odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

フョードル・ドストエフスキー「論文・記録 上」(河出書房)-2 「作家の日記」の前に書かれた政治的・論争的な文章。創作ではなかなか見えない政治的主張や偏見が顔をのぞかせる。

  ここでは政治的なもの、論争的なものを集める。ドスト氏のジャーナリスティックな側面がうかがわれる。同時に、創作ではなかなか見えない政治的主張や偏見が顔をのぞかせる。

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アポロン・グリゴリエフについて 1864.09 ・・・ N.ストラーホフの論文をネタにして、グリゴリエフを罵倒。ここは兄の思い出と「虐げられし人々」を書いていたころの記録が面白い。

シチェドリン氏、一名ニヒリストの分裂 1864.05 ・・・ 「ロシア文学について」にもでてくるシチェドリンのおちょくり文章。「悪霊」第一編第一章6に出てくる意味のない詩がでてくる。

政治論 1873-74 ・・・ このころのヨーロッパ情勢のレポート。主なできごとは、普仏戦争(ドスト氏はこの戦争をカトリックvsプロテスタント、共和制vs帝政の文明戦争を見る)、スペイン王位継承問題、オーストリアハンガリー二重帝国の不安廷など。イギリスとイタリア(独立運動がさかん)にはほとんど言及なし。ドスト氏の政治好きは、このあとの「作家の日記」に引き継がれる。21世紀に読むには些細なことばかりが書かれているので、同じ集中力で読み通すのは困難。ドスト氏の政治姿勢がかいまみられて、反フランス革命反自由主義)、反ローマ・カトリックなど。また政治は王や貴族や議会で決まるものとみているのか、民衆や市民の運動にはほぼ無関心。このレポートに登場する歴史上の人物は、ルイ・ナポレオンバクーニン、ウィルヘルム皇帝、ビスマルクモルトケカール・マルクス、フランツ・ヨーゼフ二世。ドスト氏の同時代人はこういう人たち。名前を並べるだけで、ドスト氏のいた時代が生き生きとしたものに感じられる(読者の知識が活性化されるためだ)。

上小景 1874 ・・・ 汽車や鉄道の乗客のスケッチ。ひとり分で2000字くらい書くという観察と描写の手腕。当時は髪型や服装で職業や階層を見分けることができた。

ペテルブルク年代記 1847 ・・・ ペテルブルグの明るさ、華やかさ。その下にある憂愁と停滞の気分。20代の才気あふれる若者の、いささか冗長で、中身のない文章。一部は「白夜」に引用されたとのこと。これを書いた20年後に、同じ町をラスコーリニコフらが徘徊するようになるのだよな。

『ズボスカール』 1845.11 ・・・ ズボスカール(嘲笑者)というユーモア文集の宣伝文。シベリア流刑前のドスト氏の軽薄体。

ペテルブルグの夢 1861.01 ・・・ 雑誌記者が書いたという設定の散文と詩。前半はペテルブルグの人たちの素描。主に貧困にある人達。後半は「ロシア文学について」の続きのような批評家たちへのあてこすり。全体は思想のない「地下室の手記」という趣。これや「途上小景」などで書いた人物素描がのちの長編大作に反映しているのだろうな。

誠心誠意の見本 1861.03 ・・・ 女性による詩の朗読に、誹謗中傷・侮辱する文章を載せた批評家への抗議と反論。謝罪のフルをする批評家をこてんぱんにする。当時からこういう不誠実な「謝罪」があったのだね。でも、ドスト氏は詩を朗読した女性に「時期尚早」などとアドバイスをするのはダメ。こういうバランスのとり方は不要で、批判の対象者だけのことを書くべき。

『口笛』と『ロシア報知』 1861.03 ・・・ スキャンダリズムの雑誌「口笛」と、それに対応しているうちに低俗になった雑誌「ロシア報知」への批判。背景がわからないので、曖昧模糊とした読後感。

『ヴレーミャ』編集部にあてたヴァシーリエフスキイ島住民の手紙に対する注 1861.04 ・・・ 前の文章の続き(だと思う)。

『ロシア報知』への答え 1861.05 ・・・ 女性解放論を唱えながら女性を侮辱する「ロシア報知」への反論。ドスト氏は女性解放には与しないが、女性差別には戦う姿勢をもつ。すべての人間には尊厳がある主張するドスト氏には当然の立場。

文学的ヒステリー 1861.07 ・・・ 前の文章の続き(だと思う)。

『ロシア報知』の哀歌的感想について 1861.10 ・・・ 前の文章の続き(だと思う)。唐突にチェルヌイシェフスキーへの罵倒。中身無し。また反ユダヤ主義の文言が現れる。


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フョードル・ドストエフスキー「論文・記録 下」(河出書房)-1 「作家の日記」の前に書かれた政治的・論争的な文章。あてこすりや話題のすりかえ、揚げ足取り、罵倒に揶揄、人格批判などのでてくる筋の悪いものばかり。

  政治的なもの、論争的なものの続き。たいていは雑誌に匿名で発表されたもの。内容などからドスト氏の筆になるものと研究者によって認定された。

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理論家の二つの陣営 1862.02 ・・・ ペテルブルグの論壇批評。西洋派とスラブ派の両方をけなす。匿名の文章で、内容からドスト氏のものとされたが、「村落共同体」など他にない言葉を使い、構成も彼らしくないなあ(まあ専門家が認定したものだから、ドスト氏の筆になるものでしょう)。

スラブ派、モンテネグロ、西欧派。ごく最近の論戦 1862.09 ・・・ バルカン半島モンテネグロ人(ロシア正教)がトルコ人イスラム)を撃退したので、募金を送ろうという運動が起きた。それを主導したのが西洋派だったので、スラブ派は気に入らない。その雑誌の論争をドスト氏がたしなめる。まあ、政治的立場から運動への参与の仕方を決めるという転倒した考えのだめさをドスト氏はみたわけだ。あとドスト氏は見ていないが、この論争にはスラブ人によるモンテネグロ人への差別や侮蔑の感情がある。スラブのためになる外国人は有用というような考えの克服はここには示されていないので、注意が必要。

尻くすぐったい問題 1862.10 ・・・ 雑誌の論争を法廷になぞらえたパロディ。

さまざまなパン的・非パン的問題に関する必要な文学的釈明 1863.01 ・・・ 「パンを得んがために口笛を吹く連中」に対する非難。口笛はデマや罵倒、無意味な言葉の羅列など。

新しい文学機関と新しい理論について 1863.01 ・・・ ライバル雑誌などへの罵倒。ペテルブルグで新聞が刊行されるようになったのは1860年代からが貴重な証言(日本人資本による新聞刊行は1880年代)。

誌上短評 1863.02 ・・・ 二つ前の論文の批判に対する反批判。

再び『若いペン』 1863.03 ・・・ 前の批判の続き。

ミハイル・ドストエフスキーについて数言 1864.06 ・・・ 兄ミハイルの追悼文。ゲーテやシラーの翻訳もした兄は弟の作品をどうみていたのか。嫉妬はなかったのか。どうかね。

必要かくべからざる声明 1864.07 ・・・ 「シチェドリン氏、一名ニヒリストの分裂」への批判に対する反批判。戯作調が消えてまじめな文体。でもなかみはすかすか。

片をつけるために 1864.09 ・・・ 「必要かくべからざる声明」に48ページの再反論がきたので、6-7ページの論文で対抗。

実生活における地口 1864.10 ・・・ 政治経済雑誌の文芸批評がひどいので、編集長を批判。

三月二十八日宗教教育同好者協会の会合 1873.04.02 ・・・ 教会の統一に関する論敵の議論ができなかったことについて。

I.F.ニーリスキイへの回答 1873.04.30 ・・・ 前の文書で病欠したのはわけがあると書いた本人からの反論にこたえる。まっすぐ答えていない感じ。

ニール神父の事件 1873.06.11 ・・・ スキャンダルに巻き込まれた26歳の神父の弁護。正邪はわからないが、これを読むと「カラマーゾフの兄弟」の修道院のことを思い出すよね。

編集者の感想二つ 1873.07.02・・・ モスクワの女子高教育を扱ったら文句を言われたのでそれに反論。ほかにもいろいろ文句や苦情が来るけど、基本的にスルーしますよ宣言。

生活の流れから 1873.07.09 ・・・ これも文句や苦情はスルーしますよ宣言。柔らかくいっているけど。

編集者の感想 1873.08.20 ・・・ 商人はロシア人を堕落させているという話。

編集局から 1873.09.10 ・・・ このところとみに伸張しているドイツにロシアも学べ。

 

 ドストエフスキーの全集で読んだので、論敵の文章はない。なので、話題の正否は判断しがたい。なにしろ19世紀半ばのペテルブルグの論壇の話題なので、今更掘り起こす必要も感じない。とはいえ、ドスト氏の(あるいはペテルブルグの批評家)議論は、あてこすりや話題のすりかえ、揚げ足取り、罵倒に揶揄、人格批判などのでてくる筋の悪いもの。つきあう気分にはとてもなれない。これらの論争的な文章と、小説の語りとはまるで違っていて、同一人物に筆になるのかと唖然としてしまう。論文や論争の文章が文庫にならないのも仕方あるまい(トルストイのはいくつか文庫になっているけどね)。
 ドスト氏らを含む批評家の議論の仕方は、21世紀のSNSでもみられるもの。古い人間は素晴らしいとも、過去を乗り越えて現在は進歩したともいえず、人間はどしがたいとか、知識を持っても人間はかわりがないなあと嘆息することになる。


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フョードル・ドストエフスキー「エドガー・ポーの三つの短編」(米川正夫訳)

フョードル・ドストエフスキー

エドガー・ポーの三つの短編

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エドガー・ポーの二、三の短編は、すでにロシヤ語に翻訳されて、わが国の雑誌に掲載された。われわれはまた新しく三つの短編を読者に捧げる。彼はじつに奇妙な作家である、――大きな才能を持ってはいるけれども、まさしく奇妙な作家なのである。彼の作品をいきなり怪奇小説の中に編入することはできない。もし怪奇だとすれば、それはいってみれば、外面的にである。たとえば彼は、五千年もピラミッドの中に臥ていたエジプトのミイラが、電気療法によって生き返る、などということを設定している。また死んだ人間が、これもやはり電気の力によって、自分の魂の状態を物語る、等等の設定もしているのである。しかし、これはまだ端的に、怪奇小説の類とはいわれない。エドガー・ポーはただ不自然な出来事の外面的な可能性を設定しているにすぎない(もっとも、その可能性をちゃんと証明している、時としてはきわめて巧妙に)。こういう出来事を設定しておきながら、その他すべての点では、きわめて現実に忠実なのである。たとえば、ホフマンの怪奇性はこんなふうではない。彼は自然のさまざまな力を、一定の形象において人間化する。物語の中に魔法使いや亡霊などを登場させ、時としては自分の理想を地上以外のところ、何かしら異常な世界に求める場合さえある。彼はその世界を一種高遠なものと認めて、この神秘な魔法の世界が必ず存在するに相違ないと、みずから信じているかのようである………エドガー・ポーのほうは怪奇作家というよりも、むしろむら気な作家というべきであろう。しかし、そのむら気のなんと奇妙なことだろう、なんと大胆なことだろう! 彼はほとんど常にもっとも特異な現実を取って来て、自分の主人公をもっとも特異な外面的、もしくは心理的な状況に置くが、その人間の魂のあり方をなんと驚くべき正確さをもって物語ることだろう! のみならず、エドガー・ポーにはまぎれもない一つの特色があって、それが彼を他の作家と画然と区別し、それが彼の著しい特質となっているのである。ほかでもない、それは空想力である。といっても、彼が他の作家よりも空想力がすぐれているわけではないが、彼の空想の才能には、他のいかなる作家にも見られない特異な点がある。それはデテールの力である。たとえば、諸君自身なにか異常なもの、現実で経験したことのないものながら、ただし可能なものを想像してみたまえ。諸君の眼前に描き出される形象は、程度の差こそあれ、常に場面の一般的な輪郭にすぎないか、さもなければ、その一部分の特色をとらえるにすぎないであろう。ところが、ポーの小説の中では、描かれた人物なり事件なりのデテールが、すべてまざまざと目に浮かんでくるので、ついには読者はその可能性、現実性を確信せざるを得ないような気持ちになる。しかも、その事件はほとんどまったくあり得ないか、あるいはかつてこの世に生じなかったようなものである。たとえば、彼の短編の一つに、月世界旅行を描いたものがある。その描写は詳細をきわめたもので、ほとんど一時間ごとの経過が語られているので、読者はそれが実際におこり得たかのように、確信させられるのである。まったくそれと同じように、彼はある時アメリカの新聞に、気球でヨーロッパからアメリカへ、大西洋を横断して飛行する話を掲載した。その描写がじつに詳細をきわめており、まったく思いもよらぬ意想外な、偶然な事件に充満しており、現実の出来事らしい形をそなえていたので、すべての人がこの飛行を信じてしまった、もちろん、ただ数時間のあいだだけであったが……その時すぐ照会してみた結果、そんな飛行などぜんぜんなく、エドガー・ポーの物語は、新聞の捏造したセンセーションにすぎないことがわかった。それと同じような空想力、というより想像力は、手紙紛失事件、パリでオランウータンの遂行した殺人事件、宝の発見物語、などといった作品に発揮されている。

人はよく彼をホフマンに比較する。が、前にもいったとおり、それは正確でない。その上、ホフマンは詩人として、ポーーより量り知れないほど高い素質をそなえている。ホフマンには理想がある。もっとも、それは時として不正確なたて方をされることもあるが、しかしその理想の中に純潔さがある。人間に固有な真実のまがいなき美が存する。それは彼の非幻想的な作品、たとえば『マルチン先生』とか、あるいは、この上もなく優美な愛すべき中編『サルバトル・ロ-ザ』などに、はっきり現われている。彼の最上の作品である『牡猫ムル』のことについては、もう何もいわないことにする。これはなんという成熟した真のユーモアだろう、なんという現実の力だろう、なんという皮肉だろう、なんという典型、なんという見事な肖像画だろう。またそれと並んで、なんという美の渇望、なんという明るい理想だろう! ポーには、よし怪奇性があるとしても、それはなにか物質的なものである、もしこんないい方ができるとしたら、である。彼はどうやら、もっとも怪奇的な作品においてすら、完全にアメリカ人であるらしい。このむら気な作家を読者に紹介するために、さしあたり彼の小さい短編を三つ掲戦する。

 

 

米川正夫(訳者)による解説

エドガー・ポーの三つの短編』

おなじく翻訳にたいする編集者の序言の形で、おなじく一八六一年『ヴレーミャ』一月号に掲載され、おなじくグロスマンによって認定された。ポーとホフマンとの比較が面白い。

 

 

ラスネル事件

 

われわれは時々本誌に有名な刑事事件を掲載したら、読者に喜ばれるのではないかと思う。それはいかなる小説よりも興味がある。なぜなら、それは芸術のふれることを好まない人間の心の暗黒な面を照らし出して見せるからである。芸術はそれにふれるとしても、ほんのちょっと挿話の形で物語るだけである。こんなことは今さらあらためていわずとも、こういったような事件を読むことは、ロジャの読者にとって無益なことではないような気がする.われわれの考えるところによると、わが国の雑誌にしばしば掲載される理論的な考察のほかに、西欧におけるさまざまな事件に、こうした考察を実際的に属(しょく)目的に適用するということも、本誌の読者にとって同じく無益のわざではあるまい。われわれはもっとも興味ある事件を取り上げていくつもりである。その点は保証する。今ここに掲載した事件は、ひとりの人間の個性を浮き彫りにして見せているが、それは世にもふしぎな、謎のような、恐るべき、しかも興味ある性格なのである。卑しい本能と、困窮に屈した心の弱さが、彼を犯人にしたのであるが、彼はずうずうしくも自分を時代の犠牲として押し出そうとている。しかもその上に、方図のない虚栄心がひそんでいるのである。それは、虚栄心が最後の段階まで行きついたというタイプである。本誌はこの事件を正々堂々と、公平無私に取り扱って、銀板写真か、生理学的図表のような正確さで伝えている。

 

 

米川正夫(訳者)による解説

『ラスネル事件』

一八六一年『ヴレーミャ』の二月号に掲載された。これもダイジェスト的な翻訳にたいする編集者の序言である。おなじくグロスマンが認定して、前記の全集に収めた。ドストエーフスキィの刑事事件にたいする異常な興味は、周知の事実であるから、彼の筆であることは、だれしもうなずけるといえよう。

 

フョードル・ドストエフスキー「全集20 論文・記録 下」(河出書房)

昭和46年2月27日 初版発行

昭和52年7月20日 6版発行