odd_hatchの読書ノート

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ジョー・ゴアズ「ハメット」(角川文庫)

 19世紀後半のアメリカの資本主義の発達はたくさんの大金持ちを生んだが、その中にはギャングやマフィアと組んで市政を牛耳るものがあった。そのために多くの大都市は不正と横領と賄賂の横行(羽仁五郎「都市」岩波新書が詳しかった。引用ばかりだったけど)。20世紀前半に悪徳市長の多くは打倒されたけど、禁酒法の時代には良識派を掲げながら、不正を働くものが残っていた。ここサンフランシスコ市もそう(史実かどうかは知らない)。ある犯罪者を追いかけていた警官が成り行きで銃撃戦になり、射殺した男の車からリンチされた少女の死体を発見する。どうやら賭博場は別のところとつるんで、少女の人身売買に関与しているらしい。そのうえ、賭博場には町の名士とその息子たちも出入りしていて、少女の買春もしているらしいが、おとがめなしになっている。
 この状況を捜査していた私立探偵が惨殺される。死の直前に、元私立探偵のダシール・ハメットに協力を依頼していた。「血の収穫」の赤入れと「デイン家の呪い」の推敲に専念したいダッシュ(ハメットの愛称)は断ったのだが、友人の死に動揺し、渋々ながらも市長が進める調査プロジェクトを担当することになる。まずは、殺された私立探偵が見張っていた娼館に目をつけ話を聞こうとするが、保釈会社の手引きで行方をくらます。そのうえ、娼館の主人が使っていた中国系の少女も見当たらなくなっていた(アジア系の人は見た目が若く見えるので、売春組織のターゲットになっているのだ)。失踪した中国系の娘の行方は、町はずれの貧困街に住む太った女と気のふれた息子のところにありそうだ。そのうえ、太った女は最初に殺された犯罪者と兄妹でもある。娼館はもぐりの酒場と懇意であり、ここの用心棒がハメットを脅す。

 時代は1928年でハメットは34歳。最初の妻とはすでに別居していて、ピンカートン探偵社も辞めている。いくつかの短編をブラックマスクに発表済だが、職業作家になるべく長編を準備中。複数の短編を一つにまとめて長編にしようとするが、ストーリーがいびつになって四苦八苦中(まあ「デイン家の呪い」がそんな軋みのあるできだった)。若い女性と同棲しているが、探偵に熱中してほったらかしにしているため、このところ不機嫌。いや、ハメットの過度の飲酒にへきえきしているのだ。なのでハメットは3つのできごとをどうにかしないといけない。サンフランシスコの不正に関係する殺人事件、同棲している女性との関係回復、夢とプライドのための長編完成。マルチタスクでよろよれになりながら(むしろ二日酔いに悩まされながら)、サンフランシスコを走り回る。
 ハメットの追いかける事件の背後にはサンフランシスコの市政をめぐる暗躍がある。市長と秘書と最初の殺人事件に関与した警官と保釈会社の専務が小学校からの幼なじみであって、これらが市の一つの勢力になっている。それに対抗するのが保釈会社のトップを中心とするグループ。この二つのグループの抗争が殺人事件の裏で進行中。ハメットは次第にそのことに気が付いていき、ミッションがもう一つ加わる。このストーリーはどこかで読んだことがあるなあ、と思ったら、最後にある本が挙げられて、自分の推測を裏付けてくれた。
 1975年の作品で、ヴィム・ヴェンダース監督が1985年に映画にした。翻訳はその公開にあわせたので、表紙にはハメットを演じた俳優が載っている。実在の人物を登場させ、あまつさえ探偵までさせるというのが心憎い。なにしろハメットは実際に私立探偵をしていたのだから(その点ではウィリアム・ヒョーツバーグ「ポーをめぐる殺人」扶桑社文庫よりリアルな設定)。でも、このハードボイルドは読むのがだるいところがあって、時代描写があまりなくて興味をひかないこと(スタウトの初期作品のほうが風俗描写が面白い)、後半から探偵が強くなりすぎて叩きのめされて復讐するというカタルシスがなくなったこと(チャイナタウンの重鎮に用心棒グループを借り、もぐり酒場を一軒つぶすくらいのスーパーマンぶり)。そのうえ先にリリアン・ヘルマンのハメットの思い出の文章を読んだおかげで、ハメットは内向的で引きこもりがちであるというイメージがあり、このこわもてで暴力的なハメットが実際にあわないように思ったこと。リリアン・ヘルマンは1985年没なので、もしかしたらこのフィクションを読んだかもしれない。感想を聞きたいところだが、あの気位が高い女性は黙っていただろう。