odd_hatchの読書ノート

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宇井純「公害原論 III」(亜紀書房)-2

2019/10/01 宇井純「公害原論 III」(亜紀書房)-1 1971年の続き

 

 

 第2巻の「技術的対策」の続き。

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運動論・組織論 ・・・ 公害に対してなぜころほど無策、無力であったか。公害の無視が高度経済成長の要因であったし、大学も生産力(廃棄物の生産向上)をあげるための研究しかしてこなかったし、中にいる人も専門家養成の結果、専門バカ、専門もバカな連中を再生産するだけだった。公害に対して対応策を作り得たのは、もの代わりの悪い素人の、テコでも動かない質問と調査であり、現場にいて、被害者の立場に近づいたものだけであった。そこで次のことが経験的に導かれた。
 宇井の公害運動の原則
1.起承転結:公害発覚後の展開。転で反論が出て、結でうやむやにされる
2.第三者はいない:そうなのる知識人、教授はみな加害者の味方だった。
3.相乗平均:賠償金や示談金は相互の要求額の相乗平均(被害者の要望額の3分の1くらいか)になる。足して二で割る平均ではない。
4.縦と横の原則:縦割り組織や仕事はろくな成果をださないし、被害者の要求に応えず、公害を放置する。縦の組織の下から上に陳情する運動は大概負ける。勝つのは手近なところからたたいていくとき。現実主義(受け入れやあきらめ)は勝てない。
5.権力集中型組織は公害に対して無力:行政や企業も政党も労組もそうだし、被害者の運動もそう。
 そこで勝てるやり方は、最大限能率の原理を否定し、縦割り組織を作らない。システム的な対応をしない。専門を作らない。自分のやりたいことをやる。ゆるい連帯で互いを束縛しない。おもしろそうなことは手伝う。
(ここが3.11以後の運動で見られる特長と同じ。自分の運動のかかわり方はこの本の影響を強く受けているのだなあ。まったく指摘とおりのやり方を踏襲しているよ。)
 公害反対運動は「黙っていたら殺されかねない」人間の運動。そこでは「~~なばならぬ」「~~べきである」は通用しない。カタカナ(外来語、外来理論)は使えない、前例も教科書もない。その都度、自分で考えて行動する運動になる。

 最後の強調したのは、「公共の福祉」を裸にせよ。すなわち、飛行場やコンビナートは多数の利益になるが、少数を抑圧することを要求する。それはよいか。通常、功利主義では多数の利益を出すことは少数の不利益を上回る幸福になるので、「よい」とされる。それは正しいのか。地域エゴを貫くことは不正義であるのか。この問いを物分かり悪く、テコでも動かない素人が続けることで、別の解答やブレークスルーが生まれる。たとえば、飛行場は作らないとか、コンビナートに処理施設設置を義務付けるとか、新たな技術開発を促すとか(それまでペンディングにする)など、対応策はいろいろでてくる。そういうところまで持っていくのが市民の運動で、コミュニティへの参加。
 宇井の議論に追加するとすれば、運動では抗議とともに、広報と記録も必要。広報は参加者やシンパを増やす活動で、記録はノウハウを整理し共有する活動(もちろん資料やできごとの保存も)。なので、抗議に参加するのは躊躇する場合でも(心理的にダメとか、身体に制限があるとか、現場から遠く離れているとか)、広報と記録はネットを使ってできるので、こちらで参加するのはありです。
 初出は1971年。