odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

舟崎克彦「野ウサギのラララ」(理論社ライブラリ) 記憶を失って現れ、自分とは何かを探すというのは、実のところ、人生の比喩そのものではないか。

 記憶を失ったウサギの男の子が一人。岸に打ち上げられている。目を覚まし、島の奇妙な友人達といっしょに生活を開始する。春夏秋冬それぞれに事件が起こり、彼は島の重要な人物になっていく。彼の記憶は取り戻せるのか・・・・
 ミステリーやホラーによくあるシチュエーションの物語だ。これは、ファンタジーの世界に導入するのによく使われる手法であって、われわれ人間世界の日常からはなれたところに違和感なく入っていくためには、すんなりとしたものだ。ところが、主人公自身は記憶=過去を持たないためにちっとも個性的ではない。このウサギの男の子も素直ないい子であるが、それだけであって、彼に感情移入することは難しい。その代わりに、周囲の人物達がとびきり個性的で、おかしな人物であることが必要になってくる。ここにも、食いしん坊で甘えん坊のハリネズミや、自分にも敬語を使うネズミ、薬草をせんじてばかりいるモグラなどがいる。そうではあるのだが、彼らの動きが乏しく、しかも内省の言葉が多いので、物語が弾んでいかない。
 一応書誌として記しておくと、この長編、1997年に初版が出版されているが、初出はずっと古い。福音館書店が出していた雑誌「母の友」で1971-2年にかけて連載されていたものだ。そんなことをかけるのはすなわち母が講読していた雑誌を小学生の自分が面白がって読んでいて、今に至るも保存しているから、というわけだ。
 そのときはずっと面白く読んでいたのだが、今回はひどく停滞した静的な物語に思えた。数冊の雑誌をめくってみると、今回単行本にするにあたり、作者は連載を刈り込んでいるのが分かった。元は著者27歳のときのもの。連載ということもあって、過去の話を繰り返す必要もあったのだろう。もっと饒舌で、猥雑なものだった。それを50歳を過ぎてから見直したせいか、ずいぶんおとなしいものになってしまった。ウサギの内話が多くなったのも、彼の性格が落ち着いたものになった原因だろう。
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 ところで、記憶を失って現れ、自分とは何かを探すというのは、実のところ、人生の比喩そのものではないか。われわれは記憶を持たないものとしてこの世に現れ、そしてその場所に自分の居場所=生きがいを見出していくのであって、そこには自分ひとりでは生きられないことを知り、そして自分を含めた世界に「すべてよし」と感じるものだ。仮に記憶=過去を甦らせたとしても、それは現在の自分とは切れているのであり、懐かしさはあってもそれは克服してしまったことに他ならない。ウサギも「ラララ」という仮の名前を与えられるが、過去を思い出したときには、その名前以外を持つことはまったく考えられないことであり、自分の不思議な出自も意味はなく、未来を展望するには捨てることのできるものになる。まったく、人生が凝縮されて、360ページの物語にまとまっているのである。

  

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