odd_hatchの読書ノート

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ヘンリー・カットナー「御先祖様はアトランティス人」(ソノラマ文庫)

 「読書の快楽」角川文庫1985年で紹介されたときには、すでに絶版品切れで入手に苦労した一冊。
 ヘンリー・カットナーは1930年代から活躍したパルプ雑誌専門の短編小説家。いくつものペンネームを使って大量の短編を書いたが、44歳で早世。完成度とかワンダーへのこだわりはなかったようで、死後は忘れらているようだ。この国の紹介も数冊しかない。その中ではこの一冊はよく知られているほうかもしれない。クトゥルフ神話のたくさんの書き手のひとりだったらしいので、あるいはそちらのファンにはなじみかもしれないが、自分はこの方面は詳しくない。

御先祖様はアトランティス人 1949.6 ・・・ 30年前にニューヨークの地下鉄で魚の目を踏まれたので復讐したい!とヤンシー爺さんが頼み込むものだから、お隣のアトランティス人の家族は知恵を振り絞る。ヤンシー爺さんのいうように復讐先はわからないから2,259,059,919人の全人口(当時?)すべての前にヤンシー爺さんの複製を立たせることにした。そしたたとんでもないことになって。舞台は南部あたりの田舎の農家一室。でもそこに世界の全人口とアトランティス人の末裔がいっしょくたになって……壮大なアメリカのほら話。原題の「See you later」のほうが小説にあっているが、日本語にするのは難しそう。

銀河世界の大ペテン師 1950.2 ・・・ アルデバラン人相手のサギがばれて、宇宙船に逃げ込む。無賃乗車するつもりでいたら、そこにはなんとサギのカモがいた。とりあえず星につくまでは大丈夫とはいえ、莫大な乗車券代金を払わなければならず、逮捕を免れない。退屈な船の中で、最初に売れたスフィジーの果実の中にある種の数を当てるという賭けが行われることになった。サギ師はそこにつけこむことにして。背景にはスペースオペラの広大な世界が横たわっているというのに、手狭な船の中だけで話が進むというほら話。コンゲームの仕掛けが楽しい。

ジュークボックスのお告げ 1947.2 ・・・ そのバーにあるジュークボックスに、孤独で寂しい男が近づくと彼のためにぴったりの歌詞の歌を流す。たまたま映画会社の重鎮とであった男はジュークボックスの助けを借りて、ヒットソングをつくれたが、恋人と一緒にバーに行くとジュークボックスは何も語らない。当時のヒットソングがパロディになっているのだろうけど、70年もたつとわからない。「アクセンチュエイト・ザ・ポジティヴ、エリミネイト・ザ・ネガティブ(長所を伸ばし、欠点を隠せ)」というのも流行歌のタイトルだったんだ(「ECW:The Rise and Fall」でポール・ヘイマンが口にしていてことわざか何かと思っていた。ポールはエリミネイトではなくハイドとしゃべったので、見当違いかもしれないが)。

金星サバイバル 1943.12 ・・・ 金星との交易のために金銀を持ち込んだが、金星は鉄本位制のうえ、保守的な経済体制。そのうえ特許はがんじがらめ。さて食料のつきそうな地球人たちは、この定常社会で何をできるか。というわけで、地球人が持ち込んだのは効率性のアップ。すべてのイノベーションができない経済において、差異になるのは生産性だけだった(もうひとつ情報速度というのもありそうだが、この小説の設定では実現不可能)。さらに、生産性向上の「商品」は販売していないので、金星の国家や経済体制は地球人のやり口を法的に縛ることができない。地域的な差異とか時間の差異のない経済において、生産性で差異を生み格差を生じさせることで新規参入を図るというわけだ。さて、このやり方、アメリカの新自由主義そのものであるが、21世紀となると新自由主義経済が地元経済を破壊してグローバル化し、格差を拡大・定着するものであると批判されるだろう。実際、地球人は彼らの策略による金星経済と国家体制の変化(もしかしたら瓦解)に無責任であるようだし。

地の底に住む鬼 1941.10 ・・・ 炭鉱の事故で坑道に閉じ込められたクロケットは地鬼(Gnome)になってしまった。どうにか脱出したい。そこで地鬼にストライキを呼びかける。


 解説ではヤンキー気質を全面に出したほら話の作家という評価。そういうものだろうな。この少数の短編では、SFの体裁を持ってはいてもテーマを深堀することは避けて、ほらを吹く方に注力する。たとえば、「ジュークボックスのお告げ」なら「機械からの愛」という魅力的なテーマがあるのにあっさり放置。「金星サバイバル」でも金星の描写は1930-40年代のアメリカ郊外とでもいう場所。SFの枠組みだけ借りて、現代(執筆当時)のアメリカの風俗や社会を描くことに熱心だったと見える。その分だけ時代に密着していて、1940-50年代のSF黄金時代の中心から外れてしまったわけだ。
 古き良きアメリカを思い出すよすがにはなりそうだが、まあ、21世紀には好事家だけが読むのでいい。