これまで全く無知だったので、朝鮮の近代史と日本の植民地政策を勉強するために、以下を読んできた。
2017/05/25 海野福寿「韓国併合」(岩波新書) 1995年
2017/05/24 高崎宗司「植民地朝鮮の日本」(岩波新書) 2002年
また同じ時代の日本の近代史はさまざまな本で読んでいる。当然のことながら、それらは日本人研究者が日本の視点に立って記述したものだ。たとえば1870年代の西郷隆盛らの「征韓論」は明治政府の政争の題材として起きたこととなる。しかし当の朝鮮の側からすると、明治政府政権内の政争ではなく、国への脅威になるのだ。
そこで、朝鮮に視点を定め、日本が「異人」であるかのように見ながら、朝鮮と日本の近代史を見直すことにする。著者は日本生まれの在日コリアン。2012年刊。
第1章 朝鮮王朝と日本 ・・・ とりあえず記述は1392年の李氏朝鮮(本書の記述のママ)から始める。儒教的民本主義に基づく王権国家だった。儒教は政治の原理(日本では儒教は政治の手段)。19世紀になると王権が弱化し、門閥政治になり腐敗が起こる。洪景来の乱(1811)、壬戌民乱(1862)、甲午農民戦争(東学党の乱)などが起こる。
江戸時代には日朝のやり取りがあったが、対馬藩及び幕府には蔑視観があった。征韓論は幕末の対馬藩が提起していて、継承したのが木戸孝允(明治政府で対朝外交を担当)。国体観念は水戸学から出て吉田松陰が継承し、明治政府の基本政治思想になった。国体は、天皇一系の支配、天皇と万民の親密性、万民の自発的奉公からなる。明治政府は朝鮮と国交を断絶する。
(このまとめが日本人研究者から出るのではなく、「在日コリアン」研究者から出るのがなんとも・・・。朝鮮蔑視は明治政府からと思っていたが、江戸時代にはすでに一般的になっていた。日本は開闢以来ずっと、外国人排斥と差別の国で、それを国是にしてきた。この事実がなんとも・・・。)
第2章 朝鮮の開国 ・・・ 1864年に大院君政権になり、王権復古と攘夷の政治になる。国内では天主(キリスト)教の大弾圧があり、それに端を発したフランスとアメリカとの戦闘が起きる(別個)。激しい戦闘で両国は開国要求を断念。一方、明治政府は開国をせまり、1876年に日朝修好条規を締結する。
(そのまえの江華島事件で日本は朝鮮を挑発し略奪した。開国要求は明治政府の征韓論をめぐる政争から起こる。)
第3章 開国と壬午軍乱 ・・・ 1881年に米朝通商条約を締結して「第二の開国」。以後、その他の国とも通商条約を結ぶ。日本商人が多数朝鮮にいったが、悪逆非道・暴力沙汰・詐欺ばかりであった。1882年壬午軍乱勃発。これにより大院君が返り咲いたが政権は混乱した。
(日本人の嫌韓征韓は現地でのヘイトクライムになった。政府も知識人も咎めないので、収まることがない・なるほど、海外での差別行為がのちに本土に持ち込まれて、嫌韓征韓が日本人の心情になったのか。関東大震災の朝鮮人虐殺はとても前から準備されていた。参考:ハンナ・アーレント「全体主義の起源」)
第4章 甲申政変と朝鮮の中立化 ・・・ 80年代に清は朝鮮の宗主権を強化した。そ手に対して開化派が中立国化を目指して改革を行う。開化派に日本が支援して1884年にクーデターを起こす(甲申事変)。これは失敗し首謀者は日本に逃亡(そこで差別にあう)。支援者には福沢諭吉など。
第5章 甲午農民戦争と日清戦争 ・・・ 日本商人は米などを暴力的に買いあさるなどして対日輸出が増加し、農民が困窮した。そこで東学党などの農民蜂起がおこる。また清の首謀で金玉均の暗殺がおこり、憤激を買う。そこで治安維持を理由に日本が介入し、1894年に日清戦争が起こる。日本軍は半島内で清軍と戦うのと同時に、東学党の乱を鎮圧するようにも動く(強い弾圧を強制したのは日本)。日本の勝利によって日本は清から領土を奪い取った。翌1895年、日本公使らが宮中に乱入して明成皇后(閔妃)を暗殺する。これによって改革推進派が一掃される。
(ここは司馬遼太郎「坂の上の雲」にはまったく書かれていない史実。日本の高校教科書でも以上にいきさつは書かれていない。日清戦争は日本の自衛目的ではなく、朝鮮半島を植民地化する活動に朝鮮および清が反発して起きた。しかも積極的に内政干渉し、あまつさえ政府要人を暗殺するまでの無法を行う。明治維新以降、この国は正義にもとる行動しかしていない。まあ、大和朝廷のときからおかしなカルト宗教国家であったのだが。)
2024/05/13 趙景達「近代朝鮮と日本」(岩波新書)-2 日本史を外国の目から見るとき、列島の住民の「常識」(例えば司馬遼太郎「坂の上の雲」)が覆される。 2012年に続く
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