odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

宇井純「現代社会と公害」(勁草書房) 研究者・法律家が講演する自主講座の2学期。荒幡寒村の回は全体の白眉。

 自主講座の2学期はさまざまな現場のひとたち(現在に限らない)の話を聞く。宇井純による1学期の話を実地でどう使うかを検討する機会になる。当初100人教室で行っていたが、このころには400人を超える。荒畑寒村の回には屋内に収容できなくなり、途中から野外集会になる。情報を得るためには、足を運ばないといけない時代。 初出は1971年。

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東京都の公害(戒能通孝) 1971.4.12 ・・・ 当時、都知事は美濃部(社会党)。そのために先進的な公害対策を行った。公害対策の現場責任者として東京都公害研究所署長に選ばれたのが戒能通孝。民法の学者であって、岩波新書の法律関係の書き手でもあった。公害対策で戒能らがとったのは、技術+法+経済政策+現地調査+運動との連携など。話のほとんどは戒能らが直面している現在の問題点。水質汚染、大気汚染、地盤沈下、ごみ処理など。企業と話し合いをすることもあるが、当時の企業はやる気なし。
(この時代は関東の各地で工場がたくさん建設されていて、その排水や排気、廃棄物などで公害は深刻化していく。振り返るとこの深刻化は1980年代半ばまで続いたが、その後は徐々に解消していく。主に技術的な対策ができたかと思ったが、80年代後半から円高と労賃上昇で、工場は海外に移転していったのだった。工場の廃棄物が減ったのが日本の公害を減少させた理由だ。)


公害裁判 公害と法律家(坂東克彦) 1971.4.19 ・・・ 新潟水俣病裁判の弁護士。4年がかりの裁判の最終弁論前の報告(原告被害者側の勝訴)。公害裁判は科学裁判。企業の責任とともに行政の責任を問えるか。裁判に勝って公害はなくなるか。被害者が被害を隠す構造。労組や地元住民が公害企業の肩を持つ構造。
(この弁護団は「被害者の立場に立って」とはいわない。法律家の立場に立つと明言。これは3.11以降のアンチ・ヘイトの運動と同じ考え方。また公害企業は住民に被害を及ぼすのと同時に、労働者の人権侵害、パワハラを常態化している。それを行政は黙認し、被害者の運動をつぶしていることが報告される。)


公害と経済学(宮本憲一) 1971.5.17 ・・・ 経済学者であるが、1950年代から公害の本も出している(「恐るべき公害」岩波新書など)。公害は企業犯罪であり、人間の生存を破壊している。国家は企業となれあって、それを助長。経済学からみると、高度経済成長は、高度蓄積・集積方式で、国は消費(社会保障)と以上に企業向けの設備投資(高速道路や新幹線、港湾、空港など)を行った。都市に企業と労働者を集中させ、市民向けのサービスや投資をしないで、企業の利益を上げさせ、市民に負担(公害)を強いた。なにしろ公害化会社への助成が被害者への助成を上回る。大量生産・大量消費・大量公害も上を助長。たとえば自動車の個人所有の助長。これらに資本主義の後進性が加わる(というかヨーロッパやアメリカの民主主義や共和主義で市民の政治参加を抑圧して企業と国家の変化を促せないところか)。明治維新からこの国は農村・地方を保守政治の砦にした。都市が革新になっても地方が保守なら返り咲きできるようにした。そのために地方の自治体合併で住民運動をできなくし、公共サービス負担を自治体に強いてきた(例は小学校設置と運営)。そして教育内容に介入し、工業と軍隊のための人民育成を行う。
(この国に民主主義が根付かないという嘆きをよく聞くが、なるほどこの説明によると明治維新以来の政策が、そのような運動をできなくするようにするためであったのか。自然村(ここでは旧来から自治に近い制度があり、一揆その他の抗議運動の拠点になった)を複数合併させ、行政村の中で差別を発生させる。そうすると行政や国家への抗議になるべき運動が、自治体内のいさかいに転化される。そのうえ、村に公共サービスを負担させ、経済的に疲弊させる。この仕組みを変えることが今後の運動に必要。と、壮大すぎるテーマでミッションだが。
 学問をするなら、事実と歴史、住民運動を調べろ。ここが重要だとのこと。さまざまな住民運動にかかわっている人だからこその重み。まあ、自分の経験に基づけば、学問で身を立てようとする人のほとんどは、専門以外を勉強しないし、運動にかかわることを避ける。で、年を取って肩書がつくと権力に絡み取られるようになる。)


公害と青年(荒畑寒村) 1971.6.7 ・・・ 1887年生まれの寒村が社会主義運動史と、社会党批判を語る。講演時84歳は当時としては高齢。寒村は自伝を書いていて、そこにも「谷中村滅亡史」執筆の様子がでてくるが、田中正造の思い出は出てこない。なので、この講演は重要(できれば文庫に収録してほしいくらい)。できごとは置いておくとして(いずれ「自伝」を読むつもり)、寒村は過去の運動が分裂と敵対の歴史であったことを嘆く。その克服は小異を捨てて大同をなすことだという。全国組織を作ると、指揮するもの・命令するものとされるものが生まれるが、それは個人の自由意思を束縛する。なので、小さな組織の緩い連動でよいとする。ここは3.11以降の運動が重視していることだと思う。
(こういう運動のやりかたをアナーキズムと寒村はいう。戦前のアナーキズム運動は大杉栄の個性に支えられていたが、彼の死(虐殺)によってアナーキズムは下火になった。理念と実践はなかなか両立しない。
 寒村はロシア革命史の本をたくさん書いている。ロシア革命血の日曜日から2月革命まで)をリアルで知っていた人であった(驚愕)。彼が社会主義の情熱を失わない理由が「ヴ・ナロード」の運動への共感。ロマン主義社会主義が交錯しているのだ。)

2011/09/19 荒畑寒村「ロシア革命運動の曙」(岩波新書)
2019/10/21 荒畑寒村「寒村自伝 上」(岩波文庫)-1 1975年
2019/10/18 荒畑寒村「寒村自伝 上」(岩波文庫)-2 1975年
2019/10/17 荒畑寒村「寒村自伝 下」(岩波文庫)-1 1975年
2019/10/15 荒畑寒村「寒村自伝 下」(岩波文庫)-2 1975年

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宇井純「現代科学と公害」(勁草書房) 科学者・研究者の講演。現場の記録と見せ方が関心を広げるために重要。

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イタイイタイ病(萩野昇) 1971.5.10 ・・・ 萩野医師は敗戦直後にイタイイタイ病を発見し、治療にあたってきた。あわせて、鉱毒説を1957年に発表する。その結果、県、鉱山会社、東京大学その他から研究の妨害や恫喝を受けてきた。風向きが変わったのは、医師らの研究にアメリカNIHが研究資金を提供するようになってから。1968年に日本で最初の公害病と認定され、講演の1971年には民事の裁判が結審するところだった。神通川上流にある神岡鉱山から流出したカドミウムが河川に沿って流れ、水・米などに蓄積し、それを摂取した人間の体内でカルシウムに入れ替わる。その結果、骨から脱灰し、身長が縮み、骨折を繰り返す。意識障害がないので、痛みをずっと感じる。治療法のないときは、家族からも見捨てられるというのが悲惨の一語。
(ここでも科学者は企業の側につき、ウィルス説・栄養説・農薬説などを出して事態解明を遅らせた。それを覆したのは、市井の研究者や外部の協力者による研究であった。)


日本のカドミウム汚染(小林純) 1971.5.31 ・・・ 萩野医師と協力してカドミウム汚染の調査研究をしてきた岡山大学の教授(「川の健康診断」岩波新書の著作あり)。この人も現場に行き、土壌や水や植物を採集して分析し、被害者の話を聞いてまわる。被害地だけでなく、カドミウム鉱山の周辺地にもいく(対馬、安中、黒部など)。東大の教授や学生は本を読んで小難しいことをしゃべるが、現地にいかない、汗を流さない、人の話を聞かない。その結果、公害被害者を抑圧する側に回る。鉱山や県は、公害を隠すために隠ぺい、もみけし、対策しているふり、法律違反の無断操業などを行う。学者や厚生省はでたらめな計算で「許容値」(公害を発生させたと思われる値を許容させる)を作り、人に押し付ける。それを覆すためのコスト(実態調査、原因究明研究など)は被害者の負担になる。神岡鉱山は戦時中に亜鉛と鉛を採掘。その精錬の過程で生じるカドミウムを川に垂れ流し、戦中からイタイイタイ病患者を作ってきた。昭和31年ころにダムや沈殿池を作ってから被害は減少する。初期対応をきちんとすれば安いコストで公害は防げた。それをなまったことで日本の高度経済成長が達成された。
イタイイタイ病は主に女性に発症した。なので、家族内で女性差別があり、地域では公害被害者差別があった。この複合差別には胸が痛む。また小林教授の話は、科学研究の手本となる手順と手間をかけている。これは勉強になる。)


公害と生態学I(宮脇昭) 1971.6.14 ・・・ 植物生態学・植物社会学の泰斗。戦後に輸入された生態学の知見で、公害や環境破壊を批判し、あわせて現代社会を憂うる。だいたい内容は、エコエティカとか環境倫理学などの内容に一致。なので、21世紀に読むと既出のことばかり(当時は先進的)。後半の開発や産業育成目的の環境破壊の実態を撮影した写真のほうがインパクトがある。植物生態学の知見で重要なのは、公害・環境破壊・汚染は生態系の優占種から滅ぶ(なので単一相の画一化された生態系はリスクが高い)。その次に生命集団の大量死がくる。最近は生物の多様性を遺伝子プールの保全で説明することが多いが、この「大量死」の視点を強調することは大事。汚染の影響は三代、百年経過しないとはっきりしない。


公害と生態学Ⅱ(川那部浩哉) 1971.9.13 ・・・ このころ(1960年代後半)から生態学エコロジーが公害や環境破壊に対抗できるという俗説がでてきた。この国で生態学を研究してきた研究者による「そうではない」という説明。環境調査をするといっても、人員は不足、分析機器は貧弱、大量の数値解析を行えない、有効なモデルがない、など学問のツールは貧弱であった。それなのに、政府や官庁や企業などは生態学が有効な対策が可能であると喧伝した。またマスコミもエコロジー的な視点からの意識の変化などをあおった。なので、講座の参加者は宮脇や川那部の学者の話が具体的でないこと、運動に利用できる話をしないことにいらだつ。川那部は、個々には問題を起こさない事象も地球全体になると大きな問題になりうるという。この時は実感のなかった指摘が半世紀後にはオゾンホールや海洋プラスチックごみなどの問題として現れた。また平均は現場や生活には使えない、個体差が重要というのも、重要な指摘。

 

 

 現場の記録が重要であることを再認識。演者の体験談に加えて、現場の写真を公開し説明することで問題が可視化される。数値には入りきらない情報が映像に表れて、それが強いインパクトを与える。表やグラフよりも、素人写真を提示するほうが問題を共有するにはよいツールになる。問題に関心を持たない人に興味を持ってもらうための見せ方の工夫が大事。そういうことを考えた。
 東大自主講座の設立の目的は、学問や教授が体制保持に利用されていて(すり寄っていて)、国民や市民の利益や正義に立たないのを批判することも含まれていた。後半の二人の学者は、体制順応はしていないが、積極的に被害者の側に立とうとはしなかった人(でも、宇井純との交友はあったので講演に応じた。まあ良識派とでもいえるか)。なので、運動に関与している聴衆からすると、期待外れというか迂遠な話になって、苛立っている。それは俺もかんじたことではあるが、川那部などの超長期的な指摘が実際に現実化しているのをみると、現在の問題に役立たないという理由で科学者や科学を弾劾するのもよろしくない。となると、市民や国民の側からは運動の邪魔をするな、ときには現場に出てこいとしつこくいうことと、過度な期待をしないほうがいい、あたりか。2015年安保では憲法学者社会学者などが学問の良心にしたがって市民のデモに参加したりもするのだから、そういう期待でいいのだろう。もちろんダメな学者や学問の成果はたたきますよ。
 初出は1971年。

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宇井純「続・現代科学と公害」(勁草書房) 技術者・医師による実践運動の記録。市民・住民・大衆の関心や応援のあるなしが成否をわける。

 「民衆のための科学」という考えがでてくる。大学などの研究者・専門家が体制の側に立って代弁者になる状況で、科学者はどういう研究をするべきか。それにこたえようという考え。本書収録の講演のうち最初のみっつは、そういう実践をしてきた人の報告。成功例もあれば、失敗例もある。
 初出は1972年。

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農薬と目の奇病(石川哲) 1971.6.21 ・・・ 有機リンを使った農薬被害の調査研究報告。農薬中毒は戦前から知られていて、ときに使用禁止になっていたが、1960年代に起きたのは農薬の散布を曝露されたときにあらわれる被害。ここでは近視。ある特定地域に小中学生の近視が多発。調べるにつれて農薬に含まれる有機リンが原因であると思われた。当然厚生省(当時)も農薬会社も農協も自治体も被害を認めない。そういう状況で、科学者や市民はなにができるか。もっとも被害を受けた少数者の利益になるように動け、凡百の理論(海外に先行例はない)よりも現場に行けあたりか。権力からの抑圧や妨害にどこまで抵抗できるかは、なかなか難しいなあ。
(見ないふりをする、権力の側にすり寄るという選択もあるけど、それは人間的ではない、正義や倫理にもとるという決断をするのは、生き方の姿勢とかになる。後、戦後の日本農業では農薬の大量使用があった。)


農民と医学・農薬公害(若月俊一) 1972.4.10 ・・・ 佐久市の農協病院院長の農民のための医学実践の記録(詳細は「村で病気とたたかう」岩波新書参照:未読)。農民らの医学への不信は極めて根強く、医療改革の試みが妨害を受けることもある。でも、彼らの利益になるように動くと、長年の間に信頼関係が生まれる。革命的エネルギーは、地味なひとつひとつのところに費やすべき、気長(10年以上)に楽天主義で、というのが運動を成功させるおおもと。医学の問題は社会性の喪失と器ができたことでエネルギーを失うこと。
(第2次大戦後、ナチスの開発した毒ガス(例えばサリン)の成分をかえたものが農薬に使われた。フェノール水銀も田んぼにまかれた。BHCDDTの薬剤も散布された。アメリカの5倍、ヨーロッパの7倍。その結果、1950年代後半から日本の農民の2-4割に中毒症状がみられ、ほとんどの人の毛髪から水銀が検出されるようになった。日本は農薬被害の人体実験をしている。という若月俊一のレポートが付録。)


公害と科学者(半谷高久) 1971.9.6 ・・・ 塩素、炭素、窒素の地球規模の循環量の推定からみえる、人間の経済活動による影響。(公害の個別問題では具体的な対策はいえるが、地球規模の漠然とした話になると、当時は対策のアイデアがなく、漠然としたことしかいえなかった。あと、科学は価値に中立であると科学者は考えがちで、はっきりした態度を示さない/示せないのだが、被害の当事者からするともどかしい。)

 「民衆のための科学」は1980年ころには理論化され実践も試みられた。未読だけど、たとえば里深文彦「いま、民衆の科学技術を問う」(新評論)。1980年代半ば以降の好景気でフェードアウトした。工場の海外移転が進行して公害被害が見えにくくなったとか、自治体や企業の公害防止研究が進んだとか、公害反対運動に代わる環境保存運動が盛り上がらなかったとか、科学研究の専門化が進んで素人には難しいとか、いろいろ理由が思いつく。研究者が旗振りをしても市民が後ろについていないという状況があった。
(ま、俺も学生時代には住民運動にかかわったが、就職して「社畜」のような生活をしているうちにモチベーションを失ったし。ダメな男でした。)

 

沖縄の公害闘争(宇井純他) 1971.5.3 ・・・ 翌年の「沖縄返還」を前にして、本土の産業資本は沖縄に工場を移転・増設しようとしていた。そこには公害企業(ほとんどすべてがそうだ)があり、沖縄で公害反対闘争が起こる。宇井純らが沖縄に行き(当時はパスポートが必要)、現地のプロテスターと報告会を行う。報告された各地の闘争は本土よりも強く、粘り強い。阿波根昌鴻「米軍と農民」(岩波新書)の系譜を継ぐような厳しく、美しい闘争があった。その経験が2019年の辺野古の基地反対運動に引き継がれているのだろう。

「劣勢な純民運動を支えるのは精神的な高さ」
「一色でいったら負ける。いろいろみんなでやってみる。あいつがあのやりかただったら俺はこっちで。どっちが効くか試してみよう」
「一見なんでもないようなところに摂取すべきものがある」
「遠くから来た人間に助けてもらうという空気がないところは強い」
「権力や企業のやることは荒畑寒村「谷中村滅亡史」にみんな書いてある」

 

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