odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ウィリアム・マッギヴァーン「緊急深夜版」(ハヤカワポケットミステリ)

 「緊急深夜版(Night Extra)」はたぶん朝刊の号外みたいなこと。朝刊の一面を作り終えたころに、事件が入ってくると至急作り返さないといけなくなって、新聞社の全員(記者から写真の現像担当から活字ひろいまで)を緊急招集してことに当たらないといけない。もしかしたら、このタイトルは市政の腐敗が明らかにされたので、市民全員が緊急集合して対処せよというメッセージになるのかしら。

 1945年から12年間市長の変わらなかった町がある。街の後ろにはギャングと戦前からの大手の企業が手を結んでいろいろ不正をしていた。誰もが知っている(らしい)が、変革が期待できず、市民は鬱屈している。そこに、久しぶりに革新派、民主主義を旗印にする弁護士あがりが立候補した。選挙の2週間前に、この候補者はホテルで泥酔した状態で発見され、部屋にはクラブの歌手が暴行され、絞殺されていた。たまたま新聞社の記者ターレスが現場に電話すると、現場から逃げた男がいることを知る。しかし、その証言は握りつぶされ、候補者は殺人犯として拘置された。ただ一人その情報を知っている記者は警察、市長、新聞社の編集長にその話をもっていくものの、誰も聞かない。さらに、現市長は駐車場建設計画を立案しては、立地を変えることにより、どうやら新興のある会社に莫大な利益をもたらしているらしいことを知る。このままでは市政の腐敗はなくならない。ターレスは死亡した歌手の友人と知り合いになり、独自に調査を始める。唯一の証言者で、定年を控え年金をもらえることを楽しみにしている警官は強制的に休暇を取らされ、記者が会った直後に自殺してしまう。さらには、歌手の愛人の愚連隊につけまわされ、痛い目にもあう。しかし、不屈の闘志をもつ記者はへこたれない。
 マッギヴァーンを読むと、元気といっしょに、沈鬱な気分にもなってしまう。問題は正義を実行することだ。この場合の正義はシンプルで、市民(さて、作者にとってどこまでが視野にはいっているのだろうか。マイノリティや貧者への共感は乏しいように見える)の不利益になることを行わない、そのような行為を弾劾し、不正を許さないということだ。この正義の影響力は作者の考えの中では、どこまでも通用するものらしい。彼の正義の主張を聞くものは、その場では拒否するものの、数日置けば自分を反省し、正義の立場に転身する。街のギャングといっしょにダミー会社を通じて利益を受けてきた街の有力者で資産家はのちに自分の不正を告白するし、ギャングに脅されてきた歌手の友人の娘は証言に立つことを受け入れる(そのために誘拐されるが、それはこの小説の中では恋愛が成就するための味付けになる)し、年金を当てにして市長に抑えられてきた警察の幹部も自分が不利になることを自覚して不正を捜査することになる。こういう参加型の民主主義であれば、誰もが健全であるのだ、そうならないのは圧力があるからとか、今日と明日の食い扶持に不安があるからなのだ、だれもが勇気を持っているのである、最初の一歩を踏み出せ、というのが作者の主張。たとえば、映画「スミス氏都に行く」のような主張と同じことが語られる。1957年初出の数年前にはマッカーシーズムという言論弾圧があって、自由に物申すことの難しい状態があっただけに、この主張は新鮮だったのだろう(マッカーシズムの中でミッキー・スピレーンのアクション・ハードボイルドがはやったのはなぜだろう。彼も正義のために、拳銃と暴力を振るったのだった。抑圧に対する代償?)。
 問題があるとすると、民主主義の実現はこのような個人の善意というか正義感に依拠するだけでいいのか、ということ。良心の呵責に責めさいなまれて改心するということに期待することは重要だけど、だれもが改心するわけではないからねえ。途中には、この街の不正にあきれて、町を見捨てた知識人たちが出てくるのだが、同じことがおきないかい。誰もが、この街を主人公の記者と同じように愛している、正義の実現のために自己の不利益になることをあえて受け入れるというわけではないのだし。ボランティアだけでは社会起業は成功しなくて、参加する仕組みと、成果とパフォーマンスを評価する仕組み(おまけに継続的な収入が得られるマネジメント)が必要ではないかしら。
 さらには、名前だけがでて、人格のよくわからない候補者を市民が選択したとして、彼が民主と正義の政治をこの街で行うかは不明であること。組織的な不正をする前市政よりはましだから、政権を取り替えることが有効なのだろう(あちらの国では市政においても市長が別の政党になると、市役所の幹部は入れ替えられることになっているのだし、新聞社や警察で不正を告発し、市政を改善しようという運動が起きているから、まあ前よりはよくなるのだろう)。仮に候補者がダメなら、また別の市長を選べばいいということか。このクソッタレで(変革の手続きがややこしいということと多数が参加しないと不正がはびこるというのが面倒なのだ)大事にしないといけない民主主義を実現するというのは凡庸で困難なことを繰り返すことであるということか。
 本を閉じた後に、思いはこの国の在り様に帰ってくるので、元気と沈鬱のふたつの感情が湧き出てくるのだ。