odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

フィリップ・K・ディック「シミュラクラ」(サンリオSF文庫)

 ともあれ大量のキャラクターが数ページごとにでてきて、それぞれのオブセッションにとらわれている悪夢や不安を語っている。失業、オーディション不合格、赤字続きの事業、特権階級からの蔑視、体臭恐怖症、政府に監視されている不安、不倫が発覚する恐れなどなど。いったいなんのこっちゃ。冒頭から100ページくらいまではそういう描写が続いていて、何がメインストーリーなのかもはっきりしない。

 次第に見てくるのは、この近未来(2034年ころ)の異様な社会。世界は共産圏とアメリカ―ヨーロッパ合衆国(USEA)に二分され、ほかに人民ちゅうごくやフランス帝国があるが弱小。舞台はUSEAであり、この国は特権階級Geと平民Beで区分されている。社会は大統領デル・アルテがトップであるが、実質はファースト・レディのニコルの独裁。彼女の一挙手一投足がTVで放映されていて、それが90年も続いている(この御前演奏に出場できることはとても名誉。なのでBeのミュージシャンはオーディションにでる)。さて、ニコルは1944年のヘルマン・ゲーリングを現代に呼び出し(そういうタイムマシーンが実用化されている社会)、自分の権力を万全にしようとする(ここ、理由はよくわからなかった。なにしろもうろうとした読書だったもので)。
 見事な監視社会ができあがり、権力機構も万全であったが、問題は独裁が長く続きすぎたために身体が弱っていること。なので、デル・アルテは数十年前からシミュラクラ(模造体:「あなたを合成します」)であり、ニコラは俳優(4人目)が勤めていたのであった。また安定した経済の中で巨大カルテルができていて、シミュラクラ製造のカルプと向精神薬の独占製造販売のA・G化学が警察権力と組んでクーデターを計画している。一方、固定化された階級と格差の拡大を解消するために、秘密裏にヨブの子という過激派が活動していた。その党首ベルハルト・ゴルツはフォン・クレーガー装置という未来予知とタイムマシーンの合体した装置を使って、時間を行き来しながら、陰謀を企んでいる。安定の背後に、こういう暗躍が行われている。
 ニコルは引退した念動力ピアニスト・コングロシアンを呼び出そうとし、デル・アルテのシミュラクラの発注先をカルプから弱小企業に移そうとした。そこでトラブルがあり、コングロシアンはうつ病と体臭恐怖症(これを発症したのがあたりかまわずCMをがなり立てる蠅のようなロボットというのがおかしい)。A・G化学の治療薬は効かず、この企業のロビイングで精神分析は非合法化されている。どうにか治療にはいったが、精神分析向精神薬もきかず、なんと体の内と外が反転していくという症状になってしまう(外のものが体に入り、内臓が出ていくというグロテスクイメージ。アニメ「AKIRA」の鉄男におきたことに似ている)。ほかにもドタバタする事態があり、ニコラはNP(秘密警察か?)の長官を解任。長官は、その席にいたヨブの子の党首ゴルツを射殺し、クーデターを起こす。クーデターは内乱に発展し、核兵器も使用され、世界の行く末はわからない。助かるのは、オブセッションの囚われて火星移住を実行した少数者と、僻地になるコングロシアンの別荘にいたものだけ。そこにはフォン・クレーガー装置で連れてこられた原人のコミュニティがあり、彼らが次の地球支配者になる予感がする。
 ああ、くたびれた。おおよそこんな話。
 タイトル「シミュラクラ」は模造体のいいであり、ここでは権力の中枢が人間ではなくシミュラクラになっていることと、火星の寂しい移民の話し相手としてシミュラクラが大量生産されていることとして登場する。そこではオリジナルとコピーの区別がつかず、人間はむしろコピーをありがたがるという皮肉も含まれている。さらには、国家の権力システムもオリジナルがなくなったコピー(模造品)として運営されていて、薄っぺらいものであるという認識もある。あるいは、フォン・クルーガー装置は時間旅行によって別の平行世界をいくつもあることを示し、この小説世界の「現実」なるものも別の世界によく似ていて、どこかに劣化したところがあるというまがい品にほかならないと明るみに出す。
 ついでにいえば、この監視社会は「高い城の男」によく似ているし、平行世界は「虚空の眼」であり、未来予知者の悲惨な末路と運命論的世界は「ジョーンズの世界」であり、コングロシアンの精神の崩壊は「火星のタイムスリップ」の自閉症の子供のようであり(俺は気が狂っているのではないかという心象風景を書かせるPKDは絶品、いやそれゆえにある種の気分で読むと強い影響を受けて症状がでてきそう)、模造体が人間と同居しているのは「あなたを合成します」で、小さな町のなかでちまちまやっていることが国家的陰謀にからんでいてというのは「時は乱れて」で、コマーシャル蠅がぶんぶん飛んでいてピストルで撃ち落とすというのは短編「CM地獄」で、・・という具合に、この小説自体が先行する諸作品のシミュラクラであり、まがい品であり、ガラクタ芸術なのであった(褒めています)。実にPKDらしい。
 ただ、メインストーリーがはっきりしないうえ、膨大な人数のキャラクターが登場し、フォーカスしたいキャラクターのいない中で、小説の大半がメインストリーにからまない現実から脱出したい人々や治療を受けたい人たちの話という読書はしんどい。作者も

「登場人物の相関図をつくってみたことがある。はたして首尾一貫しているかどうかを確かめるために、もう一度読み返して、図をつくったんだ。だめだった。同じグループに属しているのに、おたがいに何の関係もない登場人物たちがいてね。/入れられるだけたくさんのものを本の中に入れようとのがわたしの考えだった。いいかえれば、与えられるだけのものを読者に与えようとしていたのさ」
(「ディック、自作を語る@去年を待ちながら」創元推理文庫P405)

といっているくらい。とてもではないが、初心者には薦められない。
 1963年8月28日SMLA受理、1964年出版。