odd_hatchの読書ノート

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モーリス・ルブラン「リュパンの冒険」(創元推理文庫) 大人気になったリュパンは早速舞台に登場。ソーニアはリュパンがほれるのも当然と思える魅力的な女性。

過去10年間フランス警察を手こずらせてきたリュパンは、いまや一種の国民的英雄の観を呈するに至った。シャーロック・ホームズも名刑事ガニマールも、ことごとくリュパンの前に敗北を喫している。そのリュパンが、今度はシャルムラース公爵の居城にある古美術品に目をつけた。不敵なリュパンの挑戦に応じるフランス警察。火花を散らす攻防!
リュパンの冒険 - モーリス・ルブラン/南洋一郎 訳|東京創元社

 普段と異なるのは、もともとは4幕の舞台劇としてかかれたものを、小説化したこと。舞台劇の脚本にはある作家が関与し、小説化にあたっては別の作家の手を借りている。1908年という時代を見れば、映画はまだ黎明期で観客はほとんどないにひとしく(大観衆を集めるようになるには、格安映画館の業界殴りこみを待たなければならない。たぶん1910年以降)、人気のある小説はまず舞台化されるのであっただろう。おそらく長編は「リュパン対ホームズ」くらいしかなく、あとは「怪盗紳士リュパン」のいくつかの短編のみというのを考えると、この人気は尋常ではない。なるほど暦は20世紀を示していたとしても、西洋の国家体制と経済は安定していて、それがゆえに退廃の気配が濃厚であるとすると、人びとがこの犯罪人にして国境をいつでも越境し共同体のモラルを挑発する貴人、しかしヒューマニズムインターナショナリズムを持ち合わせる奇人に喝采を示すというのはうなずけることであるものか。
 さて、事件は田舎のグルネイ・マルタンという億万長者のもとに古美術を盗むという書状が届くところから始まる。あたふたするマルタン氏にはジェルメールという意地の悪い高慢な娘がいて、シャルムルース公爵を結婚するばかりになっていた。この公爵は生まれてからう一度も仕事をすることなく、南極探検その他に精を出すという高等遊民であった。また、マルタン家にはソーニアというロシア生まれの侍女がいて、ジェルメールのわがままに耐えている。第1幕は、この家を舞台にしたドタバタ。シャルロイなる怪しい男が手癖の悪い息子を連れて車を売れといいに来るわ、リュパンは明日パリ本宅の宝を盗むと手紙がきたのであたふたとでかけるが列車はないわ、おりからの嵐で全員ずぶぬれになるわ、と大騒ぎ。第2幕はマルタン氏のパリ本宅。いち早く到着した公爵の手配で警察官が捜査に乗り出し、嫌疑はソーニアと家政婦ヴィクトワールにかかる。第3幕では、ソーニアの本心(孤児で育ったのでジェルメールが憎いとか、金がないところを悪漢に陵辱されるところを逃れてきたとか、盗みで生きてきたとか)を公爵が聞き、心憎く思うようになる。捜査の結果、今度は公爵自身に嫌疑が及び、逮捕の直前で館を抜け出す。第4幕は、リュパンの隠れ家。公爵がリュパンその人(公爵本人は冒険旅行の途上でリュパンに見取られた)であり、これまでに現れた怪しい男はその手下である。ヴィクトワールはリュパンの乳母であり、その後のリュパンの冒険の心ならずも従うことになる(「水晶の栓」、「813」とか「棺桶島」)。ついに名刑事ゲルシャーるの追求にリュパンは逃げることもかなわなくなるが、ソーニアが愛を告白することにより、俄然元気を取り戻す。
 舞台劇の小説化したことにより、ストーリーの展開が停滞することになるという欠点があるが(たとえば第1幕にあたるマルタン家の場面はおよそ100ページを使って6時間たらずのことを描く。その間、邸宅の一室からでることはなく、人物が交互に入ってきては長い会話を交わす)、一方、人物描写は目がつんでいる。細かい行動や生き生きした会話の応酬が描かれることにより、人物がぐっと深みをましてくる。他の長編ではストーリの素早い転換に作者が心奪われて、細部の描写がなおざりにされるのであるが、そのような不満はここにはない。なので、自分は飽きることはなかった。
 というのも、ここに登場する二人の女性がとても生き生きとしているのだった。まずソーニア。リュパンはたいていの長編でだれか可憐で清楚な女性にほれるものだが、たいていどんな女性なのか想像するのも困難なほど類型化している。でも、このソーニアはよい。リュパンがほれるのも当然と思える魅力的な女性。こういうリュパンを狂わす女性は「八点鐘」のオルタンヌくらい、別の点で「カリオストロ伯爵夫人」が印象的なのだが、それを圧倒していると自分は思う。あとはリュパンの乳母ヴィクトール。母の代わりとして登場し、唯一リュパンに説教というか文句を言うことができる女性。リュパンも心安く思うのか、第4幕では思い切り甘えて、自分の失敗に照れたり、未来の成功を熱っぽく語る。「母」の不在というのは、リュパンシリーズによく出てくるテーマであった(と思うのだが、よく思い出せない)。後の作になると「母」代わりになる人物は登場しなくなり、その分リュパンの心理は硬直していくようであったのではないかしら。母と妻のいないリュパンは、ほれた女性に対して「父」とか「教師」としてしか接することができなくなっていく。まあ、この作だとリュパンの若さは微笑ましい。変幻自在の変装ものちの芝居がかるようなところはなくて、必死さが伝わるくらいにまじめに行っているからね。