「2001年宇宙の旅」のディスカバリー号はオタクの天国だよなあ、と妄想していて、ではリアルではどうなのかを考えていたら、それに近いのは南極観測隊だと連想した。あそこでは、冬季になると外部からの資材が届かなくなるし、以前は連絡もなかなかつけにくいものだった。でも、南極観測の具体的な内容がわからない。ウルトラQの第5話「ペギラが来た」1966年は当時の雰囲気がよくわかるが、あくまでフィクション。
そこで、書架をのぞくと、タイトルの本があった。
これは昭和31年1956年の第一回越冬隊の記録。輸送兼観測船の宗谷の航行中、船内の隊員の親睦のためにほぼ日刊で作成していたガリ版刷りの新聞。隊員に好評であったのと、第一回の記念(かつ事件付)であったので、のちに復刻されたのだった。全部で3巻だが、上巻しか手元にない。中巻、下巻は入手しずらそう。上巻は出港からシンガポール経由ケープタウン到着まで。
観測隊隊長は山岳登山でも有名な西堀栄三郎で岩波新書に越冬記録を書いている。報道班に田英夫がいるけど、のちの国会議員かしら。
これをみると、南極観測隊はオタクの天国という幻想はすぐさま放棄しなければならない。6:30朝食、18:00夕食。食事は25分以内に完了しなければならない。飲料水、電気の節約が叫ばれ、使用量は厳しく制限。食事時間以外は観測班にしろ船員班にしろぎっちぎちのスケジュール。で仕事に追われる。空いた時間には船内の整理、犬の世話などがはいり、のんびりする暇がない。空調は不全で室内は気温を超え、赤道付近の日射はデッキを焼く。東映、松竹、東宝の差し入れで28本の映画があるが上映するのは週2−3回。本はあってもすぐさまぼろぼろに。男所帯はきままなのものよ、といいながらも、相部屋の二段ベッドの中くらいしかプライベートはなく、130人が狭い艦内に閉じ込められる。なにしろ自室にこもれるのは病気や怪我の時だけ。
当然のことながら無人のごとき艦内でジョギングをしたり、日焼けマシンで優雅に過ごすという時間はほとんどない。現実はこういうもの。自分の知り合いには第何十次だかの越冬隊に応募して、一年を過ごした猛者がいるが、自分は御免こうむります。とてものんきにオタクの天国を満喫するわけにはいかない(孤独と集団生活に耐えられないというのもあるが、南極で研究するテーマを持っていないのだ)。
面白いのは、観測班と船員班がぎすぎすしないように船長・観測隊長以下が気を使っていること。なるほど観測班は大学や公的機関の研究者が志願応募してきたエリート。船員は海上保安庁の公務員で、なかには高卒隊員もいるか。任務や使命が異なり、学歴も違うし、都会生まれと田舎育ちが混在する中、みなが協力、共同できるようにするのが重要。こんな狭い船内で喧嘩沙汰が起こり、班同士や班内で対立、不和が起こると船が自滅しかねない。そういう苦労が現実の集団運営には起きる。これはヴァン=ヴォークト「宇宙船ビーグル号」にもスタートレックのエンタープライズ号にもヴェルヌのノーチラス号にも描かれないので、十分に注意されたい。これが数十万人の搭乗員のいる恒星間宇宙船になると船内に階級が生まれて反目や闘争が起きることもあるけど。ヴァン=ヴォークト「目的地アルファ・ケンタウリ」を参照。
時代は1956年で、サンフランシスコ講和条約の4年後で、同年に国際連盟にこの国が参加することが承認され、南極観測も国際協力事業の一つでそこに参加するのは気張ることだった。敗戦のあと占領され、独立国とみなされていない国が国際舞台にようやく登場するのだから。船長や観測隊隊長の訓示も肩に力を込めたものだった。
あと戦後11年目というのも注目。参加者の中には兵士や士官として、南シナ海、インド洋を体験したものがいる。戦中の昭和19年、イギリス空軍の空襲におびえるシンガポールに派遣された隊員がいるくらい。ケープタウン上陸の際にはアパルトヘイト政策で日本人は「カラード」になるから十分注意されたしという記事があるのも、この時代の緊張感をうかがえる。
宗谷は戦前に作られ、戦中に物資・人員を運ぶのにつかわれた老朽艦。急遽ヘリポートを追加して観測船に仕立て上げた。砕氷能力に乏しいうえに船内装備は貧弱。この年の南氷洋の氷は厚く、宗谷では砕くことができない。越冬基地に必要物資を送ることができなくなる。宗谷自身も危うく遭難するところをソ連の観測船に救出される事態になる。計画は中止になり、越冬基地に派遣された十数名の隊員を回収するのがやっとのこと。樺太犬20頭は放置された。翌年再訪した際に、全滅したと思われたところ、タロとジロの二匹が生存しているのが発見された。越冬計画の失敗を補うほどの賞賛をこの二匹は獲得し、映画になった。