odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

山本周五郎「寝ぼけ署長」(新潮文庫)

 発表は、各短篇にあるように戦後すぐだが、舞台は戦前。wikiによると内務省時代の官職などがでるという。

五年の在任中、署でも官舎でもぐうぐう寝てばかり。転任が決るや、別れを悲しんで留任を求める市民が押し寄せ大騒ぎ。罪を憎んで人を憎まず、“寝ぼけ署長”こと五道三省が「中央銀行三十万円紛失事件」や「海南氏恐喝事件」など十件の難事件を、鋭い推理と奇抜な発想の人情味あふれる方法で次々解決。山本周五郎唯一の警察小説。

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 連載当初は作者名が伏せられていた。内容もさることながら、だれが書いたかも評判になっていたという。秘密が漏れたのが乱歩あたりからという(解説)のが愉快。

 

中央銀行三十万円紛失事件(『新青年』1946年12月号) ・・・ 土曜日に禁固に入れた現金が月曜の朝に亡くなっていた。寝ぼけ署長は土曜日のできごとを詳細に話せと言う。それを5回繰り返した後、支店長に「犯人をつきだすか、金が戻るのか、どっちがいい」と尋ねる。超法規的処置が中央の権力の届かないところでは成立してしまう。

海南氏恐喝事件(1947年1月号) ・・・ 街の資産家・海南氏に恐喝状が届く。相手は、かつて海南氏を助けのちに放置した吉田氏の一人息子。その息子は海南氏の娘に求婚している。相談をうけた署長はなぜか捜査に乗り気ではない。恐喝の期日に署長は「私」を張り込みに派遣する。

一粒の真珠(1947年2月号) ・・・ 街の名家である中沢家で娘の真珠が盗まれた。嫌疑は女中のお杉にかかる。娘は中沢家が反目している沖浦家の息子と最近恋仲だという。署長は町のレストランに親を招待する。

新生座事件(1947年3月号) ・・・ 実力はあるが人気のない新劇の一座が興行にやってきた。女優から「私は殺される」という手紙が署長に届く。緊張のなか、殺人がある劇が始まるが不入り。新聞に大きな記事がでる。

眼の中の砂(1947年4月号) ・・・ 長屋の取り壊しがあると住人が署長に陳情にきた。成金の鬼徳が土地をかったというのだ。鬼徳の息子が出奔しようとするのを署長は引き留める。いくつか手を打った後、署長は新聞記者を引き連れて、鬼徳の家に向かう。

夜毎十二時(1947年5月号) ・・・ 半身不随の資産家が殺されると署長に救護を求めに来た。遺言書の公証人になった数日後、青酸カリで毒殺された。夜ごと12時に吸い飲みに毒を入れる何者かが闖入するという。でも家族の者は誰も知らない。

毛骨屋(けぼねや)親分(1947年9月号) ・・・ その町の市は須川組が仕切っていたが、最近横暴になった。夜店をだしているものから、どうにかしてくれと依頼がある。署長は、毛骨屋親分が新しい市を作るので、みな組合員になれという。広域暴力に組合で対抗しようという、労働組合や地域組合の運動を推進する物語。

十目十指(1947年10月号) ・・・ 最近住宅地で盗難、窃盗事件が頻繁に起きる。犯人は屠殺所に勤める男と無学な女に違いない、と高級住宅地の住人は噂する。署長は調べ物のあと、関係者全員と新聞記者を呼んで会合を開く。

我が歌終る(1947年12月号) ・・・ 放蕩者という評判の子爵が密室で殺された。ある女性は尋ねた直後なので、容疑は女性に。署長は子爵の書斎をみて、見かけとは異なる子爵の姿を想像する。

最後の挨拶(1948年1月号) ・・・ 署長退任のうわさが流れて、町では遺留の陳情運動がおきる。そういうのがいやな署長はあえて邪見に。町の時計つくりの名人が行方不明になり、署長は解決するまで留任することにした。

 

 寝ぼけ署長は謎解きも得意だけれど、より熱心に行うのは町内の視察。特に貧乏人の家にいっては問題を聞き出して解決したり街の役所に問い合わせたり。おかげで在任中は町の犯罪件数が激減した。そういう仁政を布いた人。
 なるほど、「探偵小説」「警察小説」と帯には書いてあるが、実際は「遠山の金さん」の現代版か。近代の法治主義官僚主義の中では、寝ぼけ署長のような役職の範囲を超えた仕事をすることはできないし、やってはいけない。寝ぼけ署長の人格でもって自治や治安がまもられるというのでは継続的にならない。このあと内務省の密命を受けた署長が転任してきたら、この街がすぐに恐怖政治になりかねない(「毛骨屋親分」にあるように、街にはやくざがはいりこんでいて、市長などに顔をきかせるのだから)。
 寝ぼけ署長のような存在がありうるとしたら、アメリカ19世紀の開拓時代の保安官だろう。このときは市民が金を出し合って保安官を任期付きで雇う。保安官のやりかたはたいてい大目に見るが、無能や横暴があれが解任する。寝ぼけ署長の仁政は市民による解任の権利があって初めて成り立つもの。それがないのに、寝ぼけ署長の人格に期待するのはダメなのよ。それに寝ぼけ署長の解決は時に犯罪の隠ぺいになり、責任をとらせない。こういうのもダメ。
 発表年をみれば、乱歩ほかの同時代の探偵小説作家の言及がありそうだが見たことがない。同時代を生きた九鬼紫郎が編纂した「探偵小説百科」にも言及なし。なので、「寝ぼけ署長」の存在をずっと知らなかった。みかけは探偵小説であっても、法治主義や合理主義を持っていない「寝ぼけ署長」は探偵小説ではないと思っていたのかしら。解説の中島河太郎も同じことを言っていた。

「『寝ぼけ署長』の連作は著者の唯一の探偵小説といってよいが、探偵小説であるよりもまず山本周五郎でなければ書けぬ作品を、探偵小説的構成を借りて表現したものといえよう(P388)」

 でも、日本人は人徳のある治世者を上にいただき、庶民のすぐ上にある「悪」をさらに上の統治者が叱るという物語が大好き。遠山の金さんに大岡政談に、暴れん坊将軍に、あまたある時代劇の将軍落胤の主人公とか。直上の小権力の悪を上位の権力に押さえつけることを期待すると、権力の強化になる。悪代官が処罰されても、次に赴任する代官はより狡猾になるだろうし、上位の権力は別の無理無体を押し付けるだろうし。結果、ますます自由と平等が侵害されていく。そのあたりのトレードオフを考えない浅はかな行為。おかげで、組合を作って協力し合うとか、むしろ旗をおしたてて陳情するとか、不正の統治者を「革命」で退治するとかの話を作らない。民主主義と自由主義と抵抗権の思想の系譜がないんだよね。
 加えて、清貧にあるものこそ心が美しいとか、犯罪は自堕落な生活からうまれるとかの処世訓で、社会問題を横においてしまうメッセージもつまらない。現状維持と自助努力のすすめは、権力の腐敗を止められない。社会の不正や格差に内も言わないように誘導してしまう。
 達意の文章とストリーテリングと会話の妙で読んで飽きないのだが、読みおえるといかにも日本的なところが気になる。作者の名前は昔から知っていたが、ついにここまで読まなかったのは作品の保守的なところに勘がはたらいたせいか。今後も読まないだろうな。

    


(作者の小説はいくつもの映画の原作になっている。見たことがあるのは、黒澤明椿三十郎」「赤ひげ」「どですかでん」、岡本喜八「斬る」、だれかの「ちいさこべ」など。これらを見て、上のようなことに漠然と気付いていたのだろう。)