odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

宇井純「公害原論 II」(亜紀書房)-2 1960年代の公害問題。公害や環境汚染を技術の問題に還元しないが重要。

2019/10/04 宇井純「公害原論 II」(亜紀書房)-1 1971年の続き

 

 続けて昭和の公害。ほぼ同時代に起きている公害反対運動の紹介。この時代には全国で公害問題があり、それぞれで反対運動が起きていた。反対運動は相互に行き来をし(SNSがないので、現地に行くか呼ばないと情報を得られない)、方法やノウハウを取り入れていた。とはいえ、運動の主体である地元の人がどれだけがんばれるかが勝利の鍵となる。

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三島・沼津 ・・・ 地下水が豊富で海運が良いという理由で三島・沼津にコンビナート建設計画が1958年に起きる。計画は数回変更されたが、住民の反対運動で中止になった。運動の勝利は政策の変更を促した。保守派は企業や県・国の意向を受けて巻き返しを図っている。
(運動は市民団体主導。既成組織は初動には強いが、運動が進むと邪魔になる。中心になったのは地元の高校の教師。実地調査は東京の大学の学者による調査団より精緻。毎晩勉強会を開いて、運動の参加者を増やす。とはいえ、市民の動きも早くて、企業に数千人が押し掛けるとか、農協幹部が賛成派とわかると預金引き出しで対抗して成果を上げるとか、いろいろやっている。法ができると問題が悪化するという実例にもなった。法律一本で世論三年。あと運動の記録は大事。特に細かいこと、個人的なことは後で忘れられるから必ず残すこと。)


富士 ・・・ 富士は地下水が豊富で、浚渫港をつくったので、大昭和製紙がはいった。東京電力の電力補助があって、製紙を開始。大気、水質、土壌の汚染が拡大。反対運動が起きる。本来はこれらの汚染が問題であったが、田子の浦のヘドロに矮小化されつつある。既成組織、革新政党新左翼は頼りにならず、最後まで一人でやるという少数者の戦いのほうが強い。
(近藤準子による富士の水質調査の報告。企業と県と大学がデータの捏造を行い訂正に応じない。)


臼杵 ・・・ 1969年にセメント工場誘致が持ち上がる。漁民、食品加工業、地場産業が反対して、市民に広がる。「組織があるから負ける」(リーダーのことば)。被害を受ける少数派を被害を受けない多数派が圧殺する。選挙では誘致反対派は負けるが、民主主義は多数決でよいのか。

 

技術的対策 ・・・ 公害が起きてからだと部分的解決しかできず、技術は輸入できない(当時)。発生源で処理するのがよく、製造工程を改善させることで未然に解決できる(たとえばチッソの工場で水の循環使用を進めれば排液に有機水銀は流出せず、設備投資は150万円(当時)で済んだ。150万円を惜しんだので水俣病は発生したといえる。よくある対策は、合流式処理、混合処理、海洋投棄であるが、いずれもNG。技術的な問題解決にならない。企業と行政は高額予算を執行できるのでやりたがるが、市民は損するだけ。税金や罰金を取るようにすると、企業は対策を執るようになる。
 法は世論対策でしかない。公害でいえば、基本法のできる前は「法がないので対処できない」、施行後は「基準となる政令がないので対処できない」(ヘイトスピーチでも警察や行政は同じ言い訳をしているな)。法は被害者を厄介者として扱い、差別問題であることを反映していない。なので、法ができても救済に時間がかかる。水俣病では50年たっても解決しない。
 学問や技術を進歩させるのは、素人の物分かりの悪い批判(すなわち告発)。これを突きつけ続けることが大事。市民も企業や行政にからめとられないようにすることが必要。絶えず根本に遡って考える。

 

 公害や環境汚染を技術の問題に還元しないこと。行政や企業などが市民に損をさせ、それで利益や権力を得ることを意識すること。などかな。ここでも善に中立な正義はないし、正義を実行しようとするとき自分が不利益をこうむることになりかねない。それでも正義を実現する。
 技術的対策は、III巻の「運動論・組織論」と併せて読もう。ここには、21世紀の、311後の運動に利用できるさまざまな知恵がある。
 初出は1971年。

  

宇井純「公害原論 III」(亜紀書房)-1 1960年代のヨーロッパの環境汚染問題。関心を持つのは遅れたが対策をとるのは日本より早かった。

  1970年年末と翌年2月に国際会議に行く。そこの報告と自主講座第1期のまとめ。重要なのは、

「公害に関する議論は(略)真の問題点をぼやかすためにわざとにぎやかにされている面もあるにちがいない。意識的に、どうでもいい話をわざと混入するというのが、問題にまぎれを多くする手段であることはよく知られたことである。それを避けるとすれば、考えを常に根本へもどして、被害の存在を直視し、被害者の立場に近づくことから出発しなければならない(P4、まえがき)」

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FAOローマ海洋汚染会議報告 ・・・ 1970年12月に行われた国際会議の報告。水俣病の衝撃が世界中に反響して、海洋汚染の実情と対策を考えることになった。学者の集まりなので、分析と原因究明と実態把握が中心。そうすると、重金属の汚染は20世紀初頭から見られ、戦後に深刻。あらたに人工化合物(DDT、PCBなど)の汚染と人体への影響の深刻さが判明。原油の移動による海洋汚染が拡大。ヨーロッパではバルト海アドリア海などの狭い海域ほど深刻。北海でも同様。生態濃縮がこれまでの知見では説明できないような挙動を示している。海洋や湖水の富栄養化による生物現象(酸素不足)、生物相の単純化により被害拡大(種類と数量が多いことが大事)、低濃度物質の慢性中毒は危険(何が起こるか予測不能)。
(この後の生態危機、環境危機に関する問題はこの時点でほぼ出そろっている。しかしその対策が取られるようになり、国際協力が行われるようになるのは80年代以降だったと記憶。報告がヨーロッパ中心なのは、日本が太平洋の観測調査をしていないため。学者も数名しか派遣していない、しかも自費。日本は企業優先の政策をとっていて、環境問題にはほぼノータッチだった。なので、このあと日本の企業は海外に製造拠点を移動して、そこで公害問題を起こした。)


ヨーロッパの公害 ・・・ 宇井純の見たヨーロッパ(の民主主義)。中央集権に対する抵抗が強い。コミュニティを守り、少数者(被害者)すなわち自分自身を抑圧する仕組みを作らせない。自然保護、公害反対運動が強く、若者が参加、学者が政治的発言を発信。加害者責任が重い。三権分立が機能していて、マスコミも政府批判をためらわない。一方左翼は環境問題は苦手。民主主義と自由主義の歴史と、村落共同体・都市共同体の伝統がある。
 1960年代から環境汚染問題にヨーロッパ各国が調査に乗り出す。特に農水産物の汚染は輸出の激減ないし停止になるので、対応は素早い。一方、水質汚染や重金属の濃縮には対応が鈍い。コンビナートのできるところ(複合汚染の生じるところでもあう)は自治体が大きくて、被害者が少数で抑圧されていた。
(このころから西ヨーロッパでは経済共同体が実行された。国のサイズが小さいので一国経済が成り立たず輸出入が頻繁にあった。そういう市場原理の働くところでは規制が速く働く。そうでないところ(社会的共通資本にかかわるところか)では動きが鈍く、市民運動などで行政に働き掛けないと進捗しない。)


 ヨーロッパの公害被害と調査についてはまとめから割愛。何しろ半世紀前の記録。自分の記憶では1980年代には環境問題に対する意識と政策は日本を追い越した(たとえば西ドイツで「緑の党」が地方議会に議席をとるようになるとか)。21世紀では日本の政策はヨーロッパやアメリカなどの後塵を拝しているように思える。
 あまり変わらないのはヨーロッパの民主主義(と自由主義)。民衆が封建主義国家や全体主義政権を打倒してきた経験と伝統があるので、国家の監視と参加が根付いている。なので、なかなか政策レベルの革新は起こらないが(そこはアメリカと好対照)、人権尊重はしっかりしている。21隻の景気の悪さとヨーロッパを囲む地域からの移民・難民の流入は、人種差別と排外主義を起こしているようだが、日本よりはまだましな状況。こういうところは勉強して、この国にもってきたい。
(正義やデモクラシーを考える基礎として、小林正弥「サンデルの政治哲学」(平凡社新書)を読んだが、ここにはヨーロッパの事例が書かれていない。ヨーロッパの民主主義と自由主義ナチスなどのファシズムソ連などの全体主義を生んだ。その原因分析と対策を含めて、ヨーロッパの民主主義とアメリカと比較して考えることは重要。)

 

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2019/09/30 宇井純「公害原論 III」(亜紀書房)-2 1971年に続く

宇井純「公害原論 III」(亜紀書房)-2 国家・企業・大学の無責任に対抗するには縦割り組織や権力集中型組織は無力。システム的な対応をしない個人のゆるい連帯のほうが強い。

2019/10/01 宇井純「公害原論 III」(亜紀書房)-1 1971年の続き

 

 

 第2巻の「技術的対策」の続き。

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運動論・組織論 ・・・ 公害に対してなぜころほど無策、無力であったか。公害の無視が高度経済成長の要因であったし、大学も生産力(廃棄物の生産向上)をあげるための研究しかしてこなかったし、中にいる人も専門家養成の結果、専門バカ、専門もバカな連中を再生産するだけだった。公害に対して対応策を作り得たのは、もの代わりの悪い素人の、テコでも動かない質問と調査であり、現場にいて、被害者の立場に近づいたものだけであった。そこで次のことが経験的に導かれた。
 宇井の公害運動の原則
1.起承転結:公害発覚後の展開。転で反論が出て、結でうやむやにされる
2.第三者はいない:そうなのる知識人、教授はみな加害者の味方だった。
3.相乗平均:賠償金や示談金は相互の要求額の相乗平均(被害者の要望額の3分の1くらいか)になる。足して二で割る平均ではない。
4.縦と横の原則:縦割り組織や仕事はろくな成果をださないし、被害者の要求に応えず、公害を放置する。縦の組織の下から上に陳情する運動は大概負ける。勝つのは手近なところからたたいていくとき。現実主義(受け入れやあきらめ)は勝てない。
5.権力集中型組織は公害に対して無力:行政や企業も政党も労組もそうだし、被害者の運動もそう。
 そこで勝てるやり方は、最大限能率の原理を否定し、縦割り組織を作らない。システム的な対応をしない。専門を作らない。自分のやりたいことをやる。ゆるい連帯で互いを束縛しない。おもしろそうなことは手伝う。
(ここが3.11以後の運動で見られる特長と同じ。自分の運動のかかわり方はこの本の影響を強く受けているのだなあ。まったく指摘とおりのやり方を踏襲しているよ。)
 公害反対運動は「黙っていたら殺されかねない」人間の運動。そこでは「~~なばならぬ」「~~べきである」は通用しない。カタカナ(外来語、外来理論)は使えない、前例も教科書もない。その都度、自分で考えて行動する運動になる。

 最後の強調したのは、「公共の福祉」を裸にせよ。すなわち、飛行場やコンビナートは多数の利益になるが、少数を抑圧することを要求する。それはよいか。通常、功利主義では多数の利益を出すことは少数の不利益を上回る幸福になるので、「よい」とされる。それは正しいのか。地域エゴを貫くことは不正義であるのか。この問いを物分かり悪く、テコでも動かない素人が続けることで、別の解答やブレークスルーが生まれる。たとえば、飛行場は作らないとか、コンビナートに処理施設設置を義務付けるとか、新たな技術開発を促すとか(それまでペンディングにする)など、対応策はいろいろでてくる。そういうところまで持っていくのが市民の運動で、コミュニティへの参加。
 宇井の議論に追加するとすれば、運動では抗議とともに、広報と記録も必要。広報は参加者やシンパを増やす活動で、記録はノウハウを整理し共有する活動(もちろん資料やできごとの保存も)。なので、抗議に参加するのは躊躇する場合でも(心理的にダメとか、身体に制限があるとか、現場から遠く離れているとか)、広報と記録はネットを使ってできるので、こちらで参加するのはありです。
 初出は1971年。

 

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