odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

フョードル・ドストエフスキー「論文・記録 下」(河出書房)-1

  政治的なもの、論争的なものの続き。たいていは雑誌に匿名で発表されたもの。内容などからドスト氏の筆になるものと研究者によって認定された。

f:id:odd_hatch:20200106092828p:plain

理論家の二つの陣営 1862.02 ・・・ ペテルブルグの論壇批評。西洋派とスラブ派の両方をけなす。匿名の文章で、内容からドスト氏のものとされたが、「村落共同体」など他にない言葉を使い、構成も彼らしくないなあ(まあ専門家が認定したものだから、ドスト氏の筆になるものでしょう)。

スラブ派、モンテネグロ、西欧派。ごく最近の論戦 1862.09 ・・・ バルカン半島モンテネグロ人(ロシア正教)がトルコ人イスラム)を撃退したので、募金を送ろうという運動が起きた。それを主導したのが西洋派だったので、スラブ派は気に入らない。その雑誌の論争をドスト氏がたしなめる。まあ、政治的立場から運動への参与の仕方を決めるという転倒した考えのだめさをドスト氏はみたわけだ。あとドスト氏は見ていないが、この論争にはスラブ人によるモンテネグロ人への差別や侮蔑の感情がある。スラブのためになる外国人は有用というような考えの克服はここには示されていないので、注意が必要。

尻くすぐったい問題 1862.10 ・・・ 雑誌の論争を法廷になぞらえたパロディ。

さまざまなパン的・非パン的問題に関する必要な文学的釈明 1863.01 ・・・ 「パンを得んがために口笛を吹く連中」に対する非難。口笛はデマや罵倒、無意味な言葉の羅列など。

新しい文学機関と新しい理論について 1863.01 ・・・ ライバル雑誌などへの罵倒。ペテルブルグで新聞が刊行されるようになったのは1860年代からが貴重な証言(日本人資本による新聞刊行は1880年代)。

誌上短評 1863.02 ・・・ 二つ前の論文の批判に対する反批判。

再び『若いペン』 1863.03 ・・・ 前の批判の続き。

ミハイル・ドストエフスキーについて数言 1864.06 ・・・ 兄ミハイルの追悼文。ゲーテやシラーの翻訳もした兄は弟の作品をどうみていたのか。嫉妬はなかったのか。どうかね。

必要かくべからざる声明 1864.07 ・・・ 「シチェドリン氏、一名ニヒリストの分裂」への批判に対する反批判。戯作調が消えてまじめな文体。でもなかみはすかすか。

片をつけるために 1864.09 ・・・ 「必要かくべからざる声明」に48ページの再反論がきたので、6-7ページの論文で対抗。

実生活における地口 1864.10 ・・・ 政治経済雑誌の文芸批評がひどいので、編集長を批判。

三月二十八日宗教教育同好者協会の会合 1873.04.02 ・・・ 教会の統一に関する論敵の議論ができなかったことについて。

I.F.ニーリスキイへの回答 1873.04.30 ・・・ 前の文書で病欠したのはわけがあると書いた本人からの反論にこたえる。まっすぐ答えていない感じ。

ニール神父の事件 1873.06.11 ・・・ スキャンダルに巻き込まれた26歳の神父の弁護。正邪はわからないが、これを読むと「カラマーゾフの兄弟」の修道院のことを思い出すよね。

編集者の感想二つ 1873.07.02・・・ モスクワの女子高教育を扱ったら文句を言われたのでそれに反論。ほかにもいろいろ文句や苦情が来るけど、基本的にスルーしますよ宣言。

生活の流れから 1873.07.09 ・・・ これも文句や苦情はスルーしますよ宣言。柔らかくいっているけど。

編集者の感想 1873.08.20 ・・・ 商人はロシア人を堕落させているという話。

編集局から 1873.09.10 ・・・ このところとみに伸張しているドイツにロシアも学べ。

 

 ドストエフスキーの全集で読んだので、論敵の文章はない。なので、話題の正否は判断しがたい。なにしろ19世紀半ばのペテルブルグの論壇の話題なので、今更掘り起こす必要も感じない。とはいえ、ドスト氏の(あるいはペテルブルグの批評家)議論は、あてこすりや話題のすりかえ、揚げ足取り、罵倒に揶揄、人格批判などのでてくる筋の悪いもの。つきあう気分にはとてもなれない。これらの論争的な文章と、小説の語りとはまるで違っていて、同一人物に筆になるのかと唖然としてしまう。論文や論争の文章が文庫にならないのも仕方あるまい(トルストイのはいくつか文庫になっているけどね)。
 ドスト氏らを含む批評家の議論の仕方は、21世紀のSNSでもみられるもの。古い人間は素晴らしいとも、過去を乗り越えて現在は進歩したともいえず、人間はどしがたいとか、知識を持っても人間はかわりがないなあと嘆息することになる。