odd_hatchの読書ノート

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F・ポール・ウィルソン「黒い風 上」(扶桑社文庫)

 解説によると1930-40年代のパルプマガジンに書かれた黄禍論のパスティーシュとのこと。黄禍論の小説がこの国に紹介されるとはとても思わないので、専門の雑誌があったなど、この本を読まなければ知ることはあるまい。パルプマガジンは、ハードボイルドかSFか西部劇までかと思っていたのに。

 なので、黄禍をもたらす邪悪な集団が設定される。それが、<隠れた貌>と称する宗団。神武の時代からあるとされ、歴史の表に出てきたのは信長の時代。信長は多くの宗教施設、宗教一揆を弾圧したのだが、それは個々の宗教集団の壊滅を目的にしたのではない。彼らの背後にある<隠れた貌>の秘術を獲得するためだった(なんだかナチスカタリ派の宝物を求めたのに似ているな)。最終的に、信長は<隠れた貌>を能登半島の岬に追い詰めたもののそこで撤退した。しかし<隠れた貌>は壊滅的な打撃を受けたと同時に、秘術をまとめた巻物を失う。
 爾来300年が経過。ようやく組織がおおきくなったところで、<隠れた貌>はこの国および世界の制圧をもくろむ。彼らの暗躍はようやく政界および軍部に浸透する。意図するところはこの国の威風を世界になびかせること。中国侵略を手始めに、ナチやファシストと手を結び、太平洋の諸国を制圧することを政策にすることに成功したのだった。
 この構想を笑うことは可能であり、作者がこの国に生まれたものであればそうするだろう。しかし、アメリカの作家がこの国で生活することなく、主に書物だけでこの国の歴史、風俗、考え方などをここまで正確に書いたというのであれば、それは称賛に値する(物語が要求するためとはいえ、昭和20年7月末に東京から広島まで一夜で移動できた、しかも憲兵隊に反逆した浪人が、というのはいささか勇み足にはなるが)。しかも主人公は日本人であり、彼の倫理(「忠」と「義」が彼の行動原理であるとする)に共感を示しているのだ。時代は1927年から1945年までであり、この国の15年戦争が拡大している様を描いている。やはり、悪を成すのはこの国の政策と軍隊であり、それらによる虐殺行為が語られる。とはいえ一方的に黄禍論を唱えるのではなく、東京大空襲や二都市への原爆投下についてはアメリカに責任があることを言明し、真珠湾の奇襲がルーズベルト以下政策者の思惑により事前に情報を察知しながらあえて現場に伝えなかったこと(それにより国内の孤立主義者を戦争参加に巻き込むためだ)などを記載する。作者はフェアである。
 <隠れた貌>は226事件を画策して、皇道派を一掃し、彼らの息のかかった政治家と軍人を御前会議の参加者にする。柳条湖事件以来得意の電撃戦により初戦の勝利を得るものの、準備の整った米軍に次第に追いつめられる。にもかかわらず彼らが戦争継続をするのは<幻視者>の伝える予言が彼らの勝利(太陽よりも輝かしい白い光)を確信させるのであり、失われた秘術は広島の古寺で発見される。「黒い風」と呼ばれる秘術はかつて元寇で敵方を殲滅したのであるが、広大な戦域では効果が少ない。あせる<隠れた貌>は秘術の完成と本土決戦を目指す。
 この<隠れた貌>の主張と行動はこの国から見た時の思想の異形なのであり、黄禍論の裏返しの見方なのだ。書かれた当時(1988年初出)にはアメリカの経済は落ち込んでいて、ジャパンバッシングがさかんにかの国では論になっていたのだった。自動車産業の街では不況により労働者は馘首され、ときに不安な労働者は日本車を叩き壊すパフォーマンスで溜飲を下げていた。なので、この<隠れた貌>はこの国の「エコノミック・アニマル」の象徴であるとみなせるかもしれない。そのような見方も可能な中で、上記のようなフェアな視点は作者の心意気を示すもの。

黒い風〈上〉 (扶桑社ミステリー)

黒い風〈上〉 (扶桑社ミステリー)