odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

セバスチャン・ジャブリゾ「シンデレラの罠」(創元推理文庫) 一人が探偵=被害者=犯人=証人の四役をこなすという仕掛け。

 病院で目覚めた娘がいる。彼女は全身を(顔ですら)包帯で巻かれた重傷人だった。それは全身に負った火傷のためであり、彼女の外観は皮膚移植などで元の顔を知らない医師たちによって人工的に作られたものであった。しかも彼女は記憶を失っている。医師たちはあまりの衝撃で精神的なダメージを負ったためだと説明している。彼女は自問自答する。私は誰か、と。そこに対する説明は3種類。

 ひとつは医師たちによるもので、彼女はある資産家の娘として育てられたミであると。資産を管理する伯母は彼女=ミ(ミッシー、ミシェール)を溺愛し、そのためにわがままで気まぐれに育った。一人のままでいるのはよくないと考えた伯母はひとりの同年齢の少女を引き取り、いっしょに暮らさせた。伯母はその少女=ド(ドムニカ)に厳格にあたり、粗雑にあたった。ミはドを奴隷のように使い、時には殴ることもあったのだ。成年になったとき、伯母は病に倒れ、ミの世話をさせるために銀行に勤めていたドを呼び寄せていたのだった。ミの20歳の誕生日に、ミの新築の家が出火し、ドはなくなったのだと伝えた。
 もうひとつの説明はミの後見人によるもの。ミの身勝手さやわがままにこらえられなくなった後見人=ジャンヌは、完全犯罪をもくろみ、ドに吹きかける。自然出火とみられる方法でミを殺してしまおう、そしてミにすり替わりなさい、なに、ちょっと顔を火傷すれば誰にも見分けは付かないよ。そのためにミを観察して、すっかりミになりきりなさい。あなたは私の計画の共犯であるドであると。
 3つめの説明は、ドと後見人の計画の一部を知った郵便局員。彼はミに近づき、犯罪計画があることをミに知らせた。ミはドと後見人の裏をかくつもりで、誕生日を迎えることにする。そして、郵便局員はミに事故が犯罪であることをい暴こうと持ちかける。あなたはボクといっしょに計画を暴くミであると。
 こんな具合に、「私」とは誰かに対する3つの説明がなされ、もちろん私自身が私の存在を根拠づけるはできず、どれかの説明を受け入れることで私が私である理由が生まれる。それでも互いに矛盾する説明があるとき(しかもどれも物理現実の証拠を持たない)、どの説明を採用するべきか。結局、記憶喪失の娘はもっとも親切な後見人に従うことにするが、その選択はいかなる仕儀にあいなるか。残り20ページを切ってからの怒涛の展開に驚愕するように。
 章立てにも凝っていて、「私は殺してしまうでしょう」「私は殺しました」「私は殺したかったのです」「私は殺すでしょう」「私は殺したのです」「私は殺します」「私は殺してしまったのです」。章ごとに、「私」の現在と、過去の出来事が交互にかかれる。過去の出来事がリアリスティックなだけに、現在の「私」の判断は正しいように思え、しかし確証をもてないために、不安に陥るのは読者もいっしょ。ここでも一人称の記述が見事な仕掛けを隠していることになる。
 さて、一人が探偵=被害者=犯人=証人の四役をこなすという仕掛けはみごとに成功。まあ、事件はひとつではないからね。ところで、都筑道夫も同じ仕掛けを考案しようとしているところにこの小説を読み、記憶喪失を使うのはアンフェア(ちょっと強調しすぎかな、安直な仕掛けで感心しないというくらいの意)といっていた。それに対する解答が「猫の舌に釘を打て」であるわけ。これは比較してもよいかな。
 でも、思いついたけど、同じ一人四役というのはずいぶん昔に実現していたのだった。もちろんソポクレスの「オイディプス王」