odd_hatchの読書ノート

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ダシール・ハメット「デイン家の呪」(ハヤカワポケットミステリ)

 タイトルからすると、1920年アメリカの探偵小説黄金時代によくあるような通俗スリラーみたいなものを連想する。実際のところ、風俗こそ当時の最新のものではあるが、案外意匠は古めかしい。コンチネンタル探偵社の名無しの探偵である「私」がある一家に呼ばれる。素人科学者レゲットがダイヤモンドを使った実験をしていたら、盗まれたのだった。そして17歳の若い娘が失踪する。この最初の事件は、レゲットと妻デインの過去の因縁を明かして解決する(第1部「デイン家」)。しかし事件は終わらない。娘は新興宗教の施設に、麻薬中毒で隔離されているのを発見されたのだった。その治療のために再び施設にもった娘を助けるようにと「私」に依頼が来る。悪夢の一夜。刺殺された医師の死体、空中浮遊する「神」、臨死体験、悪魔儀式。「私」は危うく殺されそうになる(第2部「聖杯寺院」)。結婚した娘ガブリエリの夫から至急会いたいという手紙で急行すると、岬のはずれの別荘の近くで夫の射殺死体が発見され、娘は失踪している。郡長とともに調査にいき、娘は発見するものの拉致した男はその場で抵抗して射殺。そして町の法律事務執行官の妻も殺されているのが発見。重要な手がかりをもってきた宗教施設のナンバーツーと話をしていたら、爆弾が破裂して、最初の捜査から付き合った小説家が巻きこまれてしまう。うーん、名無しの「私」の行く先々には死体が待っているというなんとも物騒な展開(第3部「クェサダ」)。

 面白い構成だと思ったのは、事件がひと段落するごとに探偵が事件を解明していくところ。それで決着したのかと思うと、次の章で起こる事件には前の事件が関係していることがわかり、複雑な様相を呈しているのが判明し、当初の解決は正しくないことが明らかになる。プロットが錯綜しているのは複数の短編をひとつにまとめたためかしら。いくつかの冒険や危機回避ののちに、真犯人を追い詰める。この犯人が作中に隠れているやり方はなかなか凝っていて、初心者であれば「意外な犯人」と思うかもしれない。明らかになるのは、ある一家の呪われた血筋(というのを大文字で書いてはいけないな)。つまりは最初の妻の偏執によって、夫に妻、その関係者にひどいことが起きてきたということだ。自分を省みたときに、不幸の原因がすべて自分にあるという根拠のない思い込みにみながとらわれているからだ。こうして明らかになる親子二世代にわたる不幸の連鎖が、ガブリエリという20歳の純情な娘、しかしモルヒネ中毒になっている、に集中していることがわかる。このストーリーは、のちのハードボイルド小説がいろいろと模倣・コピーした。これがなければ、チャンドラー「大いなる眠り」も、ロス・マクドナルド「さむけ」もなかったといえる。あいにくタイトルの「呪」はそぐわなかったな。「デイン家の女」とでもすればテーマは鮮明になっただろうに(ん、ロス・マクドナルドに似たタイトルがあったな)。
 しかし、のちのハードボイルドと異なるのは、名無しの探偵が、娘の麻薬中毒を治すために、数日ホテルに一緒に閉じこもるところ。崩壊する家族を支えるために「私」は奮闘する。こういう「家族」、家へのコミットの仕方はそれまでの探偵小説にはなかったものだ。クィーンやカーその他の創造した探偵は謎の解読以外に興味を持っていず、事件に逢着した家族にほとんど同情を示さない。ハードボイルドの私立探偵たちは家族の過去に深い同情を寄せるが、介入したり援助を示すことはない。そのような探偵を思うとき、名無しの「私」が家族の崩壊にコミットするのは非常に印象的。彼は報酬以上の仕事をすることを辞さない。それはたぶん「正義」を実現することであるのだろう。この正義は非常に個人的なことであって、ほかの人の共感を得られない。実際に娘のモルヒネ中毒を克服する数日間を不眠不休で付き添うことに、彼の仲間の探偵は揶揄するのである。それでもやる。この名無しの「私」は感情描写をしないので、傷ついたとも落ち込んだとも書かれない。なにかを達成したと喜ぶわけでもない。ただ肩をそびやかして、タバコに火をつけるだけ。その孤独は、マーローやアーチャーよりも深いかな。彼の姿は、1945年以降の作者の孤独を先取りしているかもしれない。
 ああ、この小説では禁酒法のことが書かれていた。探偵小説黄金時代の作品には、1920年代にアメリカで禁酒法が制定されていて、ギャングが密造酒を売りさばいて大もうけしていた、なんてことは書かれていないので、その点でも珍重するべき。

デイン家の呪 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ 236)

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デイン家の呪い(新訳版)

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