odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

柴谷篤弘「バイオテクノロジー批判」(社会評論社)

1980年から83年にかけて雑誌に書いた文章やインタビュー、講演を収録している。科学批判の主題は別の本(「私にとって科学とは何か」朝日新聞社)の感想で触れたのでここでは書かない。

代わりに「バイオテクノロジー批判」について。とはいえ、当時の状況を把握しないと主張はよく分からないだろう。簡単にまとめると、
・1970年代前半に遺伝子組換えの手法が発明された。当時はたしか、プラスミッドにDNAの一部を組み込み、大腸菌などに取り込ませる(たしかウィルスを使ったのではなかったかな。そうすると、大腸菌のDNAにプラスミッドに組み込ませた大腸菌由来でないDNAが入りこみ、大腸菌が通常生成しないたんぱく質が生成されているのを確認した、という内容。
・この発明から、大腸菌に有用たんぱく質(ヒト・インシュリンインターフェロンなど)を作らせよう、枯草菌の働きを倍にしよう、あるいはプラスチックを分解させよう、挙句の果てには人間のクローン化とか遺伝子疾患の治療をやろうとか、いろいろな応用が想像できて、研究者はいっせいに飛びついた。
・しかし、一部の研究者は、1)遺伝子組換えした微生物が漏出したら環境が激変しないか、2)有毒病原菌を扱うと漏出したとき感染症が大規模に発生しないか、3)研究者が「フランケンシュタイン」(いまならゲームや映画の「バイオハザード」か)みたいなモンスターを作りかねないのじゃないか、4)ヒトの遺伝子を改造するのは倫理的にまずいのじゃないか、などという意見をだし、研究のモラトリアムを提案した。
生物学者はそれに賛同し、1975年にアシロマで会議を開き、遺伝子組換えの研究指針(法律ではないので、罰則規定はない)を発表。それにならって、各国の政府が研究指針を通達とか法律とかで決めていった。それで、研究が再開され、かつこれらの商業化を目指したバイオテクノロジーベンチャー企業アメリカ西海岸に大量に作られ、多くの研究者が大学から企業に移った。
・さて、この国では対応が遅れた。アシロマ会議の出席者も一人だけ。で、ようやくベンチャー企業の隆盛をみて、この国でもバイオテクノロジーを育成しなきゃならんということになり、1980年を過ぎてから研究指針の制定とP3やP4の研究施設(高度封じ込めの施設を持った実験棟だ)を和光市谷田部町(現在はつくば市)に作ることを決めた。
・そしたら、和光市谷田部町に建設反対の住民運動が起きた。
 以上が背景で、著者の意見は、1)研究指針と施設建設には慎重になるべし、2)市民と研究者で議論して、市民の納得を得てから進めるべし、というもの。こういう意見をいう研究者は非常に少なかったし、とくに分子生物学研究者で主張したのは著者くらいだった。
・当然この種の提案は無視された。筑波P4施設では市民向けの説明会も谷田部町で行われたが、市議会むけのみであり、たしか傍聴できなかった。市民を対象にした説明会はまったく行われなかった。まあ、成田の反対運動とか公害被害者の運動とか、そういうのが直前にあって、政府や官庁が市民に説明会をするという仕組みはなかったのだ。そのような義務があるという視点も一般的ではなかった。そして遺伝子組換え実験施設は1985年ころにともに開所した。
・発生確率はゼロに近いが、発生したときの被害が予想できないような出来事をリスク評価できなかった。このとき施設推進の科学者は、確率はゼロであると、専門職業家の科学者に任せろと主張するしかなかった。当然、アセスメントも、施設建設後の説明責任を果たす機能もなかった。
・ジャーナリズムはこの問題をほとんど報道しなかった。反対運動は地方紙ないし地方版にのるだけで、「科学」「自然」「ニュートン」などの科学雑誌は黙殺。せいぜい「技術と人間」「バイオ」に載るくらい。
 こういうのが1980年前半にあった。和光市谷田部町の施設は計画通り建設され、稼働している。
 さてそれから30年(2012現在)。最近の動向は勉強していないので、いくつかの動向だけ。1)1970年代に予想されたよりも生物の保守性は強くて、そう簡単に形質を変換してくれないし、環境に放出しても生存できないらしい(事故の発生確率も低いし、被害内容や規模も小さいらしい)、2)研究指針は緩やかになったが、商品販売をする際の安全性確認やモニタリングなど企業に課せられる制限や義務は厳しくなった(その費用高騰のため1990年代にバイオのベンチャー企業は倒産したか大手に買収されたか)、3)市民のなかには遺伝子組換え製品を拒否する人がいて、反対運動が起きている、あたりかな。
 新しいテクノロジーが生まれその製品が定着するまでには、いろいろな理由で反対が起きるし、ときにはデマも生まれる。そのときに科学やテクノロジーを定着・普及をいかに行うかが企業や官庁の仕事になる。この1980年代のバイオテクノロジーは失敗例になるはず。1980年代後半の「脳死と臓器移植」問題はもう少しは広範な議論がおこり、公聴会も行われた。関係があるかどうかはわからないが、変化が現れているのは確かなこと。
 この本だけだと、上記の背景が分からないと思うので、個人的な体験と合わせて記録しておく。あわせて、この本は現在の遺伝子組換え(実験と食品)反対の論拠にはならない(情報が古すぎて役に立たない)ことを記載する。

<参考>
理化学研究所の発行したP4施設のパンフレット表紙

建設反対の住民運動の作成したP4施設批判のパンフレット表紙