odd_hatchの読書ノート

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ゲーテ「色彩論」(岩波文庫)-2 科学と文学と哲学を統合したいゲーテは要素還元主義のニュートンが大嫌い。

2016/09/20 ゲーテ「色彩論」(岩波文庫)-1 1810年 の続き。


 ゲーテの時代(18世紀後半)の科学を思い出すと、古典力学は完成済。微分積分などの数学も発展途上(力学と数学は相互に影響しあいながら発展していた)。化学だとラボアジェの元素論が今につながる。電気の発見もあったか。でも生気論が主流で(メスメリズムみたいな今となってはオカルト的な主張もあった)、自然発生説が優勢で、進化論はまだ先の話。という具合に、力学は要素還元主義の牙城であったが、ほかの分野ではホーリズムや生気論などが幅を利かせていた。

 ゲーテは当時の主流の考えに近かったとみえる。科学と文学と哲学を統合しようというのは、十八世紀の学問の正統的な考えといえる。これが十九世紀になると二つの方向から解体されるようになる。ひとつは、科学の成果がたくさんでてきて、それ自体で世界の成り立ちやありかたが説明できるのではないかと思われるようになり、技術と結びついて産業の変化を起こしていったこと。まあ、生産性をあげ、利益を上げることを目的にする株式会社と資本主義が科学をさまざまな未来予測の方法から選択して優遇していったわけだ。それは社会構成の変化になり、ゲーテのいるような王侯と結びついた貴族や官僚を危うくする。もうひとつは、その科学の発展に危機や不安を感じた人たちによるバックラッシュ(揺り戻し)。端的には文学と哲学の優位を唱え、人間や世界の曖昧さや闇に注目したロマン主義の運動。このふたつがゲーテの考えを乗り越える。それは少し先の話。
 ゲーテが色にこだわった理由の一つは、望遠鏡の色収差の問題がありそう。単眼レンズだと収差の補正ができなくて、映像には色ずれが起きる。複数レンズを組み合わせて収差を補正する技術は17世紀のホイヘンスから始まったとはいえゲーテの時代にはまだ未解決だったみたい。そこにプリズムによる光の屈折と多彩な色の発生という問題が加わる。ゲーテの方法では、色の真実に迫るには、過去からの伝承と、実験や観察という経験の二つのアプローチが必要。後者は第1部:教示編、第2部:論争編でぞんぶんに記述済。この歴史編では、古代・ギリシャから始まり、ロジャー・ベーコンコペルニクスらを経由する光学の歴史が語られる(興味深かったのは、1810年のこの本では、天文学と力学の発展が、コペルニクスガリレオケプラーニュートンという系譜で書かれていること。このときにはすでにこの系譜が成立していたのだね。またゲーテが「世紀」を時代区分の基準にしているところも)。歴史的遠近法を使えば、こと科学的アプローチに関しては誤りであることが明白な18世紀以前の光学の些末な議論や実験の詳細を知る必要はない。なので現代の科学史の本には載らないような研究者やその意見を読むことはない。容赦なく飛ばしました。そのかわりに、ゲーテの主張を抽出することに注力する。
 そうすると、ゲーテにとっての色は、物体の本質を反映して意味や性質を伝達する「もの」であるようだ。むしろ、客体は基本色をもっていて、それを放射しているというべきか。同じ客体であっても色は多彩に変化するが、それは客体の現状・変化・老化などで、濃淡が変わる。色の違いに客体の本質や現状が反映されているという具合。これはゲーテが「原植物」というイデーを構想するのと同じ。現実の植物にはさまざまな変異があり、多様であるが、それは原植物の性質の一部が過剰であったり欠損していたりしたため。それが色についても現れる。色は人間によって認識されるが、色を認識する人は意味や感情を誘発される。それによって客体の本質や性質を知る。まあ、物体の発する意味や価値が交通する世界に人がいることになる。なので、色を認識する人は意味を知るためのさまざまな知識を持つことが大事であり、過去の色の意味やそれによって人間が変化してきた歴史や伝承を知ることも必要。なので、人間の認識は感性・理性・悟性を総動員する統合化である。それには修養とか教育とか啓蒙など、感性・理性・悟性を高める総合的な知的運動をしなければならない。ゲーテの言いたいことはこんな感じ。
 さて、ゲーテの色彩論は、ニュートン「光学」批判でもある。第2部:論争編がニュートン批判になっているそう。なので、公正を期すために、そちらも参照しておくべきかもしれない。今回はニュートンの本はパスすることにした。

 そこでは、ゲーテ自身によるプリズムの光の屈折と色の発生に関する実験も記載されているようだ。詳細は歴史編にはないので、詳細な検討はおくとして、ゲーテから見ると、ニュートンの色は三原色の組み合わせに過ぎず、物体の存在とか意味とか価値とかを媒介しないただの物であるから。ゲーテの色は絵画だし、ニュートンの色は炎色反応だということになるかな。今の我々からすると、ニュートンは色の発生機序にフォーカスしたものだし、ゲーテは色の知覚や認知にフォーカスしたものだといえる。どのように色を見るかの前提がずいぶん違っていて、いずれも「科学」に一括りしているから、この二人の話はかみ合わない。
 ただ、ゲーテの批判の仕方はあまり筋がよくない。理論的な批判は「第2部:論争編」でやっているようだが、こちらの「歴史編」では、ニュートンの人格批判まで飛び出す。「ニュートンの人格」という章がそれ。そこでは、ニュートンに対し誤謬を指摘してきたがニュートン学派は理解しない。それは始祖の頑迷固陋、主観的な正確、固定観念に囚われ、自己撞着を無視などに原因があると、ゲーテはいう。そうしたうえでこんな発言をする。

「我らがニュートン学説に対する論争において平静の限界を踏み越えたとしても、われらはその全責任を、無資格と自負、怠惰と自慢、激烈と迫害熱が全く均衡の相関関係を保っていた彼(ニュートン)の学派に押し付けるのである(「色彩論」岩波文庫P307)」

 
 自分の感想は、「ゲーテ、やっちまったな…orz」。ゲーテによる150年前発表のニュートン光学批判は、現代の「相対性理論は間違っている論」みたい。論の立て方、人格非難とセットの理論批判などはよく似ている。現代のトンデモさんは科学の要素還元主義を批判し、科学者集団の閉鎖性を非難する。一方で、科学と哲学と文学の融合を提唱する。例は、千島学説とかEM菌とか「水からの伝言」=波動とか……。こんなところでゲーテさん、トンデモさんの始祖にならないでよ、と言いたくなるくらいに似ている。ゲーテが現代のトンデモさんと違うのは文章の格調が高いことと、学識の深いところ。
 ゲーテの考えは科学の主流にはならなかったし、ゲーテの色の理論も支持者はいない。最近は、色を認知する心理とか性格などの研究でゲーテの考えを再評価するようだ。でもゲーテの学問論からすると、部分だけ取り出すのはゲーテ自身の考えの矮小化と思うのではないかな。科学の専門教育を受けた(しかし職業につくことはなかった)自分が「色彩論(歴史編)」を読む限りでは、墓から起こす必要もないい、彼のような科学と文学と哲学の統合は現代の学問のすすむ方向ではないと考える。

    

<追記 2020/9/29>
 荒このみ「マルコムX」(岩波新書)から引用。
「白色を善性と結びつけ優等、黒色を悪性と結びつけ劣等とみなす論理は、作家ゲーテの色彩論にも明らかである(P78)」

 ニュートンへの悪罵は個人的な憎悪と思っていたが、色の象徴からくる差別意識も含まれていたのだった。これは衝撃的。


<追記2021/12/27>
 トーマス・マンの「ワイマルのロッテ」下巻(岩波文庫)1971年にゲーテ「色彩論」に関する訳者の注があった。

「色彩論――1810年に発表され、学理的部分、論争的部分、歴史的部分の三つの部分からなり、このうち学理的部分の第一章がもっともすぐれ、光学の生理学的方面(視覚について)の研究においてすぐれた研究の一つといわれる。それにつづく章は物理学的でないと批評されている。論争的部分はゲーテの書いたもののなかでもっとも眉をひそめさせるものといわれ、ゲーテよりも物理学者としてはるかに偉大であったニュートンを相手になぐり合いをしているような部分であるといわれる。ニュートンが、私たちの目に白く単一のものとして見える光はさまざまな色彩から構成されていると説くのにたいして、ゲーテは光が異種の媒質によって色彩が生じると説いている。」(P335)

 同じくトーマス・マンの「永遠なるゲーテ」1947年ではマン自身が下記のように書いている。

彼(ゲーテ)は『色彩論』を書いたが、その最初の草案のなかにすでに彼の友シラーは、「科学と人間の思考との一般史の多くの重要な根本特徴」を見出した。事実、この本の歴史的な部分は、まったくゲーテの意図によって、いっさいの科学の歴史の比喩のようなもの、ヨーロッパの思想を数千年にわたって描いた小説、になっている。