odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ソポクレス「オイディプス王」(岩波文庫) 〈この私〉は探偵であり、被害者であり、証人であり、犯人です。自己を探索すると必ずこれを発見します。

 テバイの都は危機に瀕していた。疫病、飢饉、家畜の死。都市の豊饒さが失われ、民が貧困に苦しむ。このようなとき、王はすべての責任を負わねばならない。そこで、テバイの王オイディプスデルポイの神託を聞くことにした。

プロロゴス ・・・ ここで明らかになるのは、テバイに罪びとがいるため。それは先王ライオスの弟クレオンが語るに、先王ライオスの殺害に関することであると。旅の途中、何者かに襲われ、死亡している。あいにくスフィンクスの危機もあったため、下手人の捜索は満足に行われなかった。

第一エペイソディオン ・・・ オイディプスは犯人に名乗り出ることを勧める。そうしない場合、犯人は都市から追放され、その血筋が絶えるまで呪われるであろうと宣言する。予言者が現れ、都市の不幸はあなた=オイディプスの不幸であると告げる。実はここで真実はすべて明らかになっている。しかし、物証がなく、有力な証言のないものであったので、オイディプス預言者の説を退ける。

第二エペイソディオン ・・・ オイディプスクレオンを有力容疑者として告発する。クレオンは自分が先王を殺したとしても利益になることはないから犯人ではないと弁明する。二人の口論。そこにオイディプスの妻イオカステが現れ仲裁する。クレオンが退場したのち、イオカステは先王ライオスに告げられた恐ろしい予言を説明する。すなわち、ライオスは自分の子によって殺される運命にある。そこで生まれた男の子に踝(くるぶし)に傷をつけたうえで山奥に捨てることにした。ここでオイディプスに懸念が生まれる。ライオスの死の現場の様子が、どうも自分の若いころに犯した殺人によく似ているのである。そこで、ライオスの従者でたった一人の生き残りで今は羊飼いである男を召喚することを決める。

第三エペイソディオン ・・・ しかし、オイディプスコリントスの王の息子であった。予言とは一致しないことで安堵している。ここにコリントスから死者が到着し、コリントスの王でありオイディプスの父であるポリュボスが死んだことを告げる。そして使者の老人はオイディプスがポリュボスの子ではないことを証言する。すなわち、使者が若い時、山襞深きところで見つけた捨て子を王に差し上げたのだ。その証拠には子供には踝に傷がつけられていた。

第四エペイソディオン ・・・ 羊飼いが到着する。使者は羊飼いが子を捨てた男であると証言する。羊飼いの男はライオスの命令で子供を捨てることになったが、忍びなく、命令を破ってしまった。ついにここにすべてが明らかになる。
エクソドス ・・・ 不気味な沈黙。報せの男が登場。イオカステが縊死した。その死体を発見したオイディプスは妃の留め金を引き抜き、自らの目を突き刺した。繰り返し、何度も。子供たちの不幸を嘆き、クレオンに後事を託して、オイディプスは国を捨て、放浪の旅に出ることにする。


 ここでは探偵小説的な読み方をしたのだが、みごとに彼は探偵、被害者、証人、犯人の一人四役をやってのけた。あるいは怪奇小説的な読み方をすれば、自己探求の果てに自分自身が罪びと、怪物であることを発見するという定石の始祖である。しかも第四エペイソディオンに至るまでの緊迫感は比類がないし、エクソドスのスプラッターホラー顔負けのグロテスク描写があり、子供との別れの悲嘆は極めて深い。どこをとってみても最高級の作品。それが今から2,000年の昔に書かれたことに驚愕する。
 自分はアイスキュロスの悲劇をひととおり、ソポクレスのも5編くらい読んだはずだが、ちっとも覚えていない。長々しい会話にすっかり飽きてしまったのだ。しかし、これだけは違う。現代の読者のように、せっかちで、ギリシャの神話に通じていないし、戯曲の前史を知らないでいても、十分に読み込みことができ、最上のカタルシスを得られる(はずだ、と期待したい)。おそらく、その理由は、謎とその解明がロジカルに行われていること。そしてその謎は神の意思ではなく、またそれを実行するような邪悪な人間の暗躍によるのでもなく、それぞれの場面にかかわったひとたちの善意の積み重ねが恐ろしい不幸を及ぼしていること。未来を見通す力のない人間が行為することの悲劇。
 まあ、民主主義のない時代の法とか王権とか国家とかそういうことに思いをはせてもよいし、父親殺しがたいていの神話に登場する理由に思いをはせてもよいし、近親相姦がなぜ禁忌であるのかを考えるのもよし、と別の読み方も可能。
 西洋のオペラはギリシャ悲劇の復活上演をする意図で生まれたのだが、あいにくこの作のオペラ化で傑作といわれるものはない(ストラビンスキーのがときおり聞かれる程度)。なぜモンテヴェルディは曲をつけなかったのかなあ。