odd_hatchの読書ノート

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アラン・B・クルーガー「テロの経済学」(東洋経済新報社) 事実に基づかないテロリストのプロファイリングは間違っている

 1990年以降のテロ事件を分析して、テロの対する我々の思い込みを正す(2007年刊)。

その結論は本文にはかいてないので、日本の編集者の手になると思われるカバーのサマリーをみなければならない。引用すると、

「実証データから明らかになったテロに関する事実
その①テロリストは十分教育を受けており、裕福な家庭の出である傾向がある。
その②社会で最高の教育を受けている人や高所得の職業についている人のほうが、社会的に恵まれない人たちより過激な意見を持ち、かつテロリズムを支持する傾向がある。
その③国際テロリストは貧しい国よりも中所得国の出身である傾向が強い。
その④市民的自由と政治的権利が抑圧されているとテロに走りやすい。
多くのテロリストは、生きていくための目的を持てないほどひどく貧しく、教養がない人たちではない。むしろ彼らはその達成のためなら死んでもよいと考えるほどの理想を持っており、その理想に対する自信を持てるだけの教養もある。そしてその理想に対して、深くかつ強烈な関心を持っているのである。」

 この内容は、過去のテロの歴史(ナロードニキらのロシアのテロリスト、戦前の日本右翼、戦後の日本新左翼、中国のテロリストアイルランドや中近東のテロリストなど)を思い浮かべると自明なのであって、ことさらに驚くことではない。しかし、本書の結論は多くの人には衝撃であったようだ。
 そうなるのは「テロ」の定義が人それぞれであること。とりあえず本書は「非戦闘員を対象に準国家組織または秘密結社によって実行され、かつ政治的意図をもって事前に計画された暴力行為であり、通常は広く一般聴衆(ママ)に影響を及ぼすことを意図するもの」というアメリ国務省の定義を採用する。ある程度の限定をつけないと議論が散漫になるし、データを取る際に支障がある。この定義では政治的要人の暗殺と組織的大量虐殺は除かれる。特定の個人または集団を標的としており、一般市民にメッセージを伝えようとしないからなのだ。にもかかわらず、政治家の暗殺は通常テロとされることがある。暴力行為の政治的なメッセージと恐怖感の伝達がその理由だろう。
 かわりに、テロではない行為とは何かを考えることがテロ認識に有効となりそうだ。たとえば、暴動や騒乱、略奪はテロではない。これらは事前の計画はなく、実行する人々につながりはなく、一般市民にメッセージを伝えようとしていないからだ。あるいは他人を巻き込む自殺もテロではない。多くの自殺者は過激な意見(観念)や組織への献身を目的にしていないからだ。
 本書の第3章ではテロの効果を測定しようとする。経済的指標、株価、世論調査などでテロがどの程度効果を及ぼしたかをみる。これは研究の緒についたばかりであって、大きいとも小さいともいえない。著者の考えではテロは破壊や混乱などを目的にしているのではなく、投票行動とおなじような政治的メッセージを伝えることにあるという。テロが起こりやすいのは「市民的自由と政治的権利が抑圧されている」ところであって、テロ以外にメッセージを伝えられないと彼らが考えるからなのだ。
 そうすると、重要なのはテロが起きたときの政府や国家がどのような反応をするかにある。通常は恐怖の拡散であり、テロ実行者と同じ属性を持つ人たちの抑圧と彼らへの差別扇動が同時に行われる。むしろこちらによる影響のほうが大きいのかもしれない。著者はテロとヘイトクライムは似ているという。いずれも法執行が崩壊しているところで起こるうえ、上の定義はヘイトクライムにも当てはまる。マイノリティの集団や秘密結社の起こすテロを恐怖と煽ることは、マジョリティがマイノリティにヘイトクライムの実行を扇動することと表裏一体なのだ。じっさいに、911のあと、アメリカと西ヨーロッパでヘイトクライムが増えた。さらに、極右と差別扇動集団が勢力を増した。
 テロを貧困と無知の問題と決めつけ、監視と警備の強化と教育で対応するというのは、現在の抑圧構造を押し付け強化することになりかねない。それでは無関係なマイノリティ(移民や難民を含む)をさらに危機にさらすことになる。なので、本書にあるような経済的利害や心理的効果などを分析してそれに基づく科学的な対応が必要なのだ。いまの対応では、テロを口実にした抑圧と差別の強化になっている。
 章立て。
第1章 誰がテロリストになるのか―テロリズムへ参加する個人の特徴
第2章 テロリズムはどこで発生するのか―経済的・政治的条件とテロリズム
第3章 テロリズムは何を成し遂げるのか―テロリズムの経済的・心理的・および政治的帰結