odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

モーリス・ルブラン「ルパンの告白」(旺文社文庫) ルブランは、デュマ、ユゴー、ガボリオに続く新聞小説の大家

 前回と版と訳を変えて再読。短編は1911年から1912年にかけて雑誌に発表された。前回の感想は下記。サマリーはリンクをみてください。

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「太陽のたわむれ」 ・・・ ルパンと語り手が見たのは太陽光を鏡で反射させたあいず。逃げ出そうとした犯人が大金を隠した金庫を開けるカギがあいずに隠されていた。

「結婚指輪」 ・・・ 6年前に渡した手紙に書いた約束を果たすというのが現代の騎士物語。ルパンもミンネを捧げた淑女には手も触れない。

「影の合図」 ・・・ 1794の謎を1911年に解く。社会の変化が今よりゆっくりしていたので、宝探しは成功した。

「地獄の罠」 ・・・ 解説者は窮地を脱するルパンに関心を向けるが、自分は監禁犯の妄執に震える。サイコパスの元祖(の一人)。

「赤い絹のスカーフ」 ・・・ ルパンがガニマール警部に話したのは、キャバレーの歌手がナイフで刺されスカーフで首を絞められて殺されたこと。手にはスカーフの半分が残っていた。ルパンは事件が解決したら残りのスカーフを渡すと取引した。
2010/11/04 江戸川乱歩「世界短編傑作集 1」(創元推理文庫)

「うろつく死神」 ・・・ 創元推理文庫では「告白」ではなく「怪盗紳士リュパン」に収録されている。そのために最後にでてくる「赤い絹のスカーフ事件」の意味が分からなくなってしまった。本書の収録順だと、前の作であることがわかる。木陰で美少女とルパンが出あう、深夜に悪漢が襲うのを待ち伏せするなど、マンガやアニメの原型。
2011/02/19 モーリス・ルブラン「怪盗紳士リュパン」(創元推理文庫)

「白鳥の首のエディス」 ・・・ タイトルは盗まれたタペストリーの名称。ガニマール警部は頑張ってルパンのたくらみを見事に見抜いたのに、詰めが甘かった。残念。(前のサマリーで「停電」と下の誤りで、警報機が大音量で鳴ったのが正しい。)

「麦藁のストロー」 ・・・ 傑作。

「アルセーヌ・ルパンの結婚」 ・・・ 抑圧された女性が現状から脱出する冴えたやり方。

 「赤い絹のスカーフ」「麦藁のストロー」 がずぬけているが、「太陽のたわむれ」「うろつく死神」も読ませます。

 

 旺文社文庫で読み直したのは、松村喜雄の解説を読むため。このフランス文学研究者(とくに19世紀の大衆小説に詳しい)によると、フランスの探偵小説は英米とは異なる仕方で発展したらしい。
 すなわち、英米では探偵小説は雑誌に短編を発表するか、長編を連載するかだった。エドガー・A・ポーやディケンズ、ドイルをみれば、この経緯は分りやすい。しかし、フランスでは1830年代からの新聞小説の流行があった。きっかけになったのは1828-29年に連載されたヴィドックの「覚書(メモワール)」。ナポレオンの秘密警察の一員から警察庁長官に上り詰めた男が、犯罪や政界の裏話などを冒険小説風に書いた。それが大当たり。多くの作家が模倣した。新聞小説の最初期のヒット作はデュマの「モンテ・クリスト伯」(1844年から1846年)。これが大当たりになり、新聞社と作家を大いに潤した。もうひとつのヒット作で現在に残るのが、ユゴーの「レ・ミゼラブル」1862年)。新聞小説の特長は、毎日同じ文字数の小説を連載し、読者の期待をつなぐための工夫が必要で。論理性は求められず、細かい伏線を貼って最後に回収するようなテクニックは読者が好まない。ロマンスや家庭内劇、史実に沿った伝奇小説であることが望まれた。そういう制約がある中で、新聞小説が書かれた。
 1860年代の流行新聞小説家がガボリオ。犯罪物は当時よくある題材だったが、そこにタバレ氏やルコック氏などの探偵を登場させ捜査の過程を描いたのが新しかったのだろう。結果として、エドガー・A・ポーの作った短編探偵小説にとても近い長編を作ることができた。でも読者の興味は推理ではなく、事件の因果を語る伝奇部分だった。なので「ルコック探偵(1869年)」その他の長編では、事件解決後に語られる前日譚のほうが分量が多い(し、そちらの方が面白い)。この構成を継承したのが、コナン・ドイルの長編。20世紀以降の目からすると、ずいぶん偏頗な構成はガボリオの長編にならったため。
 20世紀に入ってからの流行新聞小説家は、モーリス・ルブランガストン・ルルー。前者のルパン(現地発音に近いのが「リュパン」なんだそう)も新聞小説として書かれて人気を博した。後者のルルタビューユ探偵小説もシリーズ探偵として多くの長編が書かれたそう。またルルーにはルパンを意識した「怪盗シエ・ビビー」というシリーズもあるそう。
(脱線すると、ルルーの「黄色い部屋の謎」は密室トリックが有名であり、その心理的錯誤に感心することが多い。今回、ガボリオやルブランを読んで感じたのは、ルルーの密室トリックは20世紀の論理主義や科学的正しさに基づく発想からは生まれていないということ。クイーンやカー、ヴァン・ダインのような厳密さをもとめるものではないのだ。というのは、フランスの新聞小説の家庭内劇では、女性は男性に抑圧され鬱屈している。強い父権制のために過去の恋愛が発覚することを恐れている。そのために、女性はしばしば夫や子供らに隠し事を持っている。そこに事件が起きて、過去の恋人や許嫁がいたことが解りそうになると、強いストレスを感じるのだ。そのようなシーンはガボリオやボアゴベに何度もある。ストレス性のヒステリーで失神することもしばしば(体を強く締め付けるコルセットが失神を促す)。ルルーの密室トリックは19世紀の女性抑圧とヒステリーの流行から生まれたのだとみる。フランス新聞小説の流れの中で出てきたアイデアガボリオやボアゴベの発想の系譜にある。英米機械的なトリックとは別の発想なのだ。)
(ルブランはルパンものを流行らせるために、ホームズを自作に使って人気をあおったそう。初期の作に登場するのはそのため。ホームズパロディはドイル存命中からたくさん書かれていたので、ルブランの創意というわけではない。たいていは変名にしていたが、ルブランはそのまま登場させたので、さすがにドイルの知るところになり、抗議されて単行本では別名にした。)
2010/11/09 押川曠 編纂・翻訳「シャーロック・ホームズのライヴァルたち 1」(ハヤカワ文庫)
2011/02/16 モーリス・ルブラン「リュパン対ホームズ」(創元推理文庫)
 新聞小説1920年代でおしまいになる。映画ができて大衆的な娯楽になり、連続活劇映画に人気がうつったのだ。新聞小説の命脈を断った映画のヒーロー、ダークヒーローの一人が新聞小説由来の「ファントマ」だった。なんという皮肉なできごと。
2011/06/03 久生十蘭「ジゴマ」(中公文庫) 1937年

 

 という具合に、フランスの探偵小説は英米とは別のルーツと系譜を持っていた。そこには新聞・出版業界の違いがあり、読者の嗜好にも隔たりがあった。どうしても、探偵小説はエドガー・A・ポー→ドイル→チェスタトンヴァン・ダインとクイーンとクリスティという純粋推理の系譜でみたくなる。しかし新聞小説や雑誌連載という形態をみたときには、こちらの系譜は傍流なのがわかる。主流はガボリオ、ボアゴベ、ウィリアムソン夫人(「灰色の女(幽麗塔)」)、ルブランのような犯罪と冒険とロマンスのほうにあった。それが1920年代(WW1のあと)にいっせいに消えて、本格推理に人気が移った。西洋諸国の都市化や電化、映画やラジオの流行という娯楽文化の変化などで説明できるだろう。あるいは、WW1のあとの死生観の変化もあるかもしれない。
 この本格推理はおよそ半世紀は命脈を保ったが、これも社会や文化の変化で衰退しつつある。そこでふたたび冒険とロマンスを探偵小説やミステリに取り入れるようになった。おれのようなレトロマニアからすると、19世紀回帰のようなのだよなあ。

 

 

〈参考エントリー〉 フランスのミステリ学。

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英米中心の探偵小説史。

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