odd_hatchの読書ノート

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宇井純「公害原論 III」(亜紀書房)-1

  1970年年末と翌年2月に国際会議に行く。そこの報告と自主講座第1期のまとめ。重要なのは、

「公害に関する議論は(略)真の問題点をぼやかすためにわざとにぎやかにされている面もあるにちがいない。意識的に、どうでもいい話をわざと混入するというのが、問題にまぎれを多くする手段であることはよく知られたことである。それを避けるとすれば、考えを常に根本へもどして、被害の存在を直視し、被害者の立場に近づくことから出発しなければならない(P4、まえがき)」

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FAOローマ海洋汚染会議報告 ・・・ 1970年12月に行われた国際会議の報告。水俣病の衝撃が世界中に反響して、海洋汚染の実情と対策を考えることになった。学者の集まりなので、分析と原因究明と実態把握が中心。そうすると、重金属の汚染は20世紀初頭から見られ、戦後に深刻。あらたに人工化合物(DDT、PCBなど)の汚染と人体への影響の深刻さが判明。原油の移動による海洋汚染が拡大。ヨーロッパではバルト海アドリア海などの狭い海域ほど深刻。北海でも同様。生態濃縮がこれまでの知見では説明できないような挙動を示している。海洋や湖水の富栄養化による生物現象(酸素不足)、生物相の単純化により被害拡大(種類と数量が多いことが大事)、低濃度物質の慢性中毒は危険(何が起こるか予測不能)。
(この後の生態危機、環境危機に関する問題はこの時点でほぼ出そろっている。しかしその対策が取られるようになり、国際協力が行われるようになるのは80年代以降だったと記憶。報告がヨーロッパ中心なのは、日本が太平洋の観測調査をしていないため。学者も数名しか派遣していない、しかも自費。日本は企業優先の政策をとっていて、環境問題にはほぼノータッチだった。なので、このあと日本の企業は海外に製造拠点を移動して、そこで公害問題を起こした。)


ヨーロッパの公害 ・・・ 宇井純の見たヨーロッパ(の民主主義)。中央集権に対する抵抗が強い。コミュニティを守り、少数者(被害者)すなわち自分自身を抑圧する仕組みを作らせない。自然保護、公害反対運動が強く、若者が参加、学者が政治的発言を発信。加害者責任が重い。三権分立が機能していて、マスコミも政府批判をためらわない。一方左翼は環境問題は苦手。民主主義と自由主義の歴史と、村落共同体・都市共同体の伝統がある。
 1960年代から環境汚染問題にヨーロッパ各国が調査に乗り出す。特に農水産物の汚染は輸出の激減ないし停止になるので、対応は素早い。一方、水質汚染や重金属の濃縮には対応が鈍い。コンビナートのできるところ(複合汚染の生じるところでもあう)は自治体が大きくて、被害者が少数で抑圧されていた。
(このころから西ヨーロッパでは経済共同体が実行された。国のサイズが小さいので一国経済が成り立たず輸出入が頻繁にあった。そういう市場原理の働くところでは規制が速く働く。そうでないところ(社会的共通資本にかかわるところか)では動きが鈍く、市民運動などで行政に働き掛けないと進捗しない。)


 ヨーロッパの公害被害と調査についてはまとめから割愛。何しろ半世紀前の記録。自分の記憶では1980年代には環境問題に対する意識と政策は日本を追い越した(たとえば西ドイツで「緑の党」が地方議会に議席をとるようになるとか)。21世紀では日本の政策はヨーロッパやアメリカなどの後塵を拝しているように思える。
 あまり変わらないのはヨーロッパの民主主義(と自由主義)。民衆が封建主義国家や全体主義政権を打倒してきた経験と伝統があるので、国家の監視と参加が根付いている。なので、なかなか政策レベルの革新は起こらないが(そこはアメリカと好対照)、人権尊重はしっかりしている。21隻の景気の悪さとヨーロッパを囲む地域からの移民・難民の流入は、人種差別と排外主義を起こしているようだが、日本よりはまだましな状況。こういうところは勉強して、この国にもってきたい。
(正義やデモクラシーを考える基礎として、小林正弥「サンデルの政治哲学」(平凡社新書)を読んだが、ここにはヨーロッパの事例が書かれていない。ヨーロッパの民主主義と自由主義ナチスなどのファシズムソ連などの全体主義を生んだ。その原因分析と対策を含めて、ヨーロッパの民主主義とアメリカと比較して考えることは重要。)

 

2019/09/30 宇井純「公害原論 III」(亜紀書房)-2 1971年に続く