒輩、「思想的傾向」の蛆虫ども(彼らは浜の真砂と同じなのだ)、おお、彼らの間では、必ずやこれに類したことをいうに違いない。いな、あるいはすでにいったかもしれない。(N・B たとえば、宗教に関するある出版物の中で、スラヴ主義の目的はほかでもない、全ヨーロッパを正教に改宗させることに存すると、いかにも彼ららしい機知を弄して、声明したものである。)しかし、憂鬱な考えを振り捨ててしまって、われわれはわが欧化主義の尖端的代表者に期待をかけよう。もし彼らがわれわれの結論と、彼らに対するわれわれの期待のせめて半分でも認めてくれたら、それこそ彼らの徳として名誉として、われわれは衷心から歓喜に燃えながら、彼らを迎えるだろう。もしほんの半分だけでも、彼らがロシヤ精神の個性と、独立性と、その存在の正当さと、人間愛に満ちた、いっさいを結合せんとするその希求を、せめて半分だけでも受け入れてくれるならば、つまり認めてくれるならば、その時は少なくともおもな、根本的なものについては、もう何も論争することがなくなるだろう。その時こそ、まことにわたしの演説は、新しき事件の基礎として役立つだろう。最後にもういちどくり返すが、わたしの演説そのものが事件なのではなく(それはこれほどの名称に値しない)、プーシキンの偉大なる祭典がわれわれの結合のために、――未来の最も美しき目的に向かってすべての教養ある、誠実なロシヤ人が結合するために役立った、それが事件なのである。  

   
 河出書房「ドストエフスキー全集 15」作家の日記 下 
 昭和45年7月20日初版